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愛憎  作者: 島下 遊姫
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最終話

最終話です

 復讐を完遂してからもう十年が経った。

 私の目の前に広がるのは十年ぶりの桜並木。そして、背後にはつい昨日まで過ごしてきた刑務所がまるで野に放たれる私を睨むかのように佇んでいる。

 わかっている。私は血塗れの獣。日の目を浴びていいような人間ではない、私にとって外の世界は酷く眩しくて、目を瞑りたくなる。

 私は今日、出所する。三人もの人を殺し、時には残虐な拷問にまで手を出したことから一生を刑務所の中、あるいは死刑囚として今後の人生を送るものかと思っていた。

 しかし、事件当時、私は未成年であったこと。復讐に手を出すまでの心情などが考慮され、私は死刑を免れ、無期懲役を言い渡された。

 無期と言っても終身刑でもないということではない。いつか出れる可能性はあった。

 でも、私は今こうして、外の世界にいる。普通に規則に従って真面目に生活しただけだったけど、そのおかげで模範囚となれ、当初の予定より早く出所することができた。


「今まで、お話になりました」


 刑務所から出る際、私はよくお世話になった女性刑務官の渡辺さんに頭を下げ、お礼の言葉を言う。


「由紀子ちゃん。もう二度とここに来ちゃ駄目だからね」


 渡辺さんは曇りのない笑顔を私に向け、ピシッとした綺麗な敬礼で送ってくれた。

 最後にもう一度、刑務所を見る。自由なんてものが一切なく、苦しいだけの刑務所もいざ出るとなんだか名残惜しい。

 そんな刑務所を後に私は歩き出す。

 ふと、前を見るとそこにはお世辞には綺麗とは言えない青いワゴン車が停めてある。車の前には田中さんが煙草を吹かせながら私を待っていた。


「出所おめでとう」


「ありがとうございます」


 私は頭を下げる。


「あなたの記事、よくも悪くも話題になったよ」


 田中さんは背負っていたレザーバックから雑誌を取り出し、私に指し出す。

 人の不幸を餌に儲けを生み出す週刊誌。その表紙には「十年前、世界的ホテルグループの主要関係者を殺した少女Aの現在」と大々的は見出しが印刷されていた。


「人の不幸で食べるご飯は美味しい?」


「それは高い店のご飯だからね。美味しいに決まっている」


 田中さんは煙草を携帯灰皿の中に捨てる。


「まぁ、約束通り、当分はあなたの面倒は見る。住む場所もちゃんと用意してあるから」


「本当に……ご迷惑をおかけして……」


「いいんだ。取材を受けてくれたお礼だ。僕の気も済んだことだ」


「気も済んだって……やっぱり」


「そうだ。あなたにはそれなりの恨みがあった。でも、終わったことだ。それにあなたは根っからの悪い人じゃないってわかっているから。これからは……あなたが救われる番だ」


「優しいですね」


「その分、酷いことをしたからな」


 私と田中さんは笑い合う。田中さんは根っからのいい人ではないけれど、かと言って悪人でもなく、人間らしい人だ。

 田中さんのおかげで私は当分生きることに困ることはなかった。

 嬉しかった。どんな経緯でもこんな私を受け入れてくれる、必要としている人がいる。

 刑務所を出たからと言って、償いが終わったわけではない。これから死ぬまで罪を背負って生きることになる。

 だからこそ、これから罪人として世の中の為に生きようと思っている。

 ボランティア活動やら慈善活動に積極的に参加して、人々の為にこの身を犠牲にする。

 それが今の私の存在意義。


「……紀子……」


「……この……声!」


 私は田中さんの車に乗って、新しい人生を歩もうとしたその時、天使の声が聞こえた。


「由紀子!」


「そ、そんなことが!」


 咄嗟に声が聞こえた方向に顔を向ける。

 そんなわけがないと否定しながらも聞き間違えるわけがない。

 この声の持ち主は。


「あ……杏奈……!?」


 思わぬ再会に私はその場で崩れ落ちる。

 見間違えるわけがない。今、私の目の前にはこの世の誰よりも愛している牧野杏奈がいた。

 十年前に比べては流石に年を重ね、少女らしさは無くなっていた。代わりに大人の色気や美しさがあり、一人の女性として成長していました。


「どうして……あなたが!?」


 私は咄嗟に田中さんに目をやる。

 何故なら、出所日を知っているのは彼女だけ。彼女以外から情報が洩れるはずがないのだから。


「何で……今日が出所日だって……あんたは知っているんだ!?」


 しかし、私の疑いは掠りもしなかった。寧ろ、田中さんがこの状況に一番驚いていた。


「調べたのよ。色々、由紀子について。どこの刑務所にいるのか。いつ出所するのか。パパの財産をふんだんに活用して……」


「そう……なの」


「由紀子……」


 その間に杏奈はゆっくりと私に近づいてくる。

 私は歩み寄ることができない。逆に後退りする。

 だって、私は杏奈の大事な人達を殺した罪人なのだから、近寄れるわけがない。


「私はあなたに何と顔向けすればいいのか……」


 私は俯き、杏奈から視線を逸らす。

 正直なことを言えば、杏奈との再会は望んでいなかった。そもそも、再会していい立場ではないのだから。

 会わずに互いに別の人生を歩む。それでよかったはずなのに。

 でも、それを許せないという感情は身に沁みてわかっている。


「大丈夫よ。だから……」


 しかし、杏奈は自ら私の元に会いに来てくれた。

 それが一体、何を意味するのか。

 杏奈の足元が視界に映る。

 私はゆっくりと顔を上げる。




「死んで」




 今まで聞いたことのない、冷たい声を聞いた瞬間、お腹に感じたことのない熱さと鋭い痛みが走る。

 痛みと衝撃で混乱する私は突き飛ばされ、仰向けに倒れる。

 そして、杏奈は馬乗りになって、赤く染まった包丁の刃先を私に向ける。

 あぁ、そうか。私は杏奈に刺されたのか。


「や、やめろ!」


 田中さんは急いで助けに入ろうと駆けだす。

 杏奈の手は止まらない。何度も突き刺し、引き抜く度に腹から血が噴き出し、杏奈の顔を真っ赤に染める。 


「皆の……仇!」


 杏奈は限界まで開いた目から涙を流しながら悲しみと憎しみが混じった表情を浮かべながら、私の腹を何度も突き刺す。

 抜くたびにお腹から血が噴き出し、杏奈の美しい顔と体を赤く染まる。


「私の心を弄んで! 家族を殺して……絶対に許さない! この人殺し! 悪魔!」


 痛みは感じない。悲しみも苦しみもなかった。

 あるのは安心だ。

 親を殺された私は杏奈の気持ちが痛いほどわかる。大切な人を殺された苦しみ、悲しみ。犯人がのうのうと生きている不快感。

 これらの負の感情は犯人が死ななくては決して消えることの傷。現に私は傷を癒すために杏奈の大切な人達を殺した。

 だから、私は杏奈に殺されて当然で非難することは決してできない。

 寧ろ、当然のことしたまでと肯定しなければならない。


「大好きだった! 大好きだったのに! 愛していたのに!」


 杏奈が涙を流しながら叫ぶ偽りのない言葉。

 それを聞いて、私は復讐を遂げた時よりも感じた喜び以上のものを感じた。

 愛憎。愛と憎しみは隣り合わせ。愛しすぎればそれは憎しみへと変わり、憎み続ければそれは愛することなんら変わりない。

 私は今でも杏奈に愛されている。憎まれるほど。殺されるほど。その事実を身を持って感じられ、私はこれ以上にないくらい幸せだ。罪人がこんな幸せを感じながら、死んでいいのか。

 私には誰一人、身寄りはいない。親戚の叔母さんとは縁を切っている。

 だから、杏奈を憎む人はいない。これが幸か不幸かはわからない。

確かにわかるのは私が死ぬことで憎しみの連鎖は終わる。

 意識が段々と薄れていく。私は最後の力を振り絞り、杏奈の柔らかな頬を撫でる。

 その瞬間、杏奈の動きが止まる。


「私も……愛しているわ。杏奈。……幸せにね」


 愛する人の未来を願いながら、私の意識は深く、冷たい海の底に落ちた。


最後まで読んでいただきありがとうございます

気が向いたら、もう一話だけ蛇足として書くかもしれませんがあまり期待しないでください

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