>極東国際軍事裁判は復讐だったのかそうでなかったのか、どう思いますか?
回答の前に、極東国際軍事裁判というものについての認識の一致が
違う場合もあるでしょうから、それについて触れてから回答したいと思います。
客観的に考えるならば、民主主義における裁判とは、どういったものでしょうか?
利害の衝突や紛争を解決したり調整するための、権威を持つ利害とは無関係の第三者が下す拘束力のある判定です。
まず第一に考えなければいけないのは、極東国際軍事裁判と言われている処刑プロセスが、裁判とは名ばかりのパフォーマンスであった事です。
では、何故そう言えるのでしょう?
The International Military Tribunal for the Far East
極東国際軍事裁判とは、その翻訳です。
時期的に報道の検閲も行われていたので、Tribunal という言葉を裁判と翻訳させ使わせたのはGHQですが、これは日本人が考える裁判=trialとは異なるものです。
Tribunal は批判という意味合いを持っているように、対象が悪である事を前提とした場合に使われる裁きのことです。
Lynch law=私刑という言葉との違いは、軍や政府といった暴力的支配を対外に許容された組織が行っているかどうかの違いでしかありません。
つまり
司法のようだがまともな司法ではない機能を行使する裁きに用いられるものです。
では、どういう翻訳が妥当なのでしょう?
裁判でないと考えたうえで、国際法による国際平和を護るという観点で、このパフォーマンスを考えて裁定という翻訳だとどうでしょう?
それも、当てはまりません。
裁定であるためには、公平性のために、利害とは無関係の第三者が下す判定でなければならないからです。
戦勝国が裁く側に立っている以上、第三者が下す判定ではありません。
世界大戦であったため利害とは無関係の第三者が存在しない?
それならば、公平性のために、敗戦国も含めた全ての国家から裁判官を招集して行うべきでしょう。
この事から、このパフォーマンスが、「裁き」といえるものではないといえます。
しかも、A級犯罪とされた“ 平和に対する罪と人道に対する罪 ”というもの自体が戦争の後に創られた事後法によって定められたものです。
ラダ・ビノード・パール判事の
「平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反する」
という主張は今日では認められています。
もちろん、“ 平和に対する罪と人道に対する罪 ”を問うのは間違いと言っているのではありません。
それを裁けるだけの公平な裁判や裁定のためのシステムと組織が存在していないというだけの話です。
あたりまえですが、現存の権力機構と国家間の対立を利用する利権組織は、世界統一を望みません。
軍産複合体も石油メジャーも穀物メジャーも、国家の対立と不平等があるからこそ成り立つ全ての組織は、「平等」も「友愛」も「寛容」も「人道」も望みません。
自分達の利権を守るルールに従う被支配者に、限定的な「自由」を与えて、自分達の為の「自由」を謳うだけで、「自由」すら望みません。
だから、その場限りのパフォーマンスとして、冷戦時には日本とドイツ以外では忘れ去られていきました。
つまり、このパフォーマンスは、生贄を選ぶための茶番でしかなかったということです。
それならば、「極東国際軍事供犠」という意訳が、真にこのパフォーマンスを表しているのだと思います。
では、このパフォーマンスで処刑された人間は、何のために、何に対する生贄になったのでしょう?
何のためにかといえば
これが戦争の結果、戦勝国が戦敗国の軍に対して行ったパフォーマンスである以上、見せしめという言葉が妥当でしょう。
何に対するかといえば
生贄とは“ 神という虚構の産物 ”の権威づけに行われていた行為である以上、“ 国連に象徴される戦勝国の造った国際秩序 ”です。
後にマッカーサーは東京裁判は失敗だったと語っています。
それは「日本国」を“ 国連に象徴される戦勝国の造った国際秩序 ”に対する生贄にしたことで、冷戦下での日本の利用がし辛くなったからです。
冷戦下での日本の利用がし辛くなったとは、どういうことなのでしょう?
“ 国連に象徴される戦勝国の造った国際秩序 ”に納得できない人々が、パール判事の日本無罪論を田中正明氏がGHQの占領下から開放されて後に紹介したことで、安保闘争などの政治活動の要因となったからです。
“ 国連に象徴される戦勝国の造った国際秩序 ”を、属米国家としての日本の支配利権が肯定して、それを否定する旧来の地方名家の子供達や共産主義者や国粋主義者が入り乱れての混乱が安保闘争と呼ばれた政治活動でした。
この安保闘争は、現在では共産主義者や無法主義者が起こしたテロのようなものと考えている人もいるようですが、決して「反日活動」などと混同して語られるものではありませんでした。
「大日本帝國復古」や「反属米活動」や「日本独立運動」と呼ばれるものに、「在日朝鮮勢力」と「東側の諜報」と「西側の防諜」が混在したものが、安保闘争と内ゲバとそこから巻き起こったテロや暴動の実態です。
そういった事を、当時のTVなどは語らなかったので、本当の意味で日本の復興に努力した“ 政治と関る余裕さえなくしていた人々 ”は、そのことについて語らず、その時代の子供達は“ 受験戦争や目先の娯楽というローマ帝国式の大衆操作活動 ”で政治に関心を持たなくされていきます。
属米的風潮を造る大衆操作のために、日本のTV局に古いハリウッド映画を唯に近い値段で供給していた関係を見れば解るように、当時のマスコミは戦勝国アメリカと深い関係を持っていました。
米国CIA主導の報道操作や公安のスパイに煽られた内ゲバなどで、テロや暴動へと誘導され日本国内から、“ 国連に象徴される戦勝国の造った国際秩序 ”に反する組織的な勢力は、駆逐されるか本質を見失うか、消え去ります。
報道は、そうした実態を広くに伝えられず、必然的に、戦勝国の利権に追従する政治組織だけが残ります。
さて、こういった事実からも解るように、アメリカは戦後の日本を支配するために、このパフォーマンス行ったというのが、極東国際軍事裁判と銘打ったパフォーマンスについての私の認識です。
そこで、当時の状況を客観的に分析してみましょう。
海軍は既に組織勢力として壊滅し完全敗北状態、反抗できる勢力は国内に潜在的に存在する陸軍勢力のみ。
また、日本国憲法の趣旨を見れば解るように、日本は太平洋に対して東側が出て行く事を抑えるためだけの存在と考えられていました。
つまり、将来的に海軍を利用する事はあっても、陸軍の利用は考えられていない状態です。
この二つの事実が導き出した政治的パフォーマンスが、そういうものだったというのが私の答えです。
貴方の質問の答えとして納得いただけたでしょうか?




