4−19 愚者の群れ
悩み多きミアレットが森林の上空で悶えている、その頃。クラウディオはミランダに連れられるがまま……やや朽ちかけつつも、荘厳さを辛うじて保っている建物に足を踏み入れていた。
そこは新生・リンドヘイム真教の総本山。アーチェッタ中央に位置する、旧・リンドヘイム聖教の大聖堂であり……未だに燻る、異端者達の最後の砦だった。
(新生・リンドヘイムって、母上は言っていたけど。そう言えば、リンドヘイム聖教って……)
悪行の限りを尽くしたとして、天使達から断罪された愚者の群れ。
ここゴラニアでは、リンドヘイム聖教は神の眷属に見放された「邪教徒」と認識されるのが常だ。それなのに……ミランダは悪名高いリンドヘイム聖教に疑惑を持たないばかりか、信仰を寄せてさえいるらしい。
「やぁ、よく来たね、クラウディオ。……待ってたよ」
「えっ? そっ、その声は……もしかして……?」
あれほどまでに煩かったはずなのに。ミランダは大聖堂に足を踏み入れてから、急に大人しくなった。そんな母親を訝しがりつつも……彼女に続いて、クラウディオが礼拝堂へと歩みを進めると。辛うじて天使の面影を残したステンドグラス越しの逆光を浴びて、顔が見えない誰かが佇んでいる。しかし……凛と通るその声は、クラウディオが聞き慣れたものでしかなく。クラウディオはさして苦労する事なく、相手の正体を言い当てた。
「セドリック……?」
「ふふ……久しぶりだね、クラウディオ。丁度、1年ぶりかな?」
ようやく、クラウディオの目が仄暗い礼拝堂に馴染み始めるが。そんな目を眇めて、凝らして見れば……不安一杯のクラウディオをにこやかに出迎えたのは、「行方不明」だと聞かされていた従兄弟・セドリックその人だった。壁を覆い尽くすレリーフの輝きが失われて久しい、大聖堂の奥。セドリックはクラウディオの記憶と寸分違わぬ姿で、綺麗な微笑を漏らしている。
「セドリックがどっ、どうして、こんな所にいるの……? エルシャ、し、心配、してたよ……?」
「そうか。……そう、エルシャがね。となると、あいつは今年もこっちに来てるんだ?」
「う、うん……親友だとか言う、平民と一緒に……」
「親友の平民……あぁ! ミアレットか!」
セドリックはエルシャには興味を示さない様子だったが、ミアレットの存在に思い至った途端に、嬉しそうに声を弾ませている。そんな彼の様子に、少し不気味なものを感じるクラウディオ。行方不明だと言われていた割には、セドリックは元気そうだけれども。クラウディオは彼の存在感に、漠然とした違和感を感じていた。
「……エルシャはともかく、ミアレットには僕も会っておきたいな。彼女程の逸材はそうそう、いないからね」
「やっぱり……ミアレットは、す、凄い魔術師なんだ……?」
「うん、そうだね。……魔法学園の大物魔術師でさえも、ミアレットに注目しているのさ。稀代の特殊祓魔師候補だとね」
「そ、そっか……」
セドリックは自身が優秀な分、非常に高慢な人間だ。貴族相手でも不出来な相手であれば、慇懃さでコーティングした尊大な態度をとるし、まして、普通であれば魔力適性を持たないはずの平民なぞ、歯牙にもかけなかっただろうに。
だが、魔力適性がある……しかも、相当に優秀な魔術師だというだけで、平民であるはずのミアレットを「あのセドリック」が認めているのである。……クラウディオとしては、そんなセドリックの態度は非常に面白くない。
(……同じ平民でも、魔力があるだけで貴族や、王族にも認められる……。母上はそれがないだけで、屋敷を追い出されたのに)
クラウディオは母親の不遇をマーゴットのせいだと、思い込んでいるが。ミランダが放逐されたのは、ご本人様のやりようが悪かっただけである。マーゴットのヒトとナリはあまり関係ない。
「ところで、セドリック様」
「何かな? えっと……そもそも、貴女は誰だ?」
「申し遅れましたわ。私はミランダ……クラウディオの母です」
「あぁ……貴女が、サイラックの言っていた魔力授受の希望者ですか」
「その通りです! それで、私にも魔力を授けていただけると……」
「うん、存じてますよ。……愚かな平民が、魔力を寄越せと喚いている、と」
「なっ……?」
やはり、セドリックの平民を見下す態度も変わっていない。いや……セドリックは相手が貴族であろうとなかろうと、劣った相手は徹底的に見下すのだ。
だからこそ、クラウディオはセドリックがミアレットを認めるのが、不愉快だった。現に、母親はこの扱き下ろされようである。母を盲信するクラウディオにとって、彼女の屈辱は自分の屈辱でもある。
「ちょ、ちょっと、セドリック! 母上に対して、そっ、それは……あんまりじゃないか!」
「……ふーん、そう? 僕にしてみれば、君の母親は救うに値しないと思うけどね。だって、そうでしょ? 貴族を誘惑して、無理やり上流階級に仲間入りをしようとしたアバズレに……何の価値があるって言うんだ? 手当たり次第に男を誑かしている売女に魔力を与えたところで、無意味だと思うけどね」
「えっ? えっ……? 母上、それ……本当? 父上と母上は愛し合っていたのに、邪魔されたんじゃ……?」
「そ、そうよ! 私はファーガスが結婚する前から、彼一筋で……」
「いや、違うでしょ? ファーガス伯父さんがたまたま引っかかっただけで、当時から複数人の相手に粉をかけてたって、有名だったみたいだし。しかも、ファーガス伯父さんが死んだのは……お前のせいじゃなかったっけ?」
セドリックの突然の暴露に、ミランダは二の句を継げない様子。そんな否定すらしない母親の様子に……ミランダの隠し事を悟る、クラウディオ。
「……母上、僕を……だ、騙していたの……?」
「違うわ、クラウディオ! 私はただ、あなたと一緒に暮らしたくて……! そのために魔力を得て、あの屋敷を取り戻して……!」
しかしながら、ここで息子にまで見放されるのは不味いと、ミランダは苦しい言い訳を絞り出す。最終目標を達成するには、どうしてもクラウディオと一緒である必要があるのだから……最低限、息子の心証は稼いでおかなければならない。
「……とりあえず、もういいよ。クラウディオと一緒に暮らしたいなんて、どうせ嘘なんだし」
「えっ……?」
「いいかい、クラウディオ。そいつは君を売るつもりで、ここに連れてきたんだよ。……魔法道具を差し出せないのなら、代わりに魔力適性がある人間を連れてこい……それが、サイラックからそいつに言い渡された指令でね」
「そ、そんな……!」
セドリックの冷たい通告に、とうとう膝から崩れ落ちるクラウディオ。愛する母親のために、ここまで一緒に来たのに。それなのに……ミランダはクラウディオを愛していると見せかけて、騙していただけだったなんて。
「だけど、クラウディオ。僕は君を見殺しにはできないな。だって、君は優秀だもの。こんな無価値な人間のために、優秀な人間をみすみす潰すだなんて、馬鹿げている」
ショックで涙を流すばかりの従兄弟に、セドリックが優しく語りかける。
「だから……仕方ないな。ミランダとやら。このリンゴはタダでくれてやるよ。そして……それで魔力を身につけられるかどうかは、お前次第だよ」
「あっ、ありがとうございます……!」
「その代わり、もうクラウディオに対して母親ヅラすることは許さないからね。……お前が嘘をつき続けたせいで、クラウディオは不幸なままなんだ。……実の母親が聞いて呆れる」
金輪際、クラウディオに関わるな。そう最終通告を吐き出すと同時に、事もなげに真っ黒なリンゴを放るセドリック。しかし、ミランダはクラウディオに一瞥さえも寄越さずに、黒いリンゴに手を伸ばすと……醜い笑顔を貼り付けて、ガブリと齧り付く。
その一口が、命取り。その一口が、破滅への第一歩。
しかして、そんな事は露知らず。茫然自失のクラウディオの前で、ミランダは黒いリンゴ……グラディウスの果実を、あっと言う間に食べ切っていた。