4−32 厄介な相手しかいませんよ?
ミアレット達が「漆黒ニーズヘグ」と対峙している、その頃。ミランダだった深魔がいよいよ小さく小さく、震えては蹲っているのを見つめながら……今回の深魔も失敗作になりそうだと、セドリックは身動きができないなりに、ため息をついていた。
(せめて、クラウディオは仲間に加えたかったんだけどな……)
ミランダの不出来を知らしめ、彼女を化け物に仕立ててしまえば。「拠り所」を失ったクラウディオは、自分に付いて来るはず。そう思って、セドリックは無条件でミランダにリンゴを渡したのだが。それがまさか、特殊祓魔師どころか、大天使を呼び寄せるなんて。セドリックにしてみれば、完全に予想外だった。
(あの天使さえいなければ、クラウディオだけは一緒に来てくれたかも知れないのに……)
クラウディオの拠り所は既に、存在意義を成していない。
ミランダがサイラックに「魔力適性がある人間を連れてこい」と言われていたのは事実であるし、彼女は躊躇もなく「対価」としてクラウディオを連れてきた。ミランダはクラウディオを利用し、剰え、切り捨てることさえも厭わない。そんな彼女が……果たして、母と呼ぶにふさわしい「拠り所」かどうかなんて、考えずとも分かることだろうに。
(まぁ、クラウディオはあの屋敷では浮いていたからな。あの毒親を、慕わざる得なかったのかも知れない)
クラウディオがミランダを盲信していたのには、母親による刷り込みももちろんあるが……屋敷の空気に馴染めなかったことも大きいだろうと、セドリックは予想する。それでなくとも、クラウディオは総じて不器用な少年である。口下手で、やや対人恐怖症気味。だからこそ、セドリックには魔法構築だけは器用なクラウディオの素質が惜しく見え、できることなら共に高みを目指したいとも思っていたのだが。
(この調子だと、それも難しいか)
勢い、「人の輪」から離れてみたものの。正直なところ、セドリックは孤高が故の孤独に疲弊している。先人も経験者もいない中で、瘴気混じりの「グラディウスの魔力」に慣れるには、肉体的には元より……精神的にも厳しいものがあった。だからこそ、セドリックは「共に歩む相手」としてクラウディオに目を付けていたのだが……その彼は閉塞的な境遇が故に、外へ飛び出そうともせず、母親の呪縛に囚われ続けている。
(……クラウディオは、魔法だけは優秀なんだけどな。視野が狭いのが、よくない)
そうしてクラウディオの窮屈な身の上に思いを馳せては、尚もため息をつくが。そのセドリックだって、囚われの身である。だが……彼が人の心配ができる程に余裕でいられるのは、とある希望的観測があるからだった。
「まーた、やらかしたんですかぁ? セドリック様ぁ〜」
そうして、予想通りに響く間延びした声。聞き覚えのある声色に安堵を覚えつつも、不名誉な言われように、セドリックは少しばかりムッとしてしまう。しかして、声の主……バルドルが今のセドリックにとって、救世主であることに変わりないのだから、グッと堪える。
「天使が相手だったんだから、仕方ないだろ?」
「それもそうかぁ。大天使・ミシェルが出てくるなんて、予想外ですしねー」
セドリックの不服を知ってか、知らずか。バルドルは思いの外、素直な反応を示してくる。そんな彼に、セドリックは「大天使・ミシェル」なる相手について尋ねるが……。
「……お前、あの天使を知ってるのか?」
「うーん、直接会ったことはないですけど。一応、名前くらいは知ってますぅ。転生の大天使で、神界のシステム統括をやっている天使ですねー」
「……それはつまり、かなり厄介な相手ってことで、合っているか?」
「何を寝ぼけた事を言ってるんです? 大天使はどいつもこいつも、厄介な相手しかいませんよ? 八翼に遭遇したら、真っ先に逃げなきゃダメですよ〜」
「そういうものなのか?」
「そういうものですねー」
この蛇に手があったのなら、きっと「お手上げ」と掌を上に向けているのだろう。それさえもできない体つきながら、蛇の姿をしたバルドルは過剰なまでに感情を伝えてくる。そうして……のっぺりとしているはずの蛇の顔に、器用に嘲笑らしき空気を滲ませながら、バルドルはアッサリと解除魔法を展開した。
「常しえの鳴動を響かせ、仮初めの現世を誑かせっ。ありし物を虚無に帰せ、マジックディスペルぅ!」
「……とりあえず、助かった。ここは礼を言うべきなのだろうな」
「別にいいですよぉ。でも、次からは気をつけてくださいねぇ。大天使の封印術を解けるのは、それこそ同じ大天使か……或いは、大悪魔くらいなもんですからぁ」
「そうなのか?」
「そうですよ? しかも、さっきの魔法は外からしか解除できない……つまりは、引っかかった本人は手出しできなくなるタイプですから。それを抜きにしても、天使が使ってくる魔法は容赦ないものが多いんですぅ。奴らは基本的に、悪魔よりも残酷ですしぃ」
それはそれで、どうなんだ。神の使いたる天使が、悪魔より残酷だなんて。……色んな意味で、この世界は終わっている気がすると、セドリックはやれやれと首を振る。
「じゃぁ、そう言うお前はどうなる? どうして、その天使の魔法を解除できるんだ?」
「僕はご主人様から特別にマナ語……あっ、天使言語のことですよ? そのマナ語の魔法知識を持たされているから、なんとなーく解除できるんですよ。ご主人様に認められていないセドリック様じゃ、まだ無理ですから〜」
「……」
敬愛するご主人様との絆を見せつけられて、さぞ満足だろうよ。
セドリックはこれ見よがしに細い胴を持ち上げて、胸を張っているらしいバルドルを斜めに見る。いずれにしても、自由は取り戻せたのだから、一旦はよしとせねば。
「しかし、これはどうしようかな」
「うーん……この状態で持ち帰っても、ご主人様をガッカリさせそうですねぇ〜。この後、サイラックのおっさんが回収に来ることになってますが……やめとけって、伝えておいた方がいいかもぉ」
「だろうな。……大天使の手にかかれば、この程度の深魔を鎮めるのは造作もないだろう。それに……あの腕輪を使われると、深魔は移動もできなくなるし」
特殊祓魔師になることはおろか、上級クラスへ昇進する事さえできなかったセドリックではあるが。特殊祓魔師がどんな存在であるかと同時に、彼らが持ち得る魔法道具・メモリーリアライズがどんな腕輪であるのかくらいは把握している。
メモリーリアライズは深魔の心象を具現化し、迷宮とすることで、探索者が調伏・攻略をしやすくするための道具である。だが、特殊祓魔師達が迷宮を探索している間は、対象の深魔はどうしても野放しにせざるを得ない。そのため……メモリーリアライズには攻略をアシストする「先導」・「消去」・「離脱」の効果以外にも、「拘束」の機能が搭載されている。それこそが、力なく矮小化していくミランダを抑え付けている魔法効果そのものであり、この状況になると、深魔はいくら抵抗をしてもその場から動けなくなる。
「ですね〜。それに、天使は宿主を助けることよりも、深魔を潰すことを優先しますから〜。……こいつはどうせ、助かりやしません。だったら、僕達だけでも逃げちゃった方がいいかもですぅ」
したり顔をしているつもりらしいバルドルに、素直に同意を示すセドリック。気に入らない相手ではあるが、バルドルの判断は正しい。クラウディオの籠絡は叶わなかったし、深魔生成も失敗に終わりそうだが。セドリックは落胆することもなく、バルドルと共にその場を後にする。しかし……。
(……この様子からするに、バルドルの目的は多少達成されたと見ていいのか……?)
肩で嬉しそうに鼻歌を漏らす、白蛇を訝しげに思いながら。当初の目的を思い起こす、セドリック。
魔力適性の低い者は、深魔になってからの転落もあっという間。だが、魔力適性が乏しい相手に、貪欲な蛇の卵を産みつけたのなら。殻を破った蛇はきっと、もっと糧を寄越せと、他の者へと牙を向けるだろう。そうして、深魔に寄ってきた特殊祓魔師を絡め取り……グラウディウスの尖兵として、作り変えられれば。これ以上の逸材はないに違いない。
そんな観測から、ミランダという「哀れな日影者」を籠罠に仕立ててみたが。罠に引っかかったのが手懐けられそうな小鳥ではなく、大物の神鳥だったのだから……運がいいのやら、悪いのやら。尻尾を巻いて逃げるセドリックには、もうもう判断材料も残されていない。