エピソード5 エルフのお姉さん
ルーチェさんと言うエルフの女性に助けてもらい、今ネグレストの城下町に入ることができた。
関所から城下町の入り口までワープできるなんて、さすが魔法国といったところだ。
アレクトリアもワープシステムを導入すれば便利なのに。
ネグレストは紫や青を基調とした建物が多く、落ち着いた雰囲気だ。
メインストリートを照らす街灯はランタンではなく、中にはめ込まれた石が自ら光を放っている。
規則的に並べられた石畳に光が反射している。イルミネーションみたいで綺麗だ。
「あんまりよそ見していたらはぐれちゃうわよ」
十数メートル先を歩いていたルーチェさんが振り返り、待ってくれていた。
小走りに追いつき、城下町に着いてから気になっていたことを聞いた。
「今は夜だからこんなに人が少ないんですか? 」
「もうこの時間は出歩かないお宅が多いんじゃないかしら。ネグレストはアレクトリアと比べて一人あたりの食料が少ないのよ。だから朝と昼に食べて、夜は食べずに寝るだけの状態にするのよ」
ここはメインストリートだと思うのだけれど、誰も歩いていない。家の明かりはついているけれどあまり物音もしないし静かなものだ。
確かにアレクトリアは、一日三食食べて小腹がすいたらお菓子を食べていた。
食べ物に困ったことはなかったかも。
農業はこの痩せた土地では成り立たない。かろうじてできる芋類も食べられるものはごく少量らしく、外国からの輸入任せになっているみたい。
そんなネグレストの食事情を聞きながら歩き続け、お城へと続く階段を上る。
上った先は噴水のある開けた公園になっていた。
正面にはネグレストのお城がそびえ立っていて、後ろから大きなライトをあてられていた。
「ちょうどいい時に来られたわね。見て、これがネグレスト名物、境界の月よ」
ルーチェさんはお城を指さす。
「こんなに明るいと月なんて見えないんじゃ? 」
「あら、今まさに見ているでしょう。お城の後ろの大きな月をね」
よく目を凝らしてライトの奥を見る。ぼんやりと陰影のようなものが見えているような、そうでないような。
回りを見て、と言いルーチェさんは手で大きく円を描いた。それを目で追うと、ライトと空の境目をなぞっていた。
くっきりと浮き上がるその境目に思わず目を見張った。
「まさかこれが月ですか……? 」
照明だと思っていたものは、空の三分の一を占める満月だった。
「こんなに大きな月、初めて見ました……」
改めて全体を見ると言葉を失うほど幻想的で、圧倒された。
「アレクトリアではここまで大きくは見えないものね。境界の月はその名の通り、世界の境目から昇るのよ」
「アレクトリアの高台からよく見ていましたけど、山から昇るところでした。こんなに大きく見えるなんて、昇る位置が違うのでしょうか? 」
「ネグレストとアレクトリアの間には山があるし、違うもののように見えるのも無理ないわ。境界の月はこの世界ともう一つの世界を繋げるとても重要なものなのよ」
もう一つの世界を繋げるもの……そんなこと考えたこともなかったな。
もし別の世界があるなら、差別がなく皆が幸せに過ごせる世界がいいなあ。お父さんとお母さん、アルトもレチュードも一緒に心から笑い合えるようなそんな日がきたらいいのに。
「さあ、そろそろ貴女のお父さんに会いに行きましょうか」
私たちはお城に足を進めた。
◇ ◇ ◇
門番さんに話を通してもらい、お父さんの部屋まで案内してもらった。
案内をしてくれた魔導師さんは私の2倍ほどの高さの大きな扉をノックした。
奥から聞きなれた声が返ってきた。
「どうぞお入りください」
通された部屋は必要最低限の物しか置かれておらず、スッキリとした印象だった。
「これはルーチェ様、ご機嫌麗しく……え、リズム!? どうしてここに……」
温かい声の主は私のお父さんだ。何年かぶりに会ったけれど、全く変わっていない。
なかなか家に帰ってこない。家族を愛しているか分からない人。なんて嫌なことを言っていたけれど本当は早く会いたかったし、ネグレストにいると聞いて心配していたんだ。
「お父さん……無事でよかった」
安心して涙で視界が滲む。感情に任せてお父さんの胸に飛び込む。懐かしい温かさに包まれて、熱いものがこみ上げる。
「ルーチェ様、娘を助けてくださってありがとうございます。この地で元気な娘を見られるなんて思ってもみませんでした」
「いいのよ。私はこの娘に興味を持ったから手を貸しただけよ」
ルーチェさんは私が飲み干した小瓶をひらひらと振っていた。
「感動の再会も果たしたことだし、そろそろ行くわよ」
「私、ここに残ります。まだお父さんと話したいことがあるんです」
ダメよ、とお父さんから引き剝がされる。
「あの薬の効果は良くて一日余よ。明日の夕方にはまた体調を崩す恐れがあるわ」
でもせっかくお父さんに会えたのに。
体調は良くなったから大丈夫だと伝えると、ルーチェさんは軽く息をつき額に手を当てた。
「貴女が飲んだのはこの土地に適用する一時的な薬よ。それにあまりぽんぽん飲むと人間の身体には毒なのよね」
「ああ、リズムに分けてくださったのはポーションではないのですね。それなら娘がここに来た意味も分かります」
お父さんは一人で納得しているけれど、私にはなんの事か全くわからない。
あの小瓶の中身が身体に毒ってどういうことなんだろう。
空になった小瓶を受け取り、中を覗いてみたけれど特に変わったところはない。
「あの、私がいただいたものって……」
「貴女が飲んだのは私の血よ」
血?
確かに鉄みたいな臭いはしたけれど、本当に血だったの? 人の血を飲んでしまったの?
信じられない、というか信じたくない。
悪魔と契約するときに血を飲むんじゃなかったっけ……。禁忌を犯してしまったのではないかと、サッと血の気が引いていくのがわかった。
忘れかけていた夢を思い出した。あれは正夢だったのかもしれない。
「あら顔色が悪いわよ。大丈夫よ、健康に害はないわ。でも効果が切れたら魔瘴に侵されてやがて命を落とすことになるから、動けるうちにここを出ましょうね」
「リズム、今はルーチェ様の言うことを聞いておくれ。お父さんは次もリズムに会いたいからね」
確かにここに留まって命を落としてしまったら、もう二度とお父さんにもお母さんにも会えなくなってしまう。それならルーチェさんの言うことを聞くのがいいのだろう。
「理由はどうあれ貴女も魔法使いになっちゃったんだから、アレクトリアには帰れないでしょう。ここで命の灯火が消えるのを待つか、祖国に戻って処刑されるか、私についてくるか、どれか選びなさい」
「ルーチェ様、あまり娘をいじめないでくださいな。リズム、今日のところはルーチェ様と一緒に帰りなさい。そういう”契約”だからね」
”契約”という言葉に思わず身体が震える。ルーチェさんは悪魔には見えないけれど、エルフはそれと同等の種族だっただろうか。
妖艶な笑みを浮かべて私を見下ろす彼女が、お上品な皮を被った悪魔に見えてきた。
「大丈夫よ、悪いようにはしないわ。魔法を使えるようになったのだから、もう元の生活に戻ることはできないわ。貴女にはこれから立派な魔女として生きてもらうことにしたのよ」
ルーチェさんは私の手を取り、引き寄せた。突然のことで体勢を崩してしまった私はルーチェさんの足もとで座り込んでしまった。
そんな私の頬を撫で、瞳の奥を覗き込むようにして静かに言った。
「私のイヌになりなさい」
こうして私はエルフのお姉さんのイヌになった。
梅雨が近づいてきましたね。
洗濯物が乾かないのが辛いですがテンション上げて書いていきます!
リズムの世界にも雨季が存在しています。(場面として出てくるかは不明ですが……)
アレクトリアでは農作物の成長に役立ち、ネグレストでは疫病が流行ったりするようです。他国では水を中心に生活しているところもあるようですよ。
ということで、お読みいただきありがとうございました!
また次回も読んでいただけると嬉しいです。それでは失礼致します!