12.きみがわらっていれば、ぼくはしあわせだった。
——君がいてくれたから、僕は幸せだったのに。
僕と月翔という双子の弟は、8か月くらいに両親を事故で失った。僕は右腕に大きな傷を負い、そして——月翔は、意識不明の重傷で、昏睡状態だった。
毎日毎日、月翔の目が目覚めなくて。毎日毎日、泣いていた。
しかし、月翔は1歳の時意識を取り戻した。そりゃあもう泣いた。泣いて泣いて、泣きまくった。
そこから、僕と月翔は親戚の家に引き取られることになった。
——しかし。
それからは、ずっと地獄の日々だった。
「お前らも、あいつらと一緒に死んでればよかったのに‼」
「俺らは好きでお前らのことを引き取ってんじゃねぇんだよ‼」
僕たちは、親戚の家をたらい回しにされていた。僕たちの両親はみんなに嫌われていたようで、僕と月翔はどこの家でも暴力を受け、殴られ、蹴られ、突き飛ばされて、暴言を吐かれて、食事も与えられなかった。
それは、5歳まで続いて。親戚の家を転々としながら、月翔といる時間だけが幸せだった。
それが終わりを迎えたのは、5歳の時だった。
「っ、月飛にぃっ、ぼくもうっ、ふ、ぁ、ここに、いたくない……っ」
月翔はそう、泣きながら僕に言った。僕も月翔も、もう限界だった。絶望しきっていた。
僕たちは話し合い、「浮浪児になる」という決意を固めた。
「っ、月飛にぃがいてくれるならっ、ぼくはどこでも、っ、いいよ」
月翔は泣きながら、そう笑っていた。
それからは、廃墟で過ごした。
月翔は、いつも泣いていた。
「ぅ、月飛にぃ……っ、ぼく、おなか、すいた……っ」
泣きながら空腹を訴えていた。泣きながら勉強をしていた。泣きながら寝ていた。泣きながら、泣きながら、泣きながら——
もう、月翔の涙は見たくなかった。
だから、僕は月翔とある約束をした。
「ねぇ、月翔」
「っ、ん……?」
月翔の目は、いつも泣いているからか赤かった。
それから目を逸らしながら、僕は言った。
「やくそくしよう」
「やく、そく?」
「うん、ふたりだけのやくそく。ぼくと月翔だけの、やくそく」
「ふたり、だけ」
「うん。……月翔、さ。ずっとないてる、じゃん。ぼくもう、月翔のないてるとこみたくない。だから」
途中で言葉を切り、僕は続けた。
「わらっていきよう。ずっとずっと、わらっていきてこう。どれだけつらくても、わらっていればしあわせになれる。ないてたらもっとつらくなっちゃうでしょ? だから、さ。……わらって、いきよう」
僕は、自分の瞳が揺れるのを自覚しながら小指を差し出した。月翔も、小指を差し出した。
「やくそくね。ゆびきりげんまん。うそついたらはりせんぼんのます。ゆびきった」
「っ、うんっ」
ようやく、月翔は笑った。
目元の煌めきが弾かれて、ぱっと散って消えた。
でも、月翔はまた泣き出した。はらはらと、頬を伝う。
「あ、やくそくやぶった」
「やぶってないよ」
何を言っているのか、と思った。笑ってるけど、泣いてるじゃん。じゃあ、約束破ってるじゃん。
「だって、このなみだ——わらってるよ」
「え、」
「なみだが、わらってる。しあわせだから、なみだもわらってる。だったら、やぶってないでしょ?」
「あ……」
どうしようもなく、子供の屁理屈だった。
でも、僕は笑って、自分も涙を頬に伝らせながら、言った。
「ほんとだ。わらってる——ぼくも、ほら。なみだが、きらきらわらってる」
「えへへ、いっしょだ」
それが、僕と月翔の最初の約束だった。
「けほっ、けほっ」
最近、月翔が咳をしている。大丈夫? って聞いても大丈夫って返ってくるから、それ以上踏み込めない。
「けほっ、月飛にぃ、けほっ、これみてっ」
ある日、月翔が僕と月翔の絵を描いてくれた。
それは、両親らしき男女の間に、僕と月翔がいて。幸せそうに手を繋いで、笑っている絵だった。
「っ、これ……月翔、」
「けほっ、おかあさんとおとうさんがいたら、どうなんだろうなって、けほ、おもって」
ニコッと無邪気そのものの満面の笑みを浮かべ、月翔が言う。
その笑顔を見たら、なんか何もかもがどうでもよくなってきて、僕はふっと笑った。
「やっぱりうまいね、月翔。ぼくと月翔だってわかるじゃん」
「えっ、そう⁉ やったぁ、月飛にぃにほめられた!」
「あはは、そんなにおおごと? ぼくにほめられるって」
「おおごとだよぉ、うれしいもん!」
——そして、月翔はどんどんと衰弱していった。
「げほっ、げほげほっ、ごほっ、げほっげほっげほっ……!」
「月翔⁉ だいじょうぶ⁉」
月翔の顔色が異常に悪い。目もうつろで、ずっと咳をしていて苦しそうだ。
「……月飛、にぃっ、おみず……おみず」
水を求めている月翔の傍で、何もしてあげられない。今、水がない。最近雨も降っていなくて、この廃墟には水がありそうなところもない。
「しんどい……さむい。でも、あつい。くるしい……つらいよ、つきひにぃ……」
「……っ……」
今目の前で月翔が苦しんでいるのに、傍にいてあげることしかできない自分がもどかしい。自分の無力さを見せつけられたみたいで、僕はぎゅっと拳を握った。
「ねぇ、月飛にぃ」
「どうした?」
「ぼくね、もうしんじゃう」
「……え?」
「月飛にぃ、いままでありがとう。月飛にぃがいてくれたから、ぼくはずっとわらっていられた。月飛にぃがいるだけで、しあわせだった」
「え、ねぇ、つき、と……? まってよ、まだだよ! 月翔がしぬなんてっ、もう……!」
「月飛にぃ、ぼくのかわりにいきてね? ぼく、月飛にぃがわらってればしあわせだったよ。月飛にぃは、しあわせだった?」
「あ……」
月翔は、もう自分の運命を受け入れていた。こんな小さな、幼い子がだ。
だから、僕も。
きゅっと唇を噛んで、僕は無理に笑った。
「しあわせだったよ。月翔がいてくれたから、ぼくはずっとしあわせだった。わらっていきれた」
「……っ、うん……っ」
「っねぇ、月翔……2かいめの、やくそくをしよう」
「え……?」
「——うまれかわっても、またきょうだいになろう。またいっしょになろう。どんなつらいことがあったって、うまれかわってもわらっていよう。そして、うまれかわったら、しあわせないえにうまれよう」
「っ、うん、やくそく……っ」
小指と小指を絡ませて、僕たちは最後の約束をした。
「月翔ないてるじゃん」
「ぼくのなみだはわらってるでしょ?」
「ぼくのなみだもわらってるよ」
「ほんとだね」
僕と月翔の涙は、それぞれの頬を伝って、きらきらと笑った。
「月翔」
「ん?」
「あいしてる。だいすき」
「えへへ……ぼくも。あいしてる——だいすき」
「2このやくそく、わすれないでね」
「うん」
「ずっとわらっていきること。うまれかわったらきょうだいになって、しあわせないえにうまれること」
「うん」
「っ、……月翔、しんでほしく、ない」
「っう、あ、」
月翔は、声をあげて泣き出した。
彼の瞳から落ちる滴は、とても透明だった。
僕は、久しぶりに小さな子供のように泣く月翔をぎゅうっと抱き締めた。
ぽつ、ぽつ、と、月翔の肩に滴が落ちていた。
「ねえ、月飛にぃ」
「……なあに、月翔」
「ぼくたちさ、しぶといね」
「……、そうだね。しぶといね」
「ねえ、月飛にぃ?」
「ん?」
「ぼく、さきにいくね」
「……うん」
「いつか、きてね」
「う、ん」
「おわかれ、だね」
「ぅ、ふ……っ、ぅ、ん……っ」
「……月飛、にぃ。なかないで。ないちゃったら、かなしくなっちゃう。ぼくたちは、“わらっていきる”でしょ?」
「ぅ、……っん……っ、おやすみ、月翔っ……」
「うん、……っおやすみ、月飛にぃ……っ」
月翔は、最期——僕の頬にキスをして。
頬に、きらきらと笑っている涙を伝らせて。
僕の元から、去った。
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