エピソード2 花まつり
花まつり当日。
「今日はいっぱいお客さん来てくれるといいね」
「子供たち用に桜食パンのラスクを袋に分けてあるから、渡してあげてね」
お祭りの日はいつもよりお客さんが多いから、今日はお母さんのお手伝い。
午後の休憩時間にレチュードと花まつりに参加する予定だ。
髪をひとつにまとめてお団子にし、エプロンも付ければやる気がみなぎってくる。
釜に薪を入れ、あとは火をつけるだけの状態にしておこうと最後の薪を入れた時、持っていた薪が突然燃えた。
「あっ、つ」
思わず手を離すと釜に入れていたほかの薪にも火が燃え移り、あっという間に火の準備が整った。
でも今熱いとは言ったけれど、全然熱くなかった気がする。火傷もしていない。
「あら、もうつけてくれたの? 火をつけるの早くなったわね。助かるわ」
お母さんは温まった釜にパンを入れ始めた。
「お母さん……私今マッチとか、使ってないんだけど」
その時お母さんはひどく険しい顔をしていた。その横顔は目を見張るほど美しく、儚い表情だった。
そして、髪の隙間から見えた瞳はとても悲しげだった。
◇
日がてっぺんまで登った頃、お客さんの足も落ち着いてきたから休憩をもらった。
朝焼いたパンを一つとラスクを昼食用にもらい、リビングで食べていた。
あの釜は今は火を消し、静かに佇んでいる。
いきなり火がついたけど、自然発火するほど乾燥してないし、着火剤もまだだった。
まさかとは思うけど、魔法だった、とか。
でも魔法陣は出てなかったし、魔法なんて使えないから違うだろう。
もしも魔法が使えたとしたら大罪だ。違うと信じたい。
一人だと悪い方に考えてしまって不安になってくる。レチュードとの待ち合わせにはまだ時間がある。
「リズム今から花まつりに行かないか……と、ごめん。昼飯中だったか」
声の主は幼馴染のアルトだった。彼の落ち着いた声を聞くと安心する。
「アルト! 今日仕事じゃなかったの?」
「昼から非番になってな。一人で行くのもなんだし、一緒に行かないか?」
「せっかくだけどレチュードと約束してて……」
せっかくアルトと二人でお祭りに行けるのに……でもレチュードと行くのも楽しいし、できればレチュードとも行きたい。
「昨日の金髪の子? あの子なら菓子屋が繁盛してるから行けないかもって言ってたぞ」
スュクレ・デリはリピーターが多いから、お店を抜けられないくらい忙しいらしい。
だから今回はアルトと行くことができる。
男女が一緒にお祭りに行く。これはいわゆるデートなのでは!
そう思うとさっきまでの暗い気持ちはどこかへ行ってしまった。
気持ちのままに大きく頷き返す。
アルトは向かいの椅子に腰を下ろし、じっと私を見た。
「そのパン、新作の?」
一口ちょうだい、といった目で見ていたみたい。
パンとラスクをお皿に乗せた。
アルトは甘いものが苦手だから一口ずつ渡す。特にラスクはお砂糖がかかっているから、見た目からして甘い。
ラスクを口に入れ、数回噛んだところでアルトの口の動きが止まった。
「うん、タクトが好きそうな味だから後で買って帰ろう」
つまり甘いってことだね。
あまり会ったことがないからよく知らないけど、タクトはアルトの弟で甘いものが好きらしい。
私が昼食を食べ終わるまで待ってもらい、その後アルトはパンを取り置きしていた。
◇
「お待たせ」
「ありがとう」
アルトは近くの露店でフルーツジュースとコーヒーを買ってきてくれた。
ジュースを受け取り、広場のベンチでひと休み。アクセサリーを見てまわって、小腹が空いたら露店で買って食べたり。
気がつけば陽は傾き、街を赤く染めていた。
好きな人と一緒に育った哀愁溢れる街並みを眺める。
このシチュエーションはこの間妄想していた。妄想通りの展開だ。
「花まつり来れてよかったな」
「そう、だね」
何度か妄想で練習していたのに、緊張で上手く言葉が出てこない。
いつもならしっかり話せるのに。
アルトがいろいろ話してくれていたけど、あまり内容は覚えていない。
「そろそろ帰るか」
先に立ち上がったアルトは手を出してくれている。その手に自分の手を重ね、立ち上がる。
こういう自然とエスコートできる彼が格好よくて好きなんだ。
そんなことを考えていると、あっという間に家に着いてしまった。
せっかくだしもう少し一緒にいたいなあ。
気づくとアルトの手を握ってしまっていた。
アルトは不思議そうにこちらを見る。
「あ、えっと、今日晩御飯食べて帰らない?」
「いいのか?」
「うん! お母さんも喜ぶと思うし!」
半ば強引にアルトを中に案内し、ご飯が出来るまで待っていてもらう。
お母さんが話し相手になってくれているから大丈夫だろう。
食材を切り、炒めようとコンロに火を付けようとしたとき事件は起こった。
「わっ!」
フライパンをコンロに置いた時、急に火がついた。
今朝と同じように火が起こることはまだ何もしていないのに。
「リズム……お前まさか」
アルトは眉間に皺を寄せ、考えるような素振りをした。
そしてしばらく黙り込んだ後、アルトは真っ直ぐに私を見て言った。
「今魔法を使ったな」
その言葉に頭がついていかなかった。