ヘルドッグ退治
二人は冒険者御用達の食堂に来ていた。一番安いフィッシュアンドチップスを頼み、ミリーがチップスを食べてネコのミーシャがフィッシュを食べている。
今のところ薬草摘みや荷物運びで何とか糊口をしのいでいる。
「なんかたまには刺身とか食べたい。デカい仕事しようぜ、ニャ?」
「デカい仕事? この前運んだ荷物結構大きかったよ?」
「違う、報酬の額が大きい仕事ってことだ」
「そっか! じゃ、食べたら探しに行こう!」
ミリーは口をもぐもぐ動かしてチップを食べ終えると水を飲んで立ち上がった。
「ニャ、行くニャ」
ミーシャも立ち上がり手をにぎにぎすると、ミリーがその手を握って二人はギルドへ向かった。
あまり発育の良くないミリーがしょっちゅう転ぶので、ミーシャが手を繋いで歩くのが普通になっていた。
すっかりミーシャが保護者になっている。しかも、二人で手を繋いで歩いていると町の人たちが微笑ましい顔で見ている。
ギルドで二人は依頼を見ながら丁度いい仕事を探し始めた。
「これどうだろ? 五万ゴールドでウォードラゴンの心臓回収だって」
五万ゴールドあれば酒場のツケの一千ゴールドを払っても、二人で一年は暮らせる。
「俺とミリーじゃ無理だな……俺が二十人でなんとかなるかならないかってところだ」
「あ、新しい依頼が入ったよ? ヘルドッグ退治だって」
『ヘルドッグ退治してください。近隣の村から女を生贄にしています。助けてください』
「ヘルドッグか……」
ミーシャは腕を組みながら考えている。ヘルドッグはオオカミくらいの大きさで個体数が少ない。普段は人里から離れて暮らしている。知能が高く幻術や水の魔術を操る種族だ。
「人間の女を攫うってことは、たぶん番を探してるんだろうな」
個体数の少ない種族は、他の種族と番えるように進化している。ミーシャの種族もそう進化している。
この仕事の報酬は一万五千ゴールド。ミリーに後方援護させてミーシャが奇襲を掛ければ何とかなるかもしれない。
「ギリギリいけるかもしれないな……やってみるか」
ミーシャが石にプレートを置くと依頼が受け付けられた。
***
二人が乗合馬車で二日掛けてやってきたのは大きな村だった。男ばかりのムサい村だ。その村で食糧を補給して馬車を借りて更に山へ向かっていく。
「この調子だと、昼には到着できるニャ」
ミーシャの言う通り、昼過ぎに大きな城が見えてきた。だいぶ手前で馬車を泊めて徒歩で向かうことにした。
城門は不敵にも開放されている。
「ヘルドッグは夜になると魔力が上がるんだ。日の出ているうちに突入するぞ」
「分かった。それにしても大きな家だねぇ」
「まぁ城だから大きいだろ。あまり大声で喋るニャよ」
「ん。分かった」
ミーシャが忍び足で歩きはじめるとミリーも真似をして静かに歩いた。城の大きな扉は二人で押すと軋みながら開いた。
城の中は薄暗くミーシャが確認してから入り、手招きをするとミリーが続いて入った。
二人は静かに、だができるだけ急いで一階の探索を始めた。あまり人の気配がしない城だが、大きな扉から人の声がボソボソと聞こえてきた。
「あすこに誰かいるみたいだよ?」
「い、行って、みるか……」
だが、ミーシャの足取りが覚束なくなっている。
「どうしたの? だいじょうぶ、ミーシャ?」
「イ……」
「「イ」?」
「イヌくせ……」
鼻を押さえながら大きくふら付くと、ミーシャはその場にパタンと倒れてしまった。
「ミ、ミーシャャァァァァっ!」
意外と役に立たないネコをミリーは抱っこして話し声の聞こえる扉を開けた。
そこは日の光が十分に差し込む広い部屋だ。その奥に女の人が数人固まって怯えた顔で、入ってきたミーシャを見つめた。
しばらくそうしていると、女性が一人前に出てきた。
「お嬢ちゃんも攫われたの?」
「違います。皆さんを助けに来た、冒険者のミリーです。大丈夫ですか?」
「お、お嬢ちゃんが? 何を言ってるの、お嬢ちゃん……あいつは凶暴で手が付けられないのよ」
「……分かってます。でも必ず皆さんを助けますから」
女性たちが驚いて素っ頓狂な声を上げると、ミリーは口をキュッと結びミーシャを女性に預けた。
*
次々部屋を見て回ると、カタンと小さな音が聞こえた。とっさに振り返ると柱の陰に何かがサッと隠れるのが見えた。
大きな三角の物体が柱からはみ出てピコピコ動いている。白と黒の牛柄の毛足の長い犬がコッソリとミリーを見ているのだ。
「ワンちゃん!」
あまりの可愛らしさにミリーは犬に走り寄ってしまった。ミーシャより一回り小さな犬は驚いて鼻に皺を寄せて犬歯を剥き出しにして威嚇している。
「グルルルル……」
「こんなところでどうしたの? ここは凶暴なヘルドッグの棲家なんだよ。危ないから早く逃げなよ」
「知ってる」
ミリーが逃げるように促すと犬は歯を剥き出して笑った。クリッとした目が嬉しそうに細くなっている。
「あたしは、これから悪い犬を退治するから。今のうちに逃げなよ」
「お前が!?」
「シーッ! 大きい声出しちゃダメ!」
「あ、済まない。でもお前じゃムリだな」
「どうして?」
「ヘルドッグは大きくて凶暴なんだぞ。お前なんかガブッと齧られてお終いだ」
犬が馬鹿にしたように言うとミリーは頬をプクッと膨らませて、ムクれながらスタスタと歩き始めた。
「おい大人の言うことは聞くもんだぞ」
犬も喋りながらスタスタ歩いてミリーに付いていく。
「良いか、お前じゃヘルドッグは絶対に倒せない。絶対ムリだ。殺せやしない!」
「何でそんなこと分かるの!?」
犬がミリーを嘲笑うと、とうとう怒って振り返って大声を出した。犬は首を傾げてつぶらな瞳でミリーを見上げている。怒ったせいか少し泣きそうな顔で「クゥーン」と鼻を鳴らした。
「お、怒ってごめんね。ワンちゃん……ワンちゃん悪くないんだよ」
「フン、やっぱりそんなんじゃムリだな」
ミリーが慌てて宥めると、犬はニヤリと笑った。すっかり怒ったミリーが口を開こうとする前に犬が喋りはじめた。
「お前、俺のこと殺せるか?」
ミリーは首を傾げた。口は悪いが可愛らしいこの犬を殺すなんてできるわけがない。
そうミリーの顔に出ているのを見て、犬は自嘲の笑みを浮かべた。
「俺がヘルドッグなんだよ」
「ええっ!?」
黙っていれば可愛らしいこの犬がヘルドッグ?
ミリーは口をパクパクさせて驚いている。
*
「ねぇ、ワンちゃん。どうして人攫いなんてしたの?」
「……俺、ヘルドッグなのにこんなだろ?」
「こんなの」がどんなのを示すのかはミリーにはよく分からないが、話に聞いていたのより小さくて怖くないのは確かだ。
「……もしかして、仲間外れにされたの?」
犬はうなだれながら首を横に振った。
「俺の種族は嫁を貰って一人前なんだ……だけど、こんなだから俺の種族の女は誰も嫁に来てくれない……」
「でも、大人になったら大きくなるんじゃない?」
「俺はもう大人だ! ……お前には俺の気持ちは分からんだろうがな」
確かに、この小さな毛足の長い犬がどれだけ頑張っても大きなオオカミになれるとは思えない。犬の言いたいことはミリーも身に覚えがある。
「分かるよ……だってあたしも小さく見られるもん」
「お前、いくつだ?」
「15才!」
「ウソ吐くな! どう見ても10才にしか見えない」
「ウソじゃないもん! ほら!」
見た目は10才くらいだが、ミリーはちゃんと成人している。ミリーはぷりぷり怒りながらプレートを見せた。
犬はプレートを何度も何度も確認した。それからミリーの匂いを嗅いで確認している。
「そうなのか……そうなのか?」
「私も村の人から仲間外れにされたよ。髪の色が薄くて気持ち悪いとか小さいとか」
ミリーが自分のことを話すと犬は鼻に皺を寄せて怒った。
「何で、仲間外れにするような奴らを助けようなんて思うんだ!?」
「優しい人も中にはいるんだよ」
そう言いながら幼なじみのアスランを思い浮かべる。ミリーに読み書きや計算を教えてくれて、遊んでくれたアスラン。世の中にはそう人がもっといることを知った。ギルドのお姉さんや宿屋のおばさん。
「ねぇ。攫った人達返してあげてよ」
「……じゃ、お前俺の嫁になってくれるか?」
「なんで?」
「人間がよこした女は皆大きくてムチムチしてて美人だけど好みじゃないんだ。お前くらい小さいのが良いけど、俺はロリコンじゃないし。成人しているお前なら……」
ミリーにはロリコンの意味がよく分からないが、問題はそこではない気がする。
「違うんだよ、ワンちゃん」
「じゃ、一思いに殺してくれ! こんな……こんな寂しい世界はもう嫌なんだ!」
犬は白いフサフサのお腹を剥き出しにしてコロンと仰向けになった。
「フ……フカフカ、フカフカ! はぁはぁ……」
ミリーはその誘惑に耐えられずお腹に顔をうずめてもふもふを堪能した。ちょっとはぁはぁしている。
相当長いこと堪能してからやっと満足そうに顔をあげた。
「ふぅ、そんな悲しいこと言わないで、ね?」
悲しそうに「クゥーン」と鼻を鳴らしてうなだれる犬を見てミリーは分かった。耳はペタンと垂れ下がり、尻尾は丸くなっている。まるで村にいたときの自分みたいだ。この犬が欲しいのは番じゃなくて仲間なのかもしれない。
「ねぇ、一緒に冒険者になろうよ」
「いっしょ……? ダメだ。人間じゃないとギルドに登録してもらえないんだ」
犬はギルドに行ったときのことを思い出して怒りに牙を剥き出した。仲間外れにされて人里に下りてギルドに行ったときのことを。
『犬は登録できないんだよ、さ、出て行った、シッシ!』そう追い払われた。それで自棄を起こして女を攫ったり生贄にして差し出させていたのだ。
「ダメだ。犬は登録できないんだ! もうほっといてくれ……攫ってきた女達は返す」
「でも、ミーシャはネコさんだけど登録できたよ? 一緒に行こうよ」
ミリーは起き上がってうなだれながら立ち去ろうとする犬の手を握った。ネコよりしっかりした肉球は押し甲斐がある。しばらくプニプニしていたが我に帰ると、犬はつぶらな瞳でミリーを見つめている。
「ヘルドッグは強くてカッコいいんでしょ!? 大丈夫! さ、行こう」
「……ずっと一緒にいてくれるか?」
「もちろんだよ!」
ミリーの屈託のない笑顔と意志の籠った眼差しにに犬は頷いた。
「ねぇ、どうやって攫ってきたの?」
「俺は幻術が使えるから、オオカミの幻をみせて脅して連れてきたんだ。こんなだけど女の三人くらいは簡単に運べる」
「そっか……じゃあ、オオカミの死体の幻を皆に見せてくれる?」
「分かった」
犬が頷くとほどなくしてオオカミの幻が現れた。まるで本物のようで触るともふっとしている。
「すごい! 触れるよ!? この幻」
「俺の幻術は視覚だけじゃなくて、五感全部に作用するんだ」
大広間の扉を開けると、二十人ほどの女達が怯えた顔で一斉に顔を上げた。入ってきたのがミリーと分かると全員がホッと溜息を吐いた。ミーシャはその中でも一番きれいな女の人に膝枕をしてもらい喉を鳴らしている。
「……冒険者さん」
「皆さん! ヘルドッグを退治してきました! お家へ帰りましょう!」
ミリーが声を張り上げると女性たちがざわめいた。彼女たちを宥めるためにミリーは幻のオオカミを広間に引っ張ってきた。
「ありがとう冒険者さん! こんなに小さいのに凄いわねぇ!」
女性たちは幻を見て口々にお礼を言っている。
「……デカした、ニャ」
ただ一人ミーシャだけは誤魔化せていないようだが、彼は黙っていた。
***
「イヌくせっ! 何でコイツが仲間なんだよ」
ギルドで報酬をもらった三人は、パーティー登録をしてから食堂へ来ていた。ミーシャは魚のムニエルを食べながらビールを飲んでぶつくさ文句を言っている。
稼いだは良いが、ここでは新鮮な魚が手に入らないため刺身は食べられないのだ。
「仲間がいっぱいると楽しいもん! もっと大きい仕事できるし。ね?」
「よろしく頼む、ミーシャ」
「ミーシャって呼ぶな! 慣れ慣れしい!」
「良いでしょ、お願いミーシャ。仲間が多いとお刺身食べられるところに仕事行けるよ?」
ミーシャは爪楊枝を咥えながら溜息を吐いた。
「俺がリーダーだからな。それと、寝るときミリーの上は俺だからニャ!」
こうしてヘルハウンドのハインリヒ=ケルベルスス、レベル20が仲間になった。