1−8 よろしくない軌道修正
セドリックは焦っていた。予想斜め上すぎる展開に、珍しく焦っている。
それもそのはず……妹の様子がおかしいのだ。学友の前で、あれ程までにこき下ろしてやったのだから、打ちひしがれて「暗い顔」をしているはずなのに。それがどうして……彼女は前向きでいられるんだ?
エルシャのせいで、ミアレットにしっかりと謝罪できなかったと、両親の前でも詰ってやるつもりだったのに。どういう訳か、エルシャは屋敷に帰ってくるなり……勉強すると言い出した。なんでも、ミアレットとは自力で和解したとかで、今後は彼女と一緒に頑張ることにしたのだと言う。
(何が、どうなって……そうなるんだ⁉︎)
そんなエルシャの変化に、両親は大喜びだが。エルシャの「負の感情」を増長させて、深魔に仕立てようとしていたセドリックにしてみたら……明らかに、よろしくない軌道修正である。
「エルシャ……あの後、何があったんだ?」
「えぇ、お兄様のおかげでミアレットが許してくれたの」
「僕のおかげ⁇」
「うん。ミアレット、お兄様の事が苦手なんですって。えーと……確か、誰かを馬鹿にしている感じが、嫌いって言ってたかな……」
「はっ? あれでどうして、僕が嫌われるんだ?」
少なくとも、ミアレットに対する立ち振る舞いは完璧だったはず。エルシャ含め、彼女以外を貶めることで、ミアレットの味方を演じたつもりだったが……。
(もしかして、気取られているのか……?)
そんな、馬鹿な。相手はいくら魔力適性が高いとは言え、まだまだ駆け出しの下級生ではないか。エルシャと同い年の時点で、精神的には未熟だろうし……セドリックの「下心」を見透かせるまでに、成熟しているとは思えない。
だが一方で、エルシャの弁によれば(曖昧ではあるが)、ミアレットはセドリックを「誰かを馬鹿にしている感じ」と判断しており、その上で「嫌い」だと言っていたらしい。
「……」
「お兄様、どうしたの? ……ミアレットに嫌われたのが、そんなにショックなの?」
「まぁ、それなりに。僕は優秀な相手が好きだからね。……ミアレットさんとは、いい関係を築いておきたいんだよ」
「ふ〜ん……多分、無理だと思うわ、それ」
さも興味なさそうに、冷たく言い放つエルシャ。もちろん、普段から見下していた妹の言である。そんなに真に受ける必要はないと、セドリックは高を括るものの。……どことなく、今のエルシャの言葉は受け流してはいけない気がする。
「どうして、無理だと思うんだ?」
「う〜ん、なんとなく……だけど。ミアレットって、話してみると色んなことを知っているし、色んなことに気づくタイプみたい。なんと言うか……言わなくても、分かってるって言うか」
「言わなくても、分かっている……?」
今ひとつ「頭がよろしくない」エルシャの話は要領を得ない。それでも、根気よく彼女の話に付き合えば……どうも、セドリックのせいで孤立したエルシャをミアレットが励ましたらしい事が見えてくる。
「ミアレット、私にこう言ってくれたの。お兄様に馬鹿にされないように、一緒に頑張ろうって。それでね。ランチを一緒にした時、悩みがあると魔物になっちゃうから、気をつけて……なんて、言ってたわ」
「……!」
エルシャは何も気づいていなさそうだが。ミアレットが放ったらしいその言葉は、セドリックを動揺させるのに、十分すぎる。
(まさか……! 本当に、気づいていたというのか……⁉︎)
……なお、ミアレットにはそこまでの深意はない。単純に、エルシャに関してアーニャからは「下手に突いて、深魔になられても困る」と言われていたし、ティデルも「そのまま放っておいても、深魔になりそう」と漏らしていた手前、少し気にかけていただけである。……セドリックの目論見など、ミアレットが知る由もない。
「……どうやら、僕はミアレットさんを見くびっていたようだ」
「えっ? お兄様、それ……どういう事?」
「……別に、何でもないさ。ただ……このままじゃ、追い抜かれてしまうかもしれないな。……今夜は、本校に帰る。父上と母上にも、そう言っておいて」
「それは別に構わないけど……お兄様が焦るほどの事、ある?」
大アリなんだよ。
心の中で、セドリックは忌々しげに吐き捨てるが。目の前にいるのが、陥れようとしている妹でもある以上、これ以上の話は無意味だ。そうして……セドリックはやや慌てて、本校へと出かけていく。貴重な材料を手に入れるためには……躊躇など、してはいられない。
***
(……魔法を使うには、詠唱・構築・展開の3ステップが必要で……魔力を集めるのに必要な呪文と、魔法を作り上げるのに必要な概念を覚える必要がある……って、簡単に言ってくれるけど⁉︎)
セドリックが本人も意図しない脅威に慌てている、その頃。ミアレットはミアレットで、孤児院の自室で予習・復習に励んでいるが……こちらはこちらで、様子がおかしい。先程から頭を抱えては、ブツブツと不穏な文句を垂れ流している。
魔法学園の分校では魔法の「予備知識」しか教えてもらえない。だから、元の世界に帰るためには本校へ進学し、魔法を極める必要がある……と思っていたのだが。……その「予備知識」が既に、前置きの予備ですらない。むしろ……。
「ガチすぎるでしょ、これ! 初級魔法すら、発動するのがやっとなんだけど⁉︎」
初級魔法の指南書ページを睨みながら、自室の机で悶絶するミアレット。それでなくても、明日からはエルシャの勉強も手伝うと言ってしまった。確かに、ミアレットの理解力は抜群である。しかしながら、それはいわゆる「年の功」というヤツで、ミアレットの思考回路が特段優れている訳ではない。
(いや、そもそも……異世界転生って、こんなに苦労するもんだっけ⁉︎ 神様に転生させてもらったら、普通は魔法も使い放題、現代知識を活かして儲け放題……が王道じゃないの⁉︎)
非常に残念なことだが。あいにくとゴラニアの世界は、そう転生者に都合良くできていない。
魔法は理論と理屈と屁理屈で雁字搦め。文明の発展度合いは、「マイ」が知る日本のかなり先を行っている。「現代知識で開拓無双! イエーイ!」なウハウハ展開は、何1つないのだった。
「ミア、ちょっといい?」
「あっ。はーい、どうぞ」
ドツボにハマりつつあるミアレットの部屋のドアを、コンコンと軽やかに叩く者がある。声の主は明らかにアーニャのようだが……もしかして、夜にちょっと叫んだのがいけなかっただろうか。
「えっと……どうしました?」
「突然、ごめんなさいね。あなたにも会いたいって、お客が来ているのよ」
「お客様? えぇと……今日って、誰かが来る予定、ありましたっけ?」
「いいえ、ないわ。仕事があって、顔を出しただけみたいだけど。なんだか、ミアレットには話しておきたいことがあるとかで……マモンが来ているのよ」
「えっ、マモン先生が……?」
マモンはオフィーリア魔法学園に所属する、教師の1人ではあるが。主に荒事専門の魔術師でもあり、ハーヴェンと同じ「特殊祓魔師」だったかと思う。そして、魔界に8人いる大悪魔の1人でもあるものの……こちらはこちらで、見た目は「その辺の兄ちゃん(美男子風)」でしかなく。……ハーヴェン以上に、大物悪魔の風格に乏しい。
しかしながら、魔界ではトップに君臨する存在であることは間違いなく、風属性の魔法全てと、闇属性の殆どの魔法を使いこなす。故に……同じ風属性であるミアレットが、最も師事したい相手でもあった。
(……ご用件って、何かなぁ? まぁ、マモン先生の事だし……いきなり非常識なことは言ってこないと思うけど。ホント、絶妙に面倒見がいいんだよねぇ……)
さもありなん。ゴラニア世界の悪魔男子は、総じて温厚で常識的な生き物であるらしい。悪魔だと言いつつも、天使のお姉様方よりも彼らの方が善良な時点で……この世界が「色々と狂っている」のだけは、間違いなさそうだ。
【登場人物紹介】
・マモン(風属性/闇属性)
魔界に君臨する、大悪魔の1人。
6種類の「欲望」と2種類の「感傷」を統括する悪魔のうち、マモンは「強欲」を司る。
契約主であると同時に、妻でもある天使・リッテルに頭が上がらない、苦労人の旦那様・その2。
カーヴェラにて個人的に付き合いのあった、旧・ルルシアナ家から美術館と製薬会社の経営権を引き継いでおり、人間界では商人としての顔も持つ。
ほんのりべらんめぇ口調で言葉も荒いが、悪魔のクセに妙に義理堅く、何かと面倒見がいい。
・リッテル(地属性/光属性)
調和の大天使・ルシエルの補佐役を務める、下級天使。
マモンの契約主であり、同時に最愛のお嫁さん……である。
天使の中でも類稀なる美貌を有しており、見た目は非常に優雅で上品なのだが……意外とアグレッシブな部分があり、ややネジの外れた言動でマモンを盛大に振り回す。
それでも旦那様の愛もそれなりに重いらしく、マモンの製薬会社にて販売している香水・化粧品ラインの「ボーテ・リットリーゼ」は、元はリッテルのために開発されていたものだった。