二話 『生け贄』
いつもと同じ天井が、俺の網膜に焼き付けられる
……やっぱり現実か、あれは
俺がトラックに轢かれたというのも
俺が瓦礫に潰されたというのも
しかし、だとしたら俺が生き返っているのが疑問だな
星模様のボールを七つ集めたわけでも、中国四千年の秘術を受けたわけでもない
そんなもの現実に存在してしまったら、それこそ秩序が乱れてしまう
そして日にちだ
アラームがいまだ鳴りっぱなしのスマホを手に取り、画面を開く
表示されたのは、現在背景にしている茶髪で背の高いキャラの画像、そして4月8日7:58という時間
前回はまだ夢だと思って気にも留めていなかったが、日にちが巻き戻っていた
……ますます理解に苦しんでしまう
仮にこういった状況になった場合、死んだ後に異世界に送られて転生するのが、漫画やラノベでのセオリーではないのか
窓の外を見渡すが、遠くの方に通勤中であろう、少しお高そうなスーツに身を包んだ男性が通り過ぎていくだけで、よくゲームに出てくるオークとかゴブリンとかドラキーとかの姿は、どこにも見当たらない
ここは現実世界
魔法なんて毛ほども存在しない科学の国
間違いようもなく、ここは日本だった
地球星アジア州日本国近畿地方兵庫県だった
異世界でもない、平凡な世界―――のはずなのに、しかし俺は魔法のように死ななかった
願望があったわけではないが、死ねなかったというべきか
ついでに時を巻き戻して、俺は呑気に目を覚ました、と
……………………
理解が追い付かない
解釈的には、タイムベントが近いんだろうか
となると、俺は何者かに生き返らされているということになる
何のために
疑念は再燃する
俺はあくまで一介の高校生
一日本人
一庶民
ここまで平と凡の字がパズルのようにぴったりとあてはまるようなこの俺に、一体どんな殺戮ゲームをやらせようというのだそいつは
ともかく、今でやっと8:01
ここはもはや、大事をとって休むべきではないのだろうか
俺の死因はどちらとも屋外での事故死なのだから、屋内にずっと引きこもっていれば死ぬ事はない―――はずだ
まさか、トラックが何かの拍子で窓から突っ込んでくるなんて奇想天外摩訶不思議なことも、この世界で起こるはずがないのだから
明らかに科学的法則を無視してここに存在している俺が言うことだから、信用できるか怪しいものだが
そして見事、俺の予想は外れることとなった
当り前だ、トラックがさながら水泳のスタートのように、二階にある俺の部屋に飛び込んでくるわけがない
爆風の振動で家が崩れそうになったときは少し怖かったが、まあ事なきを得た
智里が泣き喚きながら俺の部屋に飛び込んできたのはさすがに驚いたが、なかなか見れないものが見れて逆にラッキーだった
どうも爆発で朝飯が全部おじゃんになったらしく、それはかなりへこんだが
それでも、俺は死から逃れることが出来た
これで安心
これで解決
第三部どころか物語さえ始まることはないと思うが、これにて俺の妄想話は完結したのだった
嘘だ
再び7:45の羅列がスマホの画面が表示される
先ほどまでの夢物語も個人的にはいいと思ったが(特に智里が泣いていた辺りが)、どんな物語にしろ予想だにしない展開はつきものだろう
いや、よくよく考えればこの事態も予想できたはずだ―――それは俺のお頭の出来がよかったら、の話だが
何が起きたかといえば、それは至極まともなことで『俺の寝ているすぐ横の窓のガラスが割れて、俺に向かって落ちてきた』だった
地震のときによく『窓ガラスには近づかないで』と言われるが、まさかその教訓をここで生かさなければならなかったとは
そんな爆発の衝撃で程よい(どれくらいがちょうどいいのかは知らない)大きさに割れたガラスが、俺の腹部に突き刺さった
もっと言えば突き立った
マスターソードよろしく、森の台座ならぬ人の臍部に深々と突き立ち、あえなく俺は失血死した
まるで切腹をしている気分だった
ここに介錯役人でもいたらまだ楽だったのだろう
彼、もしくは彼女が居なかったせいで、文字通り顔が青白くなるまで痛みと向き合うことになってしまった
しかし家の中も駄目、外も駄目となると完全に"詰み"の状態だ
王手だ王手
俺の周りにと金軍団がはびこっている構図が、幻として浮かび上がってくる
どうするか
もういっそのこと、走って学校に行ってやろうか
正面突破してやろうか
といっても、これにもリスクはある
もし急いで行ったがために、8:15よりも早く逝ってしまいかねないからだ
今だ守られているその時間だが、それが破られたとき俺は果たして生き返ることが出来るのかがわからない
成功すれば十全、生き返れてラッキー、生き返らなかったら…………
おお、怖い怖い
いまだぬくもりが恋しいながら、俺はベットを抜け出した
結果だけを言えば成功だった
多少なり死にかけるというわけもなく、傷1つもらうことなく学校に到着した
スマホを開けば、8:13が表示される
間に合ったのだ
あと残り2分ほど
ここさえしのげれば、俺は晴れて自由となる
危ないと分かっていながらも、その喜びから俺の足取りは軽快になる
警戒をせず、軽快になっていた
軽い気持ちで、俺は自分の教室の扉を開ける
そこには、二人の生徒がいた
俺と全く同じ服(学園指定の制服だからしょうがない)を身に着けた、俺より数段背の高い男子
俺とは違う白いセーラー服(こちらも学校指定の制服だ)を身に着けた、こちらも俺より1段2段ほど背の高い女子
この学校は名札制度を採用していないので名前がわからないが、おそらく同学年だろう
まさか誰もいない教室に来るような先輩がいるとは思えないし、もし居るとしたらどこまで思い出深い一年をこの教室で過ごしたんだって話になる
それに、彼らの顔には見覚えがあったのだ
おそらく、この学校の入学試験の時に見たのだと思う
さて、二人は驚いたような顔でこちらを見ているが、どう声をかければいいだろうか
初対面だし手軽にあいさつか、何か一発ネタに走ってみるか……
今後の学園生活的に、ここは無難にあいさつで済ませるとしよう
「よろし―――」
『く』を言おうとした、はずだった
言ったのかもしれない
口からその言葉は漏れ出たのかもしれない
しかし少なくとも、俺の耳には届かなかった
その音にかき消されて、消えてしまった――――
〈確認 技能 『生け贄』を対象{大原 優也}に使用······成功しました これにより"本日"の堀山 真司の死亡は取り消されました〉
は…………?
遠くの方で煙が上がるのが見える
はっきりと確認はせずちらと横目で見ただけだが、前回と同じものとみて間違いないだろう
前回と同じ爆発、前回と同じ煙
ただ違うのは、前回と同じくシチュエーション
前々回はトラックに轢かれ、前回はビルに潰された
そして――――今回はどうなるんだ?
先ほど聞いた声を、焦った頭で繰り返す
あの声は、俺の名前を言っていて、"誰か"の名前を言っていて、そして、『死亡が取り消された』とも言っていた
自然と手のひらの筋肉が収縮する
自然と手が湿りだす
自然だ、当たり前の現象だ
だが、先ほど声の言っていた現象が事実だとするならば、それは不自然なことに他ならない
いや、今さら俺は何を言っているのだ
よくよく考えてみれば俺の行っていた行為だって、世界の理から外れようとする努力に他ならないものだ
勿論、ちっぽけな人風情が成功する行為ではないが―――しかし、そういえば俺は成功してしまっている
その事実だけでも常軌を逸している
なんだ、この状況は何だ
人とは焦れば焦るほど、その思考が複雑化するとともに目的を見失う
まさに俺もそれだった
その状態に、泥沼に自ら沈んでいた
その思考も、しかし少女の悲鳴にかなうほど強固ではなかったことを、俺は知る
「きゃぁぁーーーーーーー!!!」
それは、単純な甲高い悲鳴であった
よくサスペンスドラマなどで聞く、被害者ではなく、第一発見者が上げる悲鳴
もしかすればそれは非命の叫びかもしれないという可能性もあったが、しかしそれでは等式が立たない
昨今の世で女に『優也』といかにも男らしい名前を付けるには、キラキラネームにしても度が過ぎている
と、そこで俺の意識がようやく現実と接続された
目が、接続された意識とは別に自動的に落ちる
自動的に、もしくは受動的に
俺はそれを見せられた
先ほどまで机に自重のほとんどを乗せ、おそらく叫びをあげた少女と楽しく対談でもしていたのだろう男子が、赤く染まった教室の床と接吻していた
その体は痙攣し―――否、震えてなどいない
少女が揺らしていた―――動かしていた
応答を確かめるかのように、しきりにか細い片腕で男子の体を揺らしていた
もう片方の腕は、彼の背中から生えたガラス片の傷口に当てられたハンカチを押さえている
が、しかしそれも意味はないだろう
血は緩やかな流れを止めず、もとが何色だったかもわからない程当てられたハンカチを染めていた
勿論のこと現場は大惨事となっており、特に綺麗にワックスをかけられていたのであろう木製の床は、とても壮大なカンバスとしてハンカチと同じく赤い絵の具に彩られている
泣き叫ぶ少女、亡き倒れる少年、背景には赤と白のみの質素な雰囲気
美術に関して俺はろくに知識なぞ持ってはいないが、このように現実をカンバスに映写してみれば、案外まともな絵が完成したではないか
もっとも――――この思考自体がまともではないのは、俺でさえ理解している
その後、特に事件など起こることもなく入学式はとりおこなわれた
その後であって、実際あの爆発の影響で二つの事故が起きたそうだ
一つは『花瓶が落ちてきてその破片で指をけがをした』という何ともかわいいもので、『もう一つは割れた窓ガラスが内臓にまで刺さって失血死した』という何ともかわいくないものだ
いや、『かわいい』『かわいくない』の議論は結局のところ二の次で、実際のところ問題は人が死んだことにある
人が死んだ
もう少し小説風に言い表すなら、若い命の花が散ってしまった
花が散って、葉がしおれて、茎が枯れて、根が千切れて―――いや、ここまで言わなくても、誰かが死んだということは十分に伝わろう
さてそんな後の入学式
一体だれが賑やかなものになると予想しただろうか?
いや、誰もいない
元々入学式とは騒ぐ物ではないと思うが(騒ぐ式といえば成人式ぐらいか。キャッキャうふふと学生時代の友人と楽しく酒でも飲んでほしいところだ)、しかしその考えが擦れてしまうほど彼の死は強烈だったということだろう
と、そうこうしている間にこの学校の校長先生が壇上に上がった
……とても見習いたくないほどのザビエルスタイルだ
危うく笑いそうになったが、部活動で鍛えた腹筋を活用して何とか堪える
ここで笑えば、その後の学園生活で『不謹慎男』とかいうあだ名がつけられかねない
そんなザビエルが壇上で話したことといえば、しかしごく普通のことだった
『桜が咲き誇っている今日』とか、『皆さんは、ここにいる仲間と3年間を共に過ごします』とか、『ぜひ、新入生のみなさんは充実した高校生活を送ってください』とか、とか、とか、とか……
なんともありふれた祝いの言葉
それに加えて、それが添えられていた
『この事故で亡くなってしまった大原裕也君に―――黙祷を』
体育館から、静けさが消え去った
「私の名前は、天童 澄羽と言います」
「俺は堀山真司。まあ、よろしく」
入学式も終わり帰り道
なんの偶然か、俺は彼女こと天童澄羽と帰路を共にした
何て若干カッコつけた言い回しをしたが、実際やったことといえば自己紹介と長い沈黙だけだ
それはそれは長い沈黙―――一寸どころか3センチ先が闇に包まれたな森に、一人で迷い込んでしまったかのように静かだった
ここが明るい住宅街でなければ、この世界観はきっとホラー路線にまっしぐらだっただろう
ホラーは映画もゲームもどちらも平気ではあるが、実際に体験するとなると話は変わってくる
前に友人Aの勧めでVRのホラーゲームを体験したことがあるのだが、あれは普通に怖かった
質感がゲームとは思えないほどリアルな上、立体音響のせいでその場にいる感が形成されて、危うくヘッドセットを投げてしまいそうになった(友人Bに殴られたことで正気に戻ったが)
仮に某傘マークの会社が出てくるゾンビゲームだって、ゲームのキャラにやらせているからいいもののいざ自分がやるとなると足が竦むものだろう?
まあそんなことはどうでもいい―――それに、彼女とこれ以上の関わりを持つつもりもないから、このような沈黙があっても万事オッケーだ
確かに彼の最期を彼女と同じく看取った人間ではあるが、だからと言って仲良くする意味はないだろう
クラスメートの中の他人、その程度の中で十分だ
「堀山君。運命って信じますか?」
しかし、彼女は沈黙を破る
「運命?」
「運命というか必然というか、すべての物事が最初から決まっていると、そう思ったことってありますか?」
そんなことはない―――そんな奇妙奇天烈なことを考えたことは一度だってない
「もし運命があるとしたらば、俺と天童さんがあの教室に居合わせたってのも運命なのかね」
「かもしれませんね。あるいは優也君が死んだことも」
「……知り合いなのか?同じ中学だったとか、同じ塾だったとか」
彼女は何も言わずに道路を見つめた
どうもまずいことを聞いてしまったのか、と雰囲気から察する
しかし運命か―――ならば俺は、運命を変えてしまったのかもしれない
自分が死ぬという運命を、他人に押し付けたのかもしれない
そう思ってみると、どうも嫌な気分だ
「…………」
そして、あの十字路に差し掛かる
俺の轢かれた、あの場所だ
当り前だが、コンクリートに赤い模様はついていないし、パトカーが何台も停車して警察が交通を規制してもいない
あの運命は、なかったことにされている
「じゃあ私、こっちなので」
俯いていた少女の声が聞こえた
「そうか。それじゃあまた明日」
俺は右へ、天童さんは左へ
それぞれの道へと二人は別れた
「ただいま」
「おかえりッ!!!!!!」
おいおいどうしたと言わんばかりに、智里は帰宅直後の俺に抱き着いた
もう少し腕が下の位置にあったならバックドロップを決めてきそうなほど、その両腕が俺の脇腹をがっちりと締め付けてくる
「どうしたんだよ、急に」
「大学行こうとしたらね、急に爆発があってね、私驚いちゃってね、」
見れば、智里の目には大粒の涙が溜まっていた
言葉がうまくまとまっていないのもそれが原因か
「もし真司が死んじゃってたらどうしようって、そう思ったら急に怖くなって、」
こうして泣きじゃくる智里を見るのもかなり久しぶりのことだ
「大丈夫。俺の足は透けてもいないし、体を置いてけぼりにもしていない。ほら、動けないから早くこの手を離してくれよ」
「むー……。もうちょっと心配してくれてもいいんじゃないかな」
少し声を強めて、智里は仕方なさそうにロックを解除する
いやしかし、本当に泣いている千里を見れるとは思いもしなかった
これは眼福眼福
「そうだ、何か食べるものってあるか?かなりお腹すいてるんだけどさ」
「だったら何か作るよ。三十分ほど時間ちょーだい」
いまだに流れ落ちなかった涙をぬぐうと、智里はキッチンへと向かった
その時だった――――
<明日の死亡予測時刻は17時37分です 死因は鉄骨による圧死です>
また聞こえた、その声が
もう二度とだって聞きたくなかったその声が、相変わらず脳漿に響きわたる
「17時……37分?」
「ちがうちがう。今は大体1時半くらいだよ」
姿は見えないが、斜め右にある部屋の奥から智里の声がする
だが、今そんなことを気にしている場合ではない
怪しまれないように適当にごまかしながら俺は自室に戻った
17時37分……
今のところ塾には通っていないし、この一週間ほどの学校は半ドンのはずだから、その時間は必ず家に居るはずだ
しかし、家で鉄骨の下敷きになんて奇天烈なことが起こるとは到底思えない
自分が死ぬとわかっていて、わざわざ外に飛び出す馬鹿なんてこの世界にはいないだろう
もし家の中で鉄骨につぶされるというのなら、鉄骨を運んだトラックが家に激突して荷台に載っていた鉄骨が飛んで俺の部屋に飛び込んでくる、ぐらいしか想像できない
まあそんな確率、天文学的確率に等しいだろうが
そう思うと、案外死因というものは適当なのかもしれない
明日のことは不安であるが、まあとりあえず今だけはのんびり生きよう
そう思い、俺は布団に潜り込んだ
何回も死んで生き返ってを繰り返したせいで、とても疲れがたまっている
ほんの30分ほど、一眠りでもしておこう
ふと、下半身の痛みで目が覚めた
まさか寝過ごして、下半身に鉄骨が突き刺さってしまったのではないかと焦ったが、まああり得ないか
とまあ呑気な思考をしてはいるが、実際結構痛いのだ
詳しく説明すると、腰の辺りに何か重いものが乗っていて、なにかに両足首を掴まれ、それを約九十度になるまで頭側に引っ張られている
さすがに何が起こっているのかもうわかるだろう
寝てる間に姉に逆エビを決められていた
「ご飯だー、起きろー」
逆エビを決められているうえに、耳元で大きな声で叫ばれるとさすがにストレスがたまる
「起きてるからどいてくれ。重い……」
それを聞いて、智里は若干怒りながら足から手を放し、腰を浮かせた
「女声に重いはないんじゃないの?そんなんだから、持てないんだよ」
「うるさい」
なんて話していると確かに腹がすいてきた
時計を見ると、もう三時の鐘が鳴り終わっていた
「昼メシ。もう一回温めることってできるか?」
「文明の利器に感謝した方がいいわね。すぐにレンジで温めるから降りてらっしゃい」
了解と返事だけして、寝ぼけた頭を働かせて起き上がった
……そういえば、なにやら変な夢を見ていた気がするが、何だったっけな?
記憶とは案外はかないものである、か
主人公の名字、後付け感しかないんですが大丈夫でしょうか