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第673話『銭と人心』

第673話『銭と人心』

 数日にわたる徹底的な分析の末、家康は評定の場に重臣たちを集めた。

 彼が広間へ姿を現した瞬間、それまでざわついていた声が、ぴたりと止む。

 家康は上座に歩み、集った家臣たちを一人ひとり見渡すと、沈黙を破った。

「――中央の嵐。その潮目が、ようやく見え始めたわ」

 その言葉を待っていたかのごとく、本多忠勝が進み出る。瞳には武人特有の烈しき光。

「殿! 柴田様より加勢の密使が参っております。織田家の正統は柴田様にあり! 今こそ、あの成り上がりの猿を討ち、信長公への恩義を果たす好機にござります!」

 その声は広間の空気に火をつけた。三河武士の多くが抱える心情そのもの――信義こそが戦の柱。ならば織田家筆頭家老・柴田勝家に与するのが道理。「今こそ!」という熱が湧き上がる。

 だが、その熱狂は、家康の一言で断ち切られた。

「――勝つのは、羽柴だ」

 広間が凍り付く。

 忠勝は思わず声を失い、かろうじて絞り出す。

「……殿、今、何と」

「聞こえなんだか、平八郎」家康は微動だにせず応じた。「この戦、勝つは羽柴秀吉。しかも――圧勝となろう」

 ざわめきが広がりかけたが、家康は立ち上がり、地図の前に進むと、静かに語り始めた。

「皆は、兵の数や将の武勇が勝敗を決めると思うておる。だが、それだけで勝てる時代は、すでに終わった」

 彼の扇が、地図の「堺」の文字を、軽く叩く。

「銭よ。秀吉は堺の富を掌握しておる。鉄砲も兵糧も銭で動く。対する柴田は北国の雪に閉ざされ兵站脆弱。戦が長引けば、どちらが先に飢えるか――火を見るより明らかじゃ」

 さらに扇は京を指し示す。

「そして、人心。秀吉は信長公の弔い合戦を制した大義を得、帝さえ味方につけた。柴田に付くとは、すなわち朝廷に弓を引くと同じ。その危険を冒す大名が、どれほどおると思う?」

 その言葉は、武士の誇りや信義という、彼らがこれまで寄りかかっていた価値観を、根底から揺さぶった。

 戦はもはや戦場だけではない。銭の流れ、人の心の流れ――その見えざる戦場において、秀吉はすでに、戦う前より柴田を圧倒している。

 沈黙が落ちる。

 家臣たちは、自分たちの主君が、武だけでなく経済、政治、時代の潮流さえ読み取る存在であることを、痛烈に理解した。

 忠勝は膝をつき、握った拳に力を込めた。胸を貫いたのは反発ではない。ただただ、純然たる畏怖だった。

 かくして、評定は熱ではなく、家康一人の冷徹な視座によって制されたのであった。

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