表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/300

第59節『槍を構える』

第59節『槍を構える』

 夜風が石垣を撫で、笛のように細く鳴った。

 その音すら、二人の間に張り詰めた静寂を際立たせる。

 新太は、源次から放たれた言葉の衝撃を振り払うかのように、背負っていた槍を解き、その石突を地に突き立てた。

 金属が石畳を打つ硬い響きが、冷えた夜気に鋭く突き刺さる。

 月光を浴びた穂先は青白く光り、まるで月そのものを引き裂くように冴えていた。

 対する源次は、腰に差した短刀を逆手に取る。

 膝を軽く折り、低く沈んだ姿勢をとった。足先は石畳にぴたりと吸いつき、いつでも飛び込めるよう研ぎ澄まされた構え。


 二人の間合いは、息一つで届くほどに近い。

 にもかかわらず、どちらも踏み込まない。踏み込んだ瞬間に、死が決まるからだ。

 新太の眼には激情が燃えていた。だがその激情の奥には、源次の問いかけによって抉られた動揺がまだ燻っている。

 (こいつ……! なぜ俺の心の奥底を知るような口を利く……!? 何を知っているのだ! 消さねばならぬ! だが、斬る前に聞き出さねば……!)

 殺意と、真実への渇望。相反する感情が彼の呼吸を荒くし、槍を握る掌には血が集まり過ぎている。

 一方の源次は、じっと相手を見据えていた。その眼差しは冷ややかで、一切の迷いを含まない。

 (まずい、完全に頭に血が上っている。だが……激情は隙を生む。冷静になれ、俺。相手の動きを見極めろ。焦るな。勝機は必ず訪れる)

 沈黙が長く続き、時間そのものが引き延ばされたように思えた。

 月は二人の頭上で静かに輝き、戦場を見守る唯一の証人のようだった。


 そして――。

 「うおおおおおっ!!」

 新太の雄叫びが夜を破った。心の乱れを振り払うかのような絶叫と共に、彼は踏み込む。

 槍が唸りを上げ、月光を裂いた。源次は紙一重でかわした。風圧だけで頬が切れる。

 すぐさま二撃目。突きから返す穂先で横薙ぎ。それもまた、ぎりぎりで身を捩って躱す。

 「速い……重い……! だが、荒い!」

 源次の胸を冷や汗が流れる。一撃一撃が獣の咆哮のように荒々しく、だが心の乱れが槍筋をわずかに鈍らせ、本来の冴えを奪っていた。もし万全の状態の新太であれば、今の二撃で勝負は決していたはずだ。

 穂先が石壁を叩き、火花が散った。硬い音が狭い通路に反響する。

 源次は反撃を試みようとするが、新太の間合いがそれを許さない。槍の長さは圧倒的な優位を持っていた。短刀の間合いに踏み込む前に、幾度も鋭い穂先が襲いかかる。

 突き、薙ぎ払い、繰り出し。その連撃はまるで嵐だった。

 (速い……! くそ、このままでは削り殺される……!)

 源次は体を翻し、最小限の動きで攻撃をかわす。それはまるで波間を縫う小舟のようだった。彼の漁師としての身体感覚が、ここで生きていた。


 しかし、防戦一方。足は次第に後退を余儀なくされる。通路の壁が迫る。逃げ場がなくなる。

 新太はそれを見逃さなかった。

 「はあああああッ!」

 怒号と共に、三度目の突きが走る。穂先が光の矢のようにまっすぐ源次の胸を狙った。

 源次は咄嗟に半身を引き、壁際を滑るようにかわした。穂先は石壁を穿ち、火花と共に石片が飛び散る。

 「くっ……!」

 新太の眉間に皺が寄る。激情の中にも冷静さを取り戻しつつある。その眼差しは、獲物を逃さぬ猛禽のようだった。

 源次の呼吸は荒い。肩が上下し、額に冷たい汗が滲む。

 だが――その瞳だけは静かだった。

 (まだだ……こいつの攻撃には、必ず揺らぎがある……)

 源次は、わずかに後退の足を止めた。それは危険極まりない賭けだった。

 新太はそれを挑発と受け取り、激情をさらに燃やした。

 「ならば突き伏せるまでだァ!」

 槍を中段に構え、全身の力を込めて突き出す。月光を背負ったその一撃は、まるで天を裂く雷光のごとく迫ってきた。

 源次は退かない。わずかに半身になり、逆手の短刀を構え直す。

 穂先が迫る瞬間、時間が引き延ばされたかのように遅くなる。

 新太の渾身の突き――その後に必ず訪れる呼吸の乱れ。体勢が浮き、脇腹がわずかに空く。

 「そこだ……!」

 源次の心が叫ぶ。体を滑り込ませるように内側へ踏み込み、短刀を突き出す。

 月光を反射した刃が、真っ直ぐに新太の脇腹へと吸い込まれていく――。


 勝負は決したかに見えた。

 だが、その瞬間。

 二人の間に、突如として別の影が割り込んだ。

 「……!?」

 源次の目が見開かれる。短刀の切っ先は寸前で止まる。新太の突きもまた、途中で凍りついた。

 割って入ったその影は、月明かりに照らされてなお、その顔を覆い隠していた。

 だが、その存在感は圧倒的だった。

 ――何者だ?

 源次も新太も、言葉を失っていた。

 夜風が再び通路を抜ける。ただ、その音だけが響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ