4−29 どうしようもない化け物
「……これまた、嫌な感じの空間に出たね」
階段を降り切った先に広がっていたのは、またも派手な色合いの不気味な空間。わざとらしい程に陽気な色味の天幕からするに……ここは、サーカスだろうか?
(でも、サーカスにしては陰気かもぉ。檻がいっぱいあるし……。もしかして、猛獣使いのテントかしら?)
檻が空っぽなのは、まだいいとして。そこかしこから「カサカサ」と何かが蠢く音が響いてくるものだから、仄暗い雰囲気も相まって、ミアレットの神経は縮みっぱなしだ。
(い、いや……ここは怯えている場合じゃないわ。えっとぉ……!)
場面転換した後の状況把握は、基本中の基本。ミシェルにもお願いされていた通りに、ミアレットはすぐさま魔術師帳の【特殊任務実績記録】をタップする。そうして、表示された内容に目を通すが……。
***
迷宮性質:精神リンク
深度:★★★
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「精神リンク? これ、どんな性質なんだろう……?」
他の特記事項がない時点で、魔法へのレジスト性質は相変わらず「なし」のようだが。深度はさりげなく上がっているし、何より……見慣れない迷宮性質の記載内容に、不安が広がる。
「あちゃー……随分と厄介な状況になったね、ここ。メチャクチャ居心地が悪いし、やりづらいなぁ、もぅ……」
「ミシェル様、この精神リンクって……どういう意味です?」
ミシェルの反応からしても、この法則変化はあまり良くないものらしい。予断なくナイフを構えながら、ミシェルは尚も憎々しげに周囲を見つめている。
「心迷宮の元凶が、宿主の自我を食い尽くしても足りなかったから、新しい食料を探している状態でね。そんでもって、心迷宮に足を踏み入れた探索者の内、宿主の精神に一番リンクしそうな相手に狙いを定めて、負の感情を煽っているんだよ」
だとすると、この空間の様相はクラウディオの精神にリンクした結果だという事だろうか? ミランダの精神に最もリンクしそうなのはクラウディオであろうし、ミシェルの解説からするに……この状況は彼の感情を煽りにかかってきている、という事になりそうだが……。
「クラウディオ君、この場所……見覚えある?」
「いや、ちっとも。僕、サーカスって行った事ないし……」
だが、しかし。クラウディオには心当たりがないばかりか、特段、神経を乱されることもない様子。不気味なのは変わらないようだが、それはミアレットも同じこと。クラウディオにも、薄ぼんやりと「気味が悪い」程度の感想しかないらしい。
「……違うよ、違う。ターゲットは少年じゃないよ。多分……狙いはボクの方だろうね」
「えっ?」
いつの間にか、「カサカサ」と何かが蠢くような摩擦音が、「クスクス」と何かを嘲るような笑い声に変わっている。効果音の出どころは定かではないが。……ミシェルが明らかにイライラし始めたのを見るに、彼女にとっては殊の外、不愉快な情景のようだ。
「進む前に……ここは腹を割って、先に話しておいた方がいいか。まさか、ボクをターゲットにしてくるなんて、思いもしなかったけど。誰かを踏み台にして生きてきた現実は、少年のお母さんと変わらない……とでも、言いたいのかな」
「ミシェル様……?」
「……精神リンクにハマったら、同行者には情報共有をしておいた方がいい。あらかじめ曝け出しておけば、気が楽だし……何より、精神汚染を防ぐ手助けにもなる。それ以上の恥がないと分かっていれば、怖いものもないからね」
トントンとナイフを挟んだままの手の甲で、おでこを軽く叩くと。どこか観念したかのように、ミシェルが「自分の事」を話し始める。
しかして……無邪気だとばかり思っていた大天使様の「生前」は、想像を絶する程に暗鬱な情景に満ちていた。
「天使になる前は、ボクも1人の人間だったんだけど。そうだな……大体、1300年前くらいかな? ボクが生きていた時代は、魔禍や深魔とはまた違った化け物がいたんだ」
「深魔とは違う化け物……?」
「うん、そうさ。人間っていう、どうしようもない化け物だよ。ボクが知っている世界では虐げる人間と、虐げられる側の人間……そして、自分よりも弱い人間を踏み台にして、虐げる側に登ろうとする人間がいたんだ」
檻の横に何気なく佇む、的へと気まぐれにナイフを投げるミシェル。彼女のナイフは、気怠げなフォームとは裏腹に、見事にど真ん中に命中する。その途端、周囲の嘲笑が歓声に変わるが。ミシェルは喜ぶどころか、深いため息を吐く。
「そんでもって、ボクは虐げる側へと登ろうとしていた人間でね。芸名は血塗れミーシャ、だったかな」
いかにも物騒な芸名さえも、自虐めいた笑いで受け流し。苦笑いの間にも、新しいナイフをミシェルが振りかざせば。これまた、狂いもなくストンと的の真ん中に命中する。
「ふふ……今だってテキトーに投げても、ちゃんと当たったけれど。この芸は元々、虐げられる側にされないために磨いたもので。投げナイフの的役にされないように、必死に練習したんだよ。的のままじゃ、殺されちゃうから。だからボクは芸を磨くことで、投げる方……つまりは虐げる側へと這い上がったんだ。……他の子供達が的役で死んでいくのを、横目に見ながらね」
乾いた口ぶりで、さも興味なさげに吐き出された言葉。しかしながら、言葉の脱力感とは裏腹に、ミシェルの苛立ちは相当に膨れ上がっている様子。いつの間にか周囲を取り囲んでいた的の全てにナイフを命中させると、一際大きくなった歓声に……やれやれと肩を竦める。
「ミシェル様、それはそうと……何だか、出口が現れましたけど」
ミシェルが全ての的を射抜くと、卑屈な摩擦音をさせながら、テントの一部がポッカリと開けた。
「あそこから、次のステージに行けそうだね。本当に……つくづく趣味がいいよ、この心迷宮。多分だけど……最初から、セドリック君はこれを狙って深魔を用意していたのかも」
「これまた……どういう意味です?」
「セドリック君はこの状況も想定して、少年のお母さんにリンゴを渡したんだろう。魔力適性がない相手を深魔に仕立てれば、すぐに自我を食い尽くされることも知っていただろうし……すぐに新しいターゲットを探すことも、分かっていたのかも。だとすると……最初から、狙いは君の方だった可能性がある」
「えっ? セドリックが……僕を?」
「ボク達の乱入は、セドリック君には想定外だったろうからね。想定内で絡め取れそうなのは、少年しかいないでしょ?」
言われてみれば、確かに……と、クラウディオはミシェルの言葉に納得している。ミアレット達がやってくる前のセドリックとのやりとりは、分からないけれども。普段は離れて暮らしているとは言え、ミランダとクラウディオは紛れもない母と子なのだ。根底でリンクする部分があっても、おかしくはない。
「だけど、君のお母さんの思い出へのリンク率が高い相手が、別にいたワケだ。ふふっ、ご愁傷様とでも言うべきかな? ……生憎と、ボクはこの程度で陥落する程、ヤワじゃないんだよ。何せ……」
「な、何せ?」
「普段から、お仕事で魂の転生を見ている。自分のことだけじゃなくて、雑多な生き様もなんとなく見つめてきたつもりだよ? それこそ……綺麗なことも汚いことも、裏も表も。網羅しすぎちゃって、嫌になるくらい」
戯けた調子で、肩を竦めると。ミシェルが先に進もうと、ミアレットとクラウディオを促す。しかしながら、調子は軽やかでも、中身が重たい大天使様のお言葉は……ミアレットを不安にするのも、余念がない。