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悠久の絆  作者: 瀬生莉都
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第2章 その2

 さらに四日進んで辿り着いた街でデュエールは雨に振り籠められた。三日目の今日になっても雨は止む気配がなく、雨脚は強くなるばかりだ。

 空はどんよりと灰色の雲に覆われて地上も暗く沈んでいる。夏の頃ならばともかく、今の季節の雨は冷たく、馬を走らせるには向いていなかった。

 道を行く人の姿もごくまばらで、ずぶ濡れで駆けていく人も見える。厳重に雨除けを被って走る馬車もあるがこの数時間のうちに片手で足りる程度しか通っていない。誰もが屋根の下で雨が止むのを待っているのだろう。

 そうなのだ。ただ待つ他ない。旅小屋ではなく宿のある街に辿り着けたのが幸いだった。

 ここから貿易街道を西に馬で五日行けば城壁に囲まれた大都市に辿り着く。その北にはデュエールの目的地であるハルサスの大森林が広がっていた。

 昨日のうちに足りないものは買い足して、用意は整っている。あとは雨が上がればいつでも出発できるのだが――。

 デュエールは一昨日から泊まっている部屋の窓際に椅子を寄せて座っていた。その傍らのテーブルでは階下の酒場からもらってきたお茶が湯気を立てている。

 窓の外には灰色の空。昼も過ぎたというのに朝から変わらず薄暗いままだ。この窓は西を向いているが、目をどれだけ凝らしても彼方に森の片鱗はもちろん見えてこない。



(明日だ……)

 デュエールは視線を動かし空を見上げたままふと頭の中で考えた。

 王都の周辺ではすっかり雪は消え去り少しずつ田の土が起こされ始めているが、ファレーナ王国の北に位置しなおかつ高峰の中腹にあるルシータはまだ雪に覆われている。せいぜい表面がいくらか解け始めているくらいだろう。

 デュエールとエルティスが生まれたのは、そんな日なのだ。年明けから過ぎた日数を暦で確認して、間違いなかった。

 明日が、二人の誕生日だ。十八年前の同じ日の、まったく同じ時間。そうしてこの世に生まれてきたことが、<アレクルーサ>と<器>としての絆の始まりだったのかもしれない。

 エルティスの居場所すらわからぬままに、二人は十八歳になろうとしていた。

 彼女もこうして空を見上げたりしているのだろうか。

 願わくば、せめて彼女が冷たい雨に濡れそぼつことがないように。

 デュエールが今できることは、そうして祈ることだけだった。その祈りが届いているのか、確かめる術はない。

 ようやく雨が上がり太陽が顔を出したのは、さらに二日後の朝のことだった。





「痛……っ!」

 歩いている途中、急に頭をぐいと後ろへ引っ張られてデュエールは思わず声を上げた。

 突然の痛みにかすかに目尻に涙が滲む。

 一ヶ所頭皮が突っ張る場所があった。たぶん垂れ下がった枝に髪を引っ掛けたのだ。あたり一面好き放題に枝を伸ばした木だらけで、人の手が入ることもない場所だから仕方ないのだが。

 デュエールは半歩だけ後ろに下がるとそっと振り返り、どこが引っかかっているか確認する。幸いにも毛先だったのでさほどの時間をかけずに解くことができた。



 これで今日三度目だ。

 ハルサスの大森林に分け入って今日が三日目になるが、すべて合わせれば両手では足りないくらいに髪を枝に絡ませているのだった。

 ルシータでは犬神のいる森で髪を枝に引っ掛けることなどなかったのだが、そもそも生まれてこの方ここまで髪を伸ばしたことがない。ある程度うっとうしくなってきたら、適当にエルティスに切ってもらっていたのだから。

 綺麗に纏めればいいものを、櫛も通さずに紐で束ねているだけだから、引っかけやすいしほどけにくくなる。



(これをエルが見たら、間違いなく怒られるな)

 再び視界を遮る木々をどけつつ先へと進みながら、デュエールはそんなことを思った。

『信じられない、何その髪!? 櫛ぐらい通したら!』

 ほとんど癖のないデュエールの髪は櫛通りがよく、昔からエルティスのお気に入りだった。仕事から帰ってきた土埃まみれのデュエールを見るなりエルティスは彼の髪への無頓着さを嘆いたものだ。

 今の自分の姿を見たときのエルティスの言葉が声付きで想像できて、デュエールは思わず苦笑して――突然立ち止まった。

「思い出せた……?」

 たった今の出来事に、デュエールは唖然として呟く。

 エルティスを思い出すとき、いつも最後の泣いている姿だった。それ以外の表情はまったく思い描くことができなかった。銀色の波打つ髪を風に躍らせて、静かに涙を流している姿だけが、強烈に心に焼き付いている。その幻が、常にデュエールを苛んでいた。

 それなのに今デュエールが想像したのは、呆気にとられた後に怒り出すエルティスの姿で。懐かしいとさえ思えるほんの少し前のやり取りの記憶によく似ていた。

 少しずつ想いの欠片を積み重ねていって、また彼女と巡り逢うまでにその笑顔を思い返すことができればいい。

 その口元にかすかに笑みを浮かべて、デュエールはまた歩き出した。



 雪解けの大地にはようやく緑が芽吹き始めていたが、常緑樹の多い大森林ともなるとほぼ年中緑に包まれている。分け入る隙もないほど張り出した枝や水気を含んだ土に手こずりながら、デュエールは少しずつ先へと進んでいった。

 ふと見上げれば木々のわずかな隙間に光が差し込んでくるのが見える。

 時々聞こえてくる鳥や獣たちの鳴き声。遥か頭上の枝の陰から突然の侵入者を窺っている姿を見かけることもあった。

 考えてみると、ルシータではそんな獣たちの姿を見ることはほとんどなかった気がする。

 デュエールとエルティスが犬神に認められた存在だったからだろう。二人とも森で遊ぶときは極力他の生き物たちの領分には踏み込まないことが当たり前だったし、動物たちも二人に近寄らない様子だった。

 それでもたまたま行き合ってしまったときも、相手側は特に気にする風でもなかった気がする。むしろデュエールとエルティスが遠慮してその場を立ち去っていた。



 デュエールは少し慎重に歩き速度を抑えた。縄張りを侵されて排除を試みるのは人間も動物も同じ。なるべくなら早く抜けた方がいいが、あまり音を立てすぎるのもまずい。

 そう思いながら息を張り詰めて歩いていたデュエールの頭に、何かが当たった。

 こつん、と軽い感触。

 もう一度同じ感触があって、目の前に降ってきた影をデュエールは慌てて受け止めた。手のひらに乗っているのは、木の実だった。よく見ると、足元にもいくつか転がっている。

 デュエールが真上を仰ぐと、枝に乗っていたリスのような生き物が驚いたように姿を隠すのが見えた。しばらく見つめていても、戻ってくる様子はない。

 どうやら、くれるらしい。

 デュエールはしゃがみ込んで木の実を拾い集めた。火を通せば充分腹の足しにはなりそうだ。これが精霊の加護の賜物なのだろうかとデュエールは苦笑した。

(エルに話すことが増えたな……)

 軽く土を払った木の実を腰の皮袋に収めると、デュエールはまた木々を分けながら歩き出す。




 そして、ここにエルティスはいないと納得し探索を止めるまで、さらに十日を要したのだった。



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