BLOOD DAYS 無能な兄と「双子」の妹
章仕立てになるくらい長めの短編です。
面白いと作者は書きながら思ったので、それが伝わると良いな〜
暇な時に読んでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!!
〜0 誕生
バース歴864年、2月5日。
ハイディング家に元気な産声を上げる赤ん坊が二人産まれた。
一人は元気な男の子で、二人目はよく眠るかわいい女の子だった。
二人はすくすくと育ち、やがて母の目を盗んでは悪戯をするようになった兄と、兄の後ろをついて回る妹、二人はいつも一緒だった。
だが父も母も、兄のやんちゃさには手を焼いていて、遊びに行ってはいつもボロボロになって帰ってくる兄と泣きながら兄に背負われた妹の姿には何度心配させられたことか。
幸い妹は泣いているだけでせいぜい服に泥がついている程度だったが、兄の傷だらけな様相に両親は困り果てた。
何故そんな傷を負っているんだと聞けば、妹が転びそうになったのを助けただの、妹にちょっかいをかけた奴に痛い目を見せただの、妹を思って出来た名誉ある勲章などと宣うのだ。
流石に父は怒って兄を叱りつけるのだが、何度言っても過剰に妹に甘い兄に父は諦めた。家族(兄妹)思いと受け入れたのだ。
それから月日が経ち二人はそれぞれ大人へと続く道を決めねばならない歳になっていた。
スタントとリヨン。共に14歳。
これは二人が困難を乗り越えるまでのお話。
〜1 治癒
「兄様!何処にいらっしゃいますか!?」
可愛いはずの声が圧を伴い迫ってくる。
俺はそれに息を殺して、無視を決め込む。
「うーん。この部屋に気配が残っているように感じますねぇ。兄様〜?いらっしゃるのでしょ〜う?」
可愛い妹だ。しかし可愛いはずのリヨンがなぜか怒っているだろうことを、その声から俺は察している。見つかったらどうなるか…想像したくない。
「あ・に・さ・ま〜?……ここ!!」
バッと目の前のクローゼットが開かれた。中を除く後ろ姿も見えている。俺は心音が漏れていないか焦りながら、息を殺し続ける。
「いない…カーテンの裏は…いないですね。ベッドもフェイクだろうし…まさか本当に部屋に居ないのでしょうか」
背中越しのカーテンが自ら動き、部屋に日光を注いだ。冷や汗が止まらない。
しかしこれは好奇、俺はリヨンがちょうど後ろを見ていた時を計らい、開いた窓から“何か”を動かし落っことした。窓の下で音が鳴る。
「外!?逃がしませんよ兄様〜!!」
素直な妹は窓から確認することもなく、階下へと降りていく。俺は完全に足音が聞こえなくなるまで待ち続け、ようやく布団から顔を出した。
「ぶはあ、あっつ〜。今日のリヨンおっかないな」
ベッドから降りつつ、辺りを見回す。予想以上に荒れてはおらず、クローゼットのドアが開いてるのと、開いた窓と開かれたカーテンくらいが変化したところかな。
「あ、そうそう窓際に置いていたものが落ちたんだっけ。なんだ…………は!?」
窓際に置いている人形がない。あれは10歳になった祝い品としてリヨンが俺にくれたもの。不器用なりに兄の姿を模してくれた棲んばらしくプリティーな人形、それが2階から落ちた?
「わ、割れ、うわぁぁぁああああ!!!!」
無我夢中で空いてる窓からダイブした。頭から落下しようが自分の身よりも人形の方が大事。くそ、なんであんな大事なものが窓際に!?落ちるに決まっているだろう!!(自分で落とした)
「あ、兄様いた」
空中でリヨンと目があった。大事そうに何かを抱えている可愛い妹だ。認識すると同時に衝撃が身体に走った。あ、俺二階からダイブしたんだわ。
ゴシャッ!!
鈍い音がした後に激痛が襲ってきた。
「大丈夫ですか?兄様」
「大丈……結構痛い。世界が真っ赤だ」
「そうですか。治療しますので捕まえさせて貰いますね」
「お願い……今なんて?」
ガシッと腕を絡ませて治癒してくれた。おお妹よ、腕の骨も無事ではないかもしれないから優しく…そんなことを言いそうになる寸前でリヨンが抱えているものに気付いた。
「兄様、リヨンは悲しいです。大事にしてくれていると思っていた兄様人形を窓から捨てられてしまうなんて…」
「いたたたたた、捨ててない!捨ててないよリヨン!」
腕が軋み、頭痛がひどくなった。あれ世界がさらに血の色に…世界が揺れてるぅ。い、意識がぁ。
「今日はせっかくの特別な日でしたのに、兄様ったら隠れんぼなんて始めて…楽しくはありましたが、私たちはもうすぐ子どもではなくなるのです。その自覚を持っていただき…少しくらい子どもっぽくても良いですが、それでも限度がありますし…兄様?兄様!?」
リヨンの声が遠くなっていく。痛みもだんだん引いて…
リヨンの…腕の中で…眠る……それ…も…いい……
「兄様ぁぁあ!!!」
〜2 約束
「……いちゃ、おきてぇ」
「うぅん……リヨン?」
目が覚めると涙鼻水まみれの顔が胸の上にあった。そんな顔でも可愛い我が妹だった。
リヨンと目が合う。
「おにいぃ!!」
「うぐっ!」
リヨンが腹に勢いよく突っ込んできた。本人は抱擁のつもりだったのかもだが、これはタックルだった。
「リヨンが悪いですぅ、ごめんなさいぃ」と泣きながら謝る妹の頭を撫で、何があったのかを思い出そうとする。
あ、思い出した。俺二階から落ちて血まみれになったんだ。…あれ?その後すぐ治癒してくれなかったか?
「なあリヨン、俺、治癒して貰ったのに倒れたの?」
「そ、それが……そうです」
「何か言いかけたよね、リヨン」
流れ落ちる涙が急に止まり、視線を逸らす我が妹。その顔は何かを隠す誤魔化し顔だった。
不意に周りの茂みの存在に気づいた。俺たちを囲うように出来ている。
「リヨン、もしかして力加減誤った?」
「リヨンは兄様を治すため、全力を出したんです。早くよくなればいいと思って」
悪びれないリヨン。可愛いので許そう。元々俺が悪いのだし。
リヨンは魔法の才能に恵まれている。治癒魔法を始め、元素魔法、魔力操作など多才で優れた妹を持って兄の鼻は高い。
そして、この小さくて可愛らしい見た目からは普通ではない魔力量を秘めているらしい。
一度風魔法を見せてくれると言って、大木を真っ二つにした何かを出したことがあり、俺はそれを信じた。
なぜかその後、俺が木を折ったとして怒られたのはいい思い出かな。…いや何故か脱ぎぐせを言われ始めるようになった嫌な思い出だった。
そんな妹の兄、つまり俺の方はと言うと魔法がてんで使えないのである。適性がないと言われた時は流石にショックで三日三晩寝込んだものだ。
無いものを欲しがっても無理なものは無理で、俺は魔法を諦めた。有ったら便利かもと、たまに考えてしまう辺りは諦めきれていないのかもしれないが。
魔法が使える妹は普通に考えれば俺より強い。回復もできれば攻撃魔法も防御魔法も扱えるのだから。
そんなこと決してあるはずがないが、万が一にも俺とリヨンが戦えば一瞬にして決着がつくだろう。俺の惨敗。そもそもとして俺はリヨンを攻撃することなんて出来ないし。
しかし、リヨンは争いを好まない。自分から攻撃することはないし、相手からは抵抗せず甘んじて受け入れてしまう。
心根が良すぎるのだ。だからそれを俺が代わりに引き受けてやらないといけない。
俺はリヨンを守る騎士だった。
それが俺の兄としての義務。唯一の存在理由。
まだまだ鍛え方が足りないみたいだな。いつも妹に治癒されてばかりの兄なんて格好悪い。二階から落ちて怪我だなんて、受け身一つも取れないほど気が抜けていたのだ。全くリヨンの前で醜態を晒して、みっともない。
「ごめんな、リヨン。俺はまだまだ弱いままだ。リヨンに心配されないくらい強くならなきゃいけないのに…」
「…どうしてそんな話に。リヨンがやりすぎてしまったのですよ?」
「いや、そもそもとして俺の体はまだ弱い、心だって。傷を負ってちゃダメなんだ。リヨンの治療に頼っていては」
「妹を頼らない兄なんていませんよ。逆だってそうです。お互いが頼り合うことで補えるものもあるのですよ。兄様が傷を負うのは決して弱いからではありません!」
「だけど…」
「けども何も聞きませんから。私たちの約束をお忘れになりましたか?」
俺とリヨンの約束。忘れたことなんて一度もない。
二人で一つ。何にも負けない絆。
「忘れてない」
「私たちは二人一緒なんです。この先これだけは揺るがないものなんです」
「そうだな。ごめん」
「たまにはリヨンのことを叱ってください。肯定ばかりされては、リヨンは悪い子になってしまいそうです」
「いやいやリヨンは昔からいい子だから」
「もう、兄様ったら」
リヨンがほっぺを膨らませて抗議していたが、やがて二人して笑ってしまう。喧嘩すらまともにできてない自分たちがおかしくなったのだ。
俺はこの和やかな雰囲気に肖り、聞きづらかったことをリヨンに尋ねてみる。それはリヨンの口調や格好に対するものだ。
「そう言えば、今日はなんの予定があったの?すごい雰囲気だったから聞きそびれたんだけど…」
今日のリヨンは少し変だ。他所行きの格好をして俺の呼び方が「兄様」だった。家の中で人の目を気にするのは変だ。
俺は嫌な予感がして隠れ過ごそうと思っていたのだが、自分から見つかってしまった。
リヨンが思い出したように慌て出した。
「ああ!そうです、そうでした!兄様、すぐに着替えて準備してください!」
「誰かが来るの?」
俺の質問にリヨンは嬉しそうに答える。しかし答えを聞いた俺はリヨンと真逆の態度をとった。
「父様たちがいらっしゃいます!」
「ああ、なるほど…」
リヨンの変化に納得がいった。もうすぐリヨンの成人の儀が行われる。あの人たちはリヨンを見せびらかす為に帰ってくる。それ以外で会いには来ない。冷めた愛情だ、反吐が出る。
「久しぶりの親子揃っての食事です。兄様の支度が遅いので呼びに行ったのに、兄様は逃げたのです。それで怪我されるんですからリヨンの心配は膨らみ続きですよ。眠られた時は…リヨンにも責任はありましたけども……」
また始まった。近頃リヨンは本の虫のようで、近くの町で見かけた本や図書で貸し出す本、あの人たちが残していったさまざまな種類の本を読み耽り、話し方が長く賢くなった。
本人はそれが大人らしい振る舞いと思っているようだが、どちらかと言えばめんどくさい大人の振る舞いに見える。可愛いから指摘しずらいけども、面倒だな…。
「あの人たちはいつくるの?」
「あの人って、その呼び方は直してください。父様と母様です!」
人差し指を突き刺して、じっと見つめてくるリヨンの姿勢に折れた。リヨンには逆らえない。苦笑いで同じ質問をした。
「父様達はいつくるのかな?」
「それが…」
リヨンがまた慌て気味に言い淀むと馬のいな鳴き声が聞こえてきた。カラカラと車輪が回る音も聞こえてくる。
音がした方を見ると、馬車が一台こちらにやってくる。
リヨンが慌てて起き上がり、俺も一緒に立ち上がる。リヨンが掛けていき、俺は遅れて歩み寄る。
家の前で馬車は止まり、御者が扉を開ける。中に乗っていたのはもちろん。
「父様!母様!」
リヨンが嬉しそうに声をかける。二人の人物が順番に馬車を降りてきた。
「お久しぶりです、父様、母様」
「久しぶりだね、リヨン。成人おめでとう」
「父様、成人の儀はまだですよ。私たちはまだ14歳です」
「はは、気が急いてしまった。成人の儀が待ち遠しくてね」
「元気そうでよかったです。母様もお変わりないですか?」
「ええ。貴方の淑女らしくなった姿が見れて母は嬉しいわ」
「そうですか!?…おほん、もうすぐ成人ですもの。女子ではなく淑女に振る舞うのは当然ですわ、母様」
「そう。ところでリヨン、髪の結び方が甘いわ。リボンのバランスが悪い。化粧が荒いわね。治してあげるからいらっしゃい」
「っ!?もう、母様!!」
怒るリヨンに、2人は楽しそうに笑っていた。久しぶりの再会でどうなるかと思っていたが、リヨンの持ち前の明るさから雰囲気はよかった。そこに加わるのが躊躇われるほどに。
俺は立ち止まって少し離れた場所から3人を見ていた。混ざりたくない、だからバレないまま終わってくれたら。そう思った時、母が俺に気づいた。父も母の視線を追って俺に気づいてしまう。少し間を置いてから俺を呼んだ。
「スタント、久しぶりだな」
「ええ、父様。お久しぶりです」
「何ですか、貴方そのような格好で。私たちが来ることは事前に伝えてあったはずでしょう?」
「…申し訳ありません」
「あ、違…」
母は俺を見てまず服装を叱った。寝巻きのままだから怒られるのは仕方ない。頭を下げると、リヨンが慌て出した。
「お客人もお呼びなのに恥ずかしいったらないわ。すぐ着替えてらっしゃい。礼服は用意しているわよね?」
「はい。直ぐに」
「あ、兄様!私が…」
「リヨン、貴方には挨拶してもらいたい方がいるのよ」
俺がそこを離れると3人はまた親子の会話を再開した。リヨンだけ俺の方をチラチラ気遣ってくれているようだが、俺は構わず着替えに戻る。
一瞬、馬車の中の人物と目があった。会釈された気がして返しといたが、よくよく考えれば走りながら会釈するのは失礼だったかもしれない。後で母から叱られるのかと思うとゲンナリしてきた。
〜3 婚約
着替えて戻ってくると、リヨンがやけにそわそわしていた。本人に聞きたかったが、母の方からその理由を知らされた。
「スタント、貴方にも紹介をしておきます。成人の儀で発表するリヨンの婚約者、レグルス・アシノニクス様です。挨拶を」
「え!?リヨンが婚約!?そんな話聞いてま…」
「挨拶を」
驚きの情報をあっさりと伝えられ、抗議をする間も与えないとはあんまりではないか。しかしリヨンのいる前で母をぶん殴ることなんて出来ない。拳を握り締め、渋々俺は教えられている挨拶をした。
「リヨン様に仕える使用人のスタント・ディハイングです。突然のことに驚いてしまい失礼な態度をとり申し訳ありません」
「レグルス・アシノニクスです。見たところまだお若いようですが、使用人はお一人で?」
チラリと母の方を確認する。
目で伝わってくるのはあまり下手なことはするなと。なら、事前に説明を済ませておけばいいだろうに。
ディハイング。ハイディングに似たそれを名乗ったのにはちゃんとした設定がある。おそらく聞かれるだろう為の布石。
レグルスは作り笑いが達者なようで、ニコニコと俺に笑いかけてくる。胡散臭い野郎だな。
「私はリヨン様と同い年です。使用人は私のみです。まだ若輩ではありますが、長年お世話を任されてきましたので問題はありません」
「そうですか。リヨンさんと面影が似ているのは、ご親戚ということで?」
これ。俺たちが兄妹ということを隠すために血のつながりはバラすのだ。昔からのお決まり。
母を見ると頷かれた。適当な話をでっちあげる。
「リヨン様の母、フレア様の親族となります。リヨン様とは、はとこの関係にございます」
「なるほど。いやそれにしても似ていらっしゃる。双子と言われても驚かないくらいには」
これで良いですか、母様?挨拶するよりもこの事態の説明をしていただきたいな、俺は。
「フレア様、リヨン様の婚約という話について、私は伺ってもよろしいのでしょうか?」
「そうね、一応貴方にも後で説明をしようと思っていたところよ。レグルス様、しばしお時間をいただいても?」
「ええ、では私はリヨンさんとお話を。儀式の前に友好を深めておきたい」
「それはいい。中でお茶を挟みながらに致しましょう。リヨンいいかい?」
「え!?は、はい…」
父とリヨン、レグルスが家の中に入っていく。
さっき着替えに戻った時、家の中はきちんと清掃されていた。リヨンが事前に片付けていたらしい。おそらく散らかっているのは俺の部屋だけなのだろう。
できた妹を持って、兄は誇らしく恥ずかしい思いだ。そんなことを考えギリギリ保てた理性で、俺は目の前の人物に話しかけた。
「どういうことでしょうか、母様」
俺は最後の部分をなるべく低い声で呼んだ。レグルスに聞かれていたら、さっきの誤魔化しが無駄になる。
母はそれをすんなりと受け入れ簡素に言った。
「話の通りよ。リヨンは成人の儀にて婚約を発表するの」
「何故そんなことを勝手に決めているのでしょうかと聞いているんです!」
語気が荒くなっていく。握りこんだ拳が痛い。
「リヨンに婚約なんて……」
「まだ早いとでも言う気かしら?」
母は俺の言葉を簡単に言い当てた。自分でも甘いと思わなくもないが、いくら何でも急すぎだ。久しぶりに来ていきなり「結婚しなさい」とか、母親のセリフか?娘を道具にするための縁談としか想像できない。
「歳のことではなく、タイミングとしてですよ。成人したら結婚しろなんていくらなんでも不自然ですよ。政略結婚などにリヨンを巻き込まないでもらいたい!」
「レグルスさんの家系は確かに騎士だけれども中流よ。政略というほどでもないわ」
「王国にリヨンを出すつもりでしょう?リヨンはこの町で育ったんです。王国なんかに行けばどうなるか・・・」
「ふふふ、過保護ねぇ。行くかどうかは当人が決めることで兄といえど指図するものではないと思うけれど」
「それを言うなら結婚相手を親が勝手に決めるのも指図になるのでは?前時代的思考で吐き気がしますね」
「そんなに見つめても母は撤回する気はありませんよ」
俺は母を睨んでいた。もう感情を制御するのが難しいほどに荒れ狂っている。次に気が障るようなことを言えば、手が出てしまうかもしれない。俺は握りしめていた拳から力を抜いておく。
気が立つ俺とは別に、母は気の抜けた質問を始めた。
「ところでスタント、あなたのほうはどうなんです?」
「…は?なんのことですか」
「結婚相手です。目ぼしい方はいるのですか?」
母の意図が分からなかった。この人は俺に興味がないはずだ。俺の気を紛らせる作戦か?
母は続けた。
「自分が言ったのでしょう。親に相手を決められるのは気に入らないと」
俺が言ったのは「吐き気がする」だが、意味が同じだしそこはスルーして…俺は不服だが母の会話に乗ることにした。良くすれば、リヨンの婚約も無くなるかもしれないからだ。
「…近くに住んでいる者はいないので必然的に町のほうに出ますが、少なからず良い女性はいます」
「なら今すぐその者に求婚してきなさい」
「はぁ!?」
話がぶっ飛びすぎだろう。この人の話に乗ったのを早くも後悔した。
「それが出来ればリヨンの縁談は破棄してもよいでしょう」
「意味が分からない」
「自分で結婚相手を決める。あなたがそれを決行できれば母は先の縁談を取り消すといったのです」
「言葉の意味ではなく、母様の思考を理解できないと言っているのです!なぜそのような話になるのですか」
「あら嫌なの?リヨンのためなら、あなたはやると思っていたけれど」
「あんたとの話は不愉快だ。父さんとさせてもらう」
俺は家に入ろうと振り返る。これ以上続けても母の思考に苛立つだけにしか思えないし、結局縁談を取り消す気はないと言うことだろう。俺の結婚を引き出した時点でそういう意味だ。
「リヨンもあなたも成人になるのです。いずれ離れることになるのは分かっていますか?」
「その前にあなた方と離れることを俺は願いますね!」
ドアを思いきり開け閉めようと思ったが、客人を持て成しているリヨンのことを思いゆっくり閉めた。
「反抗期・・・子どもなのね。ふふふ」
ドア越しに何か聞こえたが、怒りが再燃しそうで無視した。
〜3.5 かくしごと
客間の様子は、リヨンと向かい合ってレグルスが座っており、父が2人の間にかけて座り、話を仲介している。
楽しそうに話しているのは父とレグルスで、リヨンの声はあまり聞こえず2人の話を聞いているようだ。
「いや、リヨンさんは聞いていた話よりもお美しい方でした。私はこれほどの美人に会ったことがない」
「そう言っていただけて娘も喜んでいますよ。リヨン?」
「は、はい父様…」
「いやはや、レグルス様にまだ緊張しているようだ。人見知りではなかったと思っていたのですが、お恥ずかしい」
「いえいえ、控えめなところも良いと思います」
「……」
ああ、嫌な雰囲気だ。レグルスの顔を見ると先の苛立ちが暴発しそう。俺は息を整えて、扉のノブを回す。
「失礼します」
「ああスタント、話が終わったようだね。フレアは?」
「もうすぐいらっしゃるかと…」
「そうか」
「セルシウス様、少し宜しいでしょうか」
「なんだい?」
「成人の儀についてお話があります」
「…レグルス様少し先を離れます」
「そうですか、では2人で待っていましょう」
「リヨン、失礼のないように」
「…はい」
俺は使用人らしく扉の開閉を受け持ち、父を部屋から出すとゆっくりと扉を閉めた。
奥の部屋に2人で入ると俺は猫被りをやめた。
「聞いてない。どうゆうこと?」
「フレアと話したんだろ。理解しているはずだ」
「リヨンは納得していないだろ!あの反応を見れば、2人が黙ってたことも察せるぞ。いきなり帰ってきてリヨンに何させる気だ」
「お前たちの成人なんだ、帰ってくるのは当然だし、ただの縁談を持って帰っただけだよ」
「へえ、王国騎士との縁談をね。あのレグルスってやつ、何か隠してるやつだろ。笑い方が胡散臭い」
「大口で笑う男なら良かったのかい?」
「まさか。落ち着きはあっても隠し事はせず、常に明るく健康で、鍛錬を欠かさず強靭な肉体を持ち、いついかなる時もリヨンの側を離れない。そんな男なら俺も認めるよ」
「なかなかいないね」
「だから言ってるんだ」
俺が即答すると、父は笑った。おかしなことを言ったわけではないし、そんな雰囲気じゃないだろと怒ろうとしたら父はにやけながら質問してきた。
「リヨンの結婚がそんなに嫌かい?」
「嫌かどうかじゃ……嫌だけども、リヨンの認めた男以外認めないって話だ!結婚はリヨン自身で決めさせるのが筋だろ」
「そうだね。じゃあこの縁談を切ることもリヨン自身が決めなきゃいけないことじゃないかな?」
「………な」
父はにやけ面を崩すことなくそう切り返してきた。久しぶりで忘れていたが俺は父も苦手だった。ニヤニヤと揶揄うことを面白がっているのだ。両親共に終わっている。
「リヨンは君に他に男性がいることを話したかい?或いは結婚したくないと言ったのかい?」
父はなおも続けた。そして言い返せない俺にこの話の決着を告げた。
「君が駄々をこねても話は平行線のままだよ。リヨンが決めることなんだろ」
ああ今分かった。レグルスがどことなく胡散臭く見えたのは似ていたからだ。この人に。
絶対何かを隠している。それがリヨンの為になることかは知らないが、話さないというなら絶対に阻止してやる。
部屋から出ると、母がにこにこしてこっちを見ていた。父とは少し違う笑顔。気持ち悪い。
特に話すことはないようで、俺がドアを開けるのを待っているように見える。
俺は忠実な使用人役に戻った。阻止するのは当日。それまでに計画を練ることにした。
〜4 前夜
リヨンの成人の儀は誕生日当日、つまり2月5日に行われる。客人としては今まで会ったことない親戚やら両親の友人知人が来るとのことだが、そんな状況にリヨンが楽しめるのかと不満が溜まった。
畏まってはいるが、結局はリヨンの誕生日を祝う日だ。知らない大人が大勢いてはリヨンが緊張してしまうだけだろう。救いだったのは近く町の知人たちも参加を許可されたことだ。少なくはあるがリヨンと仲のいい住人もいる。気休めになればいいが。
当日までの間、両親とレグルスは使っていないゲストハウスの方に泊まっていた。おかげで計画をまとめやすかったが、リヨンは本宅と別宅を行き来することになり面倒そうだった。顔に出さないところを褒めたくなるが、明らかに疲れや緊張の色が見えた。
俺はそれを盗み見ることしかできず、表と裏の準備の手を休めることはなかった。
短くも長い日々が過ぎ、いよいよ前日となったその日、俺はリヨンの顔を見に部屋に向かった。
扉をコンコンと小突いて入室を確認する。
「リヨン、入ってもいい?」
「兄様?……どうぞ」
リヨンは窓を開けて風を浴びていた。夜の風は冷たい。体を冷やしてしまうかもと不安になるが、リヨンはむしろその風が心地良さそうにしていた。
月と星が輝く夜空を背景にした妹は、大人びて見えた。
「どうかされましたか?」
口調も大人のままで、当日までその姿勢を崩さないようにしているのだろうか。リヨンの根性に感嘆する。
しかし、当日までということは、その後はどうなのだろうか。名実ともに大人の仲間入りした後は、いつも通りの可愛い妹の姿を見せてくれるのだろうか。
それとも、この姿をずっと続けていくのだろうか。
妹が遠く離れていくように感じて、俺は胸が痛くなった。
「…綺麗だね」
「そうですね。本当に綺麗…」
夜空のことだと勘違いしたようだ。リヨンはまた景色の方を向いてしまう。
もう既に大人の顔だった。何を考えているのか俺には分からない。ただ美しく、世界に溶け込んでいく妹の輪郭が薄れていく。
「結婚するのですね私」
「え?」
透き通るような女の人の声が聞こえた。それはリヨンの声だった。驚いて聞き返す。
「ずっとこの家で暮らすのだと思っていました。…いつかはその時が来るとは思っていましたけど、あまりにも突然でした」
ああ妹が離れていく。
「約束、私の方から破ってしまうなんて…悪い妹ですね」
「悪い妹…なんかじゃない」
絞り出した声は弱々しく伝わったのかどうかも分からなかった。
「兄様」
リヨンは俺を正面に見据えて兄を呼んだ。
「私たちは二人で一つです。それだけは永遠に消えない絆なのです。だから離れていても、その絆がお互いを守ってくれます」
リヨンが俺の手を優しく包み込む。俺は嫌だと思うのに、黙って聞いてしまう。そんなことを聞きにきたわけではないのに。
「リヨンが兄様に絶対に消えない魔法をかけてあげます。祈願。お身体に気をつけて」
暖かな光が俺を一瞬包んだ後、すぐに消えた。
「リヨン!」
「兄様」
俺が名前を呼ぶと、リヨンも俺を呼んだ。同時だったので狼狽えてしまいリヨンに話を譲ってしまった。俺はそれを後悔することになる。それが、この夜の終わりを告げる言葉だったから。
「お誕生日、おめでとうございます」
「……誕生日……おめでとう」
俺は無理やりな笑顔で部屋を出た。ひょっとしたら泣いていたかもしれない。ダサい兄をもってしまったリヨンはとんでもなく不幸だ。結局何も言えず、何も吐き出させることもなく、夜を終えたんだから。
「明日なんて来なければいいのに」
それはもう意味をなさない言葉だった。
今日行うことは意味のないことかもしれない。ひょっとしたらリヨンの邪魔になることかもしれない。
どうしようもない兄の我儘になるのだろう。
だけど、俺は決めた。
俺の生きる意味を見失わないためにやるんだ。
〜5 成人の儀
当日、来客の数は予想以上に多かった。みんなリヨンのために集まってくれたのだ。
町の人々も来てくれていた。見知った顔ぶれが固まって話をしている。声を掛けようかとも思ったが母に呼び止められた。
「スタント、なぜ持ち場を離れているのですか?」
「持ち場って、リヨンの準備に手伝わせてくれなかったのはフレア様でしょう。もう終わったのなら戻りますが」
「では直ぐに。リヨンの姿見せも近いですよ」
「はい。では失礼します」
俺が母に頭を下げると小さい声でボソッと母が言った。
「…今日は離れないように」
何かを憂いた母の表情に俺は内心ドキッとしたが、バレているのなら『離れない』指示は少しおかしい。別のことだろうが何を心配することがあるのだ。
「はあ、分かりました」
「約束を。護りなさい」
「言われなくとも」
約束を持ち出すほどらしい。が俺には何の心配もない。いつも通りこれからもリヨンを護る為のことをやる。
両親の心配も関係ない。絶対に阻止してやる。
俺は母の元から離れた。
椅子に座るリヨンは化粧を施され、ドレスを着飾り、美しい女性になっていた。
「兄様」
「あー、リヨン」
立ち上がるリヨンの足元はドレスの裾が垂れて隠れてしまっている。踏んづけて転けたりしないだろうか。
そんなリヨンも可愛い論法では大勢の前で恥をかくリヨンを慰めれそうにない。
「どうでしょうか、似合っていますか?」
「もちろん。とても綺麗だよ」
「ありがとうございます、兄様」
リヨンはとてもいい笑顔をしていた。ドレスも気に入っているのだろう、その場でフリフリと裾を回して遊んでいる。
俺ははしゃぐリヨンの腕を取り、顔を見た。
「兄様?」
「ごめんなリヨン。俺はまだ弱い。お前を護ることに余裕なんてないかもしれない。でも俺はそれが無くなったら生きていけないんだ。お前にとっては鎖のような重いものかもしれないが、俺にお前を護らせ続けてくれないか?」
確認をしてしまうくらい俺は迷っているらしい。たとえ断られてもやることに変わりはないが、リヨンの未来を奪ってまでやるのは本末転倒だ。俺はリヨンの意思も護りたい。
リヨン自身が決めた未来も護っていく。隣じゃなくても。
「リヨンと兄様を繋げるものは鎖なんかじゃありません。消えない絆と言ったはずです」
「…うん」
少し怒ったような言い方だった。そしてリヨンは罰の悪いような顔で自分を憂いた。
「ここまで兄様を過保護に心配させるリヨンはどれほど出来が悪いのでしょう」
「違…」
すぐさま否定しようとした俺はリヨンに止められてしまう。俺の手を両手で握ったリヨンは悪戯っぽく笑った後、こう言った。
「お兄ちゃん、ちゃんとリヨンを守ってね」
子どもの約束のようなその言い方に、俺は泣きながら喜んだ。
子どもをあやすようにリヨンは頭を撫でてくれる。
「何で泣いているんですか」
「ありがとう…」
同い年でリヨンは妹だというのに、先に大人になった感覚がしていた。置いて行かれて、遠くに行って、俺だけが変わらないままなのかと思った。
本当に心が弱い。
変わると決めたのに。
「気負わないでくださいよ。傷も涙も、リヨンが癒してあげますから」
「…う、ごめん」
袖で涙を擦り、笑顔で誤魔化す。もう大丈夫だからと言っても、リヨンは落ち着くまで待ってくれた。
俺がここに来たのはリヨンを連れ出すためだ。
俺はリヨンと共にこの町を出る。
あの人たちにも見つからない場所でリヨンの気にいる人を探すんだ。
俺が一人勝手に決意をしている時、静かに見つめる眼があった。
俺とリヨンはその視線に気づくことはなかった。
〜6 来襲
裏口から外を覗く。人の気配はない。やはり逃げ出すなら今しかないだろう。
「兄様…本当に良いのでしょうか」
「大丈夫、兄様に任せとけ!」
「でも…」
リヨンは今日までに多くのことを考えたのだろう。そして妥協や諦め、良く言えば受け入れたのだろう。それを兄が全て無かったことにしようと言い出したのだ、戸惑い悩むのも無理はない。けどそんな時間もないのだ。
俺はリヨンを先に外に出るよう促す。この一歩がリヨンの希望に繋がるのだと少し強引に勧める。
「俺とレグルス、どっちを選ぶんだ?」
「………それは狡いですよ」
「ごめん、でも俺はリヨンの幸せを掴みたい。狡くなったとしても」
「……ふぅ。どうして兄様はリヨンにそこまで甘いのでしょうか」
「兄様だから。当然だろ」
リヨンは渋々といった風に一歩を踏み出してくれた。家を出てくれたのだ。それが心底嬉しい。
「でもこれからどこに行くんです?」
「それは……」
いきなり後方からバタンッと扉が強引に開けられたような音が鳴り、続いて男の張り上げた声が響いてきた。
俺は驚いてリヨンとの会話も中断し、振り向いてしまう。
「リヨンさぁぁーーん!!ご無事ですかぁぁ!!」
レグルスの声だ。ひどく焦っているようで家中を走り叫んではリヨンを探しているようだ。
まさかバレたのか?しかもレグルス当人に?
何故と考える暇はないと思った。声は段々と近づいていたから。レグルスは間もなくここにやってきて俺たちを見つかることだろう。一刻も早く、ここを離れなければ。
「リヨン、とにかく逃げ……」
なるべく小さな声をリヨンに向けて発した。でもそれは途中から音にならなくなった。
「リヨンさぁぁん。…スタント君!!無事で良かった!リヨンさんを見かけなか……た…かぃ……」
俺を見つけたレグルスは嬉々とした声を発した後、リヨンの行方を尋ねようとして声が萎んでいった。
レグルスが本当はリヨンだけならず、俺も探していたということがわかる反応だった。でも俺は目の前のソレに眼が釘付けで、レグルスのことなんか頭になかった。
レグルスもソレを見つけて固まってしまう。
「ぅぅ!!ぅぅぅ!!」
リヨンがソレに捕まって悶えている。いつの間にか口に細長いものが巻き付けられ声にならない音だけが漏れている。
ソレは異様な姿だった。動物のような植物のような、動いているので生き物だと思えるが、できるのであれば動いてほしくはない。
顔と思える箇所が二つあり、体は四足獣のようであるが植物の蔓のようなものが至る所から伸びており、体毛なのか良く分からないものがソレの体を這っている。
ウネウネグニグニゾワゾワモゾモゾ……この不愉快な音はどこから鳴っているのだろうか。知りたくもないが。
顔の一つが俺を見つめた。もう一つはリヨンをじっと見つめている。
その顔も不気味で恐らく目であろうものは穴みたいで、口と思える部分には体の蔓とは少し違う短めのものが蠢きつつ中の歯のような棘が見えては隠れる。リヨンの方に向ける顔は少し違うようだが不気味なことに変わりはない。
「なんだ、これは……」
レグルスの声が俺の身体の金縛りを解いた。そしてようやく得体の知れない何かがリヨンを捕まえていることを理解した。
「…リヨン!!」
「ぅぅぅぅ!!」
ソレは俺を見つめる時、何も感じさせなかった。
突然目の前に現れてからと言った方が正しいかも知れない。リヨンを捕縛しているのに、俺にはそれが敵意や悪意のある行為という認識はなかった。
ゾワリと背筋に悪寒が走る。
俺は一歩踏み出そうとして今初めて気がついた。この危機的状況に。
何なのだこいつは。どこから現れた。何故リヨンを捕まえている。何故こんなにも悍ましいんだ。
足が前に進まない。ソレも動かないから距離は縮まることも離れることもない。じっとただ見られている。
レグルスの震える声が俺に聞こえるよう話し始めた。
「…スタント君、今すべきかは分からないが伝えておく。…今、会場では突如大量の魔物が出現し混乱状態にある。君たちのご両親が対処に回ってくれているが、負傷者が数名出ている。…私は会場で見当たらなかったリヨンさんと君を探しにここにきた。君たちを安全な場所に連れていくつもりだったのだが、難しい状況になったようだ」
レグルスの短い話がすごく長く感じた。
ソレはレグルスが話し始めても静かなままだった。リヨンも混乱の状況のままだったが声を出すのをやめ、静かに話を聞いていた。
レグルスの話には気になることが山ほどあった。魔物、両親の対処、負傷者、安全な場所……君たちと俺を括って言ったこともだが、それら一つ一つを聞いて整理する余裕はなかった。
とりあえず話はしても良いようなので、一つだけレグルスに尋ねた。
「レグルス、聞いても良いか」
「…なんだい?」
呼び捨ても口調も、レグルスは指摘しなかった。そんな雰囲気ではないから。何がきっかけでこの膠着状態が解けるか分からないから。
落ち着いて言葉を紡いだ。
「こいつは、魔物なのか?」
俺は魔物に出会ったことがないからその姿を知らない。新聞やら噂で聞いたことはある。が、こんな意味不明な生き物だとは聞いたことがない。
もしこれが会場の方に、わんさか現れた魔物だというのなら安堵するしかないだろう。こんな見た目の生き物、一つ見るだけでもうんざりである。
しかしレグルスの声はソレを否定しつつ俺を安心させることはなかった。
「…いや、分からない。会場の魔物は低級と中級が混ざったありふれた魔物だった。私でも仕留めたことのある程度のものだ。しかしこれは……魔物以前に生物として不気味だ」
「もし魔物なら?」
「……この威圧感と迫力は低級と中級には感じたことがないな」
魔物ならレグルスよりも上の可能性が高い。レグルスの実力が俺とどの程度離れているのか分からないが、戦いは避けたいと身体は正直だ。
震えを置き去りに、身体は棒のように硬く動かない。リヨンが意味不明にも捕まっているというのに。
俺はソレから視線をずらし拘束されたリヨンを見た。
怖いだろうに、意味がわからず叫び出したいだろうに、しかしリヨンは気丈に真っ直ぐな目で俺を見ていた。
「うううぅ」
短い四つの呻き声。頭の中でリヨンの声はこう聞こえた。「逃げてっ」と。
リヨンが突然暴れ出した。しかしソレはリヨンを軽々と抑えつけると、そこで初めて動き出し歩き始めた。
森の方に向かっているようで、逃げるというより帰るに近い足取りで悠長にリヨンを連れて行こうとする。
「レグルス」
俺は隣の男を呼んだ。呆然と見つめていた情けない男二人もここでようやく動けるようになったのだ。
「なんだい」
「頼みがある」
〜7 声
腑が煮え繰り返りそうだった。どうしようもない自分に。
何度も何度も学んだではないか。己の弱さを。
実感していたのではないのか。その情けなさを辛さを。ただ噛み続けただけか。飲んだつもりになっていたのか。
約束は。幾度となく交わした約束は。
意味あるものだったと証明できないではないか。
「うううぅ」と言ったリヨンの顔はどうだった。どんな声でどんな表情をしていた。
聴き違えるな。見間違えるな。
あれは恐怖で泣きそうなくらい震えた「助けて」に決まっているだろう。
〜8 奪還
「奴の実力は未知数だが、勝算は?」
「知らん。リヨンが返ってくれば勝ちだ」
「君、魔法が使えないはずだろ。私頼りは少し厳しい気が」
「誰がお前頼りだよ。お前はあくまで手助けだ。俺がやる」
「戦闘経験あるのかい?魔物狩りは素人が行えるものではないよ。それに対抗しえる魔法がなければ無謀極まりない」
「最初は誰でも初めてだ。無謀というほど考えないわけじゃねぇ」
実際は考えなど浮かんでいない。あの魔物?の後を見失わないように追っているだけ。
「私がセルシウスさんか、フレアさんを連れてこよう。あの方達なら一人でも十分戦力になる。1分あれば連れてくる。見失わないでくれ、必ず追いつくから」
「それじゃ、会場の魔物はどうなんだ。片方だけで被害を増やすことなく片付けられる保証はあんのか?」
「それは、不可能でないと思いたいが」
レグルスは重たく答えた。その反応から向こうの魔物の処理はそれなりの大変さが感じられる。
質は低くても数があれば被害を起こす数も当然多い。人間、前を向いている時後ろは死角になるのだ。俺がさっきそうだったように。
言い訳がましい考えを振り払い、レグルスに可能性を示唆する。
「こっちには怪我人が出ている訳じゃねえ。ソレにあいつはただの迫力野郎ってだけで弱いかも知れねえ。俺たち二人で何とかなるかも」
「楽観的な計算だな。相応の…それ以上の強さの場合は」
「そん時はただ全力を出すのみ。死力を尽くしてリヨンを取り戻す」
「死んだら取り戻せないぞ。命を軽々と捨てるもんじゃない」
そう言いつつ、レグルスは奴の後を付けるのをやめなかった。こいつ本当は嫌な奴じゃないのかもしれない。隠し事や気になることは多いが、偏見で見るのは止めるべきか。
…でもこいつはリヨンを狙う敵でもあるのだ。気を抜けない相手と位置付けるべきだろう。
「まずはリヨンさんを拘束するあの蔓をどうするかだ」
「切る」
「…因みに剣術は?」
「自己流」
俺は背負っていた荷袋から短剣を取り出した。
「そんな短い剣であの蔓は切り落とせないぞ」
「そう見えるか?」
短剣を鞘から抜くと、長剣になる。原理はよくわからない。
「こ、これは!どこでこれを!?」
「父さ……セルシウス様の部屋から頂戴した」
「…なるほど。それはおそらく『レリック』だろう。君を十分な戦力にしてくれる」
「上からな物言いだな。俺とお前の戦力差も知らねえくせに」
「素人に簡単に抜かれるような鍛え方はしていない。君も鍛えているようだが…いや小さいな。細身すぎだ、食べているのか?」
「ジロジロ見んな。あと触んな気持ち悪い」
「本当に鍛えているのか?言っては何だが…まるで」
「雑談する気はねえ。リヨンを助けることに集中しろ」
「…すまない。それで私はどう動けば良い?足を切り落とすか?」
「いや、切るのは俺の役目だ。お前はリヨンを安全な場所まで運べ、できるだけ遠く。出来るんだろ?」
「可能だが、時間稼ぎが同時に必要だぞ。私の能力は瞬間移動ではなく高速移動だからな」
レグルスは魔法か何かで移動する手段があるのだと先の会話で気づいた。まさか言葉通りの能力なら足が速くなるだけだが、あの鈍間な化け物より速いことを願う。出現した時の速さだけが未知数だが、気配を消せていただけと信じたい。
「俺があいつの動きを封じる。蔓を切ったら、お前はそのままリヨンを抱えて走れ」
「君一人でどれだけ持つか。最低でも10分はかかるぞ?」
「兄貴舐めんなよ。妹が無事ってだけでそんぐらい保つわな」
「そうなのか。なら、その言葉信じよう」
「最初に後ろ左足を落とす。その後、前足を落として奴の上体を崩す。蔓はその後だ。良いか?」
「うまく切ってくれよ。君の失敗をカバーできる保証はない」
「ははは、ついでにその顔を切ってやろうか?」
「ははは、当たる前に避けているさ」
「「ふん!!」」
それが合図のように俺たちは動き出した。
少し距離をとり、物陰に隠れて接近。
厄介なのはあの二つの顔。一つはリヨンを監視していて、もう一つはその反対方向を首?を曲げて監視している。進行方向の左右両極を監視しているのだ。馬のような視界ということだろうか。ちょうど四足歩行だし。
俺はリヨン側を攻める。レグルスは道の反対やや後方を追随する。
俺は剣を握りしめ、突進した。
左手を大きく振りきり、後ろ左足に切り込む。
ガキンッと金属がぶつかり合う音が鳴る。
思っていたより頑丈で、剣が足に突き刺さって止まった。
「ぅぅ?ぅぅ!?」
リヨンが俺に気づいた。可愛いその顔を拝んでいる余裕はなかった。魔物もこっちを見ていた。
俺は魔物の体を蹴って急いで仰け反り、何とか剣を抜き取った。ピンと張り切った蔓が俺のいた場所を刺すように通る。勢い余ったのかそのまま地面に突き刺さり穴を作っている。あの蔓も割と硬質なものなのだろう。
いや形態変化だったようだ。槍のように鋭い蔓はすぐにウネウネと気持ち悪く蠢いている。どちらにせよ剣で切るのは踏ん張らないとダメみたいだ。
「失敗しているではないか」と後ろの茂みから聞こえたのはどうしてやろうか。こいつを切るついでにあの顔にも一筋切り込みを入れてやりたい。
そんな余裕はないと、魔物がこちらを振り向く。ついでにリヨンとも目が合う。抗議したいという不満そうな顔だった。分かるぞ、速く助けてほしいよな、待ってろすぐ解放してやるからな!
先ほどと同じように俺と魔物は視線を交わす。しかし今度は二つの顔両方ともが俺を見ている。そんなに見つめられると流石に緊張してしまうけど、さっきみたいに動けないわけじゃない。
切り込みを入れた足は後ろを向いてしまっている。どうにかして切り落としてやりたい。が、それには速くて刺してくる蔓を潜り抜けて一発で切らなきゃいけない。
ウヨウヨする蔓は5本。リヨンを拘束している蔓を足すと6本だがあれが攻めてくることはないだろう。リヨンを離してくれるのならありがたいが。
「なあ、魔法は使えるか?使えるのならドカンとやってくれ。俺は後ろの左足を狙う。お前は蔓、もしくは顔を狙え」
「要求が多い!」と小声で聞こえた。可能なのだろう、今は信用しておこう。
五本の蔓を避ける、さあ実践だ。
俺は踏み込み、一気に駆け出した。
初手から2本がこちら目掛けて伸びてくる。いや刺してくる。俺はそれをギリギリで避け前進。すぐさま3本目が正面から迫る。剣を下から張り上げて軌道を逸らす。
蔓は軌道をずれてはくれたが、まだ少し顔に近かった。右側に重心を寄せつつ首を右に折る。頬を掠めたが何とか避けた。
魔物との距離は目前だった。しかし4本目と5本目はまだ残っている。何処から?
ボコッと地面が小さく盛り上がる。二ヶ所同時に。
「やば」と思った時背中に衝撃が走る。痛みと驚きに襲われたが、蔓の突き刺しには襲われなかった。
空中で爆発が起きたのか吹っ飛ばされる形で前進した。魔物をスレスレで右に避ける。
追い風のような足取りになり、速度が上がる。
急ブレーキをかけつつ、剣を右から大ぶりで横に振る。
遠心力は速度になり、身体がグルンと回る。俺は狙いが外れないように願った。
ガキンッと硬い音が鳴ったが、その後すぐにパキャンという音が鳴った。魔物の足が砕け折れた音だった。
俺を最初に見ていた方の顔が鳴き叫んだ。
「ギュオオオオオオ…」
切れた!と喜ぶ俺は遠心力が抜けきらず、回りながら転んだ。
「うわぁぁぁああ」
世界が上下逆さまになった。星が回っている。背中に硬いもの…立派に育った大木が止めてくれたみたいだ。
頭と腰が痛い。人間、玉のように転がってはいけないのだな。マジで体痛める。
ようやく足一本を切った。今の流れを後何回繰り返すのだろう。
魔物は鳴かなかった方の首を、俺がいるのとは間反対の方に向けている。先ほどの手助けがバレたようで、警戒している。
それにしてもさっきのは手助けというより半分攻撃だったようにも思えてきた。腰が痛い原因、あれじゃないのか?
堂々と姿を現したレグルスに文句を言うことにした。
「おい、さっきのやつ。あれはなんだ?」
「爆発さ。空気中に集めた二つの魔力をぶつける魔法。勉強不足かな?」
「危ないもん人に向けんなって教わってないのか。常識がなってないな騎士様よ」
「ドカンという響きから、御所望かと思ったのだが…お気に召さなかったかい?」
「後でぶっ飛ばす」
「やってみろ」
鳴き叫んていた魔物の首が静かになり、ゆらゆらと先の方を浮かせていた蔓が体に集約していった。
敵と認識され、臨戦態勢になったということだろう。負傷した足の代替として蔓が2本、とぐろを撒くように絡まり体を支えた。
威圧感は増しているが、逆に攻撃してくる蔓が2本も減った。避けやすくなったと考えるのは早計だった。
3本の蔓はそれぞれ形状を変えた。
見て右側の蔓は玉のように丸く絡まった先端をしていて大きい鈍器のような見た目。
真ん中のは先が細くなっていて魔物の頭上に浮いている。ウヨウヨさせてはいないが、また刺してくるのかは分からない。
左側のは鎌なのかと思ったが、途中からダランと地面に垂れ落ちていて力が抜けているだけのようにも見える。謎ではあるが、用心しておいた方がいいような気がする。
魔物は右の蔓を振り上げた。レグルスを狙い降ろされる。
ドンと地面が爆ぜた。レグルスのいた場所にクレーターが出来ている。
「剣では防げないな…」
レグルスは逃げ足が速かった。振り上げた瞬間に動いていたのだ。それでも眼前が凹む結果になったのだから、やはり魔物は俊敏だった。俺はあれを避けれるだろうか。
レグルスを再び槌が狙い始める。それを見ている俺の隙をついて、細い蔓が迫ってきていた。俺は剣でそれを弾こうとする。
蔓の先がグワッと開いた。口のように開いた蔓は剣を噛むようにして掴んだ。唖然として固まっている俺の左足に衝撃が襲い、大木の元まで吹っ飛ばされた。
「ぐあっ!」
「何!?」
「ぅぅ!!」
吐きそうなくらいの痛みに悶え、俺は左足を見た。折れている。傷の状態と痛みから理解した。それがかえって痛みを増加させる。
何が起きたのか、それは魔物の方を見ると分かった。
左の蔓、あれは鎌なんかじゃなく鞭だった。俺の左足を襲ったのは、音速で振られた鞭攻撃だった。
まるで仕返しじゃないか。わざわざ傷をつけた相手に同じ箇所を攻撃してくるなんて。
「…おいおい…知恵働かせてんじゃ……ねえぞこの野郎」
「大丈夫か。まともに立てていないが」
「ぅぅ!!」
「グギュギュアア」
魔物は笑っているように鳴いた。もしあれが言葉なのなら、意味は「ざまあみろ」辺りかな。
魔物の頭上のカパカパ開閉する蔓が煽ってくる。あの蔓が剣を掴んで意識を晒してきたのだ。レグルスを逃した槌、最初から俺を狙った一連の動きだったというわけだ。
はは、と乾いた笑いが出る。
蔓から視線をずらすと、一緒に飛ばされた『レリック』とレグルスが呼んでいた短剣が地面に刺さっている。手を伸ばしても届かない距離にあった。
短剣の場所まで這い寄っていくのはぶっちゃけキツい。魔物もそんな隙を見逃すはずがないだろう。
俺を狙う執念にも近い行動は、次の一手を容易に想像させる。槌か口か、はたまた鞭が俺の折れた左足を潰し、千切り、砕く。想像するだけで嫌な気分になる。
魔物がにじり寄ってくる。魔物の首の後ろが光り輝く。
俺は笑顔でそれに答えた。
〜 古い約束
父は兄に二つの約束をさせた。
一つは、妹を守る勤めをやめないこと。
「この先何があっても妹が助けを呼んだ時、必ず駆けつけてやれ。そして全力で助けてやるんだ」と。
「遅かった。全力を出しても間に合わなかった」と心がぼやく。
二つ目は、自らが強くなり、妹を泣かせないこと。
「弱いままでは妹の涙は防げない。家族を心配させ泣かせてしまっては意味がない。お前が強い姿でいてくれれば、涙なんか出ない」と。
「泣かせてばかりだった。心配させない日はなかったのかもしれない。弱いままだから、涙を止めることができない」と情けなさが溢れた。
幼い頃の父の姿、母の姿が瞼の裏に浮かび、二人はこう言っていた。
「「頑張れ」」と。
「でも、リヨンとの約束は決して破らない」
リヨンのためにこの体は動く。リヨンを安心させるために俺はここにいる。何があってもリヨンを守ることから逃げない。
振り上げられた槌は俺の凭れている大木を叩き、頭部の蔓が砕け散った。
〜9 過剰
大木が折れることなく、蔓の方が粉砕された。
俺は落ちてきた折れた蔓を一本掴む。シワシワに枯れて変に曲がっているが杖代わりにはギリギリなった。短剣の元に向かう。
カパカパうるさいくらいに開閉する蔓が迫ってくる。魔物は焦っているのか、俺に照準が定まり切れておらず、杖代わりの枯れ蔓を掻っ攫っていくだけの結果となる。
まあそれで転んだし痛みが生じたので狙い通りだったんじゃと八つ当たりしたくもなるが、そうでないことは分かる。
もう口の蔓は開閉できなくなっている。掴んだ蔓を噛んだまま離せない。カスカスに固まってしまったのだから。
魔物が唸るように最後の一本を使う。
鞭は変に力を入れていない分、素直に遠心力に従い俺の元へ迫ってきた。あれでも当たると痛そうだ。
俺は近くにあった短剣を手にして、長さを変える。長剣に変わった剣で鞭を絡めとる。上手くいった。この剣は長さを変えても短剣の時と重さが変わらない。腕がつる心配もない。
鞭から流れてくる光が、足の痛みを和らげていく。折れた足の向きを直しただけで、元の状態と遜色ないように見えてきた。鞭が枯れ始めてきたので剣を降り、ちぎり取る。
左足に力を入れ立ち上がる。
レグルスが驚いたように声をかけてくる。
「立てるのか?骨折だと見ていたんだが」
「リヨンのおかげでな。ありがとなぁ!もういいぞぉ!」
「……」
リヨンは俺の声が聞こえておらず、未だに光を放出し続けている。魔物の後ろの光の正体だった。
魔物の体がどんどん鈍くなる。自分の状態に戸惑い、嘶く左首。今まで落ち着いていた右首は自信が包まれている光の噴出先を探した。それがリヨンと分かり、絡ませていた蔓を解き、手首だけを掴む状態に変えた。口につけられていた蔓も外され、ようやく状況の変化にリヨンが気づいた。
「ぷはっ!…兄様!!」
俺は勢いよく駆け出す。左足にまだ痛みが走るが、無視する。突貫工事で最悪また折れる可能性もあるなんてこと、頭にはなかった。
リヨンは自身の心配よりも、俺の名前を呼ぶのだ。どれだけ俺に甘いのか分かったものじゃない。
俺は左足を踏み込み飛んだ。
リヨンの腕を掴む蔓を横一線で斬り払う。近くにあった左首にも刃先が刺さったようで魔物の首が叫んだ。
「ギギュアアアアアアア!!!」
「きゃああ!!」
それがかえって悪かったのか、魔物の首は切れ込みから折れてしまいブチッとちぎれ落ちた。
両手を縛られたリヨンが落ちる感覚に悲鳴を上げていた。俺は剣を元の短剣に戻しつつ。両腕でリヨンを抱えた。お姫様抱っこの形だった。今の俺かっこよくないか?
「いでぇっ」
着地した時、左足が悲鳴を上げた。背筋を走る強烈な痺れも伴い、目尻に涙が浮かぶ。最後がダサかった…。
リヨンはそんな俺の状況を知らずに、俺の胸に顔を埋め涙声で呼んだ。
「兄様、兄様ぁ!!」
「助けるの遅くなってごめんな、リヨン」
「よかったぁぁ」
俺はリヨンの腕に巻きつく蔓を探検で切ってやるとその両腕が首に回ってきた。ガシッとリヨンにホールドされてしまう。
「おにいちゃぁぁん!!」
「よしよし、怖かったな」
頭を撫でてやり、ゆっくりと歩き出す。グスグスと泣いているリヨンはまるで赤ん坊みたいだった。いつもは気丈なリヨンが幼く見えて、愛おしい。俺もギュッと抱く腕に力を入れ気合を入れ直す。足のことなんか忘れた……が痛いもんは痛い。
「リヨンごめん……歩けたりする?」
「いやいやぁ!このままがいい!!」
「そっか〜。どうしよう…」
「おい!!」
レグルスが注意するように俺たちを見ている。なんだ、邪魔すんじゃねぇよ。兄妹の感動シーンだろがよ今。
「まだ終わっていないぞ!!」
「あ?」
俺が振り返ると首の折れた満身創痍の魔物が……残った首と目があった。身体は枯れ木のようにボロボロで、折れた足を支える蔓も無くなり、他の足もそれぞれ折れたり曲がったりしている。もう動ける体ではないのだ。
それなのに、あの魔物はまだ俺たちを狙っていた。
いや、俺だけを狙っているように見える。あれは敵討ちをする時の眼だ。どこかで見たことがある。どこだったかは思い出せないが。
まだ、終わらせるつもりはない眼だった。
俺はリヨンを降ろした。リヨンは駄々をこねていたが俺が真剣な目をしていることに気づき素直に従った。偉いぞと褒めてやりたかったが、俺はレグルスに声をかける。
「レグルス、今から全力でリヨンをここから離れさせろ」
「分かった」
「え、ちょっと待って!兄様!!離して!」
レグルスもこの状況の異変さに気づいたらしい。リヨンを抱えて走り出した。
「兄様ぁぁ!!!」
「ごめんリヨン。絶対に守るから」
俺の声がリヨンに届いたかは分からないけど、意志だけは伝わっているはずだ。俺は短剣を両手で握り、長剣へと姿を変える。魔物を正面に向き、相対す。
魔物のボロボロの体が崩れた。
それは一瞬で全身に伝わり、こぼれ落ちた。
人と同じ形をした魔物が俺を強く睨んでいた。
〜10 敗北
まるで俺の姿を模したようなふざけた姿で、魔物は剣を持っていた。何のことはない木剣だ。自身の体から作ったのだろう。形は当然俺の持っている剣がモデルだった。ただ装飾なんてあってないようなもので、蔓が巻き付いているだけにしか見えない。煽られているのか?
魔物はその形の悪い木剣をただ横に振った。さっきの俺の真似だった。どこまで人を煽れば…。
「え?」
『レリック』が半ばから切られた。折れても砕けてもおらず、綺麗に切られていた。
ニッと魔物が笑った気がした。
魔物の眼はリヨンを見ていた。もう標的を追いかける作業しか残っていない。敵は居なくなったと眼が語っていた。
ふざけろ。リヨンの元にちかづけ、させ…る……わ……け…………………………
「MOU OWARI?」
低くて冷たく、なぜか幼さを感じる声が、誰かが喋った。
俺はもう喋れないから、誰か分からないけど、お前のことは、心の底から、嫌いだ。
ころしてやる。
真っ赤に染まった世界が消えてなくなった。
〜11 あかく染まる
兄様が切られた。私はそばに居たいのに、離れたくなんてないのに、距離はゆっくりと遠ざかっていく。
赤い、紅い、赫い、兄様が染まっていく。
「いやぁああああああ」
兄様が倒れ伏した時、何かが割れる音がした。
それから私の意識は掻き消えた。
〜12 目醒め
突然だった。リヨンさんの抵抗がなくなり、腕の中で静かに眠るように動かなくなったのだ。
驚いたが、逃げやすくなったと考えた私は気が抜けていた。
うっかり後方確認してしまった。
あの恐ろしい魔物をまた視界に入れてしまった。と同時に惨状も見てしまう。
リヨンさんの兄、スタント・ハイディングがバラバラに四散していた。真っ赤な血を撒き散らして。あの魔物の残虐性に足が震えそうになった。
私はすぐに視線を戻そうとしたのだが、違和感が頭によぎった。スタントの血が、宙に浮いて見える。
その凝視が恐怖を再燃させた。
魔物がこちらを見ていた。
不意にバランスを崩した私はなんとかリヨンさんを傷つけないように注意し受身を取った。そして後悔する。走る足を止めてしまったのだ。
距離はある。また走り出せば逃げ切れる。そんな希望は目の前の魔物を見て消え失せた。
魔物が見てくれの悪い木剣を見せつける。しかし木剣ではなく腕を伸ばした。標的はリヨンさんだった。
私はこの至近距離で魔力を練った。爆発なら、時間稼ぎが出来るやもと。そんなはずが無いと恐怖が言った。
あの男の最後に感化されたのかもしれない。騎士としての誇りを取り戻せた気がした。
爆発はしなかった。集めた魔力が吸われたのだ。何処に?
目の前に立つリヨンさんらしかった。
リヨンさんがいつの間にか目を覚ましていた。良かったと安堵したのも束の間、魔物の方にも変化があった。リヨンさんに伸ばしていた腕が、肘先からなくなっていた。まるで切り落とされたような断面が見えている。
どうやらリヨンさんが風魔法を行使していたようだ。その鋭い切れ味に私は驚いたが、魔物は痛みを感じないのか即座に距離をとり、リヨンさんを観察した。
その隙を私は神に感謝した。リヨンさんを逃がす機会を与えられたのだ。私はリヨンさんの背中に早口で声をかける。
「リヨンさん、私が貴方を運びます。私が走り出すのと同時にその風魔法を奴にぶつけてくれませんか!怯んだ隙に距離を稼ぎます」
「……やがって…」
「え?なんです!?」
リヨンさんがボソッと低い声で何かを言った。聞き取れず、聞き返してしまったがすぐにそんな余裕はないことに気づく。無理矢理にでも担ぐしかない。
しかし私が担ぐよりも前に、リヨンさんは今度は大きな声で魔物に向かってこう言った。
「リヨンに傷付けやがった、テメェは殺す!!」
口調も表情も、あの優しいリヨンさんとはかけ離れたものだった。その低い声が私の違和感を呼び起こす。
リヨンさんの左目が真っ赤な緋眼になっていた。
それからは一瞬の決着だった。あの恐ろしい魔物が抵抗虚しく壊されていくのを私はその両目でただ見ていた。
それをやっているのがあの優しいリヨンさんで、魔法を争いに使わないはずの少女で…。
魔物は首だけになっていた。
〜13 血染めの魔女
魔物の返り血に染まった魔女は、その首を上空に投げた。
その首が空中で停滞する瞬間、空に突き出していた掌をぎゅっと握る。
弾けるようにして首は四散した。
血の雨が降り注ぐ。
魔女はそれを浴びた後、意識が切れたように倒れた。
〜14 眠り
私はその光景に息を呑んだ。鬼神の如きリヨンさんの活躍には賞賛しかないのだが、問題はその後のことである。
倒れ伏したリヨンさんに駆け寄ると、なんとそこには2人倒れていたのだ。
寝息を立てるリヨンさんの隣に裸のあの男、スタント・ハイディングが眠りこけていた。
私は目を疑った。この男は確かにあの魔物に殺されていてこんな所に転がっているはずがないと。
それにおかしいのが、裸の身体には何処にも傷らしいものが見当たらない。男の肌にしては妙に魅惑的で、美しいと勘違いしてしまうほどの滑らかさだった。
私はとりあえず上着を掛けてやり、リヨンさんの方を確認した。
頬に浅い切り傷があるが既に血は止まっていた。他に傷らしいものは見当たらない。あの激しい戦いの中、衣服も身体も傷つかなかったのが驚きだった。
この頬の傷は私が逃げるのに手こずった証ということだろうか、ならば不甲斐ない。
リヨンさんの秘められていた戦闘力。私には手に負えない、いや恐らく中級騎士・魔法士殆どが敵わないだろう魔物に、手も足を出させない圧倒的な戦いぶりだった。上級、いやそれ以上かもしれない相手をたった一人で。
15歳という若さでこれなら、訓練を積めば更に……。
いや彼女の人生にそんな必要はないのだ。平穏な町で私と一緒に幸せに過ごし、やがて子を成す。戦いなど不要な人生、それが私の、彼女と作りたい未来なのだから。
人類が魔物に対抗する力を身につけても、魔物討伐の目処は未だ成せていない。本来、複数人で狩るのがセオリーなのだ。それを彼女が一人で倒せるからと利用するのは人道に反する。騎士道としていかがなものかと。
このことは私の中だけで完結させていた方が彼女の為だろうな。結婚に影響が起きたら溜まったものではない。
「ん……」
リヨンさんが目覚めそうだ。こんな場所でなんだが、今後のことも考え相談していた方がいいだろう。
2人の未来の相談だ。
〜15 裸の赤子
「きて……いちゃ……」
ああ、リヨンの声だ。前にもこんなことあったな。また怪我したのか俺。心配させないって約束なのになぁ。
「おにいちゃ……」
泣いてるのかなぁ。声が震えてる。ああ、不甲斐ねぇ。
妹に頼ってばっかだなぁ。こんなんじゃリヨンは俺のこと頼れねぇよなぁ。すぐに倒れてしまう兄ちゃん、見放されないのが不思議だ。
「お兄ちゃん!!起きてよぉ!!」
約束が俺たちを繋ぎ続けてくれる。俺たちは二人で一つ。
「起きてぇ!!」
「起きろ、兄さん」
ちょっと待てぇぇぇ!!!俺のことを兄と呼んでいいのはこの世に一人だけだぁ!!誰だ呼んでるクソ野郎は!!」
二人が俺を固まって見ている。リヨンの後ろに男が立っていた。ムカムカと腹が立ってくる。
「テメェ、リヨンから離れろ!!」
ガバッとリヨンを抱き寄せる。リヨンは硬直したままで、クソ野郎が苦い顔をしていた。
ちょっと目を離した隙にうちの可愛い妹が何されるか分からん、兄として守らなければ。
「お兄ちゃん、温かい…」
「ん?そりゃあ、生きてるからな。…ぶしっ」
くしゃみが出た。少し間抜けっぽくて恥ずかしいと俯いた時、裸なことに気づいた。え?なんで?全裸やん?
「え!?何で裸!?」
「寝る時は裸なんですかお兄様?」
嫌みたらしく言うクソ野郎。ぶん殴りたい。でもそれより少し寒い。見れば申し訳程度に掛けられた男物の上着。今すぐ捨ててやりたかったが、リヨンの前で醜態を晒したままは……1人悶えていると、隣からぎゅっと抱きしめられた。
「生きてた…生きてた……よかったぁぁあ」
「リヨン!汚い服だから!今は少し離れて!」
「汚くないわ、上物だぞ!」
それからリヨンが泣き止むまで、俺はリヨンの頭を撫で続けた。
〜♪ 生産工場
「ひゃー、一瞬だ。アレでも上級魔獣なんだけどなー」
魔物出現地から遥か遠くの街、ティアベルの宿の一室で男は笑みを浮かべて、映像魔法を眺めていた。
映像には戦いが終わった後の3人が映っている。一瞬で魔物を倒した女、女を逃がそうとした男、魔物…否、魔獣に殺されたはずの男。
女の魔法は言うまでもなく強力なものだったが、異質なのがあの裸の男。女が蘇生魔法を使ったのだろうが、女が倒れた時そんなそぶりは見えなかった。突然現れたというか…。
「なんにせよ、欲しいなーあの娘。早く殺して、ボクの物にしたいなー」
「おい、あの娘は品だぞ。お前の物になるものか」
部屋の奥から、声質の歪んだ性別不明の覆面マスクをつけた人物が注意する。男はそれを睨みつける。
「へー」
「なんだ?」
2人して睨み合うが、男の方が折れて発言を訂正した。
「わかってるよー。でもあれ見たら誰でも思うでしょー?君も」
「ふん」
鼻で笑ったように見えたが、否定も肯定もしていない。その反応を見た男はまたにやけ面になり、映像に向き直る。
映像内の3人が自分達に見られていることに気づきはしない、男はそう思っていた。
一瞬、映像魔法が歪む。そしてそのまま映らなくなった。
「妨害…か?」
「あちゃー見てるのバレてたんだ」
男の言葉に覆面は納得した。しかし、同時に気づいたことも確認する。
「あの3人ではないな?」
「うん。他のやつだねー」
「第三者か。同業者…まさかな」
奴らの敵か味方は知らないが我々の存在に気付いたものがいて、恐らく今後の邪魔になるだろう。そう思った覆面は男に確認を取った。
「あの町、消すか?」
「今更遅いよー、警戒する前にやらなきゃ骨が折れるでしょー」
「出来なくはないだろう」
覆面の言葉に男はすぐに反応しなかった。考えているのか虚空を見つめていた後、ニヒルに笑ってから「大丈夫」と言った。
「少し時間がいるけどーいい方法思いついた」
「直にオークションは始まる。それまでになんとかしろ」
「はいはーい」
「…気の抜けた奴め」
覆面が掻き消えるように部屋を出ていった。
男は映らない映像魔法に魔力を注ぎ切り替えた。そこには工場の様子が映し出された。
「あ!産まれてる!可愛いなぁ」
男が可愛いと言ったもの。映像に映るのは産まれたばかりの魔獣だった。醜く蠢く赤子は他と比べるとまだマシだった。夥しい数の魔獣がさらに数を増やすために管理された工場。そこは魔物と魔獣の生産工場だった。
男は愛おしそうに映像に釘付けだった。
「キミはあの子より強いかなぁ」
魔獣の赤子が口を開き、命を啜る。男にはそれが母の乳を吸う赤子同様に見えている。まさに狂気の世界だった。
男は下腹部を興奮させたまま、静かにその映像を眺めていた。
〜15.5 裏の顔の裏
二人は庭の後片付けをしていた。
「あの子たちは大丈夫そうだよ、フレア」
「そう。スタントも?」
「ああ、元に戻っている」
「良かった」
「本当に彼は不思議だね。一時的にリヨンの体内に戻った、自身の行動を記憶していない。それなのにリヨンの魔力をコントロールし、極限を引き出せている。本当に彼らの力は凄まじいね」
「リヨンの兄ですもの。当然でしょう」
フレアは魔物の残骸を焼き払った。黒い灰は塵となり空に消えた。これは弔いでもある。産まれてしまった命への。
セルシウスが注意っぽくフレアを叱る。
「フレアはスタントを信頼しすぎている。今回だって彼が目覚めるまで本当に危険だったのに、最後まで手を出さなかった。少し厳しすぎると思うが」
「リヨンはスタントがいれば安全ですし、スタント自身はリヨンが安全であれば問題ない。つまり心配無用なんです。私たちはスタント達に及ぶ危険の痕跡を追跡、排除しておけばあの子達は平穏に暮らせます。それのどこが厳しいと?」
「うーん、あの子変わっている所は君の影響なのかな…」
「私たちの子どもですよ。貴方も影響しています」
魔物達の残骸は空に消え、所々傷ついた家だけが残る。
二人はその家を眺めた。
「…そうだね。それで、レグルス君は信用できるのかな。リヨンの力に驚いているようには見えたけど」
「まだ分かりません。伝えられていない、もしくは記憶の封印など考えられる懸念点はありますし。今回の魔物と無関係かどうか…向こうのご両親は信用したくないですし」
「彼個人の、だよ。僕は好青年に見えた」
今回の騒動での怪我人はあらかた治療を終えていた。その人物達の中に二人、関係者が紛れていた。町の住民に扮した人物たち。彼らは雇われ人だった。
話を聞けば数年前から金をもらって低・中級魔物をこの日に解放することが計画だったらしい。それ以外は聞かされていないと彼らは怯えて言った。
「素質は…悪くはない…でしょうか。でもスタントを置いて逃げていますし、力量不足の点は懸念点でしょう?リヨンに助けられていたではないですか」
「あの魔物は僕一人でもそれなりに手こずりそうな相手だよ。君基準で話すと、大半が未熟だよ」
「世の平和に疑問ですわね」
「平和ボケって言いたいのかい?否定しずらいが、今回の魔物も異常だよ。明らかにリヨン達を標的にしていた。それにこの鳥。完全に造られている」
そして人物だけでなく、動物にも仕掛けがあった。烏に扮した使い魔。精巧に造られている。
二人は苦い記憶を思い出す。
長期的計画が透けて見え、敵組織が巨大なものという確信がつき、この事件は小手先でしかないとセルシウスは睨む。
「まさか、プランターが残っていると?」
「新たな、かもしれないね。何にせよ、リヨン達はまた狙われるだろう。それを防ぐ…」
「私の子どもを***どもが狙う?粉々に壊れても終わらない恐怖の底に叩き落としてやるわ***どもが!!」
「落ち着いてフレア、スタントより口が悪くなってる…」
「いいえ冷静ですわ私この上なく冷静ですのよ」
「……せっかくの証拠を灰にする前に、冷静になってほしかったな」
烏は空に散り散りになって消えた。
悪びれないフレアは、熱気を背に言う。
「つい。でもしらみつぶしに探すことになるでしょうから一緒でしょ、違う?」
「圧…」
落ち着いて見えるセルシウスも内心は違っていた。
「約束は守れなかったか……」
新たに生まれた息子を見て、寂しそうにそう呟いた。
〜16 笑顔
「離れろ」
「何故だ」
睨み合う男たち。リヨンはその片方に魔法を行使する。
「治癒」
「ああ、そんな奴にリヨンの魔法は勿体ない…」
「ありがとうリヨンさん。昨日よりも体が軽いくらいだ」
「浅い傷でよかったです。自然治癒の方が安定しますけどね」
「そうだそうだ!お前なんかに必要ない!」
「うるさいぞ。何で君は私に突っかかるんだ。覚えてないんだろ」
俺はこの男のことをまるで知らない。起きた時、リヨンの近くにいた騎士の端くれらしいが、あまりに距離が近かったので警戒している。服を無理やり着せられ、腰巻がスースーするのだが裸よりはマシだと無理やり己を納得させている。
森の中、裸で眠る、隣には、愛する妹、狙う悪漢…
何故裸なのか分からんし、知らん男もいるしで俺は不機嫌だ。リヨンに癒されたいのにこの男が邪魔をする。この怒りは正当なものだ。
レグルスとか言う名前を気に入らんし、こいつの全てが気に食わない。俺はリヨンに危機感を持ってもらおうと先の状況を主観的に感じたことを教える。
「お前なんか知らん。だがなぁ、お前がリヨンに襲い掛かろうとしていたことは知っている!俺があとちょっと遅かったら危なかったんだぞリヨン」
「そうなんですか?」
リヨンは首を傾げてレグルスを見た。素直な目で見られたレグルスは慌てたように繕って、怒りの目を俺に向けた。
「そんな訳ないですよ。君、嘘をつくのはやめてくれないか?」
「ああ嫌だ無理に笑顔作って。お前その笑い方やめた方がいいぞ。気持ち悪い」
「…そこに直れ。その口、生涯笑ったままにしてくれる」
「やってみろやぁ!てめぇは笑えないくらいの凸凹顔にしてやらぁ!」
レグルスが立ちあがろうとして、失敗し転んだ。それを見た俺は大笑いした。
「ぐっ…」
「アハハハハ!やーい転んでやんの!騎士様〜躓いたんですか〜?何もない場所なんですけど」
「…立ちくらみだ」
「何でだよ。貧血か?」
「兄様、レグルス様が今回魔物の討伐をされたのです。その最中で怪我を負われているんです。もう少し気遣ってあげてください」
「擦り傷で済んだのに、貧血って軟じゃん」
「ぐっ…腹立たしいことこの上ないな…」
転んだまま起き上がらないレグルスはそのまま苦い顔をした。無様この上ない。
「さーて、こんな奴はほっといて俺たちは家に帰ろうかリヨン」
「あ、兄様」
「帰…………」バタンッ。
リヨンの手を握った瞬間、俺は横倒しに倒れた。膝をつくこともなく、手をつくこともなかったので、衝撃が頭にも来た。すっごく痛い。でもそれ以上にだるい。
あれこれ何でか知ってる。前にも経験した気がする。
「に、兄様!大丈夫ですか」
「だ、大丈…びぃ〜ふにゃぁぁ」
リヨンが起こそうとして俺に触れた時分かった。リヨンが光ってる。紛れもない魔法行使の光だった。色は翠。優しく暖かな恵みの光。リヨンは気づいていない。漏れ出る光は触れたものを癒していく。
しかし、過剰な光は乾涸びさせてしまうこともある。
「レグルス様、どうしましょう兄様が」
「り、リヨンさん私に触れないでく、ださびぃぃぃ」
それから間もなく二人の男は気絶した。奇妙なことにこの時二人は全く同じ顔をしていたのだ。
快楽に溺れ、緩みきった笑顔に。
ー終ー
〜0≒ 始まりの日
バース歴864年、2月5日。
赤子が生まれる日、出産は難航していた。
激しい出血。母親の体力は限界に近く、胎児の容体も芳しくなかった。医師も助産婦も手は尽くしていたが、父親に告げられたのは残酷な可能性だった。
どちらか、あるいは両方の危険があると。
父、セルシウスは愛する妻の手を握る。力強く握り返され、この人の何処が危険だというのだ、きっと産まれてくる子もこの人並みに強いはずだと信じた。
そして運命の瞬間。母親が雄叫びのように唸り、どろりと大きなものが産まれ落ちようとして、慌てて助産婦が抱えた。
それを見た医師も助産婦も固まった。赤子だと思い抱えたものはなんと血の塊だったのだ。
胎児はダメだったのだと医師は思った。お気の毒だと助産婦は諦めた。
掠れた声が強く叫ぶ。
「……あか、ちゃんは……?」
母、フレアの声だった。産まれたばかりの赤ん坊を探しているのだろう。医師も助産婦も言葉に詰まっている中、セルシウスが答えた。
「産まれたよ。立派な子どもたちだ」
夫の妻を慮った優しく、そして酷な嘘だと思った。医師は目を瞑り、助産婦は涙を流す。その雫が血塊に落ちた時、変化が起きた。
助産婦の腕の中で結界がどろりと溶け始め、隙間から綺麗な赤子の顔が出てくる。助産婦は驚きで涙が引っ込んだ。突然の変化に悲鳴が出る。
医師がそれに気づき、助産婦の腕を見ると上半身が顕になった赤子の存在に気づいた。
セルシウスはフレアに告げる。
「妹は君に似て、美しい子だ」
「……よか……た……」
医師と助産婦はフレアの反応に慌てた。もう体力が尽きそうなのだと分かったから。セルシウスの落ち着いた様子は不可解に感じたがそれどころではない。せめて母親だけでも助けたいと思うのが医師の甘さだった。
セルシウスが助産婦に声をかける。
「赤ん坊たちをフレアの腕に」
「え……はい!」
まだ若い助産婦は素直に従った。最後は母親の腕の中がいいとも思ったから。赤ん坊はすべすべの足先まで見えていて、溶けた血塊は赤ん坊の胸の上だけに残っていた。まるで大事そうに抱えている。動くはずはないのだが。
息が弱々しい母親を動かすのは忍びないが、助産婦は赤ん坊を腕に抱かせてやった。
気づいた母親がその存在に目を向ける。涙をこぼし、赤子を抱き寄せた。
「ありが……とう……」
赤子に変化が起きた。身体から光が生まれ、母親を包み込んだ。医師は光の色に見覚えがあった。それは医師が欲してやまない神の力だった。
母親の息が落ち着いていく。顔色も優れていく。光の色が消えた時、母親の容体は危険域を抜けていた。
医師も助産婦もまた声が出せなくなった。赤ん坊を包む光が消えた時、残っていた血塊が蠢き出したからだ。ブクブク膨れ、凹んだり伸びたり、徐々にある形に変わっていく。
血の色が変わった。赤から肌色へ。大きさは赤子と同じで。その姿は生まれた赤子と瓜二つだった。まるで双子だと騙るように。
血の赤子が顔を顰め、喉を震わした。
「ふぎ…あぎゃああ……あぎゃああ」
「うぎゅ……きゅあああ……きゅああああ」
赤子がそれに続き、同調するように産声をあげた。
母フレアが赤子たちを抱き抱える。
「ああ、元気な声。ありがとう」
「3人ともよく頑張った。ありがとう」
父セルシウスも母親の肩を抱き、赤子を眺める。
医師も助産婦も唖然としてその光景を見ていた。我が子を抱く両親の姿は本来なら祝福されるべきものなのに、この二人には、神に化かされているようにしか見えなかった。
赤子にはそれぞれ名前をつけられた。
先に声を上げた奇妙な赤ん坊は兄として「スタント」
後に声を上げた魔法を使う赤ん坊は妹の「リヨン」
兄妹を襲う運命はこの時から始まっていた。
読んでいただきありがとうございましたー!!
ファンタジー作品は世の中に沢山あり、それぞれ個性があって凄いなぁと思っていた時に、ふと「双子」が能力、或いは個性の話はどうだろかと思いついたのが始まりです。探せばありそうですが、その場合は便乗ということで。
書きたいことが多すぎて長くなったのに、まだ何かありそうな終わらせ方は狡いですね。でもとりあえずの起承転結が出来たのかなと思います。
ファンタジーって読むのが面白いと思っていましたが、書いても面白いんですね楽しかったです。
どうか作者の感覚が一部でも伝わっていますように!
お付き合い有難うございました。