44話ー2 鬼神
「失礼、ナーデッタさんのお宅はここでよかったかな?」
静寂を壊すように、扉を叩く音が二回聞こえた
いつの間に扉が開いていたのだろうか
顔を上げると、扉に半身を任せた長身の女性らしき人影があった
後ろにひとくくりにされた、少しばかり緑がかった碧い長髪
整った顔立ちであるが、そこに女性のような美しさは感じない―――どちらかといえば、男性らしい綺麗さだ
古ぼけた右目の眼帯と黒を基調とした『着物』、右腰にさしている同じく漆黒の刀が、彼女の存在感を際立てている
「それはもう捨てた名前だよ」
一体彼女の顔を見るのは何年ぶりだろうか
いや、そんな懐かしさを彼女からは感じない
彼女は変わらないのだ―――10年だろうと、20年だろうと、彼女にとっては一瞬の出来事でしかないのだろう
「知ってるさ。伊達に情報屋を営んでるわけじゃない。まあ、最近は閑古鳥に住み着かれてるんだけどな」
「それは大変だね。ところで、今回私は君のことを何と呼べばいいんだい?今度こそ君は脇役に徹するんだろう?」
「察しがいいじゃねぇか。教えるついでにキスしてやるよ」
「嬉しい限りだが、遠慮するよ」
そう言って近づいてくる彼女のほほを軽く叩く
「痛ッ。……そうだな、リャマス・ミハホなんてのはどうだ?」
そう言って手を打ち合わせ、こちらを指をさした
明らかに今思いついた風な名前だ――もしかしたら深い意味があるやもしれないが
「良い名前だ。君のネーミングセンスは相変わらずさすがだね。この名前を聞いた人間の9割はそれを酷評するだろう」
「――――ジョークに決まってるだろ。今は『シルバー・ウルザリグ』と名乗ってる」
バツが悪そうに彼女は頭をかく
「良い名前じゃないか……。ああ、これは皮肉じゃない。君が決めたとは思えないくらい良い名前だ」
「あんたが私のネーミングセンスを、えらく買ってくれていることだけは伝わったよ」
「当り前だろう?君と私の仲じゃないか」
とは言っても、私たちの仲なんてのはせいぜい一日二日程度なのだが
「それで、一体何の用だい?まさか君が、私に名前を教えるためだけにここに来たわけじゃないだろう」
「もちろん。良いニュースと悪いニュースがあるんだが、先にどっちを聞きたい?」
そう言って彼女は両手を上げる
ああそうだ、彼女はこういうやつだった
何も考えていないような素振りをして、すべてを見透かしたような存在
選択を間違えて死ぬようなことはないだろうが、慎重に選ばないと……
「なら、先に悪いニュースから聞こうかな」
彼女は右手を下ろした
「ついさっき、私がこの国に入ろうとしたときに目に入ったものだ。まあ見てくれ」
下ろした右手にいつの間にか握られていた濃い青色の花を、あろうことか彼女はトラスの足元に放り投げた
衝撃で根っこに付着していた土が荒っぽく床を汚す
普段の私なら激怒していたところだろうが――私は綺麗好きなんだ――そんなことは気にならなかった
私の意識とは関係なく、反射的にイスから立ち上がる
「これが、この国の近くにあった?」
「ああ、しっかり地面に生えてた。植物なんかまともに育たないような土壌にしっかりと根を張って」
それを手に取って、再度彼女に確認を取る
しかし何度聞いても首が横に振られることはない
この国の周囲はかなり高濃度の妖気で汚染されている
植物が育つどころか、川の水さえ飲むことは難しい
「……久しぶりに会ったからって厳しいジョークを見せてくれるね。さすがに笑えないよ」
「ジョークじゃないんだな、これが。この花はこの地に生えていた。もちろん植え替えられた形跡もない。この腐った土地で、その植物は育ったってことだ」
そんなことが、あるわけがない
しかし花に付着していた土は、しっかりと妖気に汚染されていた――間違いなくこの土地の物だ
「もしそれが本当だったとして、誰かが気付くはずだろう?」
「そこが疑問なんだ。あるはずのないものが存在しているってのは、異常事態みたいなものだ。普通に考えて、その異常を長くこの地に住んでるはずのお前らが見過ごすはずがないんだよな」
彼女は続ける
「その花が成長するに大体2~3ヶ月が必要だ。つまりこの花は『奇跡的に誰にも見つからず、奇跡的に花が咲くまで成長することができた』ってことになるんだが……」
「そんな奇跡、常識的に考えれば―――いや、考えなくてもあり得ない」
「ああそうだ、あり得ない。だが仮に、常識に反することが起きたとしたら?」
「常識に反する――――バラトラスか」
嫌な男の顔が頭に浮かぶ
そういえば、この花の花言葉は確か―――――
「察しがいいようで。近々、あいつが帰ってくるから、その時はよろしく」
「彼は、彼は自分で自分を封印したんじゃないのかい?」
400年前の話だというのに、あの瞬間だけはなぜか強く瞼に焼き付いている
それぞれ自らの首に手を回そうとする、彼ら一人の姿を
「だから近々だって言ってるだろう。ところで、リリムは元気か?」
「……おかげさまで。今ではすっかり元気になっているよ」
「それは良かった。それで良いニュースだが―――勇者如月が行方不明になった」
「ッ⁉」
息が無意識のうちに荒くなる
「どこがいいニュースだい。私にとってはそっちの方が悪いニュースだよ」
勇者如月――直接会ったことはないが、実力は高いと聞いている
彼が行方不明になったとしたら、プラネリはもちろん、ほかの国だって黙っていないだろう
「そうか?国のパワーバランスが崩れるいいきっかけになるじゃないか。もっとも、これはまだどこにも流れてない情報だがな」
「確かに戦争を吹っ掛けるならこれほど有利な状況はないだろう。だけど、力だけで物事を解決させるのは愚策だ。それに、他の国に難癖をつけて問題を起こされる危険性もある。今はあの国に隣国の小隊が招かれているんだろう?それを皮切りに外交にまで支障が出たらと思うと……」
まったく、頭が痛くなる
「まあ、伝えることは伝えたしあとは頑張れよ。他のやつらにもよろしく言っておいてくれ」
そう言って、彼女は扉へと歩き出した
「おいおい、娘には会って行かないのかい?」
背中越しにわかるほど、『娘』という言葉に彼女は体を震わせた
「私にはあいつに会う義理も権利もないよ」
振り返ったその顔には、少し寂しさが残っている
「私としては会ってほしいんだがね。あの呪いをかけたのは君だろう?さっさと解いてほしいんだよ」
「残念だが、あの呪いは私にも解けない。もっとも、猫の方は別だがな」
「解けないって、そんな馬鹿なことがあるわけ……」
いや、一つだけあった
誰にもまねできない、彼女だけの呪いが
彼女との関わりを計算に入れていたら、すぐに思いついたはずだろうに
……私も年かな
「過去の清算、というべきか。要はやり残しだよ。あれは彼女の後悔と傷跡で成り立っている」
「……まさか、生きているうちにそれを見ることができるとは思わなかったよ」
「私も使うことになるとは思わなかったさ。ただ、あいつがいると物語が狂うからな。安全装置を使わせてもらったってわけだ」
「物語だって?その言い方だと、まるで私たちが一役者のように聞こえるね。だとすると、主人公はその勇者様かな?」
「違うよ。勇者が主人公ってのはセオリーだが、そんなものはつまらないだろう。この物語の主人公はあくまでシンジだ。ホリヤマシンジ」
シンジ?誰のことだ?
そんな珍しい名前を私が忘れるはずがない
それに、その名前のつけ方にはどこか覚えが――――
「おっと、忘れていた」
そう言って、彼女は胸元から皴のついた細長い紙を三枚取り出した
「小遣いだ。あいつに―――アーテス・ミルヴァに渡してやってくれ」
その言葉に私は、驚きを隠せなかった
「それも、知っていたのか」
「これは人伝に聞いたんだよ。なんでも美人なんだろう?そういう奴に投資するのが私の趣味なのさ」
私の手を取り、その紙切れを握らせる
「君がそれを言うのかい?君の美的センスで彼が美人というのなら、君だって十分それの対象になりうる」
「それならお前も対象だ。一枚いるか?」
もう一枚、彼女は胸元から紙を取り出す
「感謝するよ。ちょうど暖炉に使う着火剤が切れていたんだ」
それを無理やり奪い取って、皴に皴を重ねて後ろに放り投げた
「……着火剤は良かったのか?」
「ここは年中温かいからね」
実際、土壌さえよければ植物であふれかえっていたであろうほどここは気温が高い
「それは良いな。私は寒暖なら暖かい方が好きなんだ。事が終わったら、この近くに家でも構えるとするか」
「家が出来たら是非とも呼んでくれ。丁度おいしい食材が入ったんだ。熱々のスープを作って持っていくよ」
「気持ちは嬉しいが、遠慮するよ。私は猫舌なんだ」
「『知ってるさ』」
「そうかい。ちなみに引っ越し祝いなら、私は洗剤が欲しいかな」
「検討しておくよ」
「ああ、頼むよ」
そう言って彼女は落ちた
落ちたというよりかは、呑まれたというべきだろうか
この部屋全体に広がる影に――さながら底なし沼に沈んでいくように――彼女は落ちていった
暗い空間、私一人だけが取り残される
薄汚れたデルフィニウムの花が、風もないというのに静かに揺れていた
「なあ、アーテス・ミルヴァ。君は何がしたいんだい?」
声があちらこちらに響いて、静かに消えていく
頭の中に映る彼女の顔が、にやりと歪んだ気がした
Q「なぜトラスさんは植物がまともに育たないような場所に国なんて作ったんですか?ガバ設定ですか?」
A「タルシタの住人のほとんどは悪魔族です。うちの作品では悪魔族は食事をあまり必要としない種族になっています。ケバブ(に近いもの)などが売られていましたが、それは嗜好品のような扱いです(また、この国には一部他種族が住み着いているので、彼らのために少ないながら食料や水が流れてきています)。近くには国や村が存在しない(存在できない)かつ、まともに農耕が行えなくてもある程度の生活が行える。この二つの理由からトラスさんはここを本拠地としました。あと、作中でリリム様が『お腹すいた』と言っていましたが、彼女は生きた人間に受肉しているので他の悪魔と勝手が違いますし、ほかの悪魔も『あまり必要としない』だけで何も食べなかったらもちろん死にます」




