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プレゼント




 翌日。

 朝礼十五分前に教室に来ると、予想通り有崎さんが席について読書をしていた。

 教室に人はまばらで、小さな話し声でもよく聞こえるぐらいには静謐だったが、あと五分もしないうちに聞きなれた喧騒に包まれるだろう。その前に僕は彼女に話しておきたい事があった。昨日、彼女と別れた後の出来事について。

 僕は廊下側の自分の席を通り過ぎ、まっすぐ有崎さんの元へ向かう。


「有崎さん、おはよう」僕が言う。

「おはよう。………下沢君」有崎さんが言う。僕の名前を思い出すのには少々時間がかかったようだが、覚えているだけ上々だ。

「あの後、3組に確認に行ったよ。候補の数は少なかったけど、まあ、ドッジボールとか、よくある種目だったかな。やっぱり、分かりやすくて単純なものの方がいいと思う」

「そうね。ありがとう。じゃあ、私の案は消しておいて」そう言って、再び本に視線を落とす有崎さん。


 あれ、結構意外な反応だ。てっきり昨日の様子を見るに、自分の案で行きたいと言い出すものだとばかり。けれど有崎さんはあっさり僕の言葉に賛同し、会話は終わりと本を読んでいる。


「…クリケットは残しておくよ」


 僕はそう言って有崎さんの席を離れる。

 昨日は僕をあんなに冷たい目で見ていたのに、今日の彼女は、一見すれば昨日の僕よりも適当だった。その姿にどこか釈然としない気持ちを覚えつつも、まあいいか、と自分を納得させる。そもそも、こんな適当に流したって文句の出ないイベントに、真剣に取り組む方が馬鹿なのだ。彼女の真面目さは魅力的だ。けれど人生の中には適当でもいい事柄ってあると思う。今がまさにそれだ。

 実際、川合さんと会った後に他のクラスも見てみたが、あんな時間にまで残って案だしをしているクラスは一つもなかった。


 僕は自分の席に座り、次第に騒がしくなる廊下を眺めた。

 廊下は結構面白い。いろいろなものが見えるから。

 入学してすぐの今の時期なら、友達になりたての生徒たちがお互いのラインを見極めながら仲を詰めようとしている光景とか。逆に仲間づくりに失敗した生徒が、他のグループに何とか混ざろうと、一列になって歩くグループの間にはいる機会をうかがっている光景とか。逆に中学生来の友達同士ですっかり固まってしまう人もいる。

 酸いも甘いも、苦みも旨味も、ただ学校という大きな生命の中を流れていく。僕たちはこの学校を循環する血液なのだ。実際、生徒がいない学校は死に絶え――廃校になる。僕たちの通うような私立高校であればなおさらだ。僕という存在が血中にいることで、この学校は息が出来ているのだ。

 そう考えると、少し自分の存在意義みたいなものが確信出来てほっとする。

 僕は、ここにいていいんだ…。


「あれ?」


 そんな事を考えていると、人ごみの中に何か見覚えのある緑色を見つけた。

 小さな体で不安げに周りを見渡すその姿は、間違いない。清運朱莉だ。昨日出会ったばかりの彼女なのに、何故か親近感を覚えてその姿を目で追ってしまう。あんなところで何をしているんだろう?いや、彼女も同じ一年生なのでこのフロアにいるのは何らおかしい事ではないのだが。にしても朝の激しい人ごみの真ん中で、どこに行くでもなくうろうろ、うろうろ。おかげで周りはいい迷惑だ。事実清運さんは周りに若干睨まれながら、河川の下流へ向かう小石の様に小さくなっていく。

 いかん。あれでは廊下の端につくころにはもっとミニマムになってしまう。


 さすがに見ていられなくなった僕は、救助に向かわんと立ち上がる。その時だった。


 どんどん小さくなっていく清運さんの腕を、またもや見覚えのある栗色の髪の生徒が、ガッと掴んだのだ。その生徒は清運さんを傍に抱き寄せ、そのまま渡り廊下のある方へとフェードアウトしていく。おかげで早々に姿が見えなくなってしまった。

 どこか行き場のないやる気を持て余しながら、僕は席に着く。

 …清運さんと川合さん、友達だったのか。

 遠目だが、確かに確認できたのは奇しくも昨日話した二人の少女。川合海野が清運朱莉の腕を引き、美術部のある特別棟へ引き上げていった。


 それは間違いなく清運さんの助けとなる行動だったのだけど。

 そのある種の雑さも相まって、僕は川合さんの意外な一面を見たような気持になった。


「おいすー。何見てんの」

「げっ、出たな変態」


 肩に回された腕と、耳元でささやかれる響きの良い低温。僕は突然の事だというのに、反射的に悪態をついた。

 すると言葉の主、酒井(さかい)浩平(こうへい)は日焼けで良く焼けた腕を組んで、


「俺だけじゃなくて、俺らで変態な」


 そう言った。

 そんな二人なら最強みたいなエモい言い方をしたって駄目だ。


「僕は変態じゃない。一緒にするな」僕が言う。

「何でえ、下ネタ好きなくせによー」浩平が言う。てか何言ってんだ馬鹿新学期はじめなんだぞ馬鹿有崎さんに聞かれたらどうすんだよ馬鹿!


 ちらと窓際の席を確認する。有崎さんは…よし、読書に集中なさっている!


「今日も朝練?」

「そ。いい加減お前もバスケ部入れよなー。運動好きなのにもったいねえよ」

「やる気のない奴がいたって迷惑だろ」

「そりゃそうだけどさー」


 僕は肩に回された浩平の腕を解き、今度こそ席に着く。意外な事に、朝練後の彼から汗臭さは感じず、代わりに清涼感のある柑橘系の匂いがした。中学まではニオイケアなどの対岸にいるような男だったのに、環境の変化に伴い周りの影響を受けたらしい。友人の新しい世界への門出を祝福しつつ、こうして皆大人になっていくんだなろうかとしみじみする。

 浩平は手に持っていた部活用品を個人ロッカーに放り投げると、僕の前の席に座った。なんの因果か中学を同じにする僕たちは、地元の高校に進学後も、こうして同じクラスの上下の席という位置関係に収まった。いっそ恣意的にすら感じるめぐりあわせだ。昨日の清運さん風に言うのなら、運命的、だろうか。


「んで?」浩平が言う。

「ん?」僕が答える。

「何見てたんだよ、あんな熱心にさ。教室の中から廊下側(こっち)ガンみしてっから、不気味だったぜ」

「ああ…清運さんがいたから見てたんだ」

「清運?」


 僕は一瞬、どこまで話したものかと逡巡する。そしてすぐに隠す事でもないと思い返した。昨日の一連の会話について正直に話せば、すわ頭でも打ったのではないかと言われかねないので、あくまで常識の範囲で。見たままの事実を僕は話した。


「清運ってあの、緑髪の?」

「そう。珍しいだろ。こっち側にきてるなんて」

「そりゃ確かに珍しいな」

「だろ」


 この高校は基本的に実験室や文科系の部室などを有する特別棟と教室のある本棟に分かれており、美術室登校をしている清運さんをこちら側で見る事は滅多にない。実際、彼女を見たこともないという人も、中にはいるんじゃないだろうか。


「んで?」

「あ?」


 浩平は腕を頭の後ろで組んで、僕に向き直る。


「なんでお前が清運の事なんて気にすんだよ。いくら有名人でも、お前が知りもしない奴の事を気にするなんて、そっちの方が珍しいだろ」

「ぐ、。別にそういう日もあるだろ」


 痛いところをつかれた、と、つい僕は顔をゆがめる。そしてその瞬間、下手な言い訳は意味をなさなくなってしまった。この友人は、基本馬鹿であほなのに、時折こうして芯を捉えたことをいう。


「ひ、」僕は言う。

「ひ?」浩平が言う。


 な、なんていえばいいのだろうか、昨日会ったことを、正直に話すか?それは別にいいのだが、僕自身も昨日のプロセスをまだ処理しきれていないので言葉に詰まる。僕は歪んだ顔を更にゆがめ、苦虫をかみつぶしたように目をつぶり、やがて絞り出すように言う。


「筆舌に、尽くしがたい…」

「まじ、何があったんだよ…」


 呆れた顔をする浩平。

 僕に言えるのはそれまでだった。と、そこで思い出す。わざわざ話をしなくとも、僕の鞄には昨日のメモがある。

 昨日、控えめに言ってわけのわからない清運さんの主張に対して僕が苦し紛れにしたためた脳内整理用のメモ書き。不安定な場所でペンを走らせたので所々歪んでいるが、読めなくもないだろう。実際、昨日清運さんは素晴らしいです、と目を輝かせてくれた。つまりこれで理解できない奴の方がおかしいのだ。浩平くん。

 僕は黙ってメモ書きを浩平に手渡す。

 彼はしばらくそれを眺めて。


「なるほど」

「分かってくれたか」

「分かるかい」そう言って、手に持つそれを放り投げる。ひらひら舞って机の下へ落ちていくメモ書き。

「おい、僕の昨日の努力の結晶だぞ」

「本気でこれを描いたんだとしたら、お前か清運、どちらかは間違いなくイカレていることになる」

「ああ、それが清運さん、マジでやべえぞ」

「朱莉ちゃんの話してる?」

「ええ、今まさに…」


 そこまで言って、体が固まる。突如僕らの会話に入ってきたその声は、男同士むさくるしい空間に相応しくない澄んだ綺麗なモノだったから。

 僕と浩平は目を丸くして声の主の方を見る。すると川合さんは、僕らの席が位置する廊下に面した窓の向こうから、乗り出すように声をかけてきていた。


「おはよ、下沢君。お話し中ごめんね」川合さんが言う。一瞬、チラと浩平の方をみて、申し訳なさそうに手を合わせた。

「おはよう、川合さん…。どうしたの」僕が言う。浩平はまだ目を丸くして黙っていた。


 …いつもより声が良く通っている気がするのは、きっと気のせいではない。実際問題、我が1年2組はちょっと考えられないほど静まり返っていた。が、それもそのはずである。

 他クラスの生徒が教室に訪れる。しかもこの、それぞれのクラスがまだまとまっていない時期に。それだけでもちょっと人目を引くのに、そのフォーリナーはよりにもよって有名人の川合さん。すぐに喧騒は取り戻されるだろうが、役職的にはクラス委員でもない川合さんと僕みたいなカス人間がなぜ交流を持っているのか、気になる人は気になるだろう。


「あれ、川合さんだぜ」

「うわマジでかわいいじゃん」

「下沢と友達なの?」


 こ、後方から視線と殺気(主に男子)が突き刺さってくる。このクラスではただでさえ、クラス委員で有崎さんとペアになったことで若干肩身が狭いのに、これ以上は女好きのレッテル張りが起こりかねない…!(自意識過剰)


「ううん。私から何かあるわけじゃないんだけど、朱莉ちゃんがね。用があるって」


 川合さんがそう言うと、後ろからおずおずと出てきたのは昨日と違い、しっかりと前髪をヘアピンでとめた清運さんだった。噂をすればというやつだ。


「あ、あの。お久しぶりです…」


 声はだんだん萎んでいき、最後には清運さん自身が川合さんの背後に隠れてしまった。彼女は体を半身出して、怯えるようにこちらを見ている。いや、こちらというより、僕の後ろから放たれる視線におびえているのだ。

 ただでさえ清運さんは目立つ髪色をしているのに、そもそも存在自体がレアキャラなものだから、教室の皆が気になるのも当然と言える。


 突き刺さる視線が増えた。後ろを見ているのでわからないけれど、その中には有崎さんの視線もあるのだろうか。…いや、彼女はきっと、この状況でも黙々と読書に勤しんでいることだろう。


「あ、あのあの…」


 川合さんの袖をつかみながら、ずるずると小さくなっていく清運さん。その姿は小さな子供を見るようで、いっそ可愛らしくはあったのだけれど。

 僕は流石に話が進まないと思い、場所を変えようと立ち上がる。朝礼の時間までもう五分を切っており、大概の生徒は登校を完了させていて、彼女の消え入りそうな声でもよく目立ってしまう。


「清運さん、場所を…」

「あの!」

「はい!?」


 僕にかぶせるように清運さんが叫ぶ。その声量には、決壊したダムから濁流が流れ出る瞬間に近しいものがあった。僕は思わず背筋を伸ばし、その二の句を持った。クラスの連中も、何事かと聞き入っている雰囲気を感じた。

 やがて彼女はポケットをガサガサとあさりながら。


「き、昨日!な、名前は聞いてたけど…、細かい連絡とか、ど、どうしようって、思って…。直接、聞きに行こうとしたんですけど、あさ、流されちゃって、そそしたら海野ちゃんが助けてくれて、話したら、書いて渡したらって、だから、それで…!」


 まとまらない言葉がそのまま出てくる感覚だ。

 僕は黙って話を聞いている。


「だから」

「…」

「だから、これ!」


 清運さんがくしゃくしゃになった紙の切れ端を僕に渡す。

 そして廊下全体に響き渡るような大きな声で。


「――わ、私の連絡先です!受け取ってください!」


 そう言った。

 その言い方はちょっとまずいんじゃないだろうか。


「はっ!」


 僕は向けられる視線の数が明らかに増えたことを感じていた。

 特に強いのは一番近くにいた人間から向けられたものだ。


 彼は小学校時代からの無二の友人であったけれど、向けてきていたのは間違いなく殺気だった。





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