4−28 八つ当たり、上等ですッ!
「ミシェル様、質問です」
「うん、何かな? ミアちゃん」
「……この先は最悪だと、仮定するとして。進まずに、この心迷宮をクリアする方法はありそうです?」
例えば、もう一度扉を開けるとか……なんて、困惑しているクラウディオの代わりに、ミシェルに「他のパターン」がないかを尋ねるミアレット。もし、最悪を避ける道筋があるのなら。どんなに遠回りでも、どんなに気分を害されようとも。まずは、そちらを採択するべきだろう。
「いや、ないだろうね。今までの部屋の魔力波長は、恐ろしい程に均一だ。多分、瘴気に飲み込まれずに残されているのが、この思い出しかないんだろう。だから、同じ部屋を作るしかできないんだ……クラウディオ君のお母さんの心は。そっちの扉の先も変わった感じはないし、どっちにしろ、進むべきは下の方なんだけど」
しかし、これまたミシェルの口からは非情な現実が漏れる。彼女によれば、大天使や大悪魔クラスになると、かなりの広範囲で魔力の傾向や波長を感知する事ができるそうで……ミシェルは魔力探知にも神経を注いでいたらしい。
「そう、でしたか……」
「うん。心迷宮に入った時から、不穏だったけどね。……ここに来て、決定的になった感じかな」
そうして隠していても仕方ない、と肩を竦めると。ミシェルが最初に言いそびれていたと、「最悪の事態」について語り出す。
「さっき、心迷宮の定着時間がなかったことに絡めて、魔力適性があるかないかの影響についても説明したけど。魔力適性がない人が深魔になると、瘴気が直接流れ込む……つまりは、心へダイレクトに作用するって所までは、君達も予想できると思う。もちろん、それだけでも大問題だけど。……でも、今回はそれだけじゃ済まなさそうだ」
「それだけじゃ済まないって……母上は、どうなっちゃうんですか⁉︎ 母上……助かるんですよねッ⁉︎」
「……そう。君はまだ、お母さんを助けたいんだね。裏切られたって分かったのに、まだ助ける気でいるんだ?」
「そ、それは……! 確かに、そうだったかもしれないけど……! でも……でもッ!」
それ以上の言葉を吐き出すことも、天使様に八つ当たりをすることも堪えて、代わりに瞳を潤ませるクラウディオ。
彼女が自分の母親であることは、絶対に覆らない真実。いくら騙され、裏切られ……傷つけられたとしても。彼女の存在がクラウディオの生きる理由であった事に、違いはない。
「分かったよ、少年。君の情熱に免じて……ボクが知っている限りの事はしっかり教えてあげるさ。まず、この下から感じるのは全く異質の魔力、つまりはお母さんの心を食い潰した瘴気が作り出した空間になっている可能性が高い。そして、宿主の思い出は死んでいると考えた方が自然だ」
「……それは、つまり……」
「深魔を無事に調伏……或いは、討伐できたとしても。もう、お母さんは元には戻らないよ。思い出を失くし、瘴気に魂を冒された相手を元に戻すのは、ボク達天使でも難しい。……記憶も相当部分でなくなっていると、覚悟しておいて」
ミシェルの説明に、ガクリと肩を落とすクラウディオ。そんな彼の背中を摩って、慰めつつ……ミアレットはエルシャの心迷宮でマモンに教えてもらったことを、鮮明に思い出していた。
(エルシャの時も、法則変化を挟んだ後は全然違う場所に出たっけ……)
煌びやかな宮殿から、殺風景な石の回廊へ。そして、そんな歪んだ光景をマモンは「エルシャを深魔に堕とした元凶が作り出したエリア」なのだと、説明してくれていた気がする。
(だとすると、この先にはきっと、深魔の元凶がいるはず……!)
エルシャは魔力適性持ちだった上に、綺麗な心迷宮を作り出していた(=負の感情の深度が浅かった)時点で、ミランダとは真逆の状況かも知れないが。同じ心迷宮である以上は、根幹くらいは似通っていてもいいではないか。
そうして、今までの経験則(と言っても、ミアレットの心迷宮経験は2回しかないが)から少しだけでも「前向きな内容」を拾い集めては、クラウディオを励ます。
「……クラウディオ君。ここは勇気を出して、下へ行きましょう?」
「ミアレット……?」
「この先がもし、お母さんとは違う奴が作った場所に繋がっているのなら。元凶にグッと近づいた事にもなります。どっちにしろ、進むしかないんですから。だったら……お母さんの心を食い潰した奴を、ぶっ飛ばさなきゃ。お母さんに騙されていた悔しさも、お母さんを助けたい気持ちも。いっその事、全部全部、そいつにぶつけちゃいましょ? 八つ当たり、上等ですッ!」
励ましついでに、鬱憤晴らしの提案も載せてみれば。八つ当たりはともかく、クラウディオにも進むしかない現実が飲み込めた様子。瞳に溜めた涙が溢れる前に、グイと袖で目頭を拭うと……力強く頷いて見せる。
「決心、できたみたいだね。それじゃ、行くとしようか」
「はい!」
「いい返事だね、少年。さて……と。ここまで来たら、ボクも3割とかケチくさいことを言うの、止めとこうかな」
「えっ?」
クラウディオの真剣な眼差しを受けて、ミシェルが「ふぅ〜」と深々とため息を吐くと……ベッドの下から現れた、階段を睨む。
「少年少女が本気なのに、ボクだけダルダルなのは格好悪いでしょ? だから……この先はボクも本気を出すよ。だから、安心して。……君達の無事だけは、絶対に保証してあげる」
そこまで言って、再び両手にスローイングナイフを構えるミシェル。先程までの軽々しい雰囲気を引っ込める代わりに、鋭い視線をミアレットに投げてくる。
「んで、ミアちゃん」
「はっ、はい!」
「下に降りたら、すぐに迷宮性質の確認をお願い。宿主が宿主だから、深度はそこまでじゃないと思うけど。法則変化は十分にあり得る。頼んだよ」
「もちろんです!」
「うんうん、これまたいい返事だね。ふふっ……たまには、ピチピチの少年少女と一緒に頑張るのも、悪くないかもねー」
口元に不敵な笑みを作り上げて、まずは自分から……と、ミシェルが階段へと踏み出す。
「……さ、クラウディオ君。行きましょ?」
「うん。……こうなったら、最後まで頑張るよ。ミアレットも、よろしくね」
「もちろんです。一緒に頑張りましょ!」
ミシェルの背中を追いかけながら。ミアレットとクラウディオも頷き合うと同時に、階段へと足を踏み出す。そうして踏みしめた階段の先からは、どこか相手を拒絶するような冷たい風が吹き抜けてくる。
(……この先はどんな場所なのかしら……)
あまり変な場所でなければいいのだけど。だけど、「最悪」を覚悟せよと言われた手前……楽観視はできないだろうと、ミアレットは気を引き締める。
嫌なもの、醜いもの。隠していた方がいいままのもの、誰にも見せられないもの。有象無象の「最悪」を想像し。ミアレットは冷風のせいだけではない震えに、身が縮む気がした。