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ランチタイムはヴィオラの数少ない味方と一緒にいられる時間帯だった。
中庭の庭園にある東屋で友人と再会したヴィオラは、チーズと野菜のパイ包みを食べていた。
大理石の彫像やトピアリーに囲まれながら昼食をとるのが日課になっている。
「それにしてもヴィオラ様がお元気そうで安心しましたわ」
「本当ですわ。学園でお噂を耳にしてどれほど心配したか……」
「フランもケイティもありがとう。この通り私はなんともないわ」
ケイティ――キャサリン・ポールソンは上級紋章官であるポールソン三等勲爵士の娘、フラン――フランチェスカ・エドワーズは枢密顧問官であるエドワーズ準男爵の娘で、両家はヴィクトリア家の傍系にある。
学園の授業は社会階層によって分けられているため、二人と一緒に行動できるのは朝の自由時間かこの時だけだった。
「ヴィオラ様、授業中に他の生徒から嫌がらせを受けませんでしたか?」
ストーンウェアのティーカップを置き、フランが訊く。
「ええ至って平穏だったわ。静かな環境で集中できたからとってもいい気分」
「周りから終始小声で罵詈雑言を浴びせられていい気分でいられるのはあなたくらいなものですよ」
隣で食事をとっていたロディがヴィオラにだけ聞こえるように囁く。
護衛の任務を預かっているロディは、授業中も教室の隅で待機しているのが、聞くに堪えない陰湿な言葉をぶつけられていた。
特に王子を慕っている令嬢たちがひどく、傍観者のロディや全く第三者の生徒ですら不快な気分になるほどだったが、当事者であるはずのヴィオラは微塵も気にする様子を見せず、優雅に授業を受けていた。
ただ単に強がっているだけなのでは、という可能性を考えて授業の合間に、ロディはヴィオラに精神状態をたずねてみたが、その時の回答がこれである。
「どうして悲しむ必要があるの? 皆に羨望の眼差しを向けられるのはとても光栄なことなのに」
「なぜそんなにポジティブに受け止められるのですか?」
――一般の淑女なら泣いて逃げ出したくなるものを、本当に樹齢千年の大木のように神経の太いお方だ。
「それよりこの後みんなでテニスをやらない?」
「ええ。もちろん喜んでお付き合いいたしますわ」
「ヴィオラ様は殿方に引けを取らないくらいテニスがお上手でしたわね」
ヴィオラの提案にケイティもフランも賛同する。
ロディも同意を求められたので、無言で頷く。女性に囲まれていても、中性的な容姿のためにあまり違和感なく会話している。
この国ではクリスのように勇猛かつ野性的な男性のほうが女性受けがいい傾向にあり、ロディのような容姿は軟弱な印象を持たれてしまう。むしろ男色家のほうに好まれることが多く、実際に何度かアプローチを受けたこともあった。
三人が会話に花を咲かせていると、ヴィオラの背後から突然不穏な人物がぶつかってきた。
「あ!」
「あら、ごめんあそばせ」
ウェーブのかかったハニーブロンドを腰の辺りまで伸ばした女性は、まったく悪びれる様子もなく、口元に笑みさえ浮かべている。
複数の令嬢と護衛の騎士を侍らせた彼女は、高身長な体躯に、美人だが高圧的な印象を受ける顔立ち。そして自分の美貌を見せつけるように全身にマーキスカットのルビーを贅沢にあしらった宝飾品を着けている。
彼女はエリザベス・ジョゼフィン・オブ・ローゼンバーグ。
海を隔てた隣国バヴェリア・ミューニック帝国からの留学生で、領邦君主ローゼンベルク選帝侯の令嬢。
帝国の言語ではエリザベート・ヨゼフィーネ・フォン・ローゼンベルクという発音で呼ばれる。
色々な意味でヴィオラとは対照的だがこれでも同じ15歳である。
取り巻きは授業中にヴィオラに嫌がらせをしていた令嬢だった。この様子だとエリザベスが黒幕だったのだろうと、ロディは確信する。
「ああどうしましょう。お茶がこぼれてしまったわ」
ぶつかられた際にティーカップを倒してしまい、奇跡的に誰の服にもかからなかったが、テーブル一面に赤褐色の液体が溢れる。
「みんなは大丈夫?」
「はい。私たちはなんともありませんわ」
ケイティは言葉で、フランとロディは頷く仕草で肯定する。
「まさかこんな公の場所で図々しくお食事なんかしているなんて、ご自分の立場を理解されていないようで、低劣な知能をしていますわねえ」
エリザベスの悪態に、ヴィオラではなくフランが反論する。
「ヴィオラ様は絶対にそんな方ではありません!」
「それにそちらからぶつかっておきながらその言い草はどうなんですか?」
ケイティも同調する。
「フン、下劣な小貴族の分際でこの私によくそんな口がきけるわね。少しは自分の身分を弁えたらどう?」
しかしエリザベスのひと睨みで、二人の勢いは消え失せてたじろいでしまう。さらに取り巻きの令嬢が追い打ちをかけるように口々に罵り始める。
「レディ・ヴァイオレットと一緒の時だけしか大きな態度に出られないのでしょうね」
「節度というものを知らないのでしょうね。他に友人はいないのかしら?」
「恥ずかしいとは思わないの? 本当に情けない」
かく言う彼女たちも、他国の大貴族であるエリザベスの虎の威を借りて王子の復讐をしているのだが。
しかし当のエリザベスは王子のことなど眼中になく、彼女の本当の目的はヴィオラだけだった。
実は二人はお互いの祖父母が兄妹同士で、又従姉妹の関係にあった。遠縁なので学園に入学するまで面識さえなかったのだが、人一倍気位が高く、品格を重んじるエリザベスは能天気な性格のヴィオラとはなにかと対立していた。
といってもエリザベスが一方的に嫌っていただけでヴィオラの方には特に悪い印象などない。
取り巻きの令嬢も、王子もヴィオラの友人二人も、彼女にとってはどうでもいいのだ。ヴィオラの鼻を明かせればそれでいい。
「ロディ!」
ケイティとフランが委縮していると、突然鋭い叫び声が令嬢たちの罵声を打ち消した。見るとヴィオラが決然とした表情で佇んでいる。
その迫力に、ロディに命令して実力行使に出るのではないかと思った令嬢たちは咄嗟に身構え、エリザベスの護衛騎士が前に出る。
「ロディ……」
「はい」
「テーブルが汚れたからなにか拭くもの出して」
思わぬ台詞にロディ除く一同は思わずガクッと脱力する。
「拭くものといってもアレしかありませんが……」
「アレでいいわ。このままにしておくわけにはいかないでしょう」
「……わかりました」
ロディから白い大きめの布を手渡されたヴィオラは、周囲の人間を完全に無視して黙々とテーブルを拭き始めた。
「って、あなた人が話しているのにその態度は無礼ではなくて!?」
「申し訳ありませんレディ・エリザベス。乾く前に拭かなきゃいけないので少々お待ちください」
「フン、貴族の娘が使用人のような真似をして――ん?」
その時、エリザベスの表情がにわかに一変した。
「あ……あ、あなた……そ、その布は……」
「え? これがどうかしましたか?」
「きっ――」
そう言ってテーブルを拭いていた布を広げて見せた途端、校舎中に響き渡るような途轍もない絶叫がエリザベスの口から飛び出した。
「きゃあああああああ! そ、それは私の新作のドレス!」