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黒川さんと校舎裏のベンチ

 好きな子ができた。

 その子はいつも一人で、無口で、暗くて、俗にいうぼっちで。友達には「どこがいいの?」って訊かれまくってるけど、とにかく俺は彼女が気になって仕方なくなってしまったんだ。


 その子の名前は、黒川沙耶。俺と同じ大学の同じ一年生。それ以外は、まったく知らない。


 そんな俺達の関係に変化が訪れたのは、秋も深まる9月下旬のことだった。

 その日、俺はいつも一緒に食べてる友達が授業さぼったせいで、昼休みに一人でうろうろしていた。

 大学内のコンビニで適当にパン買って、空いてる教室を探したけど、どこも使えなくて、俺は腰を落ち着けてパンを食える場所を探していたのだ。


 そして、俺は彼女を見つけた。


 黒川さんは、誰も通らないような、校舎裏のベンチで、一人おにぎりをかじっていた。ぼーっと、遠くを眺めながら、小さな唇で、ちょっとずつおにぎりを食べていく。

 俺は、そんな彼女に近づいた。


「……あの、隣、いいですか?」


 そして、勇気をだして声をかけた。そりゃ緊張した、無茶苦茶したさ。センター試験の直前より緊張したよ。でも、声かけた。これが最後のチャンスだって思ったから。


「……(無視)」


 だから、この反応には傷ついた。

 もう、本気で傷ついた。傷つきすぎて俺はむしろ吹っ切れられたのかもしれない。絶対にここで引くもんかって思えた。

 俺はワザと乱暴にドカッと彼女の隣に腰をおろす。


「……(じー)」


 「なに勝手に座ってるの?」その目はそう語っていた。俺はこの時……いや、この子の目を見るたびに、目は口程に物を言うということを実感させられることになる。

 気づかないふりして、俺はパンの袋を開けた。


「もう秋ですね」


「……」


「黒川さん……ですよね?」


「!……(じー)」

 訳:え……! なんで私の名前知ってるんですか……?


「前期、論文の講義で一緒でしたよね……?」


「……!」

 訳:あ、そういえば!


 黒川さんは一言も発していないのに会話ができる……。まあ、訳は俺の予想だけどさ。


「俺、牧田隼人っていいます」


「……(こくり)」


「これからも、暇なとき、ここ来ていいですか?」


「……………………………(こくり)」


 熟考の末、なんとかOKをもらうことに成功した。

 それっきり会話は途絶えてしまって、俺はパンを黒川さんはおにぎりを、黙々と食べ続けた。でも、これからは昼休みに一緒にいられることになって、俺は内心ガッツポーズしまくりだった。

 そしてその日から、俺はほぼ毎日、校舎裏のベンチに通うようになった。







 黒川さんと昼飯を一緒に食べるようになって、2ヶ月がたつ。 黒川さんは、意外と面白い人だった。

 例えば、黒川さんはいつも昼食はおにぎりなのだが、なかの具はローテーションだったりする。月曜日は鳥五目とワカメ、火曜日は焼きおにぎり(醤油)とシャケ、水曜日はいくらと塩むすび、木曜日はたらことおかか、金曜日はツナマヨネーズと梅という具合だ。


 ある日、俺が気まぐれでおにぎりを買っていくと、黒川さんが例のベンチで項垂れていた。


「黒川さん!? どうしたの?」


「……」


 黒川さんは無言で梅おにぎりを掲げた。

 何のことかわからず首をかしげていると、黒川さんはスマートフォンを取り出して、文字を打ち込む。


『ツナマヨが売り切れてた(TT)』


 メールの作成画面にはツナマヨネーズの不在を嘆く文字が表示されていた。文章の最後には、泣き顔の顔文字がある。

 俺は、今日が金曜日であることを思い出した。


「えっと、これよかったら……」


 俺は、袋からツナマヨネーズおにぎりを取り出す。さっき、ラスト一個をゲットしていたのだ。


「……?」

 訳:いいの?


「う、うん……こんなにいらないし」


 嘘だった。これを食べ損ねたら、多分足りない。でも


「……!」


 ツナマヨネーズおにぎりを受け取った黒川さんの、嬉しそうな顔が可愛くて、心はいっぱいになった。

 黒川さんのこんな顔が見れたなら、空腹なんて安いもんだ。


「そうだ、黒川さん」


「……?」


「さっきメール画面見て思ったんだけど、メアド交換しない?」


「……!」


「…………ダメ?」


「……!(フルフル)」


 黒川さんが勢いよく首を振る。


「じゃあ、交換しよう」


「……(こくり)」


 こうして俺達は、メル友になった。



 また、別の日。

 その日は珍しく、俺の方が先にベンチにいた。すると、あとからやってきた黒川さんはいきなりスマートフォンを見せてきた。メールの作成画面にはこうある。


『どいてください』


「え、なんで!?」


 答えは聞けず、俺はベンチからどかされてしまった。すかさず俺の座っていた位置に座る黒川さんはなんだか満足そうだ。

 俺がその横でしゅんと突っ立っていると、黒川さんが明らかにしまったという顔をした。


「……」


 無言でポンポンと自分の隣を叩く。


「え、座っていいの?」


「……(こくこく)」


 おずおずと黒川さんの隣に座ると、黒川さんがほっと胸を撫で下ろしたのがわかった。


 後になって聞いた話だが、黒川さんがいつも座っていたベンチの左側に座ると、ビルの合間からちょうど富士山が見えるのだ。この話を聞いた時、俺は自分の感性の無さにがっかりすると共に、そんな特等席を譲りたくなかったという黒川さんのことを微笑ましく思ったものだった。










 黒川さんと昼食を共にするようになってから、3ヶ月が経とうとしていたある月曜日、事件は起きた。

 いつも通り、俺は例のベンチに向かったのだが、そこに黒川さんがいなかったのだ。


「休みかな……?」


 俺は、一人寂しく富士山を眺めながら、パンを頬張った。

 黒川さんがいなかったことは今までにも何度かあった。確かにすごく寂しいし悲しかったけど、それは今日だけだろう。だから、そこまで気にはしなかった。


 次の日、黒川さんはまたいなかった。


 それでも、俺はまだ楽観的だった。たまたま休みが重なっただけ。そう思っていた。今日も、俺は富士山を見ながら一人でパンをかじる。いつもより、パンが不味い気がした。


 その次の日も、黒川さんはいなかった。


 さすがに心配になってきた俺は、黒川さんに『どうしたの、大丈夫?』とメールを送った。

 返信は、なかった。

 そこで初めて、俺は焦りを覚える。さすがにこれはおかしい。でも、連絡もつかないし、黒川さんの家なんて知らない。ただ待つことしかできなかった。


 そして、そのまた次の日も、金曜日も、黒川さんはベンチに現れなかった。


 連絡もなく、いよいよ俺は不安を抑えきれなくなった。黒川さんになにかあったんじゃないか? もしかして、嫌われてしまったんじゃないか? その二つがグルグルと頭の中を駆け巡って、俺は眠れない夜を繰り返した。


 週明け、見るからにげっそりしてしまい、友人たちに心配されながら、俺はまたひとりでベンチに座っていた。連絡はまだない。空はどんより曇っていて、富士山も見えない。パンは、もう味がしなかった。


 またも眠れない夜が明けた。

 その日は朝から土砂降りの空模様で、俺は重い足を無理矢理動かし、傘をさしてボロアパートを出た。本当は休みたいくらいだったけど、なにかに突き動かされるように俺は大学まで歩いた。普段、自転車通学だからか、久しぶりに通った裏道は遠く、恐ろしく静かだった。


 午前の講義、俺は寝不足のせいか全く手につかず、死んだように眠っていた。


「おい、隼人!」


「……ん?」


「もう昼だぞ。いつまで寝てんだ」


 友人にゆすり起こされる。

 寝不足でガンガンと響く頭を抑えながら、いつもの習慣と微かな期待から、俺はスマートフォンを確認した。




 ――新着メール1件・黒川さん――




「……っ!!」


 その文字列を見た瞬間、眠気や頭痛は何処かへ吹き飛んだ。

 慌てて中身を確認する。そこには『ごめんなさい』の一文が……。


「お、おい隼人!?」


 講義室を飛び出す直前、友人の焦った声が聞こえた気がした。













 ふらつく足で、なんとか校舎裏のベンチにたどり着く。

 土砂降りのなか、黒川さんは傘もささずに立ち尽くしていた。


「黒川さん!」


「……!」


 この時、俺は黒川さんの声を初めて聞いた。


「……ごめん、なさい……」


 黒川さんは、泣いていた。初めて聞いたその声は、とっても澄んでいてそれなのにかわいらしくて。なのに、気の毒なくらい震えている。

 近づくと、黒川さんのスマートフォンが光っているのが見えた。画面には俺宛てのメールが作成途中で、そこには黒川さんがインフルエンザで入院していたことと、そのせいで連絡がとれなかったことへの謝罪が、2:8ぐらいの割合で書かれている。

 メール後半の、画面を埋め尽くすほどの大量の『ごめんなさい』が、痛々しすぎた。


「……このバカ!」


 俺は、荒っぽく黒川さんを抱きしめた。

 その身体は冷え切ってしまっている。ガタガタ震えていて、唇なんて真っ青だ。そのことに、俺は怒りと悲しみを感じた。その思いを吐き出す。


「病み上がりなのにこんな雨の中で、何考えてんだよ!」


「……だってぇ……!」


 わんわんと泣き続ける黒川さん。

 その手が、俺のシャツをギュッとつまんだ。胸に顔を押し付けられる。


「……嫌われちゃったんじゃないかって……、はやとくんと、もうお昼ご飯、一緒に食べられないんじゃないかって……不安で……不安で……許してもらいたくて……!」


「…………」


 いつも無口で、無愛想で、でも本当はちょっと面白い人で。

 そんな女の子が、大好きな女の子が、子供みたいに怯えて泣いている。


 ――俺に、嫌われたくなくて。


 それを意識した瞬間、どうしようもない愛しさと一緒に、たった一言が口からあふれ出た。



「好きだ」



 ビクン、黒川さんの身体が跳ねる。


「好きだ、黒川さんのこと、俺、大好きだ」


「……」


 黒川さんが俺を見上げる。


「だから、これからも俺は、黒川さんの側にいる。絶対に、離れたりなんかしない!」


「……っ」


「ずっと一緒にいる!」


 さっきまでの悲しみの涙とは違う。感極まったような様子で、黒川さんはその瞳から一筋涙を零した。

 その後、目を閉じてまた開いて、黒川さんは俺を見つめた。


「……私も、大好き」


 その時の黒川さんの、初めてみる笑顔を、俺は生涯忘れることはないだろう。

 俺達は笑いあって、それから、そっと……触れるだけのキスをした。


「……さ、帰ろう。今日はもうサボっちゃおうよ」


「……(こくん)」


 黒川さんは、真っ赤な顔で頷いた。

 手をつないで、近くの校舎に入る。その時、ポケットのスマートフォンが震えた。


 ――新着メール1件・黒川さん――


 黒川さんに向かって首をかしげてやると、黒川さんはチョイチョイと俺のスマートフォンを指さした。

 素直にメールを開いてみるとそこには『今日は何の日?』の文字。少し考えて、すぐに思い当る。


「そういえば、今日はクリスマスだったっけ?」


「……」


 その瞬間、繋がったままの手をぐいと引かれた。

 そして……唇に柔らかい感触。


「く、黒川さん!?」


 慌てて、顔を離す。くそう、不意打ちなんて卑怯だぞ。


「……メリークリスマス、隼人くん……」


 真っ赤になった俺をみて、黒川さんはいたずらっぽく笑うのだった。



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