4−26 母親の呪縛
「……クラウディオ君。それ、完全に誤解ですよ」
「えっ?」
マーゴットに意地悪されていて、働けない……はミランダが怠けたいが故の方便だろう。ミアレットは深魔になる前のミランダとは、顔合わせすらしていないが。今までの話からしても、周りの人間を欺いてずる賢く生きてきたことだけは、想像できる。
「クラウディオ君のお母さん、マーゴットさんにもお金をせびっていたみたいですよ?」
「う、嘘でしょ?」
「嘘じゃないです。多分、あの様子ですと……マーゴットさんは秘密にするつもりなんでしょうけど。エルシャも執事さんから聞いているって、言ってましたし。……多分、お屋敷の人は知っていたんじゃないかなぁ」
「……そう、か。考えてみれば、そうだよね。僕のお小遣いだけで、あんなに派手な格好……できるはず、ないものね」
「前髪バッサリ!」が功を奏しているのか、定かではないが。マーゴットに対するクラウディオの反抗心が、嘘のように萎れている。
……それはそうだろう。僅かな滞在期間とは言え、ミアレットにはマーゴットがクラウディオを蔑ろにしている雰囲気は、微塵も感じられなかった。あれで「母上をいじめている」なんて言われたところで、到底信じられまい。それでなくとも、エルシャもクラウディオと折り合いが悪いのは、祖父母だけだと言っていたのだし……クラウディオのマーゴットに対する心象を悪くしていたのは、本人ではなく、母親の刷り込みによるものだったのだろう。
「……僕は、本当に騙されていただけだったんだな……。そっか、母上は僕と一緒に暮らしたいんじゃなくて、あの屋敷で贅沢したかっただけだったんだ」
陰鬱だとばかり思っていた、クラウディオの空色の瞳に、うっすらと怒りが差す。そう言えば、前髪を切ってから初めて、クラウディオの瞳の色がハッキリ見えた気がすると、ミアレットは再認識するものの。穏やかではないクラウディオの雰囲気に、思わずたじろいでしまう。そして……。
「ふふ……ハハハハッ! こんな部屋、全部燃えてしまえばいいんだ! 蒼天の熱を集め降らさん、炎弾よ舞い遊べ! フレアレイン!」
「って、わぁぁッ⁉︎ ちょ、ちょっと、クラウディオ君ッ⁉︎」
突然の高笑いとともに攻撃魔法を放つ、クラウディオ。「全部燃えてしまえばいいんだ」の言葉通り、広範囲の攻撃魔法を選択してくる時点で、彼の腕前も相当レベルなのは一目瞭然。初級魔法と言えど、ここまでスムーズに展開できるとなると……セドリックがクラウディオを認めていたのも、頷けるというもので。
しかし、問題なのはクラウディオの魔法の腕ではない。こんな狭い場所で攻撃魔法を放っているという、現実の方である。
(クラウディオ君、メイジよね? メイジだったよねッ⁉︎ それなのに、攻撃魔法も得意なの⁉︎ って、あれ……?)
緊急避難した隅っこで、頭を抱えているミアレットの懸念をよそに……クラウディオの炎はただただ輝くだけで、燃やすどころか、部屋を焦すことさえできていない。炎の熱が本物の時点で、普通であれば絨毯やベッドは真っ先に燃えているだろうが……。
「少年、そのくらいにしておきな。この感じだと……この部屋は魔法をぶっ放したところで、燃やすことはできないよ」
「……そうなんですか……?」
「うん。心迷宮は宿主のイメージが具現化しただけの空間だからね。現実世界の法則や概念からは、外れていることも多いんだよ。今回の心迷宮はレジスト属性はなかったから、魔物相手には苦労しないかもだけど。でも、部屋の方がここまでしぶとく残るとなると……宿主の記憶の中で、大半を占めている空間ってことなんだろう。いくつも同じ部屋を作っちゃう時点で、筋金入りだろうしね」
「……」
激しく燃え盛る炎を前にしても、冷静に分析ができてしまうミシェルに底知れないものを感しては、ミアレットはまたも怯えることしかできない。しかして、相手は霊樹戦役も経験している猛者である。きっと、この程度の攻撃魔法は見慣れているのだろう……と納得ついでに、モヤモヤしてしまうのだった。
天使のお姉様方も、悪魔のお兄様方も。人間からすれば、一律規格外である。だが、今まさに側にいるのが、「タダの人の子」であることを忘れているのは、非常によろしくない。
「ゔぅ……ミシェル様は平気かも知れませんけどぉ……! 私は超ビックリなんですけど。もぅ……こんな狭い場所で、いきなり攻撃魔法を使わないでくださいよ……」
「それもそうだよね……うん、ゴメン」
そうして、モヤモヤした気分をクラウディオに向けるミアレット。「本当に怖かったんですよ!」と、頬を膨らませてプリプリしてみれば。素直に詫びてくるのだから、陰鬱なファーストインプレッションとは裏腹に、クラウディオ少年は素直な人間であるらしい。
(でも……あれ?)
そんなクラウディオの変化にも気付いては、ミアレットは首を傾げてしまう。先程の魔法詠唱もそうだったが。今のクラウディオは随分と流暢に、舌が回るようになった気がする……?
「……ところで、クラウディオ君」
「う、うん。何? ミアレット」
「……言葉、詰まらなくなりましたね」
「えっ? そ、そうかも……?」
ミアレットに指摘されて、クラウディオは自分のことなのに、不思議そうに首を傾げる。前髪が短くなったせいか、はたまた、元から童顔だったせいか。今のクラウディオ少年は、少しばかり無邪気にさえ見える。
「ふふっ、別にそれは悪いことじゃないさ。スラスラ嘘を言えちゃうのは、問題だけども。スラスラ詠唱ができるのは、とってもいいことじゃないか。ウンウン、少年も頼りになりそうだね」
「はっ、はい……!」
言葉は軽いが、紛れもない大天使様のありがたいお言葉に、今度は頬を嬉しそうに染めるクラウディオ。ますます晴れ晴れとした表情に、クラウディオが母親の呪縛から脱却しつつある事に気づきつつも……この部屋の呪縛からはどうやって逃れようかと考える、ミアレット。
(多分、あっちのドアを開けても……同じ部屋が続いているんだろうなぁ。だとすると……)
ドア以外の出口を探した方が良さそうだ。
「ミシェル様。この部屋ですけど、ドア以外の出口ってなさそうですよね?」
「うーん……そだねー。見た限りは、そうなるね。で、ミアちゃん。こういう時はどうすればいいんだっけ?」
「ウィンドトーキングで、隠し部屋や隠し通路を探ればいいんですね?」
「そのとーり! やっぱり、ミアちゃんを連れてきて正解だったなー。ボクはどう頑張っても、ウィンドトーキングは使えないし」
「それじゃ、ヨロシクね!」とペロリと舌を出し、チャーミングに微笑む大天使様。そんな彼女に……調子がいいんだからと思いつつ、ミアレットは心得ましたとばかりに、ウィンドトーキングを発動するのだった。
【魔法説明】
・フレアレイン(炎属性/初級・攻撃魔法)
「蒼天の熱を集め降らさん 炎弾よ舞い遊べ フレアレイン」
ファイアボールの派生魔法で、中範囲に炎の雨を降らせる攻撃魔法。
ファイアボールよりも効果範囲が広いが、1つ1つの火球の規模は縮小しており、1弾あたりの攻撃力はファイアボールに劣る。
不特定多数の相手にまとめてダメージを与えることができる反面、攻撃対象を指定することができず、自動で多弾展開になるため、ファイアボールよりも魔力消費量が多い欠点がある。