1−10 悪魔になりたい
サクサクサク……夜の中庭を進む、ローブ姿の男の足元から草を分ける音だけが鳴る。本当は夜の外出は禁じられているのだが、ローブの男……セドリックには、寝る間も惜しんででも行かなければならない場所があった。
(確か……噂によると、学園の訓練場準備棟で会えると聞いたが……)
セドリックが目指しているのは、オフィーリア魔法学園の敷地内に用意されている、広大な「訓練場」エリアである。主に魔法の「試し撃ち」や、特殊祓魔師候補生の「実技訓練」を行える場所ではあるが……進入には本来、教師の立ち合いが必要な施設であり、一生徒が勝手に入っていい場所ではない。それなのに……「とある噂」を頼りに、セドリックは校則違反もなんのそのと、迷わず訓練場の入り口も兼ねている訓練棟へと足を踏みれる。
「……」
誰もいない暗がりは不気味だが、手元の魔術師帳の心許ない輝きを頼りに、セドリックがガランとした部屋へと足を踏み入れれば。……誰もいないはずの空間には、明らかに別の何者かの息遣いが漂っていた。
「誰か、いるのか……?」
「うふふ……待っていましたよぉ、セドリック様ぁ」
「僕を待っていた……だって?」
ぞわりと響く、得体の知れない不気味な声。だが、ようよう暗がりに慣れてきた目を凝らしても……セドリックの視界には、それらしい相手は浮かんでこない。
「もぅ、どこを見ているんですかぁ。ここですよぅ、こ・こ!」
「……⁉︎」
さっきまでは確かに「前から」声がしていたと、思っていたのに。セドリックを翻弄する声は、今度は彼の真後ろ……いや、すぐ耳元から聞こえてくる。そんな事にセドリックが気づいた瞬間、彼の顔を覗き込むように現れたのは、か細く白い蛇の頭だった。
「う、うあっ⁉︎」
「あれれ? もしかして……セドリック様、蛇は苦手です?」
「い、いや……そうではなくて。急に出てこられたら、普通はびっくりするだろう⁉︎」
堪らず尻餅をついたセドリックの足元に、ニョロニョロと近寄ってきたかと思うと……白蛇が鎌首を上げて、不思議そうに首を傾げている。そうしてチロチロと舌を出しながら、器用に尻尾もクネっと上げてみせると「シーッ」……っと、ジェスチャーして見せた。
「お・静・か・に! 見つかったら、どうするんですか」
「すまない……」
「ま、いいか。それはそうと……セドリック様は、あれをお求めですね?」
「あれ……って、なんだ? そもそも、お前は僕の用件を知っているのか?」
「もちろんですよぅ。僕ちゃんを訪ねてきそうな相手は、何となーく、分かっていますしぃ。どうせ、深魔に堕としちゃいたい相手がいるんでしょ?」
白蛇が示す「あれ」の正体は分からないものの。セドリックが求める「結果」を、彼は知っている様子。勿体ぶるのもそこそこに、今度はクルリと塒を巻くと……自分で作った輪の中に首を突っ込んでは、ゴソゴソと何かを探り出した。
(もしかして、これは……)
異空間収納と呼び習わされている、特殊能力の1つだろう。
人間には決して、真似できない芸当だが。天使や悪魔に、精霊達には自らの「専用空間」を形成できる者がおり、持ち物を自由自在に預けたり、引き出したりできる。そして、同じ効果を再現した魔法道具もあるにはあるが……ごくごく普通の人間には、なかなかに手が届かない代物だ。
(だからこそ、僕は悪魔になりたいんだ……! 彼らと同じように、優れた魔法の力と、永遠不滅の命を得て……僕は、世界最高の魔術師になるんだ……!)
人間の寿命では、できることに限界がある。人間の能力では、使える魔法が少な過ぎる。それなのに……人間以外の種族は皆、永遠に近しい寿命で魔法文明を謳歌し、好きなだけ研究に明け暮れられる。
言い方は悪いが、この世界の魔法分野において人間は「消耗品」でしかない。オフィーリア魔法学園で学びの機会を得られたとしても、「彼ら」は人間の生徒に魔法の真髄までを教えてくれることはない。
学園設立からたった100年程ではあるものの、人間から傑出した魔術師は輩出されていないし、結局のところ、深魔討伐の「美味しいところ」は魔法学園の教師……要するに、悪魔達に持っていかれてしまっているのが現状だ。人間が享受できるのは、魔法にしても、素材にしても……彼らの「おこぼれ」でしかない。
それが故に……セドリックは「悪魔」になりたいと、物心ついた時から考えてきた。非常によろしくないことに、この世界の悪魔は「悪役」ではない。セドリックのように「悪魔がどんな存在か」の本質を知らずに、「悪魔になりたい」と迷走する人間も出てきてしまっている。
人間が悪魔になるには、異常なまでの苦難を伴うし……何より、悪魔になれたとて、「記憶部分」で多大な弊害も出てくるのだが。……精霊学はあっても悪魔学はカリキュラムに含まれていないので、セドリックが悪魔の成り立ちを知る機会も、未だない。
「ぷはぁ〜! お待たせしましたぁ。はい、セドリック様。これをどーぞ」
セドリックが悪魔について、思いを馳せていると……自分の塒から顔を出した、白蛇があるものを咥えて戻ってくる。きっと、自分では可愛いと思っているのだろう。白蛇がややあざとく首を傾げつつも、差し出してきたのは……リンゴのような、何かの果実。取り出された瞬間に瑞々しく甘い芳香を放つ、艶めく美しい丸を描くフォルム。それは確かに、どこまでもリンゴにしか見えない。だが、どうしても「リンゴのような」という表現になってしまったのは、形や香りではなく……色が異質だったからである。
「……これ、リンゴだよな?」
「ほぇ? どこをどう見ても、リンゴじゃないですかぁ」
「だけど、こんなに真っ黒なリンゴ……僕は見たことないぞ」
「そうでしょう、そうでしょう。このリンゴはそんじょそこらの、赤いだけのリンゴとは違うのですぅ。とっても特別なリンゴなんですよ?」
「特別なリンゴ……?」
「はい! このリンゴは超特別な、スペシャル品! グラディウスの枝に実った、魔法のリンゴなんですぅ!」
「なんだって? ちょっと、待て。確か、グラディウスって……」
暗黒霊樹とも呼ばれる、深魔の元凶の事だろうか?
【補足】
・悪魔について
人間や精霊などが、諦めきれない野望や無念を抱いたまま死後に魔界へと堕ちた姿。悪魔になると同時に「記憶喪失」になるのが最大の特徴。
悪魔に転生することを「闇堕ち」と呼び、闇堕ちの際に「どんな禍根を残したか」、「どんな欲望に取り憑かれていたか」によって所属する領分と、階級が確定する。
悪魔は6種類に分かれ、《羨望》《怠惰》《暴食》《憤怒》《色欲》《強欲》のいずれかに属する。そして、それぞれの領分には「真祖の悪魔(大悪魔)」と呼ばれる元締めが存在し、闇堕ちしてきた「配下」の管理・統括を担う。
真祖以下、通常階級の悪魔は下級〜上級悪魔が存在しており、死に際に残した無念(記憶)と苦痛の強さに比例して堕ちる先が決まる。
1度でも闇堕ちを経験した悪魔は異なる種類・欲望へと転身することはできず、永遠に階級・種類は固定となる。
階級の選別条件は、次回の後書きに記載。