二話
朝七時。枕元に置いてあったデジタル時計のアラームが部屋中に鳴り響く。
騒がしいアラームで私の意識は覚醒する。
一度ボタンを叩いてアラームを止めると、スッと布団から出る。
年季の入った畳を踏む度にミシミシと音が鳴る。布団を畳んで、押入れへとしまうと部屋を後にする。
長い廊下を歩いて、突き当りにある襖を開けるとそこは居間だ。
畳の床に中心には長方形のテーブル。日曜の夜六時頃に放映されているアニメのような和風の居間。
その居間では机の前で新聞と睨めっこしているお父さんと朝食を運ぶ母がお母さんいた。
二人とも和服で居間の作りも相まってまるで昭和にタイムスリップしたような感じに見えるけど、これが私の家の日常だ。
「おはよう! お母さん。お父さん」
「おはよう由紀子」
「あぁ、おはよう」
お母さんは優しい声色で、お父さんはぶっきらぼうに返す。
私はお父さんの様子に違和感を抱き、お母さんに耳打ちする。
「……お母さん? お父さん、いつもより静かだね」
「そうね。今日は大事な話があるらしいから」
私は「そうなんだ」と呟く。
私の家ーー天海家はこの一帯で古くから続く網元の一家として、それなりに権力を築いてきた。
現代では網元なんて肩書は意味を為してないが、一応名残りとして漁業組合ではそれなりに高い位置にいて、周辺地域の土地を持っている。
そういう立場だから色々と難しい商談を受けることが多く、お父さんはよく眉間に皺を寄せていた。
真面目で寡黙、亭主関白なお父さんはあまり家族には仕事の話はしないし、助け舟も一切出さないから私達はただ見守ることしかできない。
「お姉ちゃん……おはよう……」
父の心配をしていると襖を開け、私の最愛の妹である小百合が現れる。
小百合は二つ下の妹だ。私はロングの黒髪で小百合はショートの黒髪。
「小百合、おはよう……ってパジャマのボタンが外れている。」
ふと、見ると小百合が来ている兎のキャラクターがプリントされたパジャマの第一ボタンが外れていた。
私は一つ溜息を吐いて、わざわざボタンをかけ直す。
自分で言うのもあれだけど、しっかりしている私とは反対に小百合は非常にマイペースで抜けている。
よく小石に躓いたり、たまに足を踏み外して川に落っこちたりする。
勉強はまぁまぁ、運動はダメダメ。髪だって一人ではセットできない。
だから私やお母さんがいつも手伝っている。愛くるしい姿も相まって、お人形みたい。
「もう、次からは自分でやってよね」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん!」
小百合はまるで天使のような笑みを浮かべる。
この笑顔を向けられると私は何もできなくなる。
よく言われるのが小百合のことを甘やかしすぎとか気持ち悪いほどのシスコンだね。
重々承知だ。小百合は恐らく自分がしっかりしていなくても私がやってくれると思っているし、それ以前に私にただ甘えたいのだ。
だから、本当は厳しくして、突き放さなければならない。小百合の将来の為にも、自立心を芽生えさせる為にも心を鬼にしなければならない。
でも、私は可愛い小百合を見て、放っておくことも見捨てることもできず、ついつい甘やかしてしまう。
私もダメな姉だ。
「小百合も起きたところだし、それじゃあ、二人とも。朝食をいただきましょう」
「「はーい!」」
家族が揃い、朝食の準備も整ったところで私達は机の前に座る。
炊きたての白米と、豆腐とわかめの味噌汁と焼き魚というこれまた理想的な朝ごはんが並んでいる。
そして、匂いに誘われるかのようにお父さんも新聞に目を奪われたまま、席につく。
「……お父さん。ご飯の時は新聞は止めてくださいと何度言ったら……」
「わかった! わかったから!」
お母さんに叱られ、お父さんは慌てて新聞を床に捨てる。
「いただきます」
家族四人揃って、命に対して礼を言うと、食事を始める。
やっぱりお母さんの作る料理は絶品だ。
「そういえば、由紀子。テストで満点取ったそうだな」
すると、お父さんが昨日返却されたテストの話を持ち出す。
「うん!」
「やるじゃないか」
お父さんはたった一言、素っ気なく褒める。
普通だったら、冷めた人なんて印象を抱くと思うけど、私には本当に喜んでいるのがわかる。
私は知っている。お父さんは嬉しい時は必ず、口角が上げる。そして、今、僅かだけど口角が上がっている。
お父さんは素直じゃない。でも、そういう不器用なところがお父さんの良さなんだと思う。
「あと、小百合」
「は、はい」
お父さんの声に小百合はビクッとし、背筋を伸ばす。
これも私とは反対に小百合の返されたテストはあんまり良くなかった。
良くないと言っても七十点くらいで悲観するほど悪いわけでもない。
でも、私が満点を取ってしまったばかりに、小百合はダメだったと思ってしまったのだ。
「次、頑張るんだぞ」
お父さんも当然、叱るほどの話ではないと判断して、激励の言葉をかける。
それからご飯も食べ終え、私と小百合の髪をセットし、着替えてランドセルを背負う。
そして、玄関へと向かう。案の定小百合はまだ来ていない。
時間は八時手前。ギリギリになりそう。
私達の住む町は所詮田舎で、小学校の数は少ない。特に私達が通う小学校は徒歩で迎える場所ではなく、バスでないと通学できない。
「小百合、早くしないとバスに乗り遅れるわよ」
マイペースな小百合を急かすと小百合はヨタヨタとペンギンみたいな歩き方で玄関に向かってくる。
「二人とも。今日は午後から雨が降るらしいから、傘を持っていきなさい」
私達の後を追ってきたお母さんの助言に私達は「はい」と元気よく返して、玄関に置かれた傘を手に持つ。
「それじゃあ、いってきます!」
「はい。いってらっしゃい」
そして、私達はお母さんに手を振って、家を後にする。
ごく普通でありきたりのない日常。それが私にとってこの上ない幸せでこのままずっと続くものだと思っていた。
でも、不幸は突然、私の上に降り注ぐ。
もし、これが両親との最後の会話になるとわかっていたら私は……。