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悠久の絆  作者: 瀬生莉都
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第1章 その1

 伝えるべき事柄は、すべて告げた。

 デュエールは椅子に腰掛けたまま、肘を置く卓の正面を見る。そこには誰もおらず、彼が座るものと同じ椅子があるばかりだ。デュエールは力を抜くように息を吐いた。

 外を吹く強い風に、年季の入った板壁は先ほどからぎしぎしと不安げな音を立てている。築数十年になろうとする家だから、多少がたつくのも当然だろう。家長は強風に備えて、暗闇になる前にと家の外を修理のために走り回っていた。

 緊張が解けたせいか、デュエールの全身を疲労が襲う。肩がずしりと重い。丸一日山道を下ってきたのだから当然だが、疲れはそのせいばかりではないだろう。


 外へ続く扉は硬く閉ざされているが、別の部屋へ続く扉は開け放されている。しばらくすると、陶器同士の触れ合う音と共に、肩までの亜麻色の髪の女性が扉の向こうから現れた。

 ほのかな香りがデュエールの鼻腔をくすぐる。女性は三人分のお茶を運んできたのだった。

 デュエールの正面に立つと、女性は木製の盆を卓に置きながらデュエールを見る。毛先が外側に緩やかにはねる髪が動きに合わせて揺れた。

「本当に大変だったのね。手紙は間に合わなかったでしょう……?」

 ひどく残念そうな表情をデュエールに向ける。

「すみません……」

「いいえ、いいのよ。きっとそうなるだろうって、判ってはいたから」

 その様子に思わずデュエールが謝ると、相手は慌てて頭を振る。

 ティーカップをデュエールの目の前に置きながら、彼女は先ほどの表情が嘘のように柔らかな笑みを浮かべた。水色の瞳には柔和な光が宿っている。

 デュエールの視界の中で、その姿にもう一人別の娘の姿が重なった。目の前にいる女性の妹である、彼の幼馴染みの姿。

 今、エルティスのことを思うとき、一番始めに思い出すのは最後に見た泣き顔だった。目の前で姿を消す直前の顔。思い出の中に、色々な表情の彼女はいるはずなのに。


 デュエールの故郷であるルシータは、今いるレンソルの村から丸一日緩やかな山道を登ったところにある。そこで起きた騒動の果てに、彼の幼馴染みであるエルティス・ファンは姿を消してしまったのだ。

 この世界のどこかにいるエルティスを探し出すために、デュエールはオルカリア山を下りてレンソルにたどり着いた。

 そして、数年前からここに住むドラーク・リベル夫婦のところに一晩の宿を借りることになったのだ。

 リベルはエルティスの姉。デュエールにとっては昔からよくお世話になった馴染みの人である。

 つい先ほどまで、数日前にルシータで起こったことをデュエールがリベルに説明していたのだった。

 柱の粉砕する音までは聞こえなかったものの、エルティスが最後の柱を壊すために放った光はこのレンソルからも見えたらしい。

 動じた様子がないことから、デュエールは彼女も<神の子>にまつわるすべてを知っているのだと、納得した。

 エルティスが消えてしまったところまで話し終えると、リベルは一言、そう、と頷くと大変だったわね、とデュエールを労い、お茶を入れてきてくれたというわけだ。


 デュエールにお茶を出した彼女は、デュエールの向かいの席にひとつ、そしてその右隣にひとつ、ティーカップを置いた。このカップの配置に合わせて座れば、三人でテーブルを囲むことになる。

 そして、リベルはそのままデュエールの向かい合わせの席の椅子を引いて座った。緩やかに膨らんだ腹部のせいで、姿勢を変えるのは辛そうだ。

 リベルが落ち着くのを待って、デュエールは尋ねた。

「エルは、やっぱりここへは……」

「ええ、あなたの予想通り、ここへは来ていないわ」

 予想と寸分違わないリベルの返事に、デュエールは曖昧に微笑むと顔を俯ける。

 もしかしたらエルティスはここにいるかも知れないとわずかな期待を抱えて訪れてみたものの、やはりエルティスがいる様子はなかった。

 彼女は、ここへ足を運ぶこともなく、一直線にどこかへ消えたのだ。

 デュエールの手を振り払って、エルティスは姿を隠した。犬神にも、たった一人の姉にも会うことないままに。

 独りで、行かせてしまった。

「―――でも、行くのでしょう?」

 響いた声に、デュエールは顔を上げる。リベルが真っ直ぐこちらを見つめていた。

 目的語を欠いた質問。

 それでも、問われているデュエールにはその意味がわかる。すべて読まれていることに心の中で苦笑して、デュエールは静かに頷いた。

 何の手がかりもないけれど。逢うことが許されるかすらわからないけれど。

 それでも。

 デュエールの答を確かめると、リベルは嬉しそうに表情を緩めた。

「それなら、その手紙はまたあなたにお願いするわね」

 必ず会えるのだと確信しているような言い方だ。探しに行く当人は先も見えずに困惑しているというのに。

 よほど意表を突かれた顔でもしていたのだろう。リベルは口元に手を当てて笑った。

「……いつになるか、わかりませんよ」

 それこそ、何年かかるか分からない。手紙の内容をデュエールは知らないが、それでもかまわないのだろうか。もっとも、リベルに返したところで彼女がエルティスに渡すすべもあるわけでもないが。

「でも、あなたは必ずエルに会うつもりでしょう? だからお願いするのよ」

 きっと捜し続ける。そんな決意をも彼女に見透かされている。

「別にいつになってもかまわないの。そんなにたいしたことが書いてあるわけではないから」

 リベルは笑顔のままでそう言った。返す言葉のないデュエールは、少し冷めてきたお茶を一口飲むことにした。

 話題が途切れて、室内は沈黙に包まれる。


 ばたんと勢いよく扉が開き、外から風が吹き込んできた。家の修繕をしていたドラークが戻ってきたのだ。短い黒髪がすっかり乱れて、外の風の強さを教えてくれる。

「いや、あちこちぼろぼろだな。とりあえずこの天気を凌ぐ程度には直してきた。後はまた天気のいいときだ」

 髪を整えながら、ドラークはデュエールとリベルのいる方向へと歩いてきた。リベルは一仕事終えた夫に労いの言葉をかける。

「ご苦労様。少し冷めてるけど、お茶が入ってるわ」

「ありがとう」

 そう言って、ドラークは空いた椅子を引いて腰掛けた。デュエールに向かって簡単な挨拶をしてくる。デュエールも応じて挨拶を返した。

 入れ替わりにリベルが夕食の準備に立つ。そんなにたいした物を作るわけではないと手伝いを丁重に断られたドラークとデュエールは、夕食を待つ間他愛もない世間話に興じていた。



 デュエールが日を置かずにレンソルに来た理由が話題になったのは、食後の片づけが済み、リベルが三人分の茶を入れに行ったときだった。

 ふと思い出したように、デュエールの左手に座っているドラークが尋ねてくる。

「ここを出てから、まだ五日しか経ってない。数日前にはルシータの方向に光を見た。一体何があったんだ?」

 デュエールは、昼間にリベルにした話とまったく同じ内容をドラークに話した。

 ルシータにたどり着いたとき、エルティスは巫女姫や神官の手により祠に閉じ込められていたこと。

 エルティスが銀髪の<アレクルーサ>となって現れたこと。

 神官たちに害されようとしたエルティスを守るために、ミルフィネル姫と婚約する破目になったこと。

 エルティスがルシータの七本の柱を壊し、<柱の結界>と呼ばれるものを消し去ったこと。

 デュエールの目の前で彼を拒絶し消えたこと。

 この世界のどこかにエルティスがいるのだと教えられたこと―――。

 <アレクルーサ>の詳細を知らないために分かりにくいデュエールの長い話を、ドラークは妻と同じように黙って聴いている。


 そして、デュエールが話し終えるとしばらくの間のあと、静かに呟いた。

「そうか、そんなことがあったのか」

 それ以上は何も言わない。リベルは<アレクルーサ>のことを知っている様子だった。ドラークがそのことについて何も知らないとは思えない。

「で、お前はエルちゃんを探しに降りてきたわけなんだな」

 ドラークの質問にデュエールは頷いた。

「手がかりも何も、ないですけど」

 <アレクルーサ>と<器>の間にあるという絆も今はない。手がかりとも呼べない情報は、エルティスが少なくともこの世界のどこかにいるということだけ。

 それでも、彼自身の決意が揺らぐわけではないけれど。

 デュエールがそう答えると、ドラークは頬杖をつくと少し考え込む様子を見せた。その瞳は真剣だ。

「手がかりがないわけじゃないだろう。といっても、簡単じゃないってことが分かるだけだがな」

 ドラークの言葉に、デュエールは彼の顔をまじまじと見る。たぶん自分の目は見開いているだろうと、デュエールは思った。

「お前、自分で話しただろう。俺たちのところには間違いなくエルちゃんはいないと、犬神が言っていたって」

 デュエールは、出発前日に聞いた犬神の言葉を思い出す。

『少なくとも、お前さんの知っているところにはいないだろう。エルティスは、お前さんの手を拒絶して姿を消したのだから』

 エルティスはデュエールを拒否している。呼びかけられたのに拒絶した相手がすぐ見つけられる場所に、彼女がいるわけがない。

 だから姉夫婦のところにエルティスはいない、そう犬神は言ったのだ。そして、それは事実だった。

「隠れているとしたら、お前の知っている場所じゃない。少なくともこの周辺や仕事でよく行く場所ではないはずだ」

 消去法だ。デュエールの知っている場所など、世界すべてから見たら一握りにもならない。それでも、この周辺を探し回る必要がないことはわかった。手探りのままよりはずっといい。


 何もないよりはましだろうと笑顔で尋ねるドラークに頷いたところで、デュエールの前に湯気を立てるティーカップが置かれた。お茶を入れたリベルが戻ってきたのだ。

「それから、人の多いところにはいないと思うわ」

 ドラークにカップを渡しながらのリベルの言葉に、お茶を引き寄せようとしたデュエールは顔を上げる。

「あの子は、<アレクルーサ>の姿のまま消えたのでしょう?」

「はい、そうです。銀髪に銀色の瞳の……」

 言いかけてデュエールは気付いた。リベルが、エルティスが人の多いところにいないと言う理由。

 リベルは昼間と同じようにデュエールの真向かいに座る。

「銀髪の人間はどうかわからないけれど、銀色の瞳を持つ人間はいない。少なくとも、その姿のままで人の中には入っていけないわ。悪い意味で目立ちすぎる」

 デュエールは銀髪の人間を見たことはない。だが、世界中を巡ればその色の髪を持つ民族もいるだろうし、多くの人が出入りする大都市ならば遭遇することもあるかもしれない。

 リベルはいないと言い切ったが、銀色の瞳を持つ人間も世界のどこかにはいるかもしれない。

 しかし、実際に<アレクルーサ>を見ているデュエールはわかる。あの銀色の瞳の輝きは、人にあるべきものではない。

 神の使い、地上に生まれた神族であるというのも納得できる、人間とは異質な妖しい光だった。神々しいともとれるし、人によっては不吉ともとるだろう。

 エルティスがどこかの街に紛れ込んだとしても、あの瞳は目立つ。もしその街でただならぬことが起きたとすれば、人々はすぐにエルティスと結び付けるに違いない。その街に居続けるのは難しくなる。

「髪と目の銀色は、<アレクルーサ>の力の証よ。エルが自分で力を抑えられていれば姿は元に戻れるけれど、あの子はきっとその方法がわからないでしょうね……」

 力を爆発的に使うのは簡単だと、リベルは言った。難しいのは巨大な力を制御すること。

 <結界>を破壊するために持てる力をすべて解放したエルティスだが、それを抑えることをしないうちに心のままにどこかに消えてしまった。

「ルシータを滅ぼす―――<結界>を壊すために<器>の存在は不可欠なのだけれど、その後も<器>の力は必要だったの」

 だが、絆は失われた。エルティスを感じることもできない今のデュエールに、<器>の力はないのだ。


 リベルはそんなつもりはないだろう。しかし、その言葉はデュエールを責めるに充分だった。

 デュエールはかすかに俯いた。顔を隠すように流れた伸びぎみの髪の下で、表情が強張っていく。

 すべての始まりは、ミルフィネル姫との婚約を受けてしまったことか。たとえエルティスを護るためだとしても、離れてはいけなかったのだ。

「そんなに自分を責めるな。こうなったのは、お前だけのせいじゃない」

 割り込んできたドラークの声に思考を中断され、デュエールは我に返った。一瞬にして目の前のカップに焦点が合う。かすかに暖かい湯気を立てるお茶はまだ手付かずのままだ。

「しっかりと絆はできてたんだ。お互いに確かに向いていた、想いを信じろよ」

「エルの居場所がわからないのは、絆が失われているから。でも、使命を果たしたということは、あなたとエルの間に絆と想いとがちゃんとあったということ。小さい頃からあったものが、一日二日でなくなってしまうと思う?」

 絆は失われたというよりもエルティスが手放しただけなのだと、リベルは言った。

 <アレクルーサ>と<器>の絆とは想い。彼女がその気になれば、絆は容易に取り戻せるのだ。

 小さい頃、デュエールがエルティスの居場所を常に知ることが出来たのは、<器>の力のせい。そんな昔から二人の間には絆があって、お互いを想っていた。生半可な絆ではないはずなのだ。

 ドラークもリベルも、それを身近に見ていたからこそそう言ってくれるのだろう。

「まずは捜すことだ。絆がどうだの気持ちがどうだの言ったところで、逢わなければ何も始まらないからな」

 二人の言葉は、デュエールの心に優しく響く。暖かな気持ちを抱えて、デュエールは冷めかけたお茶を一息に飲み干した。

 






 強風の夜から既に十日が過ぎたレンソルの昼下がり。空になった食器を見つめてドラークは思い出したように呟いた。

「そういや、デュエールの奴、どこまでたどり着いたかな」

 十日も馬を走らせれば、相当な距離を稼げるはずである。国のはずれにあるレンソルからでも中規模の街へは楽にたどり着ける。

 隣で呟きを聞きつけたリベルが考え込むような様子で応じた。

「そうね……、王都に向かっているなら、少なくともグラコーストは過ぎているでしょうね。その先は、もうあの子の知らない土地よ」

 レンソルから街道を通り王都に向かうには、いくつもの街や村を抜けなければならない。

 グラコーストはここから馬で五、六日行ったところにある都市だ。ファレーナ王国では五本の指に入る大都市である。デュエールが仕事で赴いたことのある最南端の街。

 それ以上南側に、彼は行ったことがない。

『お前さんの知っている場所にはいない』

 犬神がデュエールに告げたという言葉。それに従うならば、グラコーストを過ぎれば、後は人気のない場所をしらみつぶしに探していかなければならない。

「どう思う?」

「エルがどこにいるかということ?」

 ドラークが投げかけた問いに、リベルは沈黙する。しばらくの間の後、彼女は静かに口を開いた。

「二度と会いたくない、見つけてほしい、人恋しい……どう思っているかでどこにいるのかはまるっきり違ってくると思うわ。そして、それは私には予想できない」

「つまりは、簡単なことではないということだな」

 今までも何度も出ていた結論を、ドラークはため息と共に吐き出す。弟のように大事にしてきた青年のことを思う。

 彼ならば、どんなに困難であっても諦めることはないだろう。それならばそもそも彼女を捜しに行こうなどとは思わない。

 たとえどれほどかかっても、デュエールの行く先にいつか光が見えればいいと、ドラークは静かに祈った。


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