>他者否定の風潮
確かに
ネガティブキャンペーン溢れる資本主義の影響なのか
権威主義によるファシズムの影響なのか
ちょっとした不便も嫌がり否定する人間が増えてきたような気がします。
そして自分の意見が通らないことを、短絡的に意見の否定と捉える人間も、また増えているようです
在日特権と呼ばれる問題や
宗教の税制優遇の問題など
利権に関る人間が金権政治で公権力に働きかけ
公平な権利と特定利権を混同させた理屈を政治の場で振り撒き
それをマスコミが論理的検証もせずに取り上げて
その論法が利権団体を通じて民間に広まったのが原因でしょうか?
肥大する欲望の制御をできなくなれば
待つのは戦争や略奪ですが
それを肯定する権威主義の勢力は
欧米に特定アジアにロシアに南米にアフリカと
勢力や洋の東西に関らず広まっています。
日本でもファシズムを肯定する人間や
相手にファシズムのレッテルを貼るという被害者偽装ファシズム
というような論調が在日や部落問題以外でも目立ってきています。
他者の意見を聞かずに自分の意見を主張し
自分の意見が選ばれなければ差別で意見の封殺だと主張する。
そういう言論闘争の影で金権や暴力よって利権を確保する
その行為こそが他者の意見の否定で
民主主義の否定です。
意見を述べる場があるならそれは封殺や黙殺ではなく
単に意見が通らなかったというだけのことだし
多数の意見だと私見で決め付け
多数決の場でない場所で声を高らかに主張して意見を通すのはプロパガンダです
それを理解して行うなら
その人間こそが他者の意見の封殺者で黙殺者です。
それを理解しないなら
その人間は考える事を怠った欲望の奴隷です。
何れにしろその意見に公平性や客観性は期待できません。
これは、そういうエピソードなのでしょうね。
利権が絡む場で
立場を越えて公平性や客観性を貫くのは大変です。
けれど
遊びや趣味の場でなら
昔から多くの人がそういった立場を護っていました。
それを'「粋'」といいそれが解らないのを'「野暮'」という。
今ではそんな風潮や考え方を知らない人も増えているようです。
堅いことは言いっこなしで意見の違いも酔狂も気にせずに
他者を否定などせずに一切合財を真面目に楽しむのが
粋な遊び方
それを知らない人に教えるのが道楽者の務めでしたが
そんな風潮も余裕のカケラもなくして効率化という名の切り捨てが正しい
なんて商売のやりかたが流行って
今は廃れてしまったようですねぇ




