>夏のホラー【つぶやき】
>「なんでそもそも一人で廃病棟になんか来たのこの子!」と突っ込んで
廃墟にまつわる怖い話
実体験でよければ一つあります
友達の友達にでも、友達に聞いた話でもないので脚色はありません
小学生の頃、「霊なんていない。 死んだら消えて無くなる」といわれ
無性に怖くなり、霊が出ると言われていた廃病院に行きました
霊がいると判ればそんな怖さは消えると思ったんです
親に知られると怒られるだろうと家人が寝静まった深夜に家を抜け出し
人っ子一人いない深夜の道を歩いて廃病院に向かいました
街灯などない暗い私道の向こうに、その廃病院はありました
恐くなかったか?
私にとっては死後に何も残らないという事実のほうが恐かったのです
でも、そこで私はある体験をして二度と霊が出るという噂がある場所にいこうとは思わなくなりました
その体験──ああ、そんなことまで聞きたくないですよね
だから、きっとそのコもそんなつまらない理由だったんでしょうね
>大人になってからも一人で廃墟に行っては駄目ですよ。危ない人の溜まり場になってたらヤバイです!
>な、なんです、その気になる終わり方……! 想像してしまってそちらの方が怖い!(> <)
御心配ありがとうございます^^
確かに霊より人間のほうが実害があるぶん恐いですね
怖がらせてしまう気はなかったので、最後まで語らせてもらいましょうか
今では考えられない事でしょうが、私が子供の頃は昨今と違い
よほど大きな道でなければ街灯などが無かったような時代で
電話がある全ての家庭の住所が電話帳で調べれば判るような時代でした。
自動車など滅多に見られず、止まっていれば子供が集まるような時代です。
子供に与えられる娯楽は紙芝居とラジオドラマくらいでした。
それでも、子供達は自分で遊びを作り町や海や山を走り回っていました。
当然、廃屋なども遊び場の一つというおおらかな時代です。
私の両親はそんな時代には珍しい迷信嫌いで、霊などの類は否定していましたので物心つく前からそう聞かされて育ちました
だから怪談を恐がる周囲を馬鹿にするような
怖いものなしの嫌味な子供でした。
けれど祖母を家で見取り葬式の後からでしょうか
身近な家族が弱っていき、そしていなくなるという事実を知り
命というものを実感して死後に何もないというのが怖くなった気がします。
だからこそ、そういうことができたのでしょうね。
私は、真っ暗な廃病院を月明かりの中、霊がいないかと探し回りました。
コンクリート製の今の建物なら中は電気がなければ真っ暗です。
でも、当時の病院は木造で窓も多く──そう、古い学校とかのようなあんな感じだったので、暗闇に目が慣れれば動きまわれたのです。
数十分ほどそこいらを見て回ったでしょうか。
何も起こらず、物音一つしない建物にギシギシという私の足音だけが響きます。
やはり、霊などいないのかと、落胆しかけたときでした。
ガタンと音がして、ついでがやがやと大勢の何かが動き回る気配がします。
私は何事だろうと立ち止まりました。
遠くからその気配はどんどん近づいてきます。
私は廊下の端で立ち止まったまま、その気配のほうを探りました。
期待と恐怖の入り混じった瞬間でした。
やがて、十数メートルほど向こうの廊下の反対側にろうそくを手にした男女のカップルが現れました。
やはり霊ではなかったという落胆と怒られるかもという恐怖で私の顔はひきつっていました。
けれど次の瞬間、信じられない事が起こりました。
廃病院全体に響き渡るような悲鳴をその二人があげたのです。
そして、私の後ろに何か途轍もなく恐ろしいものでもいるかのように逃げ去ったのです。
私は、思わず後ろをふり返り…………そこには何もいませんでした。
その後
霊は見えるひとと見えないひとがいるという話があるから
私に霊を見ることはできないのだと落胆して帰ったものです。
けれどほんとうに怖ろしかったのはその後で
街に一つの噂が流れ始めたのです。
「廃病院にたたずむ寝巻きを着た子供の霊」の話が
「入院中、病院で亡くなった孤独な霊」の話になり
「友達を求めて人を死の世界に誘う霊」になり……。
そうです、私は生きながら幽霊にされてしまったのです。
今でもその話は怪談として残っているようです。
子供の頃のそんな思い出が延々と語り続けられる。
今でこそ、こうして笑い話にできますが
若い時分はかなり恥ずかしかったものです。
結局、それで廃墟や墓に夜中に行く事はなくなったものの
半ば意地もあってこの歳になるまで
そういう噂があるホテルなどに泊まったりと色々しましたが
未だに霊を見ることはできていません。
一緒に止まった友人が、うなされたり金縛りめいたものにあったことはありましたが……。
人の脳は錯覚しやすく視界の端に幽霊を見がちだから見ようとすると見えないという否定派。
私が完全無欠の除霊体質で霊を退けるという肯定派。
どっちが正しいのかは判りませんが私に霊を見ることはできないようです。
でも、最近になってふと思います。
あの時、私の後ろには「私と友達になりたがっていた子供」がいたのかもしれないと。
そうだったら可哀想な気もしますがそうだったらいいとも思います。




