4−35 狂おしい程に生々しい
シュルシュルと、「自分の生みの親」を取り込み損ねた深魔が萎んでいく。ただの黒い煤になりつつある宿主を横目に見ながら……心迷宮から無事に具現化せしめた、少女はギロリと周囲を見渡した後、ヒタヒタと足早にその場を去る。
木っ端微塵に割れたステンドグラスが、床を無秩序に彩っている。そろそろ朝日が昇ろうかという淡い光を受けて、破片は鋭利に色づくが。そんなステンドグラスの破片を、思わず踏んでしまったらしい……少女の白い裸足から、プシュッと勢い良く赤い飛沫が飛んだ。
「……痛い。あぁ、久しぶりの感覚……」
生まれたばかりだというのに、慣れ切った感覚に戸惑うこともなく。少女は怪我に構わず、足を早める。
急がなければ、自分の生みの親……あの大天使に見つかってしまう。例えようもなく残酷で、どこまでも無慈悲で……憎らしい程に自分にそっくりな、あの大天使に。そうなる前に、逃げ延びなければ。
「……おや、実験は失敗だと聞いていたのだが。無事に新しい素体ができているようだな?」
しかして、廊下へと出た先で少女の歩みを塞ぐ者がある。視界に映る黒光している足元から、ゆっくりと視線を移動させれば……少女の瞳に映るのは、仰々しい祭服の豪奢な刺繍。そうして、少女がしっかりと男の容貌を見上げると、男もまた、鋭い野心的な視線を少女に降らせてくる。
「申し遅れたな。私は、ガラファド・サイラック。新たなる神の命の元、実験の様子を見にきたのだよ」
「ガラファド? 実験……?」
「そうだ。あぁ、案ずるな。お前を悪いようにはせん。それはそうと……お前、自分の名前は分かるか?」
「ミーシャ。……血塗れミーシャって呼ばれてた」
少女が何気なく口走った通り名に、ガラファドは微かに眉を上げたが……すぐさま、面白いとばかりに口元を歪める。
(これはまた、とんでもないモノが生み出されたようだな……)
ガラファドには、彼女が「何を大元にして出来上がったのか」を知る術はなかったが。深魔から生まれたという実情を抜きにしても、少女の存在感はあまりに異質で……それでいて、狂おしい程に生々しい。
物騒な通り名と、研ぎ澄まされたように鋭いメープル色の視線。そして、彼女が纏うのは幼い見た目にはそぐわない、醜悪な血の匂い。この殺伐とした空気からしても、彼女の「原料」となったのは愚かで自堕落なミランダの記憶ではないだろう事くらいは、察するに余りある。
「ミーシャ、付いて参れ。色々と聞きたい事はあるが……とにかく、ここから出なければな」
「それには、同感。……ここからすぐにでも、離れた方がいい」
見た目の割には、大人びた反応を示すミーシャにガラファドは満足げに頷くと……彼女の手を引き、踵を返す。そうしてひたすら行くは、かつての荘厳さは見る影もない、廃れた聖堂の廊下。磨き上げられていたはずの白亜の床は泥に塗れ、失望の灰色をしている。それでも、ガラファドがふと何かの視線を感じて天井を見上げれば……忌々しい程に笑顔を保ったままの、天使達の宗教画が一面に広がっていた。
(奥にいるのは、大天使・ミカエル……だったか)
今となっては叛逆の大天使と呼ばれ、愚の骨頂とまでされる堕落の象徴。しかし、皮肉にも……アーチェッタ大聖堂には、彼女の輝かしい笑顔が張り付いたまま。まるで時が止まったかのように、天井のミカエルは美しい姿を晒し続ける。
(ふん、報われないことだ。ミカエルこそが、しかと新しい世界を見据えていたと言うのに。……女神に見捨てられたと言うだけで、日陰で微笑むことしかできんとは)
廃墟と呼ぶに相応しい聖堂を脱出し、待たせてあった魔法駆動車へとミーシャを誘導する。そうされて、少しばかりミーシャがピクリと体を強張らせたが……それは見慣れない魔法道具を前に気圧されたからではなく、何かの気配を感じ取ったかららしい。
「……急いで。あいつに気づかれる前に……遠くに行かなければ」
「お前の言うあいつが誰なのか、気になるが……ここは従った方が良さそうだな。すぐに出してくれ」
「承知しました」
運転席に待たせていた従者に指示を出し、自身も魔法駆動車に乗り込むガラファド。そうして、彼が後部座席に腰を落ち着けたところで、ふわりと魔法駆動車が浮き上がる。
「……さて、と。一旦、我が屋敷へ戻ってくれ。……王宮にこの子を連れ帰るわけにもいかん」
「かしこまりました。では、そちらのレディをお屋敷までお運びした後……グランティアズ城へお戻りになるで、よろしいでしょうか?」
「あぁ、それで構わん。……この子の素性も聞かねばならんが、王宮にも顔を出さねばならん。ステフィアが上手くやっているだろうとは思うが……国王共に勝手をされても、困るのでな」
ガラファドの小馬鹿にしたような口調に、従者は微かに眉を動かしたが……余計な口を挟むこともなく、軽やかに魔法駆動車のハンドルを切ると、慣れた様子でスピードを上げ始める。
「……」
一方、初めての魔法駆動車に興味津々……とまでは、いかないにしても。ミーシャは一心不乱に、移ろう外の景色を見つめていた。仄暗い色彩しか知らなかった瞳には、新しい世界の色彩が幾度も幾度も鮮やかに映り込んでは、通り過ぎていく。その刹那の光景に、どれ1つ同じ瞬間がないことを噛み締めながら……ミーシャはこれからの事を、考える。
漆黒ニーズヘグが自らの鱗から生み出した、不気味な子供達。それら1人1人の意思は微弱で、恨みも辛みも、絞りカスのように薄れていたが。無抵抗のままに改めて一方的に屠られ、新しい恨みを思い出し、1人へ集約されたのなら。一人前以上に濃縮された負の感情は、少女の身に封じるにはあまりに重すぎる。
(でも……私はあの子達のためにも、生きなければならない。……踏み台にされた側の怒りを、風化させないために。のうのうと生き延びたあいつに、復讐するために。……生きて生きて、強くならなければ)
身に余る不浄も、目に余る惨状も。全てを背負って、歩いていく。
ジンジンとようやく痛み出した足を摩りながら、生きている実感も再認識して。ただ綺麗な色彩を映し出すばかりのメープル色の瞳は……ミーシャの決意を証明するかのように、煌々と怒りの色を灯し始めた。