>強ければ何をしてもいいだろう
>強ければ何をしてもいいだろう
知性があるから
原人レベルの生活をするオークなのに
中途半端に人間っぽい野生のオークですね
強ければ~だ とか
弱いから~だ とか
そういった「弱肉強食」なんて不自然な事を考えるのは人間だけで
●
群れをつくる野生の生物は「群れで生きている」だけです
そして
「哺乳動物の一種であるホモ・サピエンスという動物」もその例に漏れず
キツネザル類、オナガザル類、類人猿と同じような生存戦略をとっていました
しかし
大脳新皮質と呼ばれる部分の発達と言語による経験則の共有化により
「自然淘汰に従わず獣としては生きずに、自然環境を集団連携で改造して生きること」を生存戦略として選び
「人」は文明社会を築いていきます
●
そして
「狩猟文明」で生まれた「規律」といった概念を
「群れの統率という本能」と区別する必要が生じた「農業文明」の初期に
善 = 共存する意志、「人間」の生存戦略を肯定する生き方
悪 = 自分や自分達さえ得をすればいい「損得を第一に考える生き方」
邪悪 = 愚かさと悪の結合、「生物の自滅本能である“ 共食い ”や“ 同種の殺害 ”」を肯定する獣
必要悪= 「権力という悪」による邪悪の排除システム
といった概念が育ち
「原始共産制」ともいう「共存」の時代から
「暴力による社会支配システム」の時代へと変わり
「支配」が、皆の生活を「支」え、公平に「配」るという意味から抑圧と従属を強制する征服の意味に変わっていきます
権力者の邪悪化によって
自らを必要悪と定義した権力者の「誤魔化し」で「他の社会の否定」をして
「戦争」が生まれ
前史の時代は終わり、「歴史」が始まります
「血統主義による富の収奪」という「悪」で階級化社会が生まれ
社会は「建前」で「悪」を否定しながらも「本音」で権力者のみに「悪」を肯定する矛盾したものとなります
善が否定する「自然淘汰システムの否定」を誤魔化した「人為的淘汰システムの肯定」
という「悪」の時代の到来です
そこで
善 = 共存する意志、「人間」の生存戦略を肯定する生き方
必要悪= 人為的淘汰システムを正当化する概念、悪による邪悪の排除システム
悪 = 自分や自分達さえ得をすればいい「損得を第一に考える生き方」
邪悪 = 他者の不幸が自らの幸せ、「人為的淘汰システムの狂信者」愚かさと悪の結合
へと概念は変化します
「弱肉強食」というのは「不自然な人為的淘汰システムの肯定」ですので
人間はこの段階で
「有形無形の暴力を肯定した」
強ければ~だ とか
弱いから~だ とか言い始めます
自然の淘汰システムにおいて
強さという概念は存在せず
野生の動物は勝ち負けを競っても
生きるか死ぬかの状況において「強さ」なんて意識しないものですから
まあ
オークという創作上の生物は人間の心から生まれたので
当然といえば当然なのですが
実に文明化した悪人くさい生き物で
野生の生物とは一線を隔した存在ですねぇ




