時計台の秘密③
③時計台の秘密
次の日、昨晩遅くまで子供たちとお祭りを堪能して疲れているというのに
アランは早くに目が覚めてしまった。
特に今日は予定がなく、家でダラダラしようと思っていた。
なので、スッキリ目覚めたが気分的には少しがっかりしていた。
アランは一階のキッチンへ移動した。
フライパンでベーコンを焼き、パンに乗せた。
冷蔵庫を開け、目に付いた紙パックの野菜ジュースを出し、軽く朝食を済ませた。
母親と兄はまだ寝ていたので、静かに家を出た。
空は少し曇り、街は静まり返っていた。
アランは野原の他によく行く場所がもう一つあった。
それは、街の図書館である。
アランはよくそこで数時間過ごしたりする。
その図書館は、この周辺の街の中で一番大きく、図書館を利用するために他の街から来る人もいる。
建物の外見はそう広く見えないが、入ってみると縦にも横にも広く、様々な本が揃っている。
まだ早朝だったため、図書館には老人が数人いるだけで空いていた。
アランはよく読む伝記の本が置いてある本棚へ向かった。異世界に興味があり、よくそこで調べ物をしていたのだ。
本の中には胡散臭いものもあるが、それも含めてアランは好きだった。
アランの家族はよく様々な街へ転居するが、異世界にはまだ一度も行ったことが無かった。
機会があるならいつか足を運んでみたいとずっと夢見ている。
ここにある伝記の本は、ほぼ全て読み尽くしていた。
たまには他のジャンルの本を読んでみようとちょうど歩き出したその時だった。
隣の列の本棚に見覚えのある顔を見つけた。
それは、昨日、お菓子屋の女の子の叫び声でいち早くかけつけてきた女性剣士だった。
彼女がアランの視線に気が付くよりもアランの方が数秒早かった。
アランは自分よりも長身の彼女の動きを護身用の短剣で止めた。
それでも、彼女は隙あれば攻撃を仕掛けようと戦闘態勢を解かない様子だった。
アランはゆっくりと彼女の耳元で囁くように言った。
「ここで暴動を起こすと、あなたもまずいのでは……?」
彼女は冷静になったのか戦闘態勢を解いた。
アランも、ゆっくりと図書館には似合わない物騒なものをカバンにしまった。
そしてゆっくり数歩、彼女と距離を取った。
「上へ来い。」
彼女はぶっきらぼうに図書館の天井を指さしながら口を開いた。
この図書館の最上階には、借りた本が読めるカフェスペースがある。
アランは彼女と一緒に透明なエレベーターに乗った。
アランは黙って彼女の後ろを歩いた。その際、お互い一切口を開かなかった。
カフェへ到着し彼女がカウンターで注文したので、アランもホットのブラックコーヒーを注文した。
アランがお財布を出そうとカバンに手を入れたが彼女に思いっきり睨まれたのでそのまま何も掴まず手をカバンから出した。
アランは少し迷っていたが彼女の「私が奢るからお金を出すな」という無言の圧力をそのまま素直に受け取ることにした。
街を一望できる窓側の席にお互い向かい合う形で座った。
アランは内心、緊張しながらもそれを一切態度に出さなかった。
反対にこれから何を言われるのかワクワクした気持ちもあった。
「それで、君は昨日あそこの窓で何をしていたのかしら?とりあえず名前を聞いておこうか。」
彼女は落ち着いた様子でアランに問いかけた。
威圧感を感じながらも、アランは少しの好奇心でこんなことを言った。
「剣士たる者、先に自分が名乗るのが礼儀ではないのですか、お姉さん?」
彼女は、アランの言葉に一瞬固まったがその後すぐに微笑んだ。そして、余裕そうに口を開いた。
「確かにそうだな。私はカロットだ。ここらで剣士として街の警備も行っている。」
カロットは大人っぽい雰囲気だが歳は意外と自分と少ししか変わらなさそうだと、アランは直感的に思った。
「僕はアランと言います。」
素っ気なく自己紹介した。すると、カロットが少し不思議なことを聞いてきた。
「君、もしかして………上に兄弟がいるか?」
「……上に兄貴が一人いますよ。それがどうかしましたか?というより何で分かったんですか?もしかして兄貴のこと知っ―――。」
「いや、別に何でもないさ。とりあえず、昨日のことを詳しく聞こうか。」
アランは話を逸らされたことに少し不快な感情を持ったが、それ以上は何もそのことについては追求しなかった。
「昨日は別に悪いことをしていたわけではありません。冤罪ですよ。」
「ほうほう、女の子に叫ばれるようなことをしておいて冤罪だと君は言い張れるのかな?」
カロットは鋭いところを突っ込んできた。
確かに昨日、お菓子屋の窓を興味本位で覗いていたのは事実である。
しかしタイミング悪く、部屋の中から出てきた女の子に叫ばれてしまっては誤解が生じてもおかしくはない。
カロットの顔色を窺うと真剣だったため、嘘をつけないと判断し、アランは正直に話すことにした。
「そうですね、通りすがりのお菓子屋さんがとても人気だったので、一体どんな人がお菓子を作っているのかと興味本位で覗いてしまいました。」
カロットはアランの話を聞くと満足そうにカフェモカを口に含んだ。
「それで、その中から出てきたお嬢様と鉢合わせたってことか……。君は相当、運が悪かったのだな。」
アランはカロットの言葉に違和感を覚えた。
「あそこの女の子、どこかのお金持ちとかなんですか?お嬢様って……。」
「あ、これは失礼。お嬢さんだな。」
カロットは、少しお茶を濁すように言った。
「もう一つ聞いておくが君はどこかのギャングなどには属しているか?」
カロットは、再び厳しい眼差しで質問した。
「どこの団体にも所属してませんよ。僕はここの街に越してきてから一年くらいしか経っていませんしね。」
アランは、胸を張って言い切った。
「そうか。それならいいんだ。」
カロットは、目線を逸らしながらカフェモカに口をつけた。
「可愛らしいお嬢さんでしたね。」
アランは興味本位で軽々しくそんなことを言った。
するとカロットは、さっきとは打って変わって、強めに言葉を発した。
「変な気を起こすなよ?」
その瞬間、お互いの空気がピリピリした。
アランが冗談ですよ、といたずらをした子供のように笑うと少し場が和んだ。
カロットは続けて小さな声でこう続けた。
「でも、あの辺りはあまり近づかない方がいい。」
その後二人は一時間くらい他愛もない話をしてカフェを後にした。
「なかなか楽しかったよ。一応、私と接触したことは内密にしておいてほしい。じゃあ、私はこっち側だからまたな。」
カロットはコツコツと軽やかに歩いて行ってしまった。
その後ろ姿はとても美しく、レンガ造りの街並みと一緒に絵になりそうだった。
アランはしばらくその後ろ姿に見とれていたが、カロットとは逆方向の家に向かって歩いた。
狭い路地に入り、アランは何か違和感に気がついた。
この辺りでいつもシャーナがお出迎えをしてくれるはずなのに今日は気配すら感じなかった。
周りを見渡したが、何か嫌な予感がした。
アランは、家には帰らずに踵を返しバザールの方へ駆け出そうとした。
その瞬間、屋根の上から聞き覚えのある声が聞こえた。
「そんなに焦ってどうしたのよ。」
見上げると人間の姿で黒いワンピースを着たシャーナがこちらをじっと見つめながらしゃがんでいた。
その姿を見て、アランはホッとした顔をした。
シャーナはしゃがんでいたためスカートの中は見えなかった。
内心、アランがガッカリしたことを見透かしたようにシャーナは呆れたような顔をした。
「………何か?」
「あ、いや別に………。人間の姿でそんなところにいるなんて珍しいね。」
アランが目を泳がせながらごまかした瞬間、遠くの方からアランを呼ぶ声が聞こえてきた。
「アランいるかー?」
兄の声が曲がり角の方から聞こえた。
それに驚いたシャーナは屋根の上からバランスを崩し、背中から落ちた。アランはそれを予想していたかのようにすんなり抱きかかえた。
「アラン、いないのか………?どこまで行ったんだよ。」
アランはシャーナを抱きかかえたまま兄からは見えない死角に隠れて上手く交わした。
兄はすぐにどこかへ行ってしまった。
アランの腕にすっぽりと収まっている人間の姿のシャーナは、身体を強ばらせアランの服を握りしめていた。
シャーナはゆっくりと顔を上げ、アランと目が合うと、少しずつ身体の緊張を解き、いつも通りの表情で冷たく言った。
「早く下ろしてくれる?」
なんの躊躇もなく、それはトゲトゲしい言葉だった。
「勝手に落ちてきてそれは酷くない?」
アランは、意地悪なことを言いながらシャーナに顔を近づけた。
シャーナは、珍しく少し動揺していた。
パッとアランから目を逸らしながら小さな声で呟いた。
「ありがとう………。」
「えっ、聞こえなかったなぁ。」
アランは、調子に乗ってシャーナに聞き返した。
しかし、シャーナがムッと口を結んだのでゆっくりと地上に下ろしてやった。
「怪我はなかった?」
見た目はどこも異常が無さそうだったが、念のためアランは優しく問いかけた。
「えぇ、お陰様で無傷よ。」
無愛想な返事が返ってきた。
「本当にシャーナはポーカーフェイスだよね。もっとこう、ドキドキとかいう感情はないの?」
「だから、猫に喜怒哀楽は無いって言っているでしょ。」
シャーナは、少しムキになっていた。
そんな少しいじけたシャーナをアランは微笑ましく見つめた。
アランが家へ帰ろうと背中を向けると、シャーナが口を開いた。
「今日は何か用事でもあるの?」
「え、いや特別なにも無いけど……。どうして?」
アランは珍しそうに聞き返した。シャーナは片手で耳をいじりながらそっぽを向いてこう言った。
「…………別に。」
アランは、シャーナらしくないと不思議に思った。
しかし、いつものように少しからかってやろうと軽口をたたいた。
「え、なになに。もしかして僕が帰ると寂しい?しょうがないなぁ、それなら―――。」
「違うわよっ。」
シャーナは、駆け出して行ってしまった。
「………もう素直じゃないんだから。」
アランは、シャーナが走っていった方向を見つめながら少し寂しそうに呟いた。
家に帰ると母親の怒声が響き渡った。
「アラン、あなたは朝からどこへ行っていたのよ!朝食は食べたの?」
「ちょっと、朝のお散歩に……朝食は食べたよ。」
アランは誤魔化すようにそれだけ言い残し、二階にある自分の部屋へ向かった。
自分の机の上に散らばっている本や教科書を片付け、この街の地図を広げた。
昨日辿り着いたお菓子屋の場所を確認したかったからだ。
どうしてもアランはさっき、カロットに言われた言葉が気にかかっていた。
もちろん、「近づかない方がいい」と言われたことは覚えていた。
しかし、アランの心の中ではそれ以上に好奇心が勝っていた。
そんなことを考えていると、いきなり部屋のドアがノックされた。
返事をすると母親が心配そうに顔を覗かせた。
「言い忘れていたことがあったわ。最近この街で噂になっているお菓子屋さん知ってる?その辺りで変質者が出たらしいから気をつけなさいよ。」
(その変質者ってもしかして………)
アランは内心焦っていた。
多分、その噂になっている変質者とはアランのことで間違いないだろう。
アランは心の動揺を悟られないよう冷静を装いながら返事をした。
「あ、うん。気をつけるよ。」
「まったく、物騒な世の中になったものよね。」
母親は呆れたようにそれだけ言うとドアを閉めた。
アランは、乱された心を落ち着かせるため、机に飾ってある星屑の砂時計を手に取り、ひっくり返した。その砂が全て落ちきるまでずっと砂時計を見つめていた。
(お菓子屋さん、気になるなぁ。カロットさんには悪いけれど、やはりもう一度見に行こう。)
出かけることを決心するとおもむろに用意を始めた。
洋服棚に掛けてある帽子と青いペンダントを首から下げてすぐに家を出た。
アランは十分、用心しながらお菓子屋へ向かった。
店の前には今日もお客が並んでいた。
アランは、何気なくその列に並んでみた。
陳列棚には昨日と同じく美味しそうな手作りのお菓子がたくさん並んでいた。
売っているのは、少しふくよかなおばあさんだった。
アランの順番が回ってきて、陳列棚を見渡した。
一番たくさん量の入ったクッキーの詰め合わせを買った。
お会計を済ませてそれをカバンに入れようとした瞬間だった。
お店の中から突然綺麗な手が伸びきてアランの腕を掴んだ。
ゆっくりと正面を見ると昨日、遭遇した女の子が少し怖い顔をしながら立っていた。
腕を振り切ろうとしたが女の子にしては握力が強く、無理だと思った。
アランの様子に気がついた女の子は、短く言葉を発した。
「ちょっと裏にきて下さい。」
アランは言われるがままに、店の裏に連行された。
昨日、アランが覗いていた部屋に連れてこられ、椅子に座った。
床には綺麗なじゅうたんがひかれていた。部屋の中には机と椅子と食器棚があり、奥に小さなキッチンがあるだけで至ってシンプルだった。
部屋の中を見回していると女の子が紅茶とお菓子を持ってきた。
無言で机の上に置き、女の子はアランの目の前に座った。
しばらく、俯いていたが周りを気にしながら口を開いた。
「昨日は、いきなり叫んでしまってごめんなさい。」
アランは謝罪されるとは思ってもみなかったので驚いた。
その様子から、彼女はアラン以上に昨日のことを気にしていたようだった。
彼女は言葉を続けた。
「その………いきなりドアを開けたらあなたがいて、驚いてしまって………。」
アランはそのオドオドした様子に笑ってしまった。
彼女は、アランの様子を窺いながら少し恥ずかしそうに目を逸らした。
アランは彼女を見つめてゆっくりと口を開いた。
「こちらこそ、ごめんね。僕も驚かせるつもりは無かったんだ。」
彼女は、アランの言葉を聞くとホッとしたような顔をしていた。アランは続けて言った。
「君がこのお店のお菓子を作っているの?」
「はい、そうです。このクッキーも私が焼きました。これはお店の売れ残りですけど…。」
彼女は緊張しながら答えた。机に置いてあるクッキーを皿ごとアランの方へ差し出した。
アランは、目の前に置かれたクッキーをいただきますと小さく手を合わせて一口食べた。すると口に入れた瞬間、溶けるような感覚に陥った。
「どうですか、お口に合いますか……?」
彼女は、少し不安そうにアランの顔色を窺った。
「うん、とても美味しいよ。」
彼女はホッとしたように胸を撫でおろした。アランは紅茶に口を付けた後、彼女に質問した。
「君はどうしてこんなに過保護にされているんだい。」
「それは……。」
彼女は表情を曇らせながらゆっくりと口を開いた。
「とある秘密を知っているからだと思います。たまたま知ってしまっただけですが……。」
彼女が続けて何か言葉を発しようとした時だった。
渡り廊下から足音が聞こえた。
だんだんとその音が大きくなり、バタンとドアが開くとおばあさんが少し息をあげながら立っていた。
「お嬢様っ!大丈夫ですか?」
彼女は、何事かとドアの方へ振り返った。おばあさんは血相を変えて走ってきた様子だった。
「はい、大丈夫です。今、この方と………?」
彼女は冷静に今の状況を説明しようと目の前に座っているアランに目を向けた。
しかしそこには誰も座っていなかった。
彼女は、その光景に目を疑った。数秒前まで顔を合わせて話していた相手が一瞬にして消えたのだ。
彼女は席を立ち、部屋全体を見渡した。
しかし、部屋には自分と今ドアから入ってきたおばあさんしかいなかった。
「どうされたのですか?」
「いえ、別に………すぐにお店へ戻ります。」
彼女は今の一瞬で何が起こったのか分からなかった。
おばあさんは、かしこまりましたと部屋から出て行った。
彼女は今起こったことが信じられなかったが、残っていた紅茶を一気に飲み干し片付けを始めた。
彼女がお皿に手を伸ばすと、クッキーもいつの間にか全て無くなっていることに気が付いた。
不思議な気持ちのまま彼女はお店に戻った。
一方その頃アランの家では、重要な手紙が一通、届いていた。
「母さん、この封筒―――!」
アランの兄は、家に来たポストを開けて一通の手紙を母親のところに持ってきた。
母親はそこの封筒が何を意味するのか一瞬で分かった。
なぜなら、前にも同じものが兄宛に届いたからだ。しかし、今回はアラン宛の手紙だった。
「これは………!」
母親は封筒を明るい表情で見つめていた。この封筒の意味をまだアランは知るはずも無かった。