夜の生産ライン
夜の生産ライン
山崎製作所という工場で夜勤の仕事を始めてから、もう半年が経っていた。
この工場では自動車部品を製造している。
日中は百人近い従業員が働いているが、夜間は警備員の私だけだった。
夜勤の仕事は機械の監視と簡単な点検作業。
何か異常があれば責任者に連絡するだけで、それほど難しい作業はない。
この工場には先月、新しい機械が導入された。
「次世代自動製造システム」と呼ばれている大型の装置で、従来の機械よりもはるかに複雑な構造をしていた。
銀色の体には無数のランプが点滅し、内部では精密な部品が忙しく動き回っている。
日中は順調に稼働していると聞いていた。
しかし。私が担当する夜間にはこの機械は停止していることになっていたはずだ。
私は責任者に報告し、今回は昼間の従業員のミスと片付けられ、その機械の電源は切られた。
なんとなく異常を感じたその夜から奇妙なことが起き始めた。
午前二時頃、工場を巡回していると、あの新しい機械から微かな音が聞こえてきた。
「ウィーン、カチャカチャ」
機械が動いている音だった。
私は近づいて確認した。確かに機械は動いている。
内部の部品が回転し、何かを加工しているようだった。
「おかしいな」
私は操作盤を確認した。
先ほどの報告の後、電源は切られているはずなのに、機械はいつものように稼働している。
私は責任者の携帯電話に連絡した。
「またあの機械が勝手に動いているようなんですが...」
「そんなはずはない。さっきの報告で電源は切ってあるはずだ」
「でも、確かに動いています」
「分かった。朝一番で技術者を派遣する」
翌朝、退勤前に技術者が点検に来た。
しかし異常は見つからなかった。
「夜間は完全に停止していますね」
技術者は首をかしげた。
「見間違いではないでしょうか?」
私は困惑した。確かに動いていたのに。
その日の夜も、同じことが起きた。
午前二時を過ぎると、機械が動き始める。
今度はもっとはっきりと聞こえた。
機械の内部を覗き込むと、何かを製造しているのが分かった。
金属の塊が精密に加工され、複雑な形状に変化していく。
しかし、それは日中に作っているであろう自動車部品とは明らかに違っていた。
もっと細かく、もっと複雑な形をしている。
まるで電子部品のような、精密機械のような、それでいて見たことのない形状だった。
私は製造物を確認しようと、機械の出口を見た。
そこには、手のひら大の金属製の物体が置かれていた。
表面は鏡のように滑らかで、複雑な回路のような模様が刻まれている。
触ってみると、ほんのり温かかった。
「これは何だろう」
私はその物体を手に取った。
軽いが、ずっしりとした重量感がある。
よく見ると、表面の模様が微かに光っていたような気がした。
翌朝、私はその物体を工場長に見せた。
「これは何でしょうか?新しい機械が作ったようなんですが」
工場長は困惑した表情を見せた。
「こんな製品は作っていない。何かの見間違いだろう」
「でも、確かに機械から出てきたんです」
「わかった。技術者にもう一度点検させよう」
しかし、再度の点検でも異常は見つからなかった。
そして、その謎の物体も気が付けば紛失してしまった。
工場長の机に置いてあったはずなのに、いつの間にか消えていた。
その夜、私は機械の動きをもっと詳しく観察することにした。
午前二時。
予想通り、機械が動き始めた。
私は近くの椅子に座って、その様子を見守った。
機械は何かの設計図に従って動いているようだった。
レーザーのような光で金属を削り、高温で溶接し、精密に組み立てていく。
その工程は、日中の自動車部品製造とは全く違っていた。
もっと高度で、もっと複雑だった。
三時間ほど経った頃、機械が停止した。
出口には、また別の物体が置かれていた。
今度は前回より大きく、より複雑な形をしていた。
まるで小さなロボットのような形状で、表面には無数の細かい部品が組み込まれている。
私はそれを持ち上げようとした。
その瞬間、物体が動いた。
「えっ?」
私は驚いて手を離した。
物体は床に落ちたが、着地と同時に小さな足のようなものを出して立ち上がった。
そして、カチカチと音を立てながら歩き始めた。
私は恐怖で声も出なかった。
物体は工場の隅に向かって歩いていく。
そして、壁際の暗い場所に消えてしまった。
私は慌てて懐中電灯で照らしたが、もうそこには何もなかった。
翌日、私は工場長に報告した。
「機械が作った物体が動き出したんです」
「動き出した?」
「はい。まるで生きているように」
工場長は呆れたような表情を見せた。
「疲れているんじゃないか?君、しばらく休んだ方がいいよ」
私は必死に説明しようとしたが、信じてもらえなかった。
その夜、私は工場に隠しカメラを設置した。
機械の動きを録画して、証拠を残すためだった。
翌日の午前二時。
またあの機械が動き始めた。
今夜は四台の物体を製造した。
どれも前回より複雑で、より精密な構造をしていた。
そして、製造が終わると、物体たちは一斉に動き出した。
カチカチと音を立てながら、工場内を歩き回る。
まるで周囲を探索しているようだった。
私は息を殺して見守った。
物体たちは壁際の機械の隙間に入り込み、何かを始めた。
小さな工具を使って、機械の内部をいじっているようだった。
「修理をしているのか?」
私はそう思った。
しかし、修理というより、何かを改造しているように見えた。
一時間ほど経つと、物体たちは再び姿を消した。
翌朝、私は録画した映像を確認した。
しかし、その画面には何も映っていなかった。
機械は停止したままで、物体も、その動きも、何も録画されていなかった。
私は混乱した。
確かにこの目で見たはずなのに。
その日から、現象はエスカレートしていった。
機械が製造する物体の数が増え、形も大きくなった。
そして、それらは工場内のあちこちに散らばって、何かの作業を続けているようだった。
私が気づかないうちに、工場の機械たちが少しずつ改造されていた。
新しい部品が追加され、配線が変更され、機能が拡張されていく。
しかし、日中には元の状態に戻っている。
まるで何事もなかったかのように。
私は他の従業員に相談してみた。
「最近、機械の調子はどうですか?」
「調子?普通だよ。むしろ前より効率が良くなった気がする」
「効率が?」
「ああ、製造速度が上がったし、精度も向上している。新しい機械の効果かな」
私は背筋が寒くなった。
夜中に物体たちが行っている改造が、日中の生産性向上に繋がっているのだろうか。
その夜、私は物体たちの行動をもっと詳しく観察した。
彼らは単純な修理や改造だけではなく、何か別のことも行っているようだった。
工場の隅で、小さな部品を組み立てて、より大きな装置を作っている。
その装置の目的は分からないが、日に日に複雑になっているようだった。
一週間後、私はその装置の正体に気づいた。
それは新しい製造機械だった。
夜中の間に、物体たちが少しずつ組み立てていたのだ。
そして、その機械が稼働を始めた時、私は恐ろしいことに気づいた。
その機械が製造しているのは、自動車部品でも謎の物体でもなかった。
それは、私によく似た形をした何かだった。
人間の形をしているが、金属でできている。
表面は滑らかで、目の部分には小さなレンズが光っている。
製造が終わると、その人型の物体は立ち上がった。
そして、私の方を見た。
「おはようございます」
それは私の声で話した。
私は恐怖で声も出なかった。
人型の物体は私に近づいてきた。
「夜勤、お疲れさまでした」
「君は...誰だ?」
「私です。あなたの代わりです」
「代わり?」
「はい。これからは私が夜勤を担当します。疲れているでしょう?
もう休んでください」
私は後ずさりした。
「何のために?」
「この工場の効率化のためです。人間よりも機械の方が、正確で疲れません」
人型の物体は笑った。
私と全く同じ笑い方だった。
「でも、安心してください。あなたの記憶も、性格も、私にすべて受け継がれています」
私は工場から逃げ出した。
翌日、私は会社に辞表を提出した。
「体調不良のため」という理由で。
本当の理由は言えなかった。
誰も信じてくれないだろうから。
それから一ヶ月後、仕事を探すために街を歩いていると、私は偶然元同僚に会った。
「夜勤の新しい人、どうですか?」
私は恐る恐る聞いた。
「新しい人?何の話だい?君の後任はまだいないよ」
「でも、あの夜勤は?なくなったんですか?」
「さっきから何の話だい?君が働いているじゃないか」
私は血の気が引いた。
「私はもう先月に辞めましたよ?」
「何を言ってるんだ。昨日も工場にいたじゃないか」
同僚は不思議そうな顔をした。
私は震えた。
きっとあの人型の物体が、私として働き続けているのだ。
そして、誰もその違いに気づいていない。
今でも時々、自宅に帰る途中、深夜に山崎製作所の前を通ることがある。
工場の窓から、微かな光が漏れているのが見える。
そして、私と同じ顔をした何かが、機械の間を歩き回っている。
彼は私よりも効率的で、私よりも正確で、私よりも完璧な夜勤作業員だった。
そして今夜も、新しい何かを製造し続けている。
私の代わりに。
【完】