カナちゃんとおばあちゃんのラジオ
毎週火曜日、昼になると、部屋のラジオがひとりでに鳴り始める。
なんとなく体調がすぐれなくて、毎日のように部屋で寝ているようになって気付いた。小さな音だったから、きっと階下にいるおかあさんは気付いていない。
時間は決まって午後1時36分。二分くらいは前後することもある。
最初は窓の外から聞こえるのかと思った。
微熱があって、学校は休んだ。ベッドの中で布団をかぶって朦朧としていると、ヒソヒソと囁くような音がした。穏やかな晴れの日だったから、少し奇妙な気がした。
よく耳を澄ますと、音は部屋の中からしているようだった。
気怠い身体を起こして部屋を見渡した。勉強机と教科書。あとは何もない。殺風景な部屋だ。友だちの家に遊びに行ったら、本棚とかゲームとか、テレビまである友だちもいてすごく驚いたのを覚えている。
音源はすぐに見つかった。
勉強机の片隅に置かれている古いラジオだ。
元の色がきっとあったのだろうけど、今は絵の具をごちゃまぜにしたみたいな黒色で、光沢の無いアンテナが虚空に伸びている。
わたしはベッドから降りてスイッチを探した。
文字も剥げていて、どれがどのスイッチかもよく分からない。
スピーカーから聞こえる雑音は気に障らないくらいだった。ザザッ、とまるで意味を成していない。目の粗い網戸みたいなスピーカーのところに耳を寄せる。機械の音だ。ザザッ、ピー、ヒソッ、ブツブツ。
分からないままでいると、フッと音が消えた。スイッチも何も押していないのに。
「ああ、あれは亡くなったおばあちゃんのものなのよ」
夕食の時、おかあさんはあっさりと教えてくれた。
「このあいだ、家を取り壊したら出てきたのよ。もしかしたら骨董品として高く売れるかもしれないでしょ」
おばあちゃんは写真でしか見たことがない。わたしが幼稚園に上がる前に死んでしまったからだ。一応、生まれた時にはまだ生きていたということでもある。
「カナ、覚えていないの?」
「覚えてないよ。だって子どもの頃のことだよ?」
「子どもって。おかあさんから見ればまだまだ子どもよ」
そうかもしれない、と思う。
自分では結構オトナだと思うけれど、わたしはまだ小学六年生だから、そう言われるのも仕方がないと思う。
「けど、すっかり大きくなったよな」
おじさんがニコニコと笑っている。
おじさん。おかあさんの弟らしい。三か月くらい前からうちに泊まっている。何の仕事をしているのか分からないけど、結構家にいるから仕事しているのかもわからない。
兄弟もいないし、おとうさんもいないから、わたしと血がつながっているのはおかあさんと、このおじさんのふたりだけってことだ。おとうさんはどうしていないのとか、おじいちゃんとかいとこの存在とか、そういった話はしたことが無かった。
だから、わたしの知らない親類の話が出てきて、すごく興味を持った。
「おばあちゃんって、どんな人だったの?」
わたしが重ねて訊くと、おかあさんは「あらあらどうしたの」と笑った。それから、おじさんと顔を見合わせた。視線を向けられたおじさんが説明するように口を開く。
「あの人は僕たち姉弟を女手一人で育ててくれた人だよ。朝から晩まで働き詰めでさ。色々な仕事をしてたし、同時期にいくつも掛け持ちで仕事をしてた。殆ど寝てなかったんじゃないのかな」
「そうなんだ」
おかあさんの昔の話を聞いたことは無かったから、わたしは自然と身を乗り出すようにしていた。微熱があることなんてすっかり忘れていた。
「だけど無理がたたったのかな。カナちゃんが生まれるころには寝たきりも同然だったよ。布団から起き上がるのもやっとって感じでさ」
「そうだったわね」
おかあさんが食後のデザートを持ってきてわたしたちの前に置いてくれる。おかあさん手作りのママレードを添えたクッキーだ。
「そういえば、おかあさんが最後に出かけたのってあの日じゃない? カナが生まれた日」
「ああ、そうかも」
おかあさんとおじさんは昔を思い出すように遠い目をした。
「カナちゃんは覚えてないだろうな。生まれてすぐ、保育器の中にいるカナちゃんを見るために、よれよれの足で病院まで来たんだよ」
「へえ」
やっぱり、そんなの記憶になかった。
「頭はわりかししゃんとしてたから、色々な言葉で喜んでたかな」
「そうだったかしら」
「そうだったよ」
「あたしは、おかあさんが死んだときのことしか覚えてないわ。夏の昼の、一番暑い時間だったわよね」
「そうだった。三人で流しそうめんをした日と似てたのを覚えているよ」
「ああ、あったわね~。いつ頃だったっけ」
「確か──」
ふたりはおばあちゃんのことを思い出して懐かしんでいるようだった。
わたしはデザートを食べ終えると、自分の部屋に戻った。一直線にベッドに潜りこむ。ふたりの邪魔な気がしたし、熱も上がった気がしたからだ。
それからも毎週のように、ラジオは勝手に鳴り始めた。まだまだ体調が良くないから毎週気付くことができた。正直、学校に行かないことにも慣れはじめていた。
プラグをコンセントに差してはいなかったし、電池も入っていない。点くはずの無い機械の電源が勝手に入るのは、少し不気味ではあった。
少し、なのはラジオの音が小さくて気にならない程度だったこと。それから流れている時間も短かったことがある。時計を見ながら測ったら、だいたい三分くらいらしかった。
相変わらず、何を言っているかはわからなかった。
雑音。砂嵐の音というらしい。その音に隠れて、ヒソヒソ別の音が鳴っている。声みたいだった。人間の声。少し嗄れた声。ケテ、ケテ、と聞こえた時はなんだかとても怖くなって、その時だけは悲鳴を飲み込んだ。ふらふらとベッドに戻る。
「どうしたの? 随分と怯えて」
おかあさんが様子を見にやってきて、大汗をかいているわたしに目を丸くした。
手にはママレードが添えられたヨーグルトと粉薬。自称お医者さんのおじさんが処方してくれたらしい。
「ううん、なんでもない」
誤魔化すように身体の向きを変えて顔を背け、それからふと零れたように、
「病気なんでしょ? ずっとしんどいし、怖いの」
そういうことだったのね、とおかあさんは溜息を吐いた。
「……すぐに良くなるからね」
「……うん」
なんとなく、ラジオが怖いのだというのは憚られた。
おかあさんとおじさんは、おばあちゃんが無くなった時にめぼしい遺品は処分したらしいけれど、このラジオだけはその時の財産目録の中になかったらしい。最近になって出てきて扱いに困っているらしいのだ。
「本当、どうしようかしらね」
真夜中。おかあさんとおじさんがリビングで話しているのをこっそり聞いた。
「すぐに片が付くよ」
おじさんは椅子に座るおかあさんの肩に腕を回して言った。そして耳元で何かを言ったようだったけれど、その言葉は聞こえなかった。めまいがして、わたしはよろよろと部屋に戻った。
最初に気付いてから約三か月。毎週鳴っていた音は次第に大きくなっていき、砂嵐の奥の声も比例して大きくなっていった。
不気味だな、と机に手を突いて思う。息が苦しい。なんだか立っているだけでも疲れる。
そして今日、ついには意味のある音声になった。
相変わらず耳を澄ませていると、いつもどおりの声が聞こえた。どちらかと言えば女の人の声のようだった。歳老いた人の声にも聞こえた。
もしかしておばあちゃんなのかな、とぼんやり考えた。
ケテ、ゲテ……。
相変わらず意味の分からない音声だった。もう消そうとも思わなかった。勉強机の椅子にようよう腰掛ける。
ニゲテ、ニゲテ……。
「え?」
わたしは耳を疑った。
ニゲテ、にげて、逃げて?
「逃げてって?」
カナ、ニゲテ
カナ、アブナイ
「どういうことなの?」
ワタシモ、ヤラレタ
ヒソ、ヒソ──
「おばあちゃんなの?」
ニゲテ、ニゲテ。
最早、砂嵐の音よりも声の方が大きいくらいだった。
トイレに降りるフリをして、玄関に行き靴を履いた。
扉を開ける。取り付けられたベルが鳴った。
「ちょっと! カナっ!?」
おかあさんが慌てているのが分かった。
夢中になって、わたしは駆け出した。すぐに息が上がったけれど、それでも必死で走った。
「今日午後、○○市で、小学生の娘に毒を盛り殺害しようとした容疑で、娘の母親とその弟が逮捕されました。少女は一時危篤に陥りましたが、現在は落ち着きを取り戻し、市内の病院に入院中とのことです。
調べに対し容疑者は『間違いない。保険金が目当てだった』と供述しているとのことです。警察では他に余罪があると見て追及を急いでいます」
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