4−16 哀れな日陰者
「遅いじゃない、クラウディオ」
「う、うん……ご、ごめんなさい、母上」
屋敷の裏口から広がる、鬱蒼とした雑木林。初夏の日差しを遮り、深緑の影に埋め尽くされたこの雑木林は、真昼時だというのにどんよりと暗く、涼しい以上に陰鬱な空気感を漂わせている。
「それで、収穫はあった? 今年も従兄弟、来てるんでしょ? 何か珍しい物、持ってなかったの?」
「ううん……な、なかったよ……」
あったけれど、見つけられなかった……と正直に言えば、ただでさえ悪いミランダのご機嫌は、さらに悪化するだろう。それでなくとも、クラウディオは吃音に悩まされている。……きちんと言葉で説明する自信もない。
(ヴゥ……どうして、僕はちゃんと喋れないんだろう……)
1人でいる時は、気が強いクラウディオであるが。誰かと喋るとなると、どうしても吃ってしまうのだ。相手が例え、実の母親としても、だ。
(これさえなければ……僕はもっと、ちゃんと生きていけるのに……)
そして……この吃音症は魔術師にとって、不利な症状でもある。
魔法の発動には、「詠唱」「錬成」「展開」の3ステップが必要不可欠。そして、「詠唱」は言葉の力、つまりは「言霊」によって原動力たる魔力に「自分がしたい事」を囁き、手元に集めるお作法なのだが……滑らかに発音できた方が、魔法を素早く展開できるのは言うまでもない。それが故に、クラウディオは自分に自信を持てず、苦悩し続けている。
「……そう。ったく、貴族だってのに……魔法道具1つ、持ってないなんてね」
だが、クラウディオの吃音に慣れているミランダは、息子の状況なぞお構いなしである。息子の立場や将来を心配することもなく、ただただ、自分の野望を成就させることだけを考えていた。
(母上にとって、僕は一体……なんなんだろう?)
暗い森で顔を顰めるミランダはさながら魔女のようだと、クラウディオはいよいよ泣きたくなってくる。そもそも、ミランダは魔法道具について、あまりに知らなすぎるのだ。息子に魔法道具を盗ませようとしているのも大概だが、魔法道具がそこかしこに転がっているはずがないだろうに。
自分は「不遇で、可哀想な被害者だから」。ミランダはクラウディオに屋敷に入れない理由をマーゴットのせいだと刷り込む一方で、屋敷から締め出されている現実を盾に、クラウディオに泥棒紛いのことをさせるのも、躊躇わない。そして、教養不足の無知であるが故に、魔法道具がいかに貴重かということと……それを手に入れるのが、どれだけ大変な事かを理解していない。
魔法道具は滅多に出回らない、貴重品。材料も希少ならば、製造も至難とされ、人間には大量生産もできない。そのため貴族と言えど、おいそれと所有できないし……道具によっては、国家予算レベルの品物まで存在する。
「ところで……母上の言っている、魔法適性をもらえる道具って……ど、どんな物なのかな? あ、怪しくない?」
「そんなこと、ないわよ。女神様が授けてくれる果実ですもの。新生・リンドヘイムの皆様は、私のような哀れな日陰者にも手を差し伸べてくださるのよ」
「……」
哀れな日陰者の割には、ミランダは派手な格好をしている。そのギャップが……クラウディオの目には、何よりも痛々しく映った。
クラウディオとて、もう16歳だ。母親の頽廃的な雰囲気で、彼女がどんな生業で生活しているのかくらいは、想像できる年頃である。そんな母親の無理が見え隠れする「若作り」に、クラウディオは情けなさを募らせていく。
(手を差し伸べてくれる……って、言うけれど。母上は、自分で何とかしようって思わないんだろうか……)
クラウディオが物心ついた時から、ミランダはミランダだった。誰かに縋って、誰かを頼ることでしか、自分の身さえもまともに面倒を見ることができない。それでも、クラウディオにとっては唯一の実母であることには、違いなく。いくら情けなかろうとも、いくら身勝手であろうとも。クラウディオが彼女の腹から生まれたという現実は、どう足掻いても覆らない。
(ファヴィリオは父上と母上のものだったんだ。そして、本当は僕もこんなに惨めな思いをしなくて済むはずだったのに……)
屋敷内で、あからさまに蔑ろにされることはなかったが。祖父母のよそよそしい態度や、使用人達の必要以上に慇懃な態度は、クラウディオがミランダの虚偽を飲み込むのに十分過ぎるほどの補助効果をもたらしている。そう……誤解に塗れたクラウディオにとって、ミランダは唯一の拠り所なのだ。マーゴットがいくら彼を気遣い、心配し……優しくしようとも。今のクラウディオには、マーゴットに向き合う理由も、勇気もない。
「それはそうと、クラウディオ。……この後、予定はあるのかしら?」
「えっ?」
「実はね。あなたに会いたいって、言っている人がいるの」
「ぼ、ぼ、僕に? でっ、でも……僕は……上手く、喋れないし……。初めて会う人と、ちゃんと喋れるかどうか……」
「大丈夫よ。その子はクラウディオのこと、知っているみたいだったから」
「……?」
吃音を気にするあまり、魔法学園へ通っていないクラウディオには友人らしい友人はいない。なので、思い当たる人物もおらず、クラウディオは情けなく首を傾げるばかり。そんな少しばかり鈍い息子に、ミランダはいよいよ苛立ちを隠さないが。余程、クラウディオを「その子」と会わせたいらしく、すぐさま作り笑いを浮かべてはクラウディオの手を強引に取る。
「とにかく、行きましょ」
「で、で、でも……! 僕、家の奴らに、何も言ってこなかったし……」
「大丈夫よ。最悪の場合、泊めて貰えばいいし……なんなら、今日は屋敷に戻らなくてもいいじゃない」
「えっ……?」
「……ふふ。これが成功したら、あの屋敷は私達の物になるの。だから、もう少しの辛抱よ」
「そ、そ……そうなんだ……?」
「えぇ、そうよ。そして……今度こそ、老害共とマーゴットを追い出すの。……私達を不幸にしたあいつらを、私達が不幸にしてやるのよ」
突拍子もない野望を語り、魔女に逆戻りするミランダ。悪巧みと復讐の妄想に忙しい母に手を引かれ……クラウディオは安心するどころか、戸惑いと不安で一杯になってしまう。
(本当に大丈夫なのかな……。なんだか、嫌な予感がする……)