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愛憎  作者: 島下 遊姫
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一話

 時は四月。桜の花が満開に咲き誇る。別れの季節を超え、心機一転、新たな生活と出会いに心躍らせる。  

 そんな希望に溢れた春が訪れている。

 しかし、ここは高い塀に囲まれ、情報も遮断されることで外の様子がわからず、世間と隔離された刑務所にそんな希望は一切感じられない。


「すごい……嫌な場所だ」


 僕は眉をしかめる。

 なぜ、こんな場所にいるのかと言うと、週刊誌の記者としてある囚人に取材を行う為に某刑務所に尋ねてきたのだ。予め取材のことは連絡しているので訪ねてすぐに刑務官に面会室へと案内され、今に至る。

 面会室には窓などなく、部屋の真ん中にはよくある穴の開いたガラスと無機質なコンクリートの壁に囲まれていて、酷く閉鎖的で息苦しい。

 海という開放的な空間が好きで、ダイビングが趣味な僕には絶対に生活できない空間だ。まさに地獄と例えても差し支えない。

 最も、居心地が良くては刑務所として機能を果たしてないことになるけど。

 そんなことを思っているとガラスが挟んだ部屋の扉が開き、刑務官の後に続いて、待ち人である囚人とゆっくりと部屋に入ってくる。

 僕は思わず見惚れる。囚人という汚れた肩書には全く似合わない黒髪の美女はガラスを挟んだ目の前の椅子に座り、刑務官は左奥の机の前に座る。


「どうも。初めまして。私が天海由紀子です」


「僕は田中太郎です。角海出版社の記者です」


 そして、黒髪の囚人―天海由紀子はお淑やかな笑みを浮かべる。

 僕は彼女の美しさに思わず息を飲む。エメラルドグリーンの瞳はまるで宝石のように綺麗だ。

 言葉遣いも丁寧でお辞儀もピシッとしていて、気品が感じられる。きっとかなり育ちはいいだろうし、両親から熱い寵愛を受けていたのだろう。

 そんな美しい彼女が世間を震撼させた凶悪事件を犯した人間とは到底思えなかった。

 いや、美しいからこそ凶悪であるのか。美しい薔薇には棘があるのと同じように。

 見た目で抱いた印象は汚れを知らない真っ白な百合。

 しかし、そんな印象とは真逆に真っ赤な血で赤く染まっているのだろう。

 彼女が犯した罪。それは殺人。それもたった一人なんて優しいものじゃない。世界規模で事業を展開していた大グループ、「牧野グループ」の主要人物達を殆ど皆殺しにした凶悪殺人鬼。

 しかし、世間を震撼させたというわりには事件ばかりが話題になって彼女自身はあまり知られていない。

 それもそのはず。事件を起こした時、彼女はまだ十七の少女だった。その為、少年法によってプライバシーを守られ、ニュースや新聞ではあくまで十七歳の女子学生とだけ報道され、容姿と名前は一切、世に出回ることはなかった。

 さらに事件についても初めこそ話題になったものの、間もなくして、有名政治家の汚職事件や芸能人の不倫問題で世間の注意は完全に逸れることになった。 

 その後、メディアは事件のことついて一切取り上げることなく、彼女は収容された。

 事件の詳細はその殆どが明るみに出ることなく、深い海の底へ沈んだ。

 僕は底に沈んだ事件をサルベージして、再び陽のあたる場所に顕にするつもりだ。


「あなたも同じですか」


「同じというのは?」


「皆さん、口を揃えて言います。あなたが殺人に手を染めるような極悪人には見えないと」


 まるで世間話をするかのように気楽な感じで話し続ける。

 その様子に背筋に悪寒が走る。


「怖いですか?」


「……はい。こんなに怖い人にあったのは初めてです」


 彼女にはある部分が欠如していた。犯した罪に対して、あまり反省の意が感じられなかった。

 人には感情があり、社会で生きていく上で必ず道徳を学ぶ。そして、「殺人」は一番の悪と教えられる。

 大体の人間なら窃盗どころか嘘をつくという些細な悪ですら、どこか後ろめたい気持ちになるはず。ならば、殺人を犯すというのは相当な罪悪感に襲われるはず。

 しかし、彼女にはそういった負の感情が感じられなかった。寧ろ、どこか仕方がない、正しいことをしたと思っているような感じがした。


「そんなこと言うのはあなたが初めてですね」


「そう……なんだ」


 ガラスの先の彼女は笑みを浮かべる。

 この笑みは本心によるものなのか。はたまた、仮面なのか。


「それで要件は?」


 そうだ、僕はわざわざ刑務所に世間話にいきたわけじゃない。

 僕は一つ咳ばらいをして、気を取り直す。


「前に送った手紙に書いてあった通り、事件のことについて話を聞きたいんだ」


 すると、彼女は「そうでしたね」と思い出したように呟く。


「そうですか。一つ聞きたいのがどうして私に?」


 何で彼女に取材を行おうとしているのか。

 話題性がある。それも理由の一つ。

 何故、十代の少女が手を血に染めるに至ったのか。

 何故、牧野グループに狙ったのか。

 人というのは好奇心に飼いならされた奴隷。秘密のベールに隠れた彼女のことと、犯行に至った理由を記事にすれば世間は必ず食いつく。

 そうすれば金になる。

 きっと、風当たりは強いだろう。十年前の事件を今更明るみに出し、ましてや加害者は刑務所で真面目に罪を償っているのに、更生の邪魔をするつもりかと一部のまともな考えの人々からはバッシングされるだろう。

 でも、それと同時に人の不幸を大好物として、罪人という社会的弱者をいたぶることでしかストレスを発散できない弱くて愚かな人間もいる。

 需要がある以上、僕達のような下衆は消えるわけにはいかない。誰かが汚れ仕事を引き受けなくてはいけないのだ。

 それ以前に僕は事件にそこらの一般人とは違い、特別に「知る権利」が与えられているのだから、彼女を追求し、取材しても恐らく問題はない。例え、彼女の更生を阻害することになっても、一部の人間は僕の愚行に同情するだろう。


「実は僕はあの事件が起きた島で営んでいたダイビングショップのオーナーの息子だった。意味はわかるかい?」


「な、なるほど……」


 すると、彼女はその整った釣り目を見開き、気まずそうに視線を逸らす。

 唇が小刻みに震えている。 


「ホテルで事件が起きて、犠牲者が出て、あの島は人が寄り付かなくなった。そのせいで、ダイビングショップにお客さんは来なくなって……あとはわかるよね」


 牧野グループが淡島をリゾート地にする開発を行う際、ホテルの他に水族館とプール、そしてダイビングショップを開くと計画した。

 その時、ダイビングショップのオーナーをやらないかと直々に話が持ち掛けられたのが父だった。

 父さんは学生時代、ダイビングの勉強するためにアメリカに留学した。留学先のダイビングクラブで後に牧野グループの会長になる「牧野譲二」と親友となり、その縁で舞い込んだ話だ。

 親友の頼みの上に元々、自分の店を持ちたいと思っていた父さんは二つ返事で受け入れた。

 それからというもの父さんは多忙の日々に追われることになったけど、当時の父さんは毎日が楽しそうだった。

 しかし、順風満帆な日々は一人の少女によって、脆くも崩れ去った。

 六年前、彼女が引き起こした事件によって、牧野リゾートホテルどころか牧野グループそのものが倒産。

 ダイビングショップを利用するお客の殆どがホテルの宿泊客。一応、宿泊客以外のお客さんもいたけど、凄惨な事件が起きた場所に近づく人は決して多くなく、経営が難しくなったことで間もなくして、ダイビングショップは閉店に追い込まれた。

 現在、父は別のダイビングショップで働いているものの閉店した直後はまるで蝉の抜け殻みたいだった。


「……ごめんなさい」


 彼女はまるで押しつぶされるかのように深々と頭を下げる。

 さっきまで感じた罪に対する意識の薄さは一切なかった。声は震え、体も小刻みに震えている。


「別に怒ってないよ。ただ、僕にも知る権利はあると思ったから」


 正直、謝られても何も感じない。だってそんなことしてもらっても過去なんて変わらない。

 そんなことよりも僕はこの事件について知りたい。

 僕だって被害者だ。事件の全容を知る権利は少なからずある。


「それに僕の知り合いの作家さんが復讐を題材にした作品が書きたいらしくて。その情報収集も兼ねて」


「それで私にと。全く、酷い方々ですわね。こんな息苦しい施設に閉じ込められた罪人に対して、忘れたい過去を話させるなんて。まぁ、人の不幸は蜜の味と言いますが」


 彼女は自嘲気味に話す。


「嫌なら受けなくていいんだよ。あなたには取材を受けるかどうか、選択する義務があるんだから。例え、犯罪者でもね」


 事件の全容を知りたい。

 しかし、それは僕だけの感情の話。罪人と言え、この国で生きている以上、彼女は人間だ。都合の悪い話ならば蹴ることだって許される。


「面白いことを言いますね。取材を申し込んできた方はそれなりにいましたが、断ると心無い言葉をぶつけてきて、それは嫌な気分になりました」


「望むならここから出た後のサポートもするよ」


「無期懲役を受けた私に対する皮肉ですか」


 僕は「そういうつもりじゃ」と否定する。

 すると、彼女は「冗談ですよと」今まで見たことのない柔らかな笑みを返す。

 その笑みに恐怖は微塵も感じなかった。


「いいでしょう。あなたの父への懺悔も含めて、話しましょう。私の……復讐を」


 そして、彼女は口を開き、語り始める。

 復讐と愛憎に塗れた残酷な話を。

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