4−24 耐性を身につける素地
(ここがクラウディオ君のお母さんの心の中……って、あれ?)
暗澹とした、心迷宮へと飛び込んだつもりだったのに。侵入した直後にミアレットを出迎えたのはいつもの暗闇ではなく、ケバケバしく飾り立てられた豪華絢爛な部屋だった。出た先に広がっていたのが、明るい光景なのは喜ばしいはずなのだが……いつもと違う段取りに、ミアレットは困惑を隠せない。
「えっ? えっ? どうして……?」
「ど、どうしたの、ミアレット。何を、そんなに……あ、焦っているの?」
「心迷宮って、入った直後は真っ暗なのが普通だと、思っていたものですから……。それなのに、いきなり明るいだなんて。ちょっと、ビックリしちゃって」
しかしながら、ミアレットはそもそも心迷宮の攻略は2回しか経験していない。心迷宮の「通常」を図るにも、あまりに判断材料が不足している。そのため、そこまで深く考えずに「こういう事もあるんだ」くらいで流そうとしたが……。
「あちゃー……。多少は予想してたけど、入った直後にこの完成度となると……結構ヤバいね、これは」
だが、しかし。折角、ミアレットが割り切ろうとしたところで、ミシェルからあまりよろしくない雰囲気の感想が漏れる。
(へっ? や、やっぱり……これ、異常な状況なのかしら⁇)
ミシェルの反応からしても、この状況は正常ではない様子。しかも、彼女の言葉からするに……相当に予想外の事態でもあるらしい。
「そうなんです? それ、定着時間がなかったのと、何か関係ありますか?」
「大アリだね。メモリーリアライズの定着時間は、対象者の心を保定するための時間でもあるから。深魔になった人達は普通、心の中で瘴気の侵食に抵抗しているんだ。心の抵抗力が強ければ強い程、心の壁も分厚いから……迷宮としての具現化、つまりは定着にも時間がかかるのさ」
「そ、そうなんですか……?」
「うん、そうさー。で、今回の場合……定着時間がなかったでしょ? それは要するに……」
「は、母上は……抵抗をやめてしまっているって事、ですか……?」
ミシェルが終いまで言い切る前に、泣きそうな顔でクラウディオが「当然の予測」を口にする。そして、彼の推測は正しいのだろうと、ミアレットも一緒に肩を落としてしまうが……。
「うんにゃ。……抵抗をやめているだけだったら、まだ救いようがあるんだけど。多分、この様子だと……」
「この様子だと……?」
「いや、今はやめておこうかな。……まだ、最悪と決まったわけじゃないし。ただ、折角だから……道すがらさっきの説明の続き、しておこっか」
「説明の続きって……魔力適性があるかないかが、侵食に関係するって話ですか?」
「うん、それそれ。とは言え、ここでモタモタしてても仕方ないし……とりあえず、先に行こ。話は移動しながらでもできるし」
「そ、そうですね……」
そうして先を急ごうと、ミシェルが何の躊躇もなく、取っ手に手を掛けるが……。
「って、移動もあったもんじゃないなー。まーったく、本当に趣味がいい迷宮だよねぇ、ここ。……次も同じ部屋が続いているし」
「えっ……?」
ミシェルが顎でクイと示す方を見やれば。彼女の言う通り、ドアの向こうにも寸分違わぬ部屋が広がっている。派手なピンクの壁紙に、絨毯のシミ。大きめベッドの寝具の乱れ具合や、シワ。ぐるりと全体を見渡しても……どれもこれも、全く同じに見える。
「こんな部屋が続くなんて、なんだか、頭がおかしくなりそう……」
「う、うん……しかもこの部屋は、たっ、多分……。い、いや。……何でもない……」
「……」
クラウディオが言わんとしたことを、有り余る程に理解して、ミアレットもつい押し黙ってしまう。
クラウディオが実態をどこまで把握していたのかは、知らないが。きっと、母親の「後ろ暗い現実」をクラウディオも悟ってしまったのだと気づいては……ミアレットは尚も、やり切れない気分になっていた。
「こりゃ、参ったなぁ。こんなんじゃ、攻略もヘッタクレもないじゃないか……」
「そ、そんな……! じゃ、じゃぁ……母上は、もしかして……!」
「だから、まだ諦めるのは早いよー。でも……魔力適性がなかったのがマズかったのは、間違い無いけどねー」
そうして、話の続きとばかりに……ミシェルが肩を竦めながら、説明することには。
魔力適性があるという事は、穢れた魔力でもある瘴気への親和性を持つという事であり、同時に耐性を身につける素地にも恵まれている状況なのだと言う。それが故に、魔力適性がある者が深魔になった場合、瘴気の侵食スピードも遅い上に、瘴気に対する感度も高いために自我との境界線を引きやすく、結果として自我を守ることができる……つまりは、調伏さえできれば深魔になっても、元に戻れる可能性が格段に高くなるという事らしい。
一方、魔力適性がない場合はそうもいかない。魔力適性がないというのは、魔力因子の集合体、通称・「魔力の器」を持たないという意味だ。魔力の受け皿となり得る「魔力の器」がない状態で、遠慮なしに瘴気を注がれたのなら。本来は器で濾過されるはずの瘴気が、宿主の精神に容赦無く注がれることとなるそうで……。
「変な言い方だけど、魔力適性があるということは、あらかじめ瘴気への耐性……言い換えれば、抗体をゲットする機会にも恵まれているという事なんだ」
「そ、そうだったんですね……。そ、それじゃぁ……母上には、最初からその可能性はなかった、って事……?」
「うーん……そう決めつけるには、ボク達はあまりに何も知らなすぎる。まだまだ、判断材料が足りないよ」
そう言いつつ……ミシェルが2枚目のドアを開ければ。そこにはやっぱり、同じ部屋が平然と現れる。そんな様子に……ため息をつきつつ、ミシェルは尚も冷ややかな様子で話を続ける。
「でも、これだけは言えるかな。ないものねだりは程々にしないと、ダメだってね」
「ないもの、ねだり……?」
「だって……見てよ、この部屋。どこもかしこも、派手で豪華じゃない。しかも、誰かと一緒にいた雰囲気まで再現しちゃってさ。聞いている限りだと、君のお母さんは魔力適性を持たない平民で、屋敷から追い出されてたって話だったし。多分、この部屋はそんなお母さんのドロドロな欲が出ちゃったものなんだろう。……どこをどう見ても娼館な時点で、色々と思うところはあるけど」
ズバッと言ってくれやがったな、この大天使様は。さっきはとりあえず黙ることで、ミアレットもクラウディオも「気づかないフリ」でやり過ごしたのに。それを改めて指摘されたらば……やり切れない気分が、ぶり返すではないか。
(ミシェル様、ハッキリ言い過ぎですってぇ。あぁぁ……ほら、クラウディオ君、泣きそうになってるじゃないですかぁ)
しかも大天使様は、この程度で追及を緩めるつもりもないらしい。尚も畳みかけるように、クラウディオを諭してくる。
「この程度で涙目になってたら、お母さんを助けるのは無理だよ。それでなくても、ボクは確認したよね? 君はここに来ることで、きっと深く傷つくだろう、って。それでも付いてくる選択をしたのは、君だよ?」
「……そ、そう、でした……。それで、僕は……諦めないって、や、約束、しました……」
「そうだね。それじゃぁ……分かるよね? 今は泣いてる場合じゃないって事も」
「……はい」
ゴシゴシと涙を拭い、クラウディオが顔を上げる。しかし……ようやく、とあることに気づいたのだろう。決心を固めると同時に、クラウディオが意外なことを言い出した。
「そ、そう言えば……」
「うん? 何かな、少年」
「……前髪が、邪魔な気がする……」
「へっ?」
「あ、あの……ミシェル様。よ、よければ、前髪を切ってくれませんか……?」
「それは構わないけど……仕上がりは保証しないよ?」
「大丈夫です……!」
シャキン、シャッキン。ミシェルのナイフが大胆かつ軽やかに、クラウディオ少年の前髪をバッサリと切り落とす。しかし……。
「ゔ……ご、ごめん……。ちょっと、短くしすぎたかも……?」
「うあぁぁ! ミシェル様、切りすぎですってぇ。短いどころか……クラウディオ君の前髪、なくなちゃいましたよ⁉︎」
またまた、ズバッとやってくれやがったな、この大天使様は。
パッチリした二重の瞳がお目見えしたのは、良かったものの。おでこ丸見えのクラウディオには、違和感しかない。
「……ふふ……アハハハハッ!」
「もしかして、クラウディオ君……ショックでおかしくなった⁉︎」
「い、いや……そうじゃない。ふふ……意識も視界もクリアになった気がして、ちょっと清々しいんだ」
「う、うん……。それなら、いいんだけどぉ」
そんな違和感さえも、クラウディオ自身に笑い飛ばされれば。ミアレットは先程までのクラウディオとは、同一人物だということさえも、もうもう信じられない。