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8.迷惑じゃ、ないですか。

「——おーい、入っていいぞー」

 養子にもらわれた次の日。

 僕は、碧音さんが通っている学校の中等部に入学することになりました。

 そして今、自分の太鼓のような鼓動を聞きながら、中等部1年D組の教室に入ろうとしています。

 ふぅーっと深く深呼吸をしてから、僕はそっとドアを開け、教室の中に足を踏み入れました。

「今日からこのクラスの一員となる、澄瀬月飛くんだ。みんな、仲良くしてやれよ。澄瀬、自己紹介をよろしく」

「えっ、あ、……澄瀬、月飛……です。今日から、このクラスに入ることになりました。よろしく、お願いします」

 突然先生に話を振られたので、僕は少し慌てながら自己紹介をして、黒板に自分の名前を書きます。浮浪児だった頃、月翔と字の練習もしていたし、児童養護施設で教えられもしたので、大丈夫だと……信じます。

 40人の合計80個の目が僕に向いていて、僕は少し委縮しながら先生の指定した席に向かいました。


 分かりません。

 数学が、全く分かりません。

 僕は月翔と字の練習と簡単な計算をしていたからと言って、児童養護施設で教えられたからと言って、中学1年生の学習はまだしていないのです。全く持って分かりません。なんとか理解しようとしても、全く意味が分かりません。

 すると。

「ここは……じゃあ、澄瀬。答えろ」

「⁉ っえ、あ……っ、……。えっと……」

 答える場所は分かっています。ちゃんと先生の授業は聞いていましたし、ノートも取っています。しかしそれと分かるのとは全く違います。

 僕はさぁっと顔を青ざめさせながら必死で頭をフル回転させます。しかし、全く分からない。そう言えば、僕は小学4年生までしか児童養護施設で習っていません。それは……分かりませ、ん?

 ……これ……小4までの計算で行けば、全部できるのでは……?

 ——あ。できた。

「立方体の体積の、12分の1、です」

「……お……おぉ。す、ごいな澄瀬。これ中学生に解かせても全く解けないんだぞ」

「ちょー村セン~、転校生に急にそんな問題吹っ掛けるとか鬼じゃん~、やめたげなよ~」

「……お、おお。やめておく」

 あっけにとられたように先生が目をぱちくりと瞬かせる。え、だって……

「? 小学4年生までの学習で、できるじゃない、ですか……?」

 首を傾げながら僕は言います。すると、なぜかひくりと先生が口元を引きつらせました。

「……そ、う……なん、だけど……な? そこまでたどり着くやつがなかなかいないんだよ」

「あ……そう、なんですか」

「澄瀬、お前はすごいな! 頭がいいんだな」

「えっ、あ……ありがとう、ございます……」

 一応お礼は返しましたが、僕が答えにたどり着けたのは小学4年生までしか習っていないから、ではないでしょうか。それが“頭がいい”ということに直結するとは、僕には思えません。

 それを裏付けるように、僕はそこからの問題は全く分かりませんでした。


「中学校の勉強、しておいた方がいい、ですかね……」

 ぽつり、独り言ちます。

 先ほど僕が答えられたのは偶然です。中学校の勉強をしておかないと、全く分からないです。

「でも……どうやって勉強したら、……いい、んでしょう」

 そう、そこが問題なのです。浮浪児だった頃、月翔と一緒に字や計算などを学んでいた時は、ゴミ捨て場とかにあった教科書を使っていました。では配られた新品の教科書……いや、これは2学期のものです。1学期のものがいります。しかも僕は小学5、6年生の勉強もしていません。それもしなくては、分からないままでしょう。

「……碧音、さん」

 名を呟いてから、即座にふるふると頭を振ります。

 そんなの、迷惑に決まってます。碧音さんは高校2年生なので、僕なんかよりもっと大変でしょう。碧音さんは頭がいいと須磨子さんが仰っていましたが、……それでも勉強はしているはずです。僕自身で解決するしかないです。

 そう思った直後。

「おーい、澄瀬ー」

「⁉ っ、はい、なんでしょう」

「おー。やっぱり全員にも敬語なんだ」

 僕に声を掛けて来たのは、確か……來山陽太くるやまようた、と言う男子生徒でした。

 ニッといたずらっぽい不敵な笑みを浮かべた彼は、いつも周りに人がいます。人気者、なのでしょうか。

「澄瀬ってさぁ、あの高等部の澄瀬碧音先輩の……親戚?」

「へっ? あ、いえ……弟、です」

「……弟?」

「あ、はい……あの、義弟です」

「……義、弟?」

「はい、えっと……僕は碧音さんのご両親に養子としてもらわれて」

「……養、子……?」

 ふらりと一瞬來山さんがよろめいて、僕はぎょっと驚き「大丈夫ですかっ⁉」と声を掛けます。

「……あぁ、いや、大丈夫……」

「あ……本当ですか……? 立ちくらみですか? 貧血?」

「いや、脳のキャパオーバー」

「きゃぱ……?」

 聞きなれない言葉だったので、僕は少し首を傾げます。ぽかんと來山さんが口を開け、そして次の瞬間なぜかぶはっと噴きだしました。

「え、」

「あぁ、ははっ、わりぃわりぃ、マジか……キャパオーバー知らねぇのか」

「あ……」

 もしかして、鼻で嗤われた……ので、しょうか。しかし不思議なことに、全く持って嫌な気持ちは湧いてきません。

「……?」

「あ、そういえばさ。澄瀬、なんか呟いてなかった? なんか困りごと? 俺で良かったら聞くぞ?」

 多分、彼は頼られることが多い人なのでしょう。すぐに気づいてくれるし、僕が言ってほしいことをすぐに言ってくれます。

「あ、はい……あの、僕小4までの勉強しかできてなくて。さっきのやつはだからこそ解けたみたいな感じで……小学5年生と小学6年生、中学生の勉強をしようと思ったんですけど、1人でどうやってやろうと困ってて」

「……いや、1人ではできないだろ。それこそ澄瀬先輩に教えてもらえば?」

「でも……迷惑、でしょう。勉強などで忙しいでしょうし……」

 伏し目がちに言えば、突然來山さんにガッと肩を掴まれました。

「ふぇっ、」

「おいおいおいおい。そんなん、俺が勉強教えてもいいけど、小5から中1までだと時間かかるだろうし。だからさぁ……ずっと一緒にいる澄瀬先輩に教えてもらった方がいいって。澄瀬先輩も、多分頼られたら嬉しいだろ」

 來山さんを見ると、すごく真剣な表情で。僕のことを本気で考えてくれているんだと、如実に伝わる表情でした。

「ぁ……」

 瞳が揺れるのを、自覚しました。

 ……本当、ですか? 碧音さんは、僕に頼られたら……嬉しい、ですか……?

「……頼っても、いい……です、か? 碧音さんに……來山さん、に」

「勿論だろ? っつーか、澄瀬。月飛って呼んでもいいか? 澄瀬も俺のこと、陽太って呼んでいいから。今から俺ら友達な」

 ニッと、太陽のような明るい不敵な笑みを浮かべて、來山さ……陽太さんは言いました。


「ほい、行けー月飛」

「うぅ……」

 どん! と背中を押され、僕は覚悟を決めて碧音さんの教室のドアをがらりと開けました。

「……あ、碧音、さん……」

 お友達と思われる人と一緒に談笑している碧音さんを見つけ、僕は遠慮がちに声を掛けます。しかし一瞬ぴくっと気のせいかと思うような反応をしただけで、また話し始めました。……聞こえなかった、のでしょうか……?

「……、あの……?」

 もう少し大きめの声で、言います。……やっぱり、聞こえてます……よ、ね? やっぱり、迷惑……なのでしょう、か。

 すると、碧音さんのお友達が突然「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああんんっっっっ‼‼‼」と叫んで、僕はびくんっと体を揺らし、思わず手で耳を押さえました。

 しかし、僕よりももっと近くで、隣で聞いていたはずの碧音さんは、呆れたような顔をして「うるせーよ」と言っただけでした。……うわぁ、すごい。

 こほん。

 気を取り直して、もう一度碧音さんのことを呼びます。

「……碧音、さん」

 すると、今度は彼女は反応してくれました。

「あ、」 

 ぱっと顔を上げると、なぜか碧音さんはくすっと笑いました。

「? あの、……勉強が、わかんなくて。おうちで、勉強……教えてもらえ、ますか」

「あぁ……」

 碧音さんは納得したように頷き、少し俯かせました。

 そしてすぐに顔を上げ、ニコッと美しく、百合のように微笑わらいました。

「勿論、いいよ」

最後まで読んでくれた方へ。

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