1−13 降って沸いた緊急事態
(……エルシャ、今日は来ないのかしら……)
午前中の授業を終えても、尚。エルシャの席は空っぽのままだった。昨日の帰り際は、あんなにもやる気に満ちていたのに……どうしたのだろうと、ミアレットは気もそぞろである。それなのに……。
「ねぇねぇ、ミアレット! ミアレットって、マモン先生と知り合いだったって、本当⁉︎」
「……うん、まぁ……」
「すご〜い!」
「で、でさぁ……あの……」
エルシャがいないため、ランチをご一緒したい相手もいない。そうして、以前通りに「孤独のランチ」に勤しもうと、自席でお弁当を広げているミアレットだったが……やはり、級友もどきがお近づきのチャンスを見逃してくれるはずもなく。非常にありがた迷惑なことに、ミアレットを気遣うフリをして……本校へのご縁をゲットしようと、興奮気味でにじり寄ってくるのだから、鬱陶しいこと、この上ない。
「ささ……こちらです、先生!」
「ハイハイ。ご案内、どうも……っと」
「……うん?」
ミアレットがうんざりしながら、アーニャ特製のハンバーグサンドにかぶりついていると。廊下から、紛れもない知り合いの声が響いてくる。
(この声は、もしかして……)
「チィーッス、お邪魔しまーす。ミアちゃん、いるか?」
ミアレットがイヤな予感を募らせつつ……見つめる先からヒョコッと顔を出したのは、予想通りに麗しの大悪魔その人であった。彼は彼で軽やかに挨拶しつつ、ミアレットの顔を認めると……これまた、嬉しそうに目を細める。
「マモン先生……こんな所まで、どうしたんですか……」
「食事の邪魔して、ゴメンなー。……ちょいと、緊急事態なもんで。話を聞きたいついでに、迎えに来たんだよ」
「緊急事態……ですか?」
食事は続けていて、いーぞ……なんて、相変わらずの口調でミアレットには接してくるものの。イヤでも感じる、ピリピリとした彼の空気感に……相当の話があるのだろうと、既にミアレットは頭を抱えたくなっていた。しかも……。
「グロウル校長先生もお見送り、ご苦労様でした。引き続きミアちゃんのこと、ヨロシク!」
「もっ、もちろんです!」
「それと……さっきの話も、ちゃんと対策してくれよな。……早速、ヤバい状況になってんだから、気ィ引き締めとけよ」
「はひ……!」
最後は急激に温度の下がった、ドスの効いた声色で凄むマモン。グロウル校長先生はそんなマモンの脅しに、涙目でプルプルと震えている。いくら分校の責任者を任せられている魔術師のエリートとは言え、トップクラスの悪魔が醸し出す威圧感を前にしたら、赤子も同然。……見た目は、マモンの方が圧倒的に若いものの。ミアレットでさえ、「魔力の圧」による差は歴然だと、問答無用に肌で感じさせられる。
「す、凄い……」
「あの校長先生が、プルプルしてた……」
「本物はやっぱり、カッコいー!」
生徒視点からすれば、校長はカーヴェラ随一の魔術師であるし、「人間にしては」傑物であることは間違いない。……それを、ちょっと睨むだけで怯えさせてしまうのだから、やはりこの悪魔男子は自身の影響力をあまり自覚していないらしい。更に、生徒達にはニコニコと愛想のいい笑顔を振り撒くのだから、この上なく意地も悪い。
「そんじゃ、ミアちゃんが食事を済ませる間……ちょいと、世間話でもしましょうか。先生からも質問があるから、お食事がてら答えてくれると、嬉しーなー」
アーニャからもなんとなく、話は聞いていたが。マモンは意外と子供に懐かれる体質である上に、「話し上手」でもある様子。教師として教壇に立つことはあまりないものの、稀に彼が講義を持つともなれば……大講堂に入りきらない程の生徒が押し掛けるのだと言う。
(とは言え……私も、マモン先生の授業には参加したいなぁ……)
風属性の彼が受け持つのは、当然ながら風属性の魔法講義……に加えて、本校では初等魔法学も担当しているそうで。初歩の初歩から丁寧に教えてもらえるとあって、本校に登りたての「お上りさん」からすれば、色々な意味で有難い存在である。
「ほーん……そうなんだ? エルシャちゃんのお兄さん、とっても凄い奴なんだなー」
「そうなんです! エルシャのお兄さん、とっても格好良くて、魔法も凄いの!」
「あ、でも……先生に比べたら、そうでもないのかも……」
「アハハ。なかなかにお上手だな、お嬢さんは。ウンウン、誰かをちゃんと褒められるのは、とっても偉いぞー」
「あの、先生はここの学校では魔法を教えてくれないんですか?」
「ごめんな〜……そうしてやりたいのは、山々なんだが……。俺が授業をするのは、一応は本校でだけって事になっているんだ。だから、あっちに行けるように、みんなも頑張ってくれよな。先生、いつまでも待ってるぞ」
しかも、最後はきっちりと生徒のやる気まで引き出してみせる、巧みな話術と言ったら。……悪魔は総じてお喋りがお上手な生き物なのかも知れないと、ミアレットはやっぱり脱力してしまう。……とりあえず、マモンの「お喋り」のお陰で、無事に食事を済ませることができて何よりだ。
「マモン先生、お待たせしました。それで……」
「うん。急な話になって、ゴメンな。悪いんだが、ミアちゃんにはこの後付き合って欲しい場所があってさ。……午後の授業は早退ってことで、頼めるか」
「えと……」
でも、どうしようかな。確か、午後にはミアレットとしては外したくない、初級魔法の授業があったはずだが……。
「あっ、もちろん午後の授業の埋め合わせはするよ。俺がきっちり面倒見てやるから、安心してくれよな」
「ほっ、本当ですか⁉︎」
ガタンッ! ……と大きな音を立てて、滅多にないチャンスに思わず飛び上がってしまうミアレット。そんな彼女の勢いに……今度はマモンが気圧された様子で、目を丸くしている。
「お、おぅ……勝手に早退にしちまったし、穴埋めはしないといけないだろーし……」
「くぅぅぅ……ぃよっしゃぁぁぁぁッ! もう、色々と聞きたいこととか! 教えて欲しいこととか! 山ほどあるんです! 風属性の先生が近くにいないもんだから、どうしても魔法の錬成イメージが行き詰まっちゃってて……」
「そーか……。ま、まぁ……そんなに喜んでもらえるんなら、悪い気もしないけど……」
相手は風属性の魔法を知り尽くした、最高峰の一角。降って沸いた緊急事態とは言え……この絶好の機会を逃す手はないと、ミアレットは鼻息荒く興奮してしまうのだった。
【登場人物紹介】
・グロウル・ガルシェッド(炎属性)
オフィーリア魔法学園・カーヴェラ分校の校長を務める魔術師。37歳。
魔術師としては優秀ではあるものの気弱な性格もあり、特殊祓魔師になることは叶わず、分校の校長に収まっている。
そうした挫折もあってか、惰性で仕事をしてしまっている部分があるため、本校からはきちんとレポートを上げるようにと勧告されていた。