37話 『シン』でいい それがいい
一か月、お待たせしました。
もうそれしか言えません。
ただ一言、遅れてすいませんでした。
「―――――不快ですね」
「不快とは失礼な。それに、実際に私は見たことはないが、一応うわさは聞いてるんだ。国を救ったとかなんとか」
ああそれは―――
それは全く俺に関係のないことなんだが
「なんだ。私が決めつけたことが不満か?言っておくが私は、人を見る目ぐらいちゃんと持っている。仕事柄な」
「それは素晴らしいですね。けど無理ですよ。自分が出来ること出来ないことぐらい、きっちり理解しているやつなんでね、自分は」
ふざけたように、俺は笑う
「……きっちり理解、なぁ」
それにつられて、彼女も嗤う
「まあ本人が言うならそうなのかもしれないな。手前のことは、手前しかわからないとはよく言ったものだと、私は感心するよ」
「…………」
返答は、無い
出来ない
何も、言い返せなかった
「ところで参考までに。お前が挙げた二人って言うのは、一体誰のことなんだ?」
笑みはすっかりと消し去って、彼女は尋ねる
「ああ、それは――――」
答えようとしたとき、しかし言葉はのどに詰まった
たった十数単語を述べるだけで済むはずなのに、体はそれを拒絶する
それはやはり、恐怖か
真司、いや、もはや4年もたって、俺の知っている彼とは違う
仮称するなら『ホリヤマシンジ』と呼ぶべき存在を、その仮称さえ口にすることが、とてつもなく怖かった
その吐き出した言葉と一緒に、自分の何かまで飛んで行ってしまいそうで
その掃き溜めた思いが、全部泡になって消えて行ってしまいそうで
怖かった
とてつもなく怖かった
そして、詰まった言葉は俺ののどをせき止め、やがて呼吸が出来なくなる
条件反射的に、気づくと肺は大きく息を吸い込んで、そして思いっ切り咽かえった
空気が肺を満たしていく
「……どうした。何か言えない事情でもあるのか?冷汗が尋常じゃないぞ?」
そう言われて、首筋に手を当てる
不快だった
どれだけの水分が放出されてしまったのかわからないほどに、首筋は汗で塗れていた
「……タオルとかもらっていいっすか」
「私が持っているとでも?」
「ですよね」
その軽装で持っているのだとしたら、それは四次元ポケットの存在を匂わせることになる
物理的法則が乱れる!
「まあ、なんだ。私のせいだとしたらすまないな。お前がそこまで拒否反応を示すとは思わなかったんだ」
「いえ、大丈夫です。早苗さんのせいでは、全くないです」
「そうか。だ――――――そうですけど。大丈夫そうなんですか?国王様」
彼女はしゃべりながら、体を王様の方へ半回転させる
「ふむ……、やはりできんか?瞬」
「……無理、ですね。やっぱり命が惜しいです」
そう言うと、彼は軽く顎を落とす
「まあしょうがない、のかの。ともかくそういうことなら――――――――――――――やってくれ」
「……了解しました」
『やってくれ』
その言葉に続いて、ガネーラは何かを了解した
それはわかる
まだ何が起きているのかはわかる
わからないのは―――何を『やってくれ』か
それも、うすうすはわかっているのだけれど
地面が揺れる、視界が揺れる、脳漿ごと脳みそが揺すられる
その感覚を、俺は知っている
あの日、あの時、あの瞬間
それは、はじめて体験した、神秘そのもの
「“空間移動”」
ガネーラの声が、聞こえた気がした
世界が、ひっくり返った
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食事もそこそこに、すぐよこで無防備に寝転んでいる少女に目を落す
その顔は、悪夢にうなされているのかとても苦しそうだった
まあ何があったのかと率直にいえば、食べすぎた
俺が持ってきた(盗ってきた)食料は、元の住人があらかた持ち出しでもしたのか、ほんの少量だった
少量、俺にとっては少量
今ではもう健康優良児でも(優良であったかは不明だが)、わんぱく男子高校生でもないながら、しかし生きている以上カロリーは食う
そんな俺でも腹が半分ほどしか満たされないであろう程の食事
それは彼女(のそのミニマムな体躯)にとっては、十分以上のものだった
よって、胃の容量オーバー→胃もたれ→嘔吐→『善意』さんが作った胃もたれ+ectに効く薬を服用(今ここ)
こんな状況になったわけで、今のところは彼女の看病をしている
『善意』さんが言うに、その薬は即効性らしいからあと数十分の我慢だろう
しかし何故食いすぎるのか
{おおかた、腹でも減ってたんじゃないか?最初にあったときも、なんかやわやわしかったし}
無理でもしてたんかねぇ
{寂しかっただけじゃないか?}
〖急に一人ぼっちになって、何かとストレスを感じることが多かったんだと思いますよ。あくまで私の一意見ですが〗
ストレス、からの自棄食いか
おい待てよ、それだといつかぶくぶくとした肉ダルマになるんじゃないか?
{嫌なのか?太った幼女は}
幼女を強調していうんじゃねぇよ
{おっと、これは失礼}
キヒヒと、彼はいつものように笑う
……ま、別に、太ってんのが嫌いってわけでもないしな
{人間、痩せてるよりは太ってる方が医学的にいいとも聞くしな。そこら辺の価値観は人によっても違うとは思うが}
〖私としては、太っているより痩せている方が魅力的だとは思いますけどね。主はどんな体系をしてもいてもかっこいいですけど〗
それは嬉しいが、しかしどうも意見がずれるな
まあ俺としては、元気であればどっちでもいいんだ、が……
そういえば天童さんって、結構小柄でほっそりとしていたし、いややっぱり痩せている方が好みなのかな?
{痩せている娘が好み、か。やっぱり見た目が変わろうと、思考は一般的な男子高校生のままなのな}
〖ですね。やっぱりこの時代の男性って言うのは、スレンダーな体系を望むんでしょうかね。昔が懐かしいほどです〗
ああ、なんか貧困時代の時は、むしろぽっちゃりな体系が羨まれたって話か
しかし、そう考えると世界は広いよな
〖なぜです?〗
いや、世界のどこかじゃ貧困で苦しんでるやつらがいるってのに、裕福な俺たちが痩せるだスリムだ言ってるのは、本当に贅沢なことだなと思って
〖……おそらく、知らないからでしょうね。本当の貧困のつらさってのを。知ってるってことは、恐怖と等しいですよ〗
{な~んか難しい話してんな、お前ら}
そうか?
別に一般的な自己討論だろ
{自己討論の時点で、一般的じゃねーよ。ともかく、何も知らないような奴らが何人集まろうと、何を言おうと、誰も聞いてくりゃしねーよ。知っていることが辛いことだってのは、共感するけどな}
お前が共感するとは珍しい
{明日は槍でも振るってか?}
いや、ダイヤモンドじゃないか?
{どっちにしろ、死ぬ未来しか見えねぇな}
気のせいだろ
今度は二人で笑いあった
「…………妙にご機嫌ですね、私がこんな状況だというのに」
と、横で突っ伏していた彼女が顔を上げる
その顔は相も変わらず、藍色に染まっていたが
「別にお前が苦しんでいるのを見て、楽しんでたわけじゃねーよ」
「ならいいですが、しかしこの薬いいですね。さっきと比べて大分はましになりましたよ。まだしんどいですが」
「無理はすんな」
そう言って背中をやさしく擦る
その背中は、たしかにどこか弱弱しくて、俺が少し力を入れれば折れてしまいそうだった
……彼女もこれぐらい、弱っていたのだろうか
何故だか自分が腹立たしい
いや、落ち着こう
こう考えても、決して死んだ人間は帰ってこないのだから
自分を落ち着かせるために、今度は無理して起き上がった彼女の頭に手を乗せる
とても、柔らかかった
フワフワしていて、あたたかくて、人形を触っているような気持ちだ
といっても触れたのはほんの一瞬で、すぐに恥ずかしがった彼女に手を引きはがされてしまったが
「急にやめてくださいよ。びっくりするじゃないですか」
「わーるかったよ悪かった。でも減るもんじゃないだろ?一応女同士なんだし」
「確かにそうですけど、なんか慣れないんですよ。ミルは私にそんなことしませんでしたし……」
「だから、俺はあいつじゃねえって。あいつの代替品でもなければ、あいつ本人でもない。って、これ言うの何回目だっけ」
10回目だったか20回目だったか
いや、その半分も言っていないか
きっちりとしたところは、やっぱり思い出せない
『永劫記憶』が聞いてあきれるぜ
「知りませんよ、そんな細かい言動。それより、気分もよくなりましたし、私はもういけますよ?」
「お、やっと効いたか」
ええ、と彼女は無言で返す
それに返すように、俺は無言で手を差し出した
それは必要なかったようで、彼女はすっと何事もなく立ち上がる
「そういえばですけど、私って貴女を何て呼べばいいんでしょうか?」
「は?」
急にどうしたこの幼女は
「どうせですよどうせ。貴女をミルとは呼べませんし、しかしずっと貴女なんて呼び方も嫌でしょう?」
それもそうだが
しかし呼び名、呼び名……
急に言われると、思いつくものがないのだが……
アーテス・ミルヴァ、ミルヴァ………………
「……じゃあ『シン』で」
「『シン』?一文字としてかすっていないのに、それでいいんですか?」
「ああ、それでいい。それが、いい」
少しだけ彼女は悩む動作をして
「わかりました。特に理由も聞きません。では改めてよろしくお願いします。シン」
「ああ、よろしくルスス」
さてひと段落着いたところで――――――お楽しみといこうじゃないか
おもむろに、懐から仮面を取り出した




