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>人為災害の事後処理



避難勧告も貴族の顔色を伺わなければならない立場の人間なら無視せざるを得ない状況があっての民衆の被害なんでしょうねぇ



権力者の面子を潰す事が一般市民にとって

いかにタイヘンな事かを無視すれば


自己責任という言葉は一見公正に聞こえます。


けれど

社会的責任を為政者が負わない場合は

権力者が口にする自己責任という言葉は単なる責任放棄や責任の否定。


「社畜」なんて存在が問題視されるような場所で


無形の圧力によって避難などできない立場の人間を

「上の顔色を伺うごますり野郎」として切捨てるのが公正かどうか?

って話ですね


結局のところ公権力を権力者の面子の維持に使う

公私混同があたりまえに行われる権威主義と階級主義社会構造が問題なんでしょうねぇ。


民主主義は単なる多数決決済ではなく

民衆が主権を持てるように教育し、その代表者が実験を預かり諮政を行う制度で


愚民化政策と差別による権威主義と階級主義社会の害悪を否定するはずのものなのに


日本でも欧米でも形式的な身分差別制度は否定しても

血統主義も階級主義も「闘争を前提とする社会」では効率的なので使われ続けています。


暴力を否定した競争原理はルールを明確にした社会でしか働かず

ルールが公正である事と競争のスタート地点でのハンデが存在しない事が前提ですが

資本主義社会はそれを無視した闘争原理で動きながら


あたかも公正な競争原理で運営されているかのように権力者によって宣伝され続けるので


誤魔化しと矛盾に満ちている。


そして、そういった誤魔化しは必ず大きな人為災害を巻き起こすのでしょう。

あの原発事故のように。


そして、その恐怖を忘れさせて戦争のように過ちを繰り返すような権威主義のシステムは

有形無形の暴力で自分達の利権という保身のための欲望を守る害悪でしかないと。



一番の功績者の末路といい

その事をあらわすかのような話でしたねぇ。


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