44話 深刻なエラーが発生しました
「……殺してないと言ったら?」
「そうだね、君の首と体が今生の別れを告げることになるだろう」
彼女の表情からして、それがジョークとは思えない
何も言わず、頷いた
「でも、あんなの正当防衛だぜ。先に攻撃をしてきたのはあっちだ」
「いや、そんなことはどうでもいいんだ。君の殺戮が正当防衛によって起こった否かってのは。問題はまた別のことにある――――君、少しでもためらったかい?命を屠ったとき、命を奪った時、ああ可哀そうだなと思ったかい?」
俺の返答を待つことなく、彼女は続ける。
「君はさっき言っていたよね。『自分は元人間だ』と。確かに言っていた―――しかし、その事態を踏まえればそれが嘘のようにしか聞こえないんだよ。あの場を私は直接見たわけではないが、その状況は容易に想像できたよ。悪魔がこんなことを言うのもちゃんちゃらおかしいだろう。だがあえて言わせてもらうと、あれは人間のできる行為ではない。少なくとも、普通の生活に浸かりきった人間が、あんなこと出来るとは思えない。いや、違うのかもしれないね。私の言っている物差しはこの世界の人間のことだ。ああなるほど、つまり君の世界の人間は皆ああいうものなかい?もしそうだとしたら、私はそんな文明滅んでしまえばいいと思う。人間は協力して然るべき存在だ。人間が互いに互いの寝首を掻こうとする世界が、在っていいはずがない」
「私が言える立場じゃ、ないんだがね……」と、噛みしめるように彼女が呟く
「で、どうだい。黙りこくってないで聞かせてくれよ。君自身の言葉で、精一杯の言い訳を」
話し始めてからずっと、見離すような、見下すような視線で彼女は俺を見つめていた
しかし、その眼は優しい瞳だ
優しく慈愛にあふれた瞳だ
まるで母親か、神様のようだと、俺は錯覚する
だというのに、鼓動は早くなっていく
血液が強くうなって、体中を駆け巡る
わからなかった―――自分が一体どんな思いを胸に抱いていたのかが俺には分からなかった
分からない、分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明――――――
「まあ少なくとも、本当に私たちに敵意がないことだけは理解したよ―――何もないところから刀を取り出したのは驚いたがね」
その言葉を聞いたころには、俺は平静を取り戻していた
なるほど痛みのせいか―――いつの間にか手首から先がなくなっていた右腕を見て理解する
足元を見ると、刃に血の付いた月渡が握られている俺の右腕があった
自分で斬り落とした時に付いた血……なわけないよな
「私の血だよ。君の手を切ったのも私だ」
ほら、と彼女は自らの脇腹を見せる
確かにそこには、刃物で切り付けられたかのような新しい傷があった
「もっとも君は気づいていないだろうね―――さっきの行動に意思は存在していなかった。本能による行動ってところかな」
「…………」
この一連の流れの間に、すでに生えてきた右手を見つめる
自分で言うのもなんだが綺麗な手だ
程よい肉付き、艶のある肌、ガラスのように透き通った爪
……とはいえ人の物ではない、か
「沈黙。それも一つの正しい答え方だと思うが、しかしここははっきりしてほしいね。さもないと君は酷く大きな後悔をすることになる」
「……一つだけいいか?」
「いいよ、なんだい?」
「俺が元居た世界の奴らのことだ。確かに欲深く、偽善に忠実的で、他人なんか顧みない様な奴はいる。平気で人を蹴落とし、平気で人の命を奪い、自分は高らかに笑っているやつもいる。だが、良いやつもいる。特にそうだな、プラネリ王国の勇者様なんかそれに近いだろうよ。あいつは過去にとらわれるようなバカだが、他人を救うことのできる人間だ。俺が異常なんだよ。この世界でもあの世界でも」
「…………それでいいのかい?君の答えは」
「ああ、それだけだ」
もう何も言うことはない
彼女に背を向けて、扉の方に歩き出す
「そうかい。まあ私も鬼ではないし、少しの猶予を上げよう―――まあ、そのあとはすぐに出て行ってもらうがね。私も仮にも国民を守る立場に居る。だからこそ、危険因子を国に置いておくなんて愚かな行為をする気はない。そうだな、ちょうど今で夕刻ぐらいだから……次に太陽が南中する時間までにこの国から出て行ってくれ。もし、約束された時間までにこの国から出て行かないなら、その時は私も容赦しない。以上だ、行っていいよ」
「分かった。もう会うことはないだろうな」
「ああ、そうあることを祈っているよ」
後悔はない
伝えたいことも、彼女にちゃんと伝わったことだろう
俺は剣に背を向けて、その場を立ち去った
扉が閉まり、暗闇がこの部屋をつつんだ
同時に、顎から冷汗がぽたりと零れ落ちた
思い出すだけでも戦慄する
まるで彼女は土くれのように刀を抜いた
意識は見えない、声も聞こえない
それだけなら良かった
私を前にして、そのような行動に出た人間を何度も見てきた
しかし、驚いたことに彼女は自殺しようとしていた
いや、私が咄嗟に止めに入らなければ、自殺は成功していただろう
一体あれは何だ?
あの時、明らかに彼女は人格が作用していなかった―――しかし抜け殻の様にも見えない
まさか、彼女の中にもう一つ人格が存在している?
可能性はゼロではない―――この900年の間に、数少ないとはいえそういう人間を見てきた
それにもしそうだとしたら、彼女が黙りこくったことも辻褄が合う
彼女のもう一つの人格が犯したことであり、彼女がそれを認識していたならば、の話だが
もし仮にそうだったとしたら、彼女はなぜそのことを口にしない?
言ってくれれば、私だっていくらか対応はしてやれたというのに――――――