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ローゼンベルク家の令嬢ともなれば常に流行の最先端をいくファッションでなければならない。
今度も帝国自由都市から国内外でもっとも高名な仕立屋をわざわざ呼び寄せて作らせたのだ。
最高級のモスリン生地にベルベットのリボンをいくつもつけて、首まわりとウエストにシャーリングを施し、ミンクの毛皮で縁取りされたドレスは間違いなくセンセーションを巻き起こすはずだった。
そのドレスが今、ヴィオラの手の中で大きなシミを作って見るも無残なありさまになっている。
「ああああ私のドレスがぁ!」
血相を変えたエリザベスは恐ろしい速度でヴィオラに走り寄り、変わり果てたドレスをひったくった。
「ヴィ、ヴィオラ! あなた私のドレスになんてことするの!」
「まあレディ・エリザベスのドレスでしたの。申し訳ありません。私てっきり変わった形をしたハンカチかと……」
「これのどこがハンカチに見えるのよ!? どう見てもドレスでしょ!」
怒りで顔を紅潮させ、エリザベスは半泣きの表情で狼狽する。
いかなる状況でも家名を汚す行為をなによりも嫌う性格なのに、言葉遣いも若干品位がない。
あまりの変貌ぶりに取り巻きやヴィオラの友人二人は呆気にとられている。
「だいだいなんであなたがこのドレスを持っているの?」
「先日の夜会の後、誰かの忘れ物だと侍女たちが騒いでおりましたので、私が持ち主に届けると言って預かっておりましたの」
「あ……!」
そうだ思い出した。
あの夜、新作のドレスをお披露目しようと思ったエリザベスだが、例の騒ぎがあってほとんど注目を浴びなかった。その後、汚れるのを恐れて現地で着替えて帰路についたのだ。
あれ以来、ドレスを見ていないが、誰もなにも言ってなかったため、家に保管されているとばかり思っていた。
――あの衣装係め……帰ったらクビにしてやるわ。
「そ、それなのにヒトのドレスをボロ布みたいにテーブルを拭く道具に使ったの!?」
「泥棒に盗まれたら大変でしょう? 少しでも見栄えを悪くすればそのリスクも少なくなりますから」
「泥棒はアンタでしょ! どうするのよ、もう着れないじゃない!」
「いえいえお礼なんて結構ですのよ」
「誰が言うか! もう許せないわ!」
とうとう堪忍袋の緒が切れたエリザベスは、我を忘れてヴィオラに襲いかかるも、忽ち護衛の騎士に羽交い締めにされる。
「お、落ち着いてくださいお嬢様!」
「うるさい、止めるんじゃないわよ! この女だけは許さない!」
ロディはヴィオラを庇うようにして前に出る。
「お気持ちはわかりますがここで殴っては大変なことになりますよ!」
「いいからはやく放しなさいウォルター!」
エリザベスは激しく抵抗していたが、ウォルターと呼ばれる騎士は強引に校舎の方へ引きずっていった。
「あ、こらやめなさい! どこ触ってんのよ!」
「申し訳ありません。しかしまずは冷静にならないと……」
「くっ、今に見てなさい!」
「レディ・エリザベスったら、失くしたドレスが戻ってきてあんなに嬉しそうに喜んでいるわ」
捨て台詞を吐いて遠ざかっていくエリザベスを見ながら、ヴィオラはロディに言う。
「一体どうしたらそんなふうに見えるんでしょうねえマイレディ。それよりドレスを弁償しなければなりませんがどうしますか?」
「大丈夫。お金はロディの給料から――」
「多分、あなたのお小遣いから差し引かれるでしょうね」
「むう……」
後日、ローゼンバーグ家からドレス代を請求され、ヴィオラは自分の着古したドレスを売り払って資金を作って支払った。
しかし世界で一つだけしかないドレスに金だけでは到底釣り合わず、エリザベスはヴィオラを一層恨むようになる。
「おい! なにをしているのだお前たち!?」
ロディとのやり取りを終えると、叱責するような怒号が響いた。
声のしたほうを見ると、発狂していると噂のヴィンセント王子が、五、六名の護衛を引き連れて登場し、その場にいた全員がお辞儀する。
エリザベスに置き去りにされた令嬢たちは、思わぬ援軍に「殿下!」と言って顔を明るくさせた。あんなことがあったのに、王子の女性人気は根強いようだ。
「レディ・ヴァイオレット。見ていたぞ先ほどのこと。貴様、他国の貴族の娘に嫌がらせをして泣かせたな!」
王子の批判にフランが反論する。
「そんな! 違いますわ殿下! 先に難癖をつけてきたのは相手側で――」
「いいえ殿下の仰る通りですわ! この方たちはレディ・エリザベスのドレスを汚したのです」
しかし令嬢の一人がそれを遮り、事実なだけになにも言い返せなくなった。
「この女の友人など信用できるか! 庇おうとして嘘をついているのだろう!」
「そんな……」
「失礼ですが殿下」
フランが完全に意気消沈しているところへ、おもむろにヴィオラが口を挟む。
「先ほど『見ていた』と仰っておりましたが、どちらでご覧になられていたのですか?」
「なにぃ?」
「レディ・エリザベスと話していた時、殿下の御姿を一度も見かけなかったもので」
「ハッ! この私が嘘を言っていると言いたいのか? 相変わらず卑劣な奴だな。残念だが俺はあそこの柱の陰からしっかりお前たちを見ていたのだ!」
王子は鼻で笑って校舎のポーチにある列柱を指差す。
「あの柱に身を隠してこちらを覗いておられたのですか?」
「そうだ。お前の悪行を現行犯でおさえるためにな」
「フムフム、なるほど。殿下はノゾキが御趣味……と。メモメモ」
「おいこら! 勝手にいい加減なことを書くな!」
ヴィオラが懐から取り出した小さな手帳になにか書き込むのを見て大声で制止する。
「そんなことをメモして、根も葉もない噂を振りまくつもりなのだろう!?」
「いえ、この情報は殿下を慕ってらっしゃる淑女の皆様に売るんです。いつもいい値段で買って頂けるので。ほら、あちらにいらっしゃる方々も常連客なんですよ」
そう言ってヴィオラは、今度は王子の取り巻きになった令嬢たちを指差す。
「――!?」
差された令嬢たちはビクッと身を震わせる。
「なんだと!? お前たちそんなことをしていたのか?」
「あ、あの殿下……その……私たちはただ……」
まさか矛先が自分たちに向けられるとは思わなかった令嬢たちは、しどろもどろになって弁解の言葉が出てこない。そこへヴィオラが、
「まあまあ殿下。彼女たちも悪気があってやったわけではありませんし」
「もとはといえばお前が原因だろうが! チッ、まあいい。話は後で聞かせてもらおう。問題はお前だヴァイオレット!」
「なんでしょう? 売り上げの取り分なら要相談ですが」
「いるか! それよりお前は色んな悪事に手を染めていたようだな。昔から噂は聞いていたがとうとう証拠を掴んだぞ」
「昔からとはいつ頃からですか?」
「そうだな……一番古いので9歳くらいからだな」
「まあそんな頃からノゾキが御趣味でしたの……?」
「だから違うと言ってるだろうが! いい加減その話から離れろ!」
王子はもはや尋常ではないくらい怒りで興奮していた。
ヴィオラやその友人、そして味方であるはずの取り巻き令嬢ですらドン引きしていることが、余計に王子の正気を失わせた。
実はまだ情緒不安定な状態から回復しておらず、侍医から出歩かないほうがいいと言われていたにもかかわらず強引に出て来たのである。
護衛は王子を護るだけでなく、彼が発狂したら取り押さえる役割も担っている。
今は最後の理性が崩壊する一歩手前まできていた。
「ええい! もういいからお前たちはやくこの女を牢にぶち込め!」
ところが護衛が王子の命令を実行しようとした時、騒ぎを聞きつけた大勢の生徒が周囲を取り囲み始めた。
「なんだなんだ?」
「どうしましたの?」
「なぜ殿下が大声で叫んでおられるのだ?」
「女生徒を覗いているのがバレて怒っているんですって」
「ええ!?」
誰かが言った言葉に、人々が驚愕の声をあげる。
「ち、違う! 俺はただこの女の罪を暴こうと……ってあれ?」
王子の指差した先には、いつの間にか忽然とヴィオラの姿が消えていた。実はさっきの「女生徒を覗いて~」という台詞は、どさくさに紛れてヴィオラが人混みの中に入って言った台詞だった。
「ど、どこへ行ったんだ?」
「さ、さあ……」
護衛も困惑している。
「お前らがちゃんと見張っていないからこんなことになったんだろうが!」
「なあ殿下がノゾキが趣味だったって本当なのか?」
人だかりからそのような囁き声が聞こえてきて、王子は耳をすました。
「婚約者がいるのに何人もの女に手を出していたんだぞ。そんな趣味があったとしてもおかしくないだろう」
「確かに殿下ならやりかねない」
「嫌だわ。私も覗かれていたのかしら」
「ぐうう……こ、こいつら好き勝手言いやがってええ……!」
――プツン。
その時、王子の最後の理性が崩壊した。
「護衛ども命令だ! この私をノゾキ魔呼ばわりした奴を全員ひっ捕らえろ!」
「し、しかし……数が多すぎます」
「だああああ! 使えない連中め! いいからさっさと捕まえんかあああああ!」
「お、落ち着いてください殿下!」
とうとう王子が暴れだしたので、辺り一帯は悲鳴と怒号が飛び交う大騒ぎとなった。
「なんだか騒がしくなってきたわねえ。そろそろ午後の授業が始まる頃だし戻りましょうか」
どさくさに紛れて人混みから抜け出したヴィオラは、背後の騒ぎを余所にケイティ、フラン、ロディの三人に言った。
「そうですね」
ロディが素知らぬ様子で返事する。
「あの錚々たる顔ぶれを連続で相手にして軽くあしらうなんて凄すぎますわヴィオラ様!」
「私、一生ついていきます!」
ケイティとフランはうっとりとした表情でヴィオラを見ている。
「はあ、テニスする時間がなくなっちゃったわ。それにしても学園ってこんなにうるさい場所だったかしら?」
「あなたがそういう場所にしたんですよ」
翌日、王子は度重なる醜態により国王から自室謹慎を言い渡された。