>パワハラってなんなんだーっ!?
>パワハラ
叱責とパワハラですか……
米国化が進んで、日本人も欧米のフリーメイソン的な考え方をする人間が増えたから
なのかもしれません
自由と平等と平和を奉じる「民主主義」の解釈は色々ですが
目上と目下という概念自体を否定すると
叱責は「子供のしつけ」くらいでしか使えなくなりますからねぇ
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地位の上下を役割の違いとして捉え、人間的に平等と見るなら
「法の下の平等」は、民主主義社会としては、否定してはならないものなのですが
それは「法の下の平等」であって「教育の否定」ではありません
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どうも、そこらへんを
故意に混同した理屈を広めたり
その理屈を信じて混同してしまう人間が増えているように感じます
何処にでも理想を悪用しようとする人間や理想の本質を理解せずに
自らの利益のために利用しようという人間はいますからねぇ
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社会が「精神的な子供」の「しつけ」を行うというのが
古くからの日本の教育の在り方でした
これは
御家の為に死ねなどという「封建主義者」によって利用され
御国の為に死ねなどという「軍国主義者」に悪用されますが
本質は「知識を多く持つ先達が教育を効率的に行うシステム」です
このシステムは民主主義社会だからといって否定されるべきではないでしょう
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何故なら、「人は学習によって、初めて人になる」からです
宗教的な「神というフィクション」を排除して
科学的に考えるなら「人間は動物の一種」です
子供は学習によって精神的に成長しますが
それは人としての「社会的な大人への成長」ではなく
動物的な「利己的な大人への成長」です
要は、社会的倫理やルールを学ばねば
前者を学ばねば「悪人」に後者を学ばねば「無法者」になるということです
いわば「教育の必要性と大儀」は
そういった考え方から生まれています
○
ここでパワハラの問題に返りましょう
「封建主義者と軍国主義」を「民主主義」で否定して
「神というフィクション」で「平等」を考える
フリーメイソン的な考えが増えたのではと思った理由でもあるのですが
「教育」と「パワハラ」の混同は
「目上と目下」や「平等」の解釈が問題になってきます
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本来の意味合いである
「目上=知識を多く持つ先達」で
「目下=未熟な教育を受けるべき存在」である
というものを
「封建主義者と軍国主義が故意に混同させた考え方」ですり替え
「目上=権威を持った上位者」で
「目下=階級主義に従った下位者」である
という誤魔化しを一般化させた意味での言葉が現在の日本では
よく考えもせずに使われています
この二つの混同が、上司と部下の間になければ
上司の言葉を部下が聞くかどうかはコミュニケーションや教育論なので別として
「パワハラ問題」というのは生まれてきません
○
欧米で
「神=フィクション」は禁忌に近い考え方なので
「神の下に平等に愚かな人間」と考えると「同等なんだから教えてもらう事などない」となるので
これも欧米化なんでしょうねぇ
そういった聖書宗教のカルト的誤魔化しを抜きに
「パワハラ」の事を考えてみると
「子供のしつけ」についての考え方に行き当たりますが
これを必要ないと考えるのは
「親の怠慢」であり「親の横暴」であるというのが
「親の教育の義務」というルールというか日本の法律です
「しつけ」を教育と考えない人間もいますが
シュレッダーの紙が入る部分を指で突いて遊んでいた子供を
口先だけの注意で本気で叱ろうとせずに
結果的に指を失わせてしまうといった事故
などの事実を考えれば
その事が誤りであるというのは明白でしょう
当然、「しつけ」が「子供の虐待」になっては意味がないので
「子供に対する愛情」が「しつけ」の根本には必要です
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「しつけ=教育」と「虐待=パワハラ」の違いは何でしょう?
感情的にいうなら
「叱る」のは叱るほうも叱られるほうも嫌なもので両者にストレスが溜まります
「虐待」は怒るほうはストレスを発散させ怒られるほうはストレスを溜め込みます
これを混同して
叱責を「愛情故のもの」と理解させないと
教育というものは成り立たないので
そういった配慮が教育者には必要となります
○
実際に当事者でない会社の上層部としては
その違いが判らなければ対応ができませんので
優秀な上司ならば、こういった混同をゆっくりと解消して
きちんとしたホウレンソウで人間関係を維持できるのですが
どうでしょう?
○○さんの上司は優秀そうですか?
そうでなければ、○○さんが頑張って部下にそれを理解させるしかありません
既に引退して久しい老骨の考え方ですので
参考になるかどうかは判りませんが
教育について勉強して考えるのも出世の糸口になるかもしれませんよ




