3−26 魔力を持てない差別
「お待ちしておりました、ルシフェル様」
「……ラミュエルか。どうした?」
お疲れのところ、申し訳ございません……と、神界に戻ったルシフェルを待っていたのは、ラミュエル。元・調和の大天使であり、現在は天使長の補佐をしている上級天使である。天使長室の椅子にルシフェルが深々と腰掛けるのを見届けた後……彼女の手元に予断なく何かの報告書を滑らせ、「許可」を待つ。
「その様子だと、余程の内容らしいな? 良い、事情を聞こうか」
「はい。……ネデルから少々、不穏な報告がございました」
「ネデルから? ネデルは確か、孤児院のバックアップに行っているのではなかったか? 観測業務は免除されていたはずだが……?」
調和の天使達の主な業務は人間界の魔力に乱れがないか、逐一観測する事である。ゴラニア大陸の上空に散りばめられた、通称「塔」と呼ばれる観測基地で集められた計測結果を吟味し、万が一、異常な魔力の波長が確認されたらば、すぐに報告せねばならない。その他、かつての「塔」は悪魔の監視もしていたが、天使と悪魔が和解した現代では、その機能は深魔の観測機能へと改修されている。
「ネデルからの報告は、塔の観測結果に基づくものではありません。どうやら……孤児院で気になる話を耳にしたようで」
「……ほぅ?」
普段の業務を考えれば、ネデルが寄越した報告の情報ソースが塔由来だと考えるのは、ごく自然なこと。しかしながら、ルシフェルの予測をあっさりと裏切り、ラミュエルが淡々と説明を続ける。
(今回の情報は現地調達ということか……)
ラミュエルの解説に耳を傾けながら、報告書の内容も素早く目で追うルシフェル。そして、最後まで報告書を読み終え、ラミュエルの補足を落とし込む頃には……ルシフェルはまたも、眉間に深い皺を刻んでいた。
「グランティアズとな……。確か、シルヴィアの父親が亡くなった後は、彼の親族が王座に就いたと記憶しておるが。少なくとも、彼らが魔法適性を獲得できないのは、シルヴィアのせいではないだろう。……何せ、霊樹は純粋に魔力を吐き出すことしかできん。いくら女神が望んだとて、特定の相手だけに魔力を与えないなど、器用なことはできぬ」
「えぇ、その通りだと思います。それに……シルヴィアにも先んじて確認しましたが、やはり彼女としても想定外だと返答がございました」
「そうであろうな」
ネデルが寄越した報告書の登場人物……ナルシェラとディアメロは、王族だという理由で魔力適性を持てないのだと、懇々と訴えていたと記載されている。しかしながら、魔力適性は魂と肉体の組み合わせに左右される要素であり、女神とて魔力適性を与えることはできても、取り上げることはできないのだ。彼女達にできる事と言えば……転生先を適合性のある人間に選ぶということと、属性の選択、おまけに魔力の器をちょっぴり大きくしてやれる事くらい。
神界にやってきた魂には生前の善行具合による、人間への転生の優先度はあれど、特定の血筋に宿っていた魂を恩寵から除外することは、転生のシステムとしても組み込まれていない。あるのは、個人的な干渉や選り好みを徹底的に削ぎ落とした、自動判別による輪廻のサイクルだけ。輪廻の輪に帰還した魂に不必要に干渉するのは、天使長はおろか、女神にさえも許されない……はずだったのだが。
「まぁ、優遇措置には例外も出てきているので、今となっては何とも言えぬが」
「例外……あぁ。女神の愛し子のことですね?」
「その通りだ。理由はよく分からんが……愛し子達の魂は、どうもこの世界の輪廻から外れていた存在であったようでな。魂だけの状態でも、高い魔力適性を保持していたとかで……それぞれ、相応しい場所に預けたらしいのだが」
しかしながら、それもあくまで「優遇」の処置であって、「冷遇」の処罰ではない。やはり、マイナス方面への処遇に介入する例外は、神界の長い歴史を顧みても存在していなかった。
「……ところで、孤児院に行っているメンバーはどのような構成になっていたか?」
「ネデルとザフィール以外には、5名の志願者が派遣されております。なお、メンバー構成はこのようになっておりまして……」
「ふむ……」
ラミュエルが示したメンバーリストをマジマジと見つめながら、またも嘆息するルシフェル。ルシフェルが孤児院に派遣中のメンバーを聞いてきたのは、孤児院に向かっている者達に「現地調査」を命じるつもりだったのだろう。しかし、悲しげにため息をついているのを見るに……きっと並ぶ顔ぶれに「適任者がいなかったのだろうな」と、ラミュエルは予想する。
「……グランティアズもそうだが、アーチェッタにも再度調査をかけた方が良さそうだな。あれからたった120年とは言え、人間の寿命を考えれば十分な期間であろう。今のところ、目立った観測結果はなかったようだが……少々、放置しすぎてしまったかもしれん」
「しかし……」
「みなまで言われずとも、分かっておる。……問題は誰を行かせるか、だろうな」
グランティアズは、厳重監視区域・アーチェッタにほど近い。アーチェッタには霊樹戦役直後にも天使による調査の手が入っており、その際にリンドヘイム聖教が表向きは壊滅したこともあって、現状は上空からの観測だけで留めていたのだが。やはり「前例」というものを考えると、グランティアズで発生している「異常事態」にアーチェッタの土地柄を結び付けてしまうのは、無理のない推測であろう。
かつてのアーチェッタではリンドヘイム聖教を隠れ蓑として、裏切りの大天使・ミカエルと、彼女に追従したウリエルが暗躍していた経緯がある。そして、彼女達に扇動された堕天使やリンドヘイム教徒達によって、教会ぐるみで「精霊を作る」という名目の元、非人道的な実験が行われていた。今となっては彼らを扇動する存在がないため、神界側も観測の手を緩めこそしないものの、彼らの存続自体を危険視することはなかったのだが……。
(……まだ、残り火が燻っているという事だろうか……?)
信仰の自由までもを取り上げる意思がない以上、彼らへの執拗な監視・処罰は避けるべきだと、ルシフェルも考えていたが。万が一、グランティアズの王族が魔力を持てない差別を彼らが作り出していた場合は……そんな甘い処遇は許されない。
「……でしたら、ルシフェル様。そちらについて、実はネデル……と言うよりは、ティデルから提案が出ております」
「うむ? ティデルから、だと?」
意外な人物の名前に、ルシフェルが驚きの声を上げる。孤児院の業務を彼女に依頼したのが自分自身でもあるため、ルシフェルもティデルの仕事っぷりは信頼しているし、彼女が堕天使であるという事も気にしていない。反面、ティデルは非常に鋭い部分があり、常々重要なことをサラリと申告してくるのだ。故に……何か面倒な事に気づいたのではないかと、ルシフェルはついつい身構えてしまうが……果たして。
【登場人物紹介】
・ラミュエル(水属性/光属性)
霊樹戦役の遠因を招いた自責により、自ら翼を落とし上級天使へと降格した、かつての調和の大天使。
マナの女神、及び天使長・ルシフェルからも再任命を望まれたが、大天使に戻る事を固辞しており、現在はルシフェルの補佐をすると同時に、神界全体の雑用を一手に引き受けている。
大悪魔の1人、羨望のリヴァイアタンの契約主であり、パートナー。
互いに多忙なため、なかなか会う時間を持てないでいるが、彼とは慎ましやかながらも、しっかりと交流を深めている様子。
・リヴァイアタン(水属性/闇属性)
魔界に君臨する、大悪魔の1人。
6種類の「欲望」と2種類の「感傷」を統括する悪魔のうち、リヴァイアタンは「羨望」を司る。
古代の大蛇・ヨルムンガルドと、古代の女神・クシヒメの実子であるが、かつてはヨルムンガルド(ヨルムツリー)の理不尽な執着により、実力の9割を封印されては、不当な扱いを受けてきた。
現在は父親との和解を経て、全ての能力を取り戻しており、魔界第3位の実力を誇る。
ややキザな言動が目立つが、非常に紳士的な悪魔であり、パートナーのラミュエルを常々気にかけている。