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抽象的解決策




「なるほどねー。つまり下沢君的はあかちゃんの描いた絵に不満があると」


 川合海野は頷いた。先ほどまで用いられていたキャンバスとイーゼルは脇に置かれており、代わりに新たな椅子が置かれている。彼女は絵の具の斑点が散らばるブルーシートの上で足を組み、顎に手をやりながらうんうん唸っている。僕たちはお互い向き合うように座っており、事情を説明後の川合さんの反応を待っていた。

 川合さんの指が清運さんを指す。


「んで、あかちゃん的にはその絵は結構うまく描けていたつもりだと」

「うん。私的には、だけど」言いながら、チラとこっちを見る清運さん。その視線を追って川合さんまでも僕を見た。


 何も悪くないのに疑われている気分だ。僕は言い訳でもするみたいにまくしたてる。


「いや、本当に何となくではあるんだよ。実際絵はものすごい上手いし特徴も捉えられていた。でも」

「でも?」川合さんが小首をかしげた。

「…特徴はあってるのに、僕って感じがしなかったんだ。勿論、僕は門外漢だから絵の事を何も分かっていなくて、的外れな事を言っていただけなのかもしれない。でもとにかくそう思ったんだ」


 痛ましい沈黙が流れる。僕は自分の能力の低さが恥ずかしかった。僕は絵の世界に対して疑いようがなく部外者だった。好きな画家を一人あげろと言われたら、知っている名前で枠が埋まるぐらいに無知な僕だ。そんな僕が発したたった一つの迂闊な発言で清運朱莉の時間を奪っている。僕の役割は彼女に気持ちよく描かせてモチベーションを上げる事だった。些末な違和感なんて黙っておくのが正解だった。それが賢さというものだった。だというのにあまりに思慮が浅かった。僕は自分を深く恥じる。発言を無かったことにしたいと思う。

 でもその望みは叶わない。


「下沢君。時間、大丈夫?」


 落ち込む僕に声がかけられる。川合さんからだった。

 時刻は17時30分に差し掛かろうとしていた。


「今日はいつまででも大丈夫」僕が言う。

「そっか。良かった」川合さんが言う。「あかちゃん。今から私を描いてみて」


 その発言に驚いたのは清運さんだった。にこやかに自分を指さす川合さんに対して、彼女は目を丸くしている。ブルーシートが乾いた音を立ててずれ込む。動揺して思わず足が動いたのだ。それは意外な光景に思えた。


「私が、海野ちゃんを?」

「そそ」描いてみて。というお願い。しかしその発言は実際のところ、ただ決定事項を淡々と告げているようにも見えた。

「良いけど…」

「ありがと!」


 困惑交じりの了承を受けた後、僕らはあわただしく準備をした。と言っても隅に追いやっていた画材をもとの位置に戻し、鉛筆を握る清運さんを眺めるだけだ。僕は椅子ごとブルーシートを降り、相対する二人に直交する位置に座る。右手には教員用の大きな机があり、その奥には黒板がある。黒板の上には時計があり、カチカチと大きな音で時間を刻んでいる。

 僕は自分の絵が完成するまでにかかった時間を現在時刻に足し合わせる。つまり帰宅時間は夜の20時頃までずれ込むらしい。僕は心の中でため息を吐き、今後はもう少し考えて発言しようと思った。


「そういえば、こうして描いてもらうのって初めてだよね」

「そう、だね」

「思い返してみれば、小学校の友達よりも長く友達だったのに、なんでだろうね」

「うん…」


 見慣れた顔でA4紙に向かう相手に対してそんなん知らんとばかりに川合さんは話しかける。清運さんも別に嫌そうな感じはしない。ああ、別に談笑してもよかったのか。次から話しかけようと僕は心にメモをする。

 ふと、その会話の中で気になった一文を見つけて、僕は思わず割り込んでしまう。


「二人は高校生になる前から友達なの?」

「そだよー。家が近かったから、実は幼稚園からの幼馴染」

「幼馴染…」


 幼馴染。なんともロマンあふれる響きだ。僕は昨日の光景を思い返す。確かにあの精神不安定な清運さんの腕をひっつかんで救出するなんてマネは、よほど信頼されていないと出来ないだろう。僕の中で清運さんは人間嫌いの捨て猫みたいな印象だ。下手に近づこうとすると大声で鳴くか引っかかれて痛い目を見る。


「じゃあ、仲いいんだ」僕が言う。

「まあ、それなりに。ね」川合さんが言う。

「…」清運さんは黙っている。集中しているようだから、聞こえなかったのかもしれない。


 そのせいで会話が途切れてしまった。川合さんは相変わらず真正面を見ていて目が合わない。僕は手持無沙汰に天を仰いだ。そして首を鳴らしながら室内を見渡す。

 美術室のカーテンは相変わらず閉め切られていて外の様子は分からなかった。ここからなら中庭と正面玄関が見えるはずだ。誰が帰り、誰がいるのかおおよそ確認できる。しかし時間体的に多くの生徒はまだ部活動に精を出している事だろう。だが、それもあと数十分先までの話だ。一昨日の僕はこの時間帯まで有崎さんと教室にいた。

 彼女は今頃どうしているだろうか。そもそも部活動などに入っているのだろうか?僕は彼女の事を何も知らない。だが、まさか僕がこの時間に清運朱莉と川合海野と共に美術室で創作活動をしていることは、きっと神様にだって知られていない。つまり彼女も僕の事を何も知らない。同じ条件の僕らを決定的に分けるのは興味の有無だ。僕は彼女に興味があるが、彼女は僕に興味がない。だから僕は彼女に近づかない。


「じゃあ二人はどうなの?」

「何が?」

「仲は良いのかってこと」

「仲がいいかは…」


 ちらちらと視線を感じた。清運さんが明らかに気になるといった様子でこちらを見ている。なんと答えるのが正解なのだろう。


「まあ、友達だよ」

「そっか…」

「?」

「…」

「それは良いね!!!!」


 急にきらきらとした目がこちらに顔が向いてきてびくっとする。な、なんだ急に。


「海野ちゃん。こっち向いてください」ムッとした表情で清運さんが言う。

「ごめんごめん。

 へぇーでも、友達かあ。良いねえ」

「川合さんこそ友達いっぱいいるでしょ」

「いやいや、そりゃあ友達って言ってくれる子はたくさんいるけどね。なんというかこう、心の友!みたいな人って、私いないんだよねー。悲しきかな」

「あー…」

「その反応!やっぱりバレてた!?」

「いや、バレてたっていうか」


 正直意外だった。彼女が自身の状態を自覚していたこともそうだが、それを悲しいと思っていることが意外だったのだ。勿論ただの冗談かもしれない。でももしそうだとしたら、川合海野は何を思って日々を過ごしているのだろうか。単純に疑問である。


「その点でいうと、下沢君は友達いっぱいだよね」

「ええ。いないけど」

「ホントにー?朝話してた子は友達じゃないの?」

「あいつは友達だけど、あいつくらいのもんだよ。他の友達は…」清運さんが落ち着かない口元でちらちらこちらを見ていた。もごもごしている。


 …。


「清運さんぐらいかな」

「…」


 さっとキャンバスで顔を隠す清運さん。しかし僕には角度的に見えていた。A4紙とほぼキスするんじゃないかってぐらい近づけられた顔が、隠しようがないにやけ面に代わっていたことを…。


「へぇー。じゃあ下沢君。私とも友達になろう」

「え?」

「!!!」

「良いけど」

「やったー」

「!?!?!?」


 なんだか視界の隅でガンという音が聞こえた気がする。清運さんが何故か愕然とした顔でこちらを見ていたが何を訴えたいのかよく分からなかったので放っておくことにする。それを見て、また顎を外しそうになる清運さん。なんなのだ。


「じゃあ私達、友達少ない同盟だね!これからの学校生活がんばりましょうや!」

「何をする同盟なんだ」

「友達が出来るようお互いにフォローする!」

「あやふやだ…」


 おそらく今日以降この名称が使われることは無いだろう。


「あれ、でも有崎さんは?」

「有崎さんは、僕の名前もよく覚えてないよ」

「ありゃ、それは冷たいね」

「真面目な人だよ」

「でも美人じゃん」

「それは本当にそう思う」

「あはははは!」

「あの、もう少しジッとしてほしくて…」


 愚にもつかない会話が交わされる。それと同時に時間が過ぎていく。友達ってこういうものなのだろうか。僕には分からない。幼稚園から中学生まで、生活するステージの変化と共にその関係性は内部的に変化していた。ステージが合わることでそこで交わる人が増え、新たな世界を知ることを通してか関わり方も変容していく。高校生の人間関係というのがどうあるべきなのか、僕にはまだつかめていなかった。けれど、今の問題はそれだけだ。きっと誰にとってもそうなのだと知っているから僕は安心していられる。僕は先ほど友達なんていないと言ったけれど、多分それは今だけの事だ。時間がたてばそれなりに知り合う人も増えて、波長の合う連中を集めてグループに所属することにもなるだろう。それが”普通”というものだ。僕はこれでも小中ともに友達がいた。喧嘩も仲直りも人並みにしてきたから。人間関係の形成の仕方だって人生分は知っているつもりだ。だから僕は大丈夫なのだ。

 ここ数日友達というものについて意識することが多かった。高校生にもなって恥ずかしいことだ。あるいは、高校生だからなのかもしれない。


 僕は平均以下の高校生だ。だから清運朱莉や川合海野といった変人の様に、僕ではめぐり合うことも出来ない高度な個性に端を発する悩みには共感することも出来ないというのが本音のところだ。では僕にとって、今のような時間の過ごし方はどう映っているのだろうか。楽しいのか煩わしいのか。そのどちらともいうわけにはいかなかった。僕は答えを持ち合わせていない。

 しばらくして絵の完成が告げられた。


 ………。

 ……。

 …。


「時間があればもっとうまくできた」


 清運さんは開口一番そう言った。時刻は19時30分を指しており、完成予想時刻より30分も早かった。彼女が絵の完成を急かされたのには理由があった。祭上高校では部活動の活動時間がどれだけ遅れても20時までと規定されているからだ。そのため後々の片付けの事も含めたらこの時間には完成していないと間に合わないと、19時頃に川合さんが言ったのである。そういわれたときの清運さんの慌てっぷりや不満顔は正直興味深かった。

 僕らは机の上に置かれたそれを三人で見る。

 そして思わず言った。


「上手い…」

「そ、そうですか?」


 絵の中の彼女は明確な表情というものを示していなかった。その大きな瞳はこちら側を捉えておらず、上品に体をひねってそっぽを視界に収めている。両手は椅子を抑えるように太ももの横に置かれており、半開きになった口から誰かと会話中であることが分かる。視線の先には話し相手がいることが見て取れた。というか多分僕だ。

 肩までに切りそろえられた頭髪はわずかに揺らぎ、制服の歪みの部分から絵の向こうの彼女の精神性が活発なそれであり、会話中の口元は大きく開かれすぎていないところから奥に秘めた上品さも伝わってくる。絵のタッチは髪や制服が力強く描かれているのに対して本人は淡い雰囲気を纏っていてメリハリがある。

 誰が見ても川合海野であると見て分かる。

 僕の前に広げられたのはそんな絵だった。


「すごいよ清運さん、スランプ脱出だ!」

「え、えぇ…本当にそうですか?」

「よく描けてるよ!素人目だけど言わせてほしい。凄い上手だ!」

「…へへ」

 

 そのまま万歳三唱しそうな勢いで彼女を持ち上げる僕。まんざらでもなさそうな清運さん。待ったをかけたのは黙って絵を睨んでいた川合さんだった。


「待って。じゃあなんで下沢君の時は上手くいかなかったの?」

「それは…なんででしょう」

「あかちゃん、下沢君の絵、ある?」

「捨てちゃいました。びりびりに破って」


 僕は生まれて数十秒後に分割され丸められた自画像の事を思い返した。哀れな僕。


「下沢君的には、どんなところが気に入らなかったんだっけ」

 

 川合さんが言う。真っ直ぐに僕を睨んだその瞳は吊り上がっていて、怒気をはらんでいるようにすら見えた。僕は背筋を正しながら答える。


「なんというか…自分っぽくないというか。少し脚色が過ぎるというか、要するに」

「美化されていた?」

「うん。結構」

「やっぱり」


 何がやっぱりなのだろうか。揃って首をかしげる清運さんと僕である。

 川合さんは黙って顎に手をやっている。その間も彼女はしきりに絵の中の自分を睨みつけており、その成果絵の中の川合さんも居心地が悪そうに見えてきた。そして顔あたりまで指を伸ばす。


「あかちゃん。趣味は?」

「え、え?なんで」

「答えて」清運さんは僕を一瞬僕を横目に見て、小さな声で言う。

「…まんがとアニメ」

「うん。知ってた」

「何で聞いたの!?」


 顔を真っ赤にして手のひらで覆い隠す清運さん。別にいいと思うけど、漫画とアニメ。昔はオタク文化の二大巨頭的に扱われてきたこの二つだが、最近はすっかり市民権を得て大衆化している。僕のクラスの自己紹介でも趣味に漫画を読むことと挙げていた生徒は多い。何も恥ずかしがることじゃないさ。


「じゃあもう一つ質問。アカちゃんって、人間関係に関しては冗談抜きで小学生レベルだよね」


 ひどすぎる質問だ。


「答えて」

「…たぶん」

「知ってた」

「じゃあ聞かないでよぉ!」

 

 そこまで聞いて、僕にもようやく彼女の言わんとすることが分かってきた。

 つまり彼女が言いたいのは。


「デフォルメのし過ぎってこと?」

「二つの意味でね」

「…」

「私が知ってるアカちゃんのデッサンは、もっと写実的でリアリティがあった…でもこれは違う。確かに細かな所は上手くなってるけど、所々抽象的というか、よく見せようとして、綺麗になりすぎている感じ。ねえアカちゃん。私こんなポーズとって無かったよね?」


 僕にしてみればその絵は間違いなく上手かった。美術部がモデルに対して描いたそれだと断言できる。そこには確かにリアリティがあり、幻想的なまでの美しさがある。でも、それこそが問題なのだと川合さんは言う。

 清運朱莉の絵は、ここまで幻想的ではなかった。良いものを更によく見せようとしなかった。ここにないものを持ってこようとしなかった。それこそが彼女の創作だった。なのに今の彼女は違う。進んだ先で道を変えたのではない。今も変わらず道を進みながら、他所の国の土を踏んでいるようなあべこべ感。一言で言えば無理がある進行。彼女自身の中での不和。それこそが問題なのだと、幼馴染は言う。


 しかし、これは。

 これが問題だとするのなら、一体どうすればいいのだ?


「…」

「ダメな事じゃないと思うよ。いろんな絵の形を知るのは、きっと、とても重要な事。でも」

「私は上手くそれを落とし込めていない」

「多分、そう」

「…」

「川合さん。二つ目の意味って何?」

「二つ目は…」

「もう、いいです」


 割り込んだのは清運さんだった。彼女は暗い顔で鉛筆を握りしめ、目線を合わせることもしない。


「結局、コンクールには間に合いません」

「清運さん…」


 その肩に手を伸ばそうとするものの、なんて声をかければいいのか分からなくて、僕は膝の上で拳を握りしめる。スランプの原因…彼女が自分の絵に納得がいかなくなってしまった理由が分かった。余計な事を覚えたからだ。それを無自覚でしていたのかは分からない。もしかしたら、良かれと思って彼女は手を伸ばしたのかもしれない。けれど結果的にその要素は彼女の世界で異分子として肥大化していった。

 彼女がここまで深刻そうにしているのは、もとに戻る見通しが立てられないからじゃないだろうか。

 いったいいつからそれを始めたのかは分からない。でも間違いなく、手癖として気づかなくなるほどに彼女の中に浸透しているのだ。それを完全に切除、ないしは飲み込むまでにどの程度かかるのか、見当もつかない。


 彼女が予定しているコンクールというのがどの程度のモノなのか分からない。正直、出せなくたっていいじゃないかと思ってしまう。けれどその執着を見る限り、軽々しく応募を取り消せなんて言えなかった。

 けれど。


「方法はあるよ」

「え…?」


 深刻な雰囲気に包まれる美術室内に、明るい声色が響く。僕も清運さんも思わずそちらを見ると、声の主は何でもない事みたいに言うのだ。


「友達を作ればいいんだよ!」

「友達?でも…」清運さんが僕を見る。確かに、それはもう思いついて、実行に移している作戦だった。

「下沢君だけじゃなくて、もっとたくさん!クラスの皆と友達になるの。人の嫌な所も好きな所も知れば、きっと昔のアカちゃんに戻れるよ!」

「クラスのみんなと…」

「そう!」ニッコリ笑顔で言う川合さん。対する清運さんの顔は、青を通り越してどす黒くなっていた。

「海野ちゃん」

「なに?」

「無理で」

「無理じゃないよ!だって――」


 川合さんはほぼ清運さんの発言を予想していたようだ。かぶせる勢いで両手を広げ、正面にいた僕をひっつかんで肩を寄せる。

 そして、言う。


「――この友達いない同盟が、君の友達作りをサポートするのだから!」


 そう言った。


 なんて言った?




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