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完成。未完成

「時間があればもっとうまくできた」


 清運さんは開口一番そう言った。時刻は19時30分を指しており、完成予想時刻より30分も早かった。彼女が絵の完成を急かされたのには理由があった。祭上高校では部活動の活動時間がどれだけ遅れても20時までと規定されているからだ。そのため後々の片付けの事も含めたらこの時間には完成していないと間に合わないと、19時頃に川合さんが言ったのである。そういわれたときの清運さんの慌てっぷりや不満顔は正直興味深かった。

 僕らは机の上に置かれたそれを三人で見る。

 そして思わず言った。


「上手い…」

「そ、そうですか?」


 絵の中の彼女は明確な表情というものを示していなかった。その大きな瞳はこちら側を捉えておらず、上品に体をひねってそっぽを視界に収めている。両手は椅子を抑えるように太ももの横に置かれており、半開きになった口から誰かと会話中であることが分かる。視線の先には話し相手がいることが見て取れた。というか多分僕だ。

 肩までに切りそろえられた頭髪はわずかに揺らぎ、制服の歪みの部分から絵の向こうの彼女の精神性が活発なそれであり、会話中の口元は大きく開かれすぎていないところから奥に秘めた上品さも伝わってくる。絵のタッチは髪や制服が力強く描かれているのに対して本人は淡い雰囲気を纏っていてメリハリがある。

 誰が見ても川合海野であると見て分かる。

 僕の前に広げられたのはそんな絵だった。


「すごいよ清運さん、スランプ脱出だ!」

「え、えぇ…本当にそうですか?」

「よく描けてるよ!素人目だけど言わせてほしい。凄い上手だ!」

「…へへ」

 

 そのまま万歳三唱しそうな勢いで彼女を持ち上げる僕。まんざらでもなさそうな清運さん。待ったをかけたのは黙って絵を睨んでいた川合さんだった。


「待って。じゃあなんで下沢君の時は上手くいかなかったの?」

「それは…なんででしょう」

「あかちゃん、下沢君の絵、ある?」

「捨てちゃいました。びりびりに破って」


 僕は生まれて数十秒後に分割され丸められた自画像の事を思い返した。哀れな僕。


「下沢君的には、どんなところが気に入らなかったんだっけ」

 

 川合さんが言う。真っ直ぐに僕を睨んだその瞳は吊り上がっていて、怒気をはらんでいるようにすら見えた。僕は背筋を正しながら答える。


「なんというか…自分っぽくないというか。少し脚色が過ぎるというか、要するに」

「美化されていた?」

「うん。結構」

「やっぱり」


 何がやっぱりなのだろうか。揃って首をかしげる清運さんと僕である。

 川合さんは黙って顎に手をやっている。その間も彼女はしきりに絵の中の自分を睨みつけており、その成果絵の中の川合さんも居心地が悪そうに見えてきた。そして顔あたりまで指を伸ばす。


「あかちゃん。趣味は?」

「え、え?なんで」

「答えて」清運さんは僕を一瞬僕を横目に見て、小さな声で言う。

「…まんがとアニメ」

「うん。知ってた」

「何で聞いたの!?」


 顔を真っ赤にして手のひらで覆い隠す清運さん。別にいいと思うけど、漫画とアニメ。昔はオタク文化の二大巨頭的に扱われてきたこの二つだが、最近はすっかり市民権を得て大衆化している。僕のクラスの自己紹介でも趣味に漫画を読むことと挙げていた生徒は多い。何も恥ずかしがることじゃないさ。


「じゃあもう一つ質問。アカちゃんって、人間関係に関しては冗談抜きで小学生レベルだよね」


 ひどすぎる質問だ。


「答えて」

「…たぶん」

「知ってた」

「じゃあ聞かないでよぉ!」

 

 そこまで聞いて、僕にもようやく彼女の言わんとすることが分かってきた。

 つまり彼女が言いたいのは。


「デフォルメのし過ぎってこと?」

「二つの意味でね」

「…」

「私が知ってるアカちゃんのデッサンは、もっと写実的でリアリティがあった…でもこれは違う。確かに細かな所は上手くなってるけど、所々抽象的というか、よく見せようとして、綺麗になりすぎている感じ。ねえアカちゃん。私こんなポーズとって無かったよね?」


 僕にしてみればその絵は間違いなく上手かった。美術部がモデルに対して描いたそれだと断言できる。そこには確かにリアリティがあり、幻想的なまでの美しさがある。でも、それこそが問題なのだと川合さんは言う。

 清運朱莉の絵は、ここまで幻想的ではなかった。良いものを更によく見せようとしなかった。ここにないものを持ってこようとしなかった。それこそが彼女の創作だった。なのに今の彼女は違う。進んだ先で道を変えたのではない。今も変わらず道を進みながら、他所の国の土を踏んでいるようなあべこべ感。一言で言えば無理がある進行。彼女自身の中での不和。それこそが問題なのだと、幼馴染は言う。


 しかし、これは。

 これが問題だとするのなら、一体どうすればいいのだ?


「…」

「ダメな事じゃないと思うよ。いろんな絵の形を知るのは、きっと、とても重要な事。でも」

「私は上手くそれを落とし込めていない」

「多分、そう」

「…」

「川合さん。二つ目の意味って何?」

「二つ目は…」

「もう、いいです」


 割り込んだのは清運さんだった。彼女は暗い顔で鉛筆を握りしめ、目線を合わせることもしない。


「好きなものが、無駄なものになっていました」

「清運さん…」


 その肩に手を伸ばそうとするものの、なんて声をかければいいのか分からなくて、僕は膝の上で拳を握りしめる。スランプの原因…彼女が自分の絵に納得がいかなくなってしまった理由が分かった。余計な事を覚えたからだ。それを無自覚でしていたのかは分からない。もしかしたら、良かれと思って彼女は手を伸ばしたのかもしれない。けれど結果的にその要素は彼女の世界で異分子として肥大化していった。

 彼女がここまで深刻そうにしているのは、もとに戻る見通しが立てられないからじゃないだろうか。

 いったいいつからそれを始めたのかは分からない。でも間違いなく、手癖として気づかなくなるほどに彼女の中に浸透しているのだ。それを完全に切除、ないしは飲み込むまでにどの程度かかるのか、見当もつかない。


 けれど。


「方法はあるよ」

「え…?」


 深刻な雰囲気に包まれる美術室内に、明るい声色が響く。僕も清運さんも思わずそちらを見ると、声の主は何でもない事みたいに言うのだ。


「友達を作ればいいんだよ!」

「友達?でも…」清運さんが僕を見る。確かに、それはもう思いついて、実行に移している作戦だった。

「下沢君だけじゃなくて、もっとたくさん!クラスの皆と友達になるの。人の嫌な所も好きな所も知れば、きっと昔のアカちゃんに戻れるよ!」

「クラスのみんなと…」

「そう!」ニッコリ笑顔で言う川合さん。対する清運さんの顔は、青を通り越してどす黒くなっていた。

「海野ちゃん」

「なに?」

「無理で」

「無理じゃないよ!だって――」


 川合さんはほぼ清運さんの発言を予想していたようだ。かぶせる勢いで両手を広げ、正面にいた僕をひっつかんで肩を寄せる。

 そして、言う。


「――この友達いない同盟が、君の友達作りをサポートするのだから!」


 そう言った。


 なんて言った?



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