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王子の復讐が学園内だけで行われるとは限らない。
特に自宅との往復路などは一番警戒しなくてはならない場所だ。公の場所では出来ないような過激なことを仕掛けてくる可能性がある。
例えば人通りの少ない道で待ち伏せて襲撃するという方法だ。
このヒュームという男も同じことを考えていた。
彼はいわゆる傭兵で、普段は裏社会の用心棒などで日銭を稼いでいるが、今回匿名の人物から法外な報酬と共にヴァイオレット・ヴィクトリアという名前の貴族の令嬢を襲撃して怪我をさせてほしいとの依頼を受けた。
正直、貴族の厄介事に首を突っ込むのは気が進まないのだが、報酬に目がくらんで引き受けることにした。
依頼人の代理人は「見た目に騙されず絶対に油断するな」と口をすっぱくして言っていたが、正直ただ怪我をさせるだけでそんなに手こずるとは到底思えなかった。
ターゲットは百四十センチ前後の小柄な体躯の少女で、護衛はたった一人しか連れていないのだから、遠方から投石を当てれば簡単に依頼を達成できる。
ターゲットが登下校の際に必ず通る道で、一番人気のない場所を調査し、現在そこで待ち伏せていた。ここなら地形も熟知しているし、護衛役に追いかけられても入り組んだ路地を利用すれば楽に逃げ切れる。
――こんなことで大金が手に入るんだから楽な仕事だぜ。女を傷つけるのは多少良心が痛むが、生活のためだ。悪く思わないでくれよな。
建物の陰に隠れて、ヒュームはターゲットの到着を待ちわびながら、報酬をなにに使うか考えていた。金が手に入れば少なくとも数年は働かなくても食っていける。
「それにしても遅いな……。もうとっくにここを通ってもおかしくない時間なのに……」
ターゲットどころか人っ子一人通らないのに、業を煮やしたヒュームはつい独り言をぼやく。
が、誰もいないはずの場所で、呟きに答える者があった。
「本当ですわね。もしかしたらどこかで寄り道でもしているのではありませんか?」
ヒュームの背後で、可愛らしい少女の声がした。
「寄り道かあ。そういや街の広場で鼓笛隊が盛大にバグパイプを吹いていたっけなあ。あれに聞き入っているかもしれねえな」
「ええ私も観ましたわ。とても迫力があって素敵でした」
「ほう、そうか。俺もこれ終わったら観に行こうかな……って……へ?」
ヒュームが声のした方を振り返ると、目の前には140センチ前後の小柄な体躯をしたプラチナブロンドの髪の少女がチョコンとたたずんでいた。
「うわわわわわわわわわあっ!」
まるで幽霊でも見たかのように、ヒュームは瞬く間に恐怖に顔を歪め、王都中に響くほどの絶叫をあげた。
「ハァ……ハァ……」
全身青ざめ呼吸困難に喘ぐヒュームに、少女はこう言った。
「いきなり大声で叫ばないでくださいませ。ビックリするではありませんか」
「こっちがビックリしたわ! つーか死ぬかと思った……ゼエ……ゼエ……」
ようやく呼吸も落ち着いてきて、目の前の少女を改めて観察すると、それは今回のターゲットと特徴が完全に一致していた。
そしてすぐ後ろには中性的な容姿をした従臣らしき銀髪の騎士。間違いなくターゲット本人だ。
騎士はこちらを非常に警戒した様子で睨みつけてくる。少しでも妙な動きをすれば、今にも腰に帯びた剣で斬り捨てるつもりだ。
ヒュームは自分が命の危険に晒されていることに気づいた。
――まずい……このままじゃあ依頼を遂行するどころか俺が殺されちまう。
なぜ代理人があれほど注意していたか、今更ながらようやく理解できた。
「ところであなたはどちら様ですの?」
いつまでも黙っているとヴィオラに話しかけられた。
「え……あーえっと……ヒュームと申します」
怪しい態度だと殺されるかもしれないので必死に何気ない顔を装う。
「誰を待っていましたの?」
「し、仕事仲間を待ってたんです。あっしはしがない左官でして」
「本当に? 妙ですねわえ。ここを通る人はほとんどいないのですが。通るとしても私たちくらいだし……まさか本当は私たちを待ってたなんてことは、ないですしねえ……」
「そ、それより高貴な身分のお方がなぜ馬も馬車も使わずに歩いていらっしゃるのですか?」
気づかれそうになったので慌てて話をそらす。
「馬車のハーネスが故障しまして、仕方なく歩いて帰ろうと。護衛のロディには危険だから新しい馬車を待ったほうがいいと言われたんですが、そんな今日に限って襲われるなんてありませんよねえ。まさかあなたが私を襲うために誰かに雇われて『こんなことで大金が手に入るんだから楽な仕事だぜ。女を傷つけるのはちょいと良心が痛むが、生活のためだ。悪く思わないでくれよな』なんて思ってること」
「そそそそそそそんなこと、あああああ、あるわけないじゃないスか! ヤダナーハハハハハハ!」
「大丈夫ですか顔色が悪いですよ?」
――こ、この女……全部わかってて言ってるんじゃねえだろうな……?
冷静を装うどころか、心臓の鼓動が相手に聞こえてしまいそうなくらい動揺し、いつロディの剣が抜かれてもおかしくない状況になっている。
ヒュームはもうここから解放されるのなら一生貧乏生活でもいいと願った。
「見つけたぞこの野郎!」
と、そこへ人相の悪い三人組がやってきてヒュームを怒鳴りつけた。
「ヒュームてめえよくも俺たちの金を持ち逃げしやがったな」
「落し前はつけさせてもらうぞ。覚悟しろよ」
三人はかつての傭兵仲間で、ヒュームが報酬の取り分を持って逃亡したのでここまで追ってきたようだ。
しかしなんとも間が悪いことに、これでは自分が傭兵であることがバレてしまう。
「おい一緒にいる連中は誰だ?」
リーダー格の男がヴィオラたちに気づく。
「わかんねえが身分が高そうだ、ついでだから金目のものを奪おうぜ」
「そうだな」
その途端、ヒュームに向けられていたロディの敵意が三人に移り、ほんの少し安心を覚える。
「まあ、あなたが待ってた相手って借金取りだったんですの? だからあんなにビクビクしていたのね」
場違いなヴィオラの質問。
「い、いや違います」
「マイレディ、お下がりください」
低く気迫に満ちた声でロディはヴィオラに囁く。腰に帯びた剣に手をかけ、完全に戦闘態勢になっているのを見て、ヴィオラも黙って言う通りにする。
「もし万が一のことがあれば全力でお逃げください」
「わかった。ロディも気をつけてね」
「はい」
ロディはヒュームを一瞥すると、三人組の方へ速足で歩き始めた。
その一瞥は「妙な行動を見せた瞬間に斬るぞ」と言っているようで、ヒュームは恐怖でのあまり凍り付いたようにその場から動けなくなった。
「なんだてめえは? 女みてえなツラしやがって。ホントに騎士か?」
棍棒を構えたリーダー格の禿頭の男が嘲るように言ったが、しかし次の瞬間、ロディが地面を蹴って前方に飛んだかと思うと、目にもとまらぬ速さで握り締めた拳を男の鳩尾に沈めた。
男はぐふっと呻き声をあげて倒れ込み、そのまま動かなくなった。
あまりに一瞬の出来事に、他の男たちは呆然と見つめていた。
「今すぐ消え失せろ。さもないと今度は命をもらうぞ」
「ひっ!」
剣の柄を握るロディの冷然とした眼に、男たちは情けない悲鳴をあげて一目散に逃げだした。
ヒュームも彼らとは逆方向に全速力で逃げようとした。が、そこへ凄まじい速さでロディが追いすがり、次の瞬間にはヒュームの腕を掴んで地面に投げつけた。
「ぐあっ!」
「どうしたのロディ。まさかあなたもその人にお金を貸してたの?」
「この男は恐らく誰かに雇われた刺客ですよ。あなたを狙っていたんです」
ロディがヒュームの腕を背中に回しながら言った。
「そうだったの。てっきり借金取りに追われている変な人かと……」
「マイレディ。次からはちゃんと馬車に乗って移動してください。もっと危険な行動は慎まなければ今回のようなことは避けられたのに」
「ハーイ。ごめんなさい」
「返事は『ハイ』でしょう」
「ハイ。なんだかロディお母様みたい」