4−21 宛先のない救難信号
「始まったね」
「始まったって……セ、セドリック、母上は、ど……どうなってしまうんだ……?」
「あぁ、心配しなくても大丈夫。……これを乗り越えられれば、約束通り魔力を手に入れることができるから」
「ほ、本当……?」
脇目も振らず、黒いリンゴを貪り食い。ミランダは黒い靄に包まれた、悍ましい化け物へと姿を変えていた。それでも、セドリックはどこまでも冷静だ。クラウディオに噛み砕くように、ミランダが置かれている状況を説明し始める。
「さっきの黒いリンゴは、食べた奴を無理やり深魔にするものでね。最上の美味と同時に、最悪の試練を食した者にもたらす」
「そ、それじゃぁ、母上は……!」
「だから、大丈夫だって。リンゴは確かに、宿主に根付くけれど……強い精神力があれば、心への侵食を跳ね除けることができるんだ。深魔となっても尚、その力を制御し、自らの物にできたのなら。リンゴが持っていた魔力因子だけが残る……つまりは、魔力因子を持たなかった者でも、魔力を持てるようになるんだよ」
「そっか……。それじゃ、魔力を貰えるのは、う、嘘じゃなかったんだね?」
従兄弟の説明に母の望みを叶える片鱗を見出すと、クラウディオは一旦は安心してしまうが。すぐさま、別の不安を器用に見つけては、セドリックにおずおずと尋ねる。
「でっ、でも……この状態を、の……乗り越えられなかったら……?」
「別に、大した事はないよ。一生、化け物のままってだけさ。ま……人としては、死んじゃうことになるけどね」
「……!」
セドリックはさも退屈そうに、残酷な事を口走る。そうしてミランダに涼やかな視線を投げながらも、彼の瞳の奥には軽蔑の光が仄暗く宿っていた。そんな従兄弟の横顔を見つめて、クラウディオはジリと後退りしてしまう。
母親も化け物ならば、そんな化け物を平然と見つめているセドリックも、化け物だ。
彼が纏う空気感に更なる違和感を感じては、クラウディオはどうしてこんなことになってしまったのだろうと、とうとう怯えて頭を抱えることしかできない。
(確かに、僕は騙されていたのかも知れない。でも、母上が化け物になった姿なんて、見たくなかった……!)
いくら塞いでも、母親だった化け物の絶叫が容赦無く耳に届く。ゾロリと並んだ牙の隙間から見えるのは、貪欲に辺りを探る長い舌。ヒタヒタと四つん這いで彷徨い、ピチャピチャと唾液を垂らす様は、知性の欠片も感じられない。
(誰か、助けて……!)
バリィン! クラウディオが宛先のない救難信号を願った、その瞬間。悍ましい母親の咆哮を、掻き消す衝撃音が響き渡る。
「えっ……?」
きっと一瞬の出来事に、何が起こったのか分からないのだろう。呆気に取られたままのセドリックの頭に、ステンドグラスの濁った破片が容赦なくバラバラと降り注いでいるが……セドリックは破片を避ける事もなく、立ち尽くしている。
(セドリック、怪我していない……?)
鋭利なガラス片に襲われても、セドリックの肌には傷1つ、付いていない。その異常に気付いて、クラウディオはますます勇気を萎ませていく。この場にいる自分以外が、異形であることをまざまざと思い知れば、知るほど。どうしてこんなことになってしまったのだろうと、臆病風に吹かれるついでに、後悔もしてしまうが……。
「……うわっ、眩しっ⁉︎」
今度は瞳に涙を溜めたクラウディオを鼓舞するかのように、眩い光があたりを包む。最初の閃光はやや、強烈だったが。すぐさま感じられたのは、どこまでも温かく、恐怖を慰めるような柔らかい金色。その慈悲深い輝きに、クラウディオが縋るように恐る恐る……光差す方を改めて見やれば。汚れ切ったステンドグラスの代わりに光を注ぎましょうと現れたのは、8枚の翼をはためかせる天使様だった。
「や〜……これまた、派手にやってるねー。うんうん。ボクとしては暴れ甲斐もあって、いい感じ?」
しかしながら、やってきた天使様は妙に軽薄な調子。あまりにイメージからかけ離れた雰囲気に、クラウディオは脱力すると同時に、なんだかガッカリしてしまう。
「いや……ステンドグラスを木っ端微塵にしておいて、何を言ってるんですか。派手にやらかしたのは、ミシェル様の方だと思いますよ……?」
「えっ、そうかな〜? いや、だってさー。ガラスを蹴破って登場とか、カッコ良くない? このシチュエーション、一度はやってみたかったんだー」
「そんなニッチなシチュエーション、普通は成就しませんって……。変な憧れは、最初から捨てといてくださいよ……」
「うわっ、ミアちゃん、辛辣ぅ!」
しかも、天使様の後ろから魔女よろしく箒でやってきて、ズバズバとツッコミを入れているのは例の優等生。その不慮の登場に、咄嗟に声を上げられないクラウディオとは対照的に、セドリックが驚嘆の声を上げた。
「ミアレットじゃないか!」
「えっと……嘘⁉︎ どうして、セドリックがこんな所に……は、聞かなくても、って感じか。また、やらかしたのね……?」
「ふふ……そうかもね」
「もしかして、あの黒いリンゴを使ったの? あなた、それがどれだけ悪い事か、分かってる?」
「いや、今回はそうじゃないんだよ。望んだ相手に、リンゴをくれてやっただけさ」
「ふーん……どうだか」
「会いたかったよ」とばかりに、笑顔を見せるセドリックとは対照的に、状況をすぐに把握したらしいミアレットは彼を拒絶するように睨んでいる。
(も、もしかして……セドリックが深魔を作り出すの、初めてじゃないのかな……?)
ミアレットとセドリックの会話から、クラウディオはとある疑念を深めていく。そして……その疑念は極めて、正しい推察でもあった。
ミアレットが「また、やらかした」と言っている通り、セドリックが誰かを深魔に仕立てたのは、初めてではない。その上で……ミアレットがその場に居合わせたのもまた、初めてではなかった。黒いリンゴの影にはセドリックあり……そんな方程式を知っているからこそ、ミアレットはミランダが深魔になった理由も、アッサリと言い当てられてしまう。
「いずれにしても……あっ、クラウディオ君は無事みたいですね。ふぅ〜……よかった。これで、エルシャやマーゴットさんを泣かさなくて済むわぁ」
「えっ……?」
「もぅ、みんな心配してましたよ? 屋敷中探しても見つからないって、大騒ぎだったんですから」
「そ、そう……なの? 僕を探して……?」
疎ましいとばかり思っていたミアレットから、意外な現実を聞かされて。クラウディオは安堵の涙を流すと同時に、ヘタリと座り込んでしまう。しかし、ミアレットはそんなクラウディオを情けないと蔑むのではなく、心配そうに見つめてはハンカチを差し出してくる。
「怖い思いをしたんですね? でも、もう大丈夫ですよ。何せ……」
天使様が来てくれましたから……と、ミアレットは言いかけたが。安心し切ったクラウディオとは対照的に、ミアレットの顔がみるみるうちに曇っていく。なぜなら……。
「……あっ、あれは……ダメなヤツだ」
「えっ?」
呆れ顔のミアレットの視線を追えば。その先では、翼だけは神々しい天使様が嬉々としてセドリックに詰め寄っているのが見えた。
「えっと……ミアレット? 何が、どう……ダ、ダメなの?」
「……あの天使様はイケメンに弱いんですよ。で、多分ですけど……セドリックに照準を定めたんじゃないかと」
「……そ、そう、なんだ……?」
不安一杯の人間2名を他所に、天使様とセドリックが見つめ合っている。しかしながら……交わる視線がロマンティックになるかどうかは、流石のミアレットにも予測不能だった。