3−20 虚無の憂き目
「ふぅ〜ん……お兄さん、それ……本気?」
ディアメロの嘆願に対し、ティデルが返したのは疑るような眼差しと、鋭い言葉。
ティデルはいかにも冷めた様子で、ディアメロをじっと見つめているが。そんな彼女の冷ややかな態度にたじろぐナルシェラに対して、ディアメロは真っ直ぐティデルを見つめ返している。
一方……渦中のミアレットはと言えば。これまた面倒な事になったと、額に手を充て天を仰いでいた。
(何がどうなったら、そうなるよのぅ……!)
そもそも、ミアレットにはそれらしい心当たりが全くない……ワケではなく。彼に勘違いさせてしまうような事をしていたかもと、すぐさま考え直す。
(そう言えば……昨日の私、かなりサービスしてたかも知れない……?)
きっと時計台で一緒にお昼を食べたことや、お見送りついでにお喋りしたのが、ディアメロには楽しかったのだろう。そして、彼が頻りに「王宮は窮屈なんだ」と肩を落としていたのを見かねて、それとなく励ましてしまった気がする。
ミアレットとしては、ほんの少し同情していたこともあり、元気を出してもらおうとしただけだったが。何かと不自由なディアメロが、ミアレットが示した奔放さに興味を持つと同時に……好意を抱くのには、きっかけとして十分過ぎる。
(私、もしかして……思いの外、王子様の好感度を稼いじゃってた? この様子……ディアメロ様、完璧に本気よね……?)
しかも、ティデルの醸し出している空気に臆する様子もない時点で、ディアメロの方は意外と豪胆でもあるらしい。戸惑いを隠せない兄はそっちのけで、無言ながらもティデルに対峙しているが……。
「ププッ……! 面白い事になってきたわね」
「はい?」
何かに耐えきれなくなったのだろう、重苦しい沈黙を破ったのは、ティデルの方だった。見れば彼女は口元を抑えつつ、悪戯っぽい笑みを溢している。
「ま……立ち話もなんだし、とりあえずは中にどーぞ。お茶くらいは出すわサ」
「あ、あのぅ……ティデル先生?」
「うん? 何かしら、ミア」
「面白い事になってきたって……どういう事です?」
「その話も、アトアト〜。とにかく、お茶しながらゆっくり話しましょ」
先程までの張り詰めた空気も、早々に引っ込めて。ティデルが子供達の手を引きつつ、孤児院の食堂棟へと引き返していくが……ミアレットとしては、嫌な予感しかしない。
(……もしかして、天使様達も一緒にキャイキャイする感じですかぁ……?)
ネッドやザフィなら、ともかく。非常にタイミングが悪いことに……今のルシー・オーファニッジには、おまけの天使様が5人も滞在中なのだ。もちろん彼女達も子供達と遊んでくれたり、勉強を教えてくれたりと、それなりのお手伝いはしてくれるものの。基本的な家事は常連組の2人とティデルで対応しているのを見ても、5人もいらないだろう。
「あぁぁぁ……とんでもない事になったかもぉぉぉ……」
「……ミアレット、どうした? 何がそんなに問題なんだ?」
「今、ここにはティデル先生だけじゃなくて、恋バナ大好きなお姉様が5人もいるんですよぅ……」
「えっ?」
「そんな状況で婚約者とか、言われたら……絶対、暴走しますって……! ただでさえ、みんな色々とズレてるのに……!」
彼女達が「天使様」であることは伏せつつ、ミアレットが苦悩の中身をぶちまける。
「お姉様方」は恋物語がとにかく大好き。身近にターゲットがいると、勝手にカップリングしたり、妄想爆発の小説を拵えたりと……有る事無い事、ひっくるめて話のタネにするものだから、ネタにされた方はとにかく神経をすり減らす状況になってしまうのだ。しかも、お仲間内で逐一話題を共有してくれるので、彼女達全員からちょっかいを出される事態になったりする。
「現に、マモン先生はお姉様方にいいようにイジられて、たまに遠い目をしていることがありますし……」
「遠い目……?」
「はい。魂がごっそり抜けたような、虚無の表情をしていることがあるんです……」
「虚無」
「えぇ、虚無。絶望を通り越し、何もかもを諦めた悟りの境地ですね、あれは」
ミアレットの解説に、自分が不味いことを口走ったのだと、ようよう自覚するディアメロ。彼女の目撃談からしても、「お姉様方」に狙われたらば最後。きっと徹底的に囃され、事あるごとに過干渉を受ける事になりそうだ。
「僕も同じ目に遭うかもしれないと……?」
「それはなんとも言えませんけどぉ……少なくとも、私はそうなるかもです。きっと会う度に、その後の進展は? とか、彼とは上手くいってる? とか……根掘り葉掘り聞かれるんだろうなぁって……」
そんなことを呟き、疲れたように肩を落とすミアレット。ディアメロも自分が虚無の憂き目に遭うのであれば、まだ我慢できると思っていたのだが。ミアレットに迷惑をかけるらしいとあっては、申し訳なさが先に募る。
一方で、ナルシェラは別の意味で焦りを募らせていた。
(このまま、ミアレットがディアに引き取られたら……孤児院側からもディアの婚約者として認識されてしまう……)
妙に前向きな反応からするに、ティデルにはディアメロの提案を拒否するつもりはなさそうだ。おそらく、ディアメロが真剣な態度を崩さなかったのが、好意的に映ったのだろう。
「ミアレット。お前は、僕とくっつけられるのが……そんなに嫌か?」
「へぇっ?」
ティデルの誘いを断るわけにはいかないと、とりあえずは歩みを進める兄弟とミアレット。そんな中、ここはなんとしてでもミアレットと会話をせねば……と、ナルシェラも意気込むものの。しかして、すぐに話しかけられる話題がない事にも気付く。
(こういう時は……何を喋ればいいんだ? えぇと、今日もいい天気……は違うな。好きな食べ物……も、今は聞かなくていいよな……)
婚約者と最低限の会話しかしてこなかったナルシェラには、好きな女の子へのアプローチは難しい。令嬢達とは差し障りのない会話はできるものの。興味がないから適当にニコニコして受け流していただけであって、漠然とその場を取り繕ってきたに過ぎない。そんな会話しかしてこなかったナルシェラには、ミアレットを「口説く」のは無理難題でしかない。
しかし、その一方で……ディアメロはミアレットを本格的に口説こうと、言葉を重ねている。そんな弟の大胆さが、ナルシェラにはただただ羨ましい。
「う〜ん……。実感がない、が正しいかもです。私はそんな事、考えたこともありませんでしたし……。ただ、騒がれるのだけは勘弁してほしいです……」
「そうか。じゃぁ、僕が嫌いってわけじゃないんだな? だったら……」
「とにかく、話はお茶しながらにしましょ? それでなくても、私は学校から帰ったばかりなんですよ? ……とりあえず、一息くらい入れさせてくださいよ」
「あぁ、そうだったんだ。……それは悪かったな」
移動中さえも言い募るディアメロだったが。対するミアレットは曖昧に言葉を濁して、はぐらかした。その様子からしても、ミアレットはあまり恋愛には乗り気ではなさそうだと、ナルシェラはひとまずは胸を撫で下ろす。この調子であれば、まだ自分にもチャンスはあるだろうと、弟に負けじとミアレットの隣にそそくさと移動するが。
だが、ナルシェラもディアメロも……ただ、知らないだけなのだ。ミアレットには奥深く、非常に独特で複雑な嗜好がある事を。彼女はとにかく、「ナチュラルなイケメン」か「渋〜いオジ様」が好物である。キンキラリンな貴公子は、全くもってお呼びでない。
(……なーんで、こうなっちゃうかなぁ。私、いかにもな王子様は好きじゃないんですってぇ……)
やっぱり、面倒な事になった。超絶に、面倒な事になった。魔法の勉強だけで手一杯なのに。ここで、余計な恋愛イベントのフラグが立つなんて。ありがた迷惑だし、余計なお世話である。
なぜか、ナルシェラとディアメロに挟まれながら……ミアレットは雑多な懸念事項に、ウンウンと唸ってしまう。兎にも角にも、バッチリ前途多難。こんな状況で、グランティアズに旅行になんか行って……果たして大丈夫だろうか。