ここはティーサロン
[ここはティーサロン]
荷解きをすませると、父の部屋に行けるかとじぃやに訪ねた。
倒れたと聞いて帰ってきたこの家だったが、何も教えてくれない。
「すぐに会いに行かれますか?」
心配そうに聞いてくれるじぃやを不思議に思った。
私が帰ってきた理由なんてそれくらいしかないのにどうして言いよどむのだろう。
「何かあった?」
「お嬢様には少しお辛い事もあると思います」
父が倒れてすぐにでも事業を引き継がなければならないのなら、きっとすぐに会って話をするべきだ。
それなのに、どうしてなのか全く分からない。
「大丈夫よ、それより会社が回らなくなることの方が心配だわ」
「そのあたりは大旦那様が戦陣を切って指示をなさっておりますよ
部下の方々は色々と大変そうですがね」
「おじいちゃんが!?」
もうとっくに引退した祖父が先頭を切って仕事をしているというのに、私がのんびりしているわけにはいかない。
「先に父に会うわ」
「承知いたしました」
コンコン
ノックしても中から返事が聞こえることは無かった。
入るわよと声を掛けるとじぃやがドアを静かに開けてくれた。
正面にはベッド、その上には外を見てただ座っている父が見えた。
あれ?こんなに小柄な人だったかしら?
五年前、別れたきりの父。
まだ最近の記憶だと思っていたのに、案外違って見えるものだ。
「いるなら返事してくれてもいいのに
お父様、今帰りました」
呼びかけても返事はない。
「ちょっと」
全くの無反応な父に少しのいらだちを覚えて、正面に回り込む。
きっと私は見ない方が良かったのだ。
後ろ姿だけで色々と察するべきだったのだ。
たくさん働いていつもまっすぐに伸びていた背筋が丸く小さく見えた時に全てを知るべきだった。
その瞳にはもう光は見えなかった。
「お嬢様、こちらへ」
お茶でもしましょうかとじぃやが誘ってくれた。
部屋をゆっくりと出るように促されたが目眩がするように足下が覚束ない。
「さぁ、じぃの肩に手を置いて下さい」
しわくちゃの手で私の手をゆっくりさすりながら手を自分の肩に持って行くと、じんわりと温かく伝わった。
「大丈夫ですよ、じぃがいますからね」
「うん」
倒れただけだと聞いていたけれど、
父は心を壊してしまったのだとすぐに悟った。
よく考えてみれば、こうなることは分かっていたのだ。
優しい、優しい人だったから。
今はこのじぃやの優しさだけが私の立っている場所を教えてくれた。
「お屋敷で一つ新しくなった場所があるんですよ」
そうやってまた優しくじぃやが話しかけてくれる。
ようやく落ち着きを取り戻した私を見て、ついでに屋敷がここ五年間で変わったところを案内してくれるという。
「では先に、お茶を用意してきます」
部屋の外に控えていた杉村は軽くお辞儀をして廊下の先へ消えていく。
「じゃあ私も!」
と黒崎もすぐ後を追って出て行ってしまった。
仕方ない子たちですね、とじぃやがクスクス笑ってはいるものの、後々のお仕置きを考えているのではと私は気が気では無かった。
「お嬢様にどっちが先にお茶を入れるのか競っていましたからね」
楽しみにして上げて下さいねと言いながら後をゆっくりと追いかける。
案内と言っても勝手知ったる自分の家。
殆ど何も変わらない。
玄関に飾られた絵画も今の季節にあわせて変えているものだし、廊下に香るのも私の好きなお菓子のバニラの香り。
昔はよく廊下の絨毯の毛の長さに足を取られながら歩いたものだと思い出に浸りながらじぃやの後ろを歩いた。
「さぁ、こちらですよ」
案内された先に立ち止まる。
「え?どうして?ここは」
「えぇ、大旦那様のお部屋です」
私が小さい頃によく出入りしていた祖父の部屋。
「ここは良く知っている部屋よ?
どうしてここを案内するの?」
「こちらが新しくなったお部屋だからですよ
さぁ、中へどうぞお嬢様」
この中の配置は良く知っている。
正面に大きな窓。
左側には天井まで届く壁一面の本棚。
その本棚に背を向けるように配置された執務机。
部屋の右側には私があこがれた天蓋付きのキングサイズの漆黒のベッド。
のはずだった。
「あれ?」
ほとんどの配置はそのままだった。
けれどあのベッドはそこには置かれていない。
そのかわりに置かれていたのは猫足の可愛い丸テーブルと座り心地の良さそうなふかふかなソファ。そしてクッションだった。
「どうして?」
そこに祖父の姿を探してしまう。
「大旦那様はお嬢様が帰ってくると聞いて、この部屋を出られました
これから色々な事があるお嬢様にこの部屋を開放なされたのです」
まるでこうなることを祖父は知っているかのようだった。
「お茶ができましたよー!」
空気を読まない声が部屋に入ってくる。
黒崎だ。
「お嬢様こちらへ」
元気に紅茶を乗せたワゴンを押して入ってくる黒崎とは対照的に、落ち着いた雰囲気で席へ案内し膝にナプキンをかけてくれる杉村。
二人で一つと言ったじぃやの言葉を思い出して、思わず笑ってしまいそうになる。
「なんですか?」
不思議そうに顔をのぞき込む杉村に
なんでもない、と言うと、そうですか、とあまり納得していない表情を浮かべていた。
「さぁ、お嬢様!私が淹れた紅茶ですよ」
にこやかに用意を始める。
ティーカップはロイヤルアルバートのレディーカーライル。
ロイヤルアルバートらしい美しい花柄だ。
勿忘草、ブルーベル、薔薇があしらわれ、それぞれに私を忘れないで、変わらぬ心、上品などの花言葉がある。
「本日の紅茶はルンビニ茶園よりルフナをご用意致しました
お嬢様のお好きなマドレーヌにあう紅茶ですよ」
「どうしてそれを?じぃやに教えて貰ったの?」
私がマドレーヌを好きなのはまだ言っていないのに一番好きな組み合わせを持ってきてくれる。
「一杯目はそのままで、二杯目はミルクをほんの少しいれる
お砂糖は使わない、ですよね?」
「えぇ」
「私達は執事ですから
お嬢様の好みぐらいちゃんと把握してますよ」
自信満々に鼻息荒く黒崎が語る。が、
「ちゃんとじぃやに躾られてますからね、私達は」
「ちょっとー、杉村君ー」
とさっさとばらしてしまうあたりこの二人は本当にバランスが取れている。
ソーサーを持ち上げて左手で持ちながらカップを右手で持ち一口飲む。
甘い香りが濃いオレンジの水色から広がりほどよい渋みが舌を刺激する。
十分おいしい。
いつの間にか後ろでじぃやが小さなティーカップに少し注いで飲んでいる。
「今日は上手にいれられましたね」
と及第点のようだ。
「マドレーヌはパティシエが今日の朝焼いてくれたものです」
小さな貝殻シェイプをしたものが二つ出されると
「変わらないわね」
と思わず呟いた。
「ですがね・・・」
とじぃやが含む。
一口食べてみると、私が食べていた時とは少し違う甘さと柑橘の少しほろ苦い感じがする。
「菅原が作ったの?」
私が生まれたときからここのパティシエは菅原というものが務めていた。
その菅原が作ったものによく似ているが、いつもより何かが違った。
「ね?」
と微笑みを崩さないじぃやは杉村を仰ぎ見る。
「そうですね、お嬢様の舌はだませませんね」
みんなが変に笑う。
「でもおいしかったでしょ?お嬢様!」
「えぇ、おいしいわ黒崎」
「だって、杉村!」
美味しいという一言に自分の事のように喜ぶ黒崎。
「砂糖の代わりに蜂蜜を加え、ほろ苦い柑橘はゆずのピールを
私が焼かせていただきました」
「えっ!?」
「この子はね、菅原の元で修行してお嬢様にいつかお出しできないかと考えていたんですよ
まさかこんなに早くご用意が叶うなんてね」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる杉村に感嘆とする。
「ここはお嬢様の為に大旦那様が用意した休息場所
たぶん息が詰まる事もたくさんあるお屋敷の中で
少しでも安らげるようにと
だから、いつでもくつろいで下さいね」
天井に吊るされたシャンデリアがキラキラ輝き、落ち着いたピアノ曲が流れる。
紅茶と甘いバニラと少し古くなった本の香り。
それ以外は何もない。
ここはティーサロン。
私が唯一安らげる場所になった。