6・ただし、定番だけでは躓く事もあるんだな
台形、ないしは四角の方形ハローというモノは現代でも使われている立派な砕土作業機である。
ハローにもいくつか種類がある中で、車馬鍬という選択は牛の負担軽減が目的でもある。
多少日本のモノより大型にしたとしても一頭で楽に曳ける抵抗に抑えて作業が出来る方が良いだろうと考えたからだ。
ただ、歯車だけでは本当に抵抗が少なすぎるため日本のモノ同様に爪による抵抗を前方に、後方には深さ調整と鎮圧も兼ねたカゴローラーを取り付けてみた。
重り代わりに人がハローに乗って牛を操る様にしたので人への負担はより少ない事だろう。
「しかし、あんたスゲェな、こんな道具を発明するなんて」
などと村人が言うのでべルーシでは普通の事だと言っておいた。プラウもハローもあったかもしれないが、車馬鍬は存在していなかったはずだが。
既存の畑はすぐにも、開拓地の草原はすこし置いて、ハロー掛けが行われていく。流石に開墾地を一度のハロー掛けで砕土してしまうのは難しく、何度も往復する必要があるらしい。
目の前にはこうして広い畑が出現することになった。
この姿を見ると圧巻だ。
で、またぞろ日本の話なのだが、日本は国土が狭く田んぼが小さいから云々とはよく言われるが、それは大きなことを見落とした話ではないだろうか。
確かに山地面積の多い地域が大半を占めるであろうが、そんなところばかりではない。
アメリカやオーストラリアならいざ知らず、ヨーロッパの国々の多くは日本よりも国土は狭いではないか。なのに、なぜ田畑は広いのか?
これは何も難しくない。
水田が主体の日本では、まず、土地を平らにしなければ田を開く事が出来ない。
だってそうじゃないか。水を張るには水平である必要がある。傾斜地をいくら土手で囲んでも水は低い所にしか溜まってくれない。
土木機械が無い時代、水田を作るのはクワとツルハシとモッコなわけで、大規模な水田など出来るはずもない。
しかも、平地であっても起伏があるので高い所を削って低い所を埋め立てる。ショベルやダンプやブルドーザーが無ければ、一辺50メートルだの100メートルだのという戦後の土地改良事業で生み出された大規模水田など造りようが無いじゃないか。
結局、高低差の違いだけで日本の原風景は棚田状の歪な水田の集合体になる。
たいして、畑というのは水を張らないのだから丘をそのまま耕してしまえば良い。山間地、徳島の山奥の畑など山肌をそのまま耕している訳だが、畑としては珍しくもない。
アメリカ北東部ワシントン州バルースのような丘陵がそのまま畑と化しているなど、北海道でも見ることはできるだろう。
水田であれば水の工面から考えないといけないのでそんな地形を耕作すること自体が難しいのだが。
そうしたただ耕せばどこでも畑になるのだから、面積効率は非常に良いし、水田の様な造成による投資も必要が無い。
ただ、畑にも問題が無いわけではない。そんな斜面を耕すのだから、雨が降れば泥が流れ出すのは当然のことで、土壌流出という問題が付きまとう事になる。
それに付随して、水田の様に水を止める土手が無い事で土と共に肥料や農薬まで流れ出して水質汚染という問題を引き起こす場合すらある。
日本では水田という狭さを嘆き、欧米では水田による土壌流出や水質汚染の軽減をうらやましがるという場面すら存在している。
と言っても、欧米のだだっ広い畑を均平化するなど天文学的投資が必要なのでそうそう実現可能になるとは思えないが。
閑話休題
村人たちは籾の買い付け量を考えながら畑を拡げていた。
ちなみに麦はそのまま播くだけなのだという。
確かに機械も無いので仕方が無いのだろうが、本来ならば播種機によって土中に播いて程よく押し固めたほうが生育は良くなる。
何とも矛盾したように聞こえるがそれが事実なのだ。
麦や豆を育てる場合、その種蒔きの後程よく押し固める。鎮圧を行う事で生育条件が良くなる。
筋状に植えるのも確かに機械での収穫もあるが、風が抜けることによる生育環境の向上や病気の抑制という効果もあるとの事だった。
単に効率化の為だけではない。そんな栽培指導員の話に感心した前世を思い出す。
ならば、播種機を作ってみようではないか。
播種機の構造はそんなに難しいものではない。溝を掘る前輪と土を抑える後輪を設けて後輪ないしは専用の駆動輪を用いて種もみタンクの底にある播種ローラーを駆動してやれば良いわけだ。
このローラーは播きたい種子ごとに窪みの深さや間隔を変えて製作しておけば、ローラー交換だけでいく種類もの種蒔きに利用可能だ。
すでに秋を迎えて麦播きが始まるというので播種機による麦播きは断念するしかない。政策と実験だけは行うが、実用するのは来年春に播く豆からになるだろう。