02
しかし、運が悪い時というのはある。
「……では、魔術を行使すれば呼ぶことが可能な幻獣や魔獣と契約する利点は何でしょうか?
では、これを……ケルナ・ユースウェン、答えなさい!」
座席表を確認しつつ教師は、窓際の一番後ろの席でうつ向いている大人しそうな少女を指名した。
赤銅色の髪に真緑の瞳をした少女は、傍目には熱心に教科書を読んでいるように見える。
(なんだってこんなギリギリの時間に……)
内面はおとなしくない少女──ケルナはゆっくりと立ち上がった。
仮眠を取るのは諦めるしか無いようだ。
そして、それまで静かだった教室の一部がざわめき出す。
(あれは初等部で同じクラスだった子達ね。)
ヒソヒソではなく、クスクス洩れ聞こえる笑いに込められた悪意を感じ、これからの展開が予測できるだけに、ため息をつきたくなった。
(さて、どうしようか?)
まずは教師の問いに答えなければならない。
ケルナはチベッタと呼ばれる、魔力を込めれば文字を書くことが出来る筆記具を手に取った。
便利なのは空中にも書けることだ。
"利点は、魔術を行使しなくても呼ぶことが出来ること"
銀色の文字が流れるような筆跡で空中に描かれる。
少し面倒なのは相手に読ませる場合、鏡文字で書かなければならないことだろう。
ケルナにとっては慣れたことなので少しも問題ないが。
「そうですね。本来、召喚には魔術を行使するため魔力が必要です。しかし契約を行えば、契約者の呼び掛けに幻獣・魔獣が契約者の位置を特定し、応えることが可能です。
それはそうと、ユースウェン。何故筆記で回答しているのですか?筆記では答えが見えにくい人もいるでしょう?回答はきちんと声に出して答えなさい。」
ーーきっとこの教師に悪気はなく、ケルナについて何も知らないのだろう。
普通ならば、声が出せるのは当たり前で、そういう生徒しか中等部へは進学していない。
"魔法を発動させるために必要なのは、魔力を込めた言葉"
方陣という例外はあれど、通常は詠唱の事を指す。
そして、ケルナはその当たり前の事が出来ないのだ。
出来ないの意を込めて首を横に降れば、教師が僅かに顔をしかめたのが分かった。反抗的態度と取られたのだろう。
(ほんとにこの先生大丈夫?)
中等部は始まったばかりな上、担任ではないので仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが。
生徒の情報を知らないというのもいかがなものだろうか。
「はい、先生!」
(来たか……)
廊下側の一番前の席。少し甘えるような声音で手を上げたのは、黄金のように見事な緩く波打つ髪に、アメジスト色の瞳を持つ少女だった。
気が強そうなつり目の彼女は見た目はとびきりの美少女だ。
しかし中身は初等部にいる間、ケルナをいじめ倒してくれた主犯核でもある。
突然の事に、教師は戸惑いながらも名簿を確認する。
「アイオネ・ケンドリー何でしょうか?」
「はい。私はユースウェンさんと初等部で同じクラスだったので、彼女の変わりに今の状況の説明をと思いまして、さしでがましくも失礼いたします。
先生、彼女は生まれつき声が出せないのだそうです」
「声が出せない?」
「みたいですよ。
詠唱できなければ魔法が使えないというのに、どうやって授業を受けるつもりなのか私には分かりかねますが、義務教育で通えるのだから中等部へ進んだのだとか。」
そこでチラッと教室の対角に位置するケルナへ向けられた視線は能力が無いものへ対する嘲り。
そして、ほんの僅かに悔しさも込められていた。
(根に持たれたか………)
初等部最後の夏の日。
彼女がケルナを排除しようとした事件。
揉み消されてしまったが、命の危機からケルナは助かり、挫ける事もなく、こうして彼女の視界から消えることはなかった。
(そんなに目の敵にしなくてもいいと思うんだけど)
魔法が日常的に使われるこの世界で魔法が使えない事は、大きなマイナスだ。それだけで差別の対象になりやすく、特に貴族にその傾向が強い。アイオネは貴族ではないものの、実家が商売を営んでおり、貴族が主な取引先である大きな商家だ。
その為アイオネだけでなく、ケンドリー一家は考え方が貴族に近いものがあるようだ。
(面倒よね)
気にくわないのならほっといてくれればいいのだ。
でも、ほっといてもらえないのなら仕方ない。
"魔法が使えれば問題無いでしょ?"
ケルナは字を綴る。
「あなたが?今まで出来なかったのに?」
"ええ"
そう、出来るようになった。
皮肉にもあの夏の日、彼女のおかげで。
だから中等部では初等部の時のように、いいように虐められるつもりはさらさらない。
「そう………」
アイオネの瞳が細められる。
「では次の時間、誰の力も借りないで召喚してみなさいよ。」
"もちろん、そのつもり"
教師の存在を他所に話が決まったところで、チャイムは授業の終了を知らせた。